エモート

文字数 2,325文字

殺風景な部屋。それが第一印象。
折りたたみのベッドに小さな座卓。
それから衣装ケース。

壁際に机と無骨なデザインのパソコンと
カメラの付いた大きなモニタ。

壁と壁の間のカーテンレールほどの高さに
謎めいた黒色の物体がぶら下がっている。

立方体の…カメラではなさそう。

「マ…真円(まどか)ちゃん。見て。」

パソコンを立ち上げて、ブラウザを開いた。
パソコン本体の隙間からLEDが部屋を彩る。

ブックマークから開かれたのは、
去年アタシが学祭で歌った
『愛の讃歌(さんか)』の動画だった。

青色のドレスに身をまとって、
スポットライトを浴びる。

「どうしたの、これが。」

「これ、私すっごい感動、で。
 練習したの。」

そういうと、大きく息を吸い込んで、
重松は『愛の讃歌(さんか)』を歌い始めた。

歌い出しはゆっくりと、
それから段々力強くなる。

喉を開いて、胸に空気をいっぱい入れる。
弦楽器の音に寄せ、声を揺らして伸ばす。
重松の声質はこの歌によく合っていた。

曲は高い音程から低い音程へと下降する。

元のフランス歌謡(シャンソン)は途中で
低い音程のまま覚悟を語るように歌う。

これは別れを告げる歌。

――私がどれほど愛していたか。

全てを投げ出し、全てを捨てて、
他者に笑われようと、なんでもする。

あなたが死んで、遠くへいなくなっても、
あなたからの愛があれば、気にしない。

そして私の死によって、
あなたと永遠の時間を得られる。
青空の中で、お互いに愛し合っている。

神様が愛し合う者を結びつける――。

飛行機事故で亡くなった相手へ送った、
哀悼(あいとう)の歌とも言われている理由。

永遠の別れの歌に
重松の歌声が染み入り、
アタシは自然と涙がこぼれた。

首にかけたタオルで顔を(おお)う。
祖母の歌。自分で歌った歌なのに。

重松の歌声を聞いて、
祖父母のことを思い出し、
アタシは酷い孤独感に支配された。

「ごめん。なんか。」

情けないほど涙が出て、
鼻をすすった。

「もう一曲、あるの。準備するから。」

「あれ?」

「です。」

そう言って、衣装ケースからなにやら
機械を取り出して両の手足に取り付けた。

それから頭には見覚えのある機器。
昼前に会長とカーレースで被ったHMDだった。

「これ、パソコン、見てて。」

映し出されたモニタ画面は
アニメチックなオレンジ髪の美少女で、
ゆらゆらと不思議な動きをしている。

するとバスドラムとスネアが軽快に叩かれる。
前奏が始まった。

ばら色の人生(ラヴィアンローズ)

学祭でアタシが歌ったもう一曲。

――愛しい男に抱かれ、
私に愛の言葉を語れば、愛が心に溶け込んだ。

無限と思える愛の夜。

悩みや悲しみは消え、幸福に満たされる。

あなたは私に優しく語りかける。

あなたを見つめると、
心臓の鼓動を感じる――。

いかにも思春期の生徒を
ドキリとさせるにピッタリの曲。

ドラム、ギター、ベースの3人に
挟まれる形で歌ったのを思い出す。

3人とも付き合い、
趣味が合わずに3人ともすぐに別れた。

「え? なに? どうやってんの?」

画面と重松を交互に見る。

画面の中のオレンジ髪の美少女は、
重松の動きに合わせて歌っている。

甘い声で歌って踊る丸くて太い重松は、
HMDを被っててなんだか不格好だけど、
画面の美少女はまともに踊っている。

重松が歌い終えて、
アタシは関心を持って拍手した。

「すごいバーチャルじゃん。」

「うん。そんな、感じ。」

「これも重松の?」

「うん。しおちゃんが、やってくれた。」

「しおちゃん? 誰?」

「あ、親戚、の。」

「そう。」

学校の友達あたりだと想像したが、
この子が友達らしき人物と
一緒にいる姿は見たことはない。

アタシも同じようなもんだけど。

「将来、歌を仕事に、したいなって、
 昔から思ってて。」

とぎれとぎれの喋りはともかく、
こうやってアバターを使えば、
容姿のコンプレックスもクリアできるのか。

「いいじゃん、それ。」

「えっ! ホント?」

「面白そうだと思うよ。無責任に言った。
 やってることは正直よく分かんない。
 歌手なんて大変だろうから、
 オススメしないけどね。」

真円(まどか)ちゃん、は? 歌。」

「アタシはいーよ。歌は。
 おばあちゃんからの趣味だし。」

「おばあちゃん。」

「いまはさー、ずっと別居してた
 母親と暮らしてて、すごい気まずいんだよ。
 居候(いそうろう)ってやつで。」

「お父さんは?」

「生まれたときからいない。」

「そ、なんだ。」

「結婚もしてないし。」

たぶんしてない。
サクラちゃん情報。

「マ、真円(まどか)ちゃん、学祭で見たとき、
 ママが歌ってる、って思ったの。
 私、こんなだから。うまく、言えなくて、
 2年になって、同じクラスで、
 真円(まどか)ちゃんと友達に、なれ、
 なりたい。です。」

肉付きのいい手が私の手を(つか)む。
アタシはといえば反射で手を振り払った。

「アンタがなりたいからって、
 アタシがはい、なります。ってなると思う?」

「あ…、う…。」

「クラス委員で立候補したのもそうだけど、
 自分の実力に見合った行動をすべきだって。」

「はい…。」

アタシが強く言い過ぎているのか、
重松は涙目をこらえている。

「歌の努力はまぁ、ホントにすごいよ。
 でもそのコミュ(りょく)はお世辞にも
 クラス委員が務まるレベルじゃない。」

進路調査票をまだ書いてない、
委員長のアタシが言えた立場じゃないけどね。

「副委員の基本は補佐(ほさ)役で、あくまで代理。
 先生と生徒、部長と部員とかじゃないの。
 アタシいなかったら、アンタひとりで
 クラスの全員に指示出せる?」

「う…。」

「できないよね。返事は?」

「…はい。」

「副委員をやることと
 アタシと友達になるって、
 イコールじゃないんだよ。」

「そう…です、はい。」

この子は目的と手段をごちゃ混ぜにしている。

「雨やんだから、もう帰るよ。
 タオルありがとね。」

「あしたっ…。」

「…あぁ。そうだね。」

一瞬なんの話か分からなかったが、
すぐに思い出した。明日は大切な日だ。
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