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文字数 2,761文字
俺は目を覚ました。
何か、怖い夢を見たような気がする。実際、俺の体は震えているし、なんだか不穏な胸騒ぎがする……が、見た夢がどんなものだったか覚えていない。
いや、そもそもの話だ。今は一体何時なんだ?
夜? 夕飯食べたっけ? あのドラマは見たっけ? どうして記憶がすっぽ抜けて……――
出し抜けにアルさんの声がしたものだから、つい大声を上げてしまった。
どうして俺の部屋に、というか、そもそも俺はどうしてここに?
――問おうとした俺を手で制し、アルさんは口を開いた。
きっと、寝言だの寝相だのをこの人は見聞きしていたに違いない。隠しても無駄なんだろうけど、……いや、そもそも覚えていないんだから、隠すも何もないじゃないか。俺は何をこんなに不安がっているんだろう? この胸騒ぎは何だろう? ……
忘れたままでいたいなら、無理に思い出さなくても大丈夫ですから。
……アナタが抱えているであろうものを知らないものだから、つい気になってしつこく聞いてしまいました。が、それにしてもやはり無神経でした。ごめんなさい。
そりゃ、ほんの数か月、数年程度なら、死後、何の理由も未練もない状態でこの世に居座ることもまれにあります。しかし、それが数千年ともなると訳が違う。……
つまり、こういうことなんです。この世に未練があるから、すなわち「死んでも死にきれない」からアナタはここにいるはずなんです。
強烈な「何か」が、アナタをここに縛り付けているんです。時間と共に流れ去る、朽ちて消えていく記憶とは、比べようもない「何か」があるんです、きっと。
でも、アナタはその「何か」を覚えていないという。
それならば、こう考えるのが妥当なんですよ。
アナタはその「何か」を、自らの意志で記憶の中から消し去った、と――
――問おうとして口を開きかけた俺を手で制しながら、アルさんは続けて言葉を紡いだ。
ざっくり分ければ、外的要因によるものと内的要因によるもの。新しく覚えることができないタイプのものと、過去を思い出せないタイプのもの。全て忘れるタイプのものと、一部は思い出せるタイプのもの。
アナタのそれは、恐らく内的要因によるもので、過去を思い出せないタイプのもの、そして全て忘れるタイプのもの。
ワタクシは医者ではないので確実な診断を下すことはできませんが……まあ、十中八九言い当てることはできましょう。恐らく、「全生活史健忘」というものです。耐え切れない程の極度のストレスからこころを守るために発するものです。
一気にこれだけ話すと、アルさんはふーっと息をついた。
空っぽのはずの頭が痛んだ。空っぽのはずの胸は相変わらず騒ぎ猛っていた。
アルさんの言葉を「思い過ごしだ」と笑い飛ばせたらどんなにいいだろう。
でも、とてもそんな気にはなれなかった。
空洞のはずの、魂に突き動かされているだけの空っぽの身体が、音も無く叫んでいる。
“確かに、俺は「何か」を見た。「何か」を愛した。そして「何か」を失ったんだ”と。
でも……何で覚えていないんだろう。何で忘れたんだろう、生前のことを。
絶対、忘れちゃいけないことだったんだよ。「何か」、「何か」があったんだ。
……「何か」って、何だ? ――
眉間に皺を寄せ、思いつめたような顔。この顔は何か知っている顔だ。
空っぽのはずの頭は相変わらず痛んだ。痛みはどんどん増していく。鈍器で殴られているようだ。
――思い出せ。
いや、思い出せない。既に機能を失っているはずの心臓の音が聞こえるようだ。
――思い出せ、思い出さねばならないんだ、――もう逃げてはいられない!
相変わらず身体は叫んでいる。身体は、「何か」を覚えている。
俺は堪えきれなくなって、頭を抱えて吠えた。
身体は覚えてるんだ、「何か」を、……俺がかつて見たものを、愛したものを、俺が失ったものを、この身体は覚えてる!
なあ、頼む……! 思い出さなきゃ、思い出さなきゃいけないって、身体がそう言ってる……いや違う。
俺、俺が、……俺が思い出したいんだ!! この「何か」を――
俺はアルさんの目を見て、もう一度頷いた。