第7話 一九四二年夏(パリ、ペーター)
文字数 6,159文字
「なあペーター、お前も親衛隊に入れよ」
ゼップの話によると、親衛隊はこの五月に陸軍に代わってフランスの治安維持の権限を握ったものの、いざ現実にその任務に当たるとなると、それまでパリ支局に詰めていた者達だけでは人手が足りなすぎた。それで親衛隊パリ支局では、取り急ぎスタッフを大幅に増やしている最中なのだという。
「だからお前にも手伝ってほしいのさ」
「でも、僕なんかには無理だよ」
何しろ私は背も低くて冴えない国防軍の下っ端将校なのだ。ドイツ第三帝国のエリート集団である親衛隊に入るなど、手の届かぬ夢としか思えなかった。
「いや、あるんだよ、抜け道ってやつが」
国防軍と親衛隊は指揮系統の違いもあり、お世辞にも親密な仲だったとは言えない。だが結局はどちらも同じドイツ軍人でもあったし、始終反目し合っていたわけでもなかった。親衛隊と国防軍の間では人事の交流も行われ、少数ではあったが国防軍から親衛隊に引き抜かれる将校もいた。
ベルリンの親衛隊本部にコネのあるゼップは、私の為にそれを使った。
間もなく私は国防軍から親衛隊に出向を命じられ、SS少尉として親衛隊パリ支局第Ⅳ局に配属される事になった。
親衛隊パリ支局第Ⅳ局。私は配属されて初めて知ったのだが、そこはいわゆるゲシュタポ、悪名高き秘密国家警察だった。と言っても、私は捜査官として採用されたわけでは無い。
ゲシュタポのパリ支局長、ヘルムート・クノッヘンSS大佐直属の広報担当の副官。それが私に与えられた仕事だった。
副官の一人としては、私は実に便利な男だっただろう。私は写真の撮影も現像も出来るし、車の運転も整備もこなせる。
例えばクノッヘン支局長が、パリの社交会のサロンに出席するとする。私は支局長を乗せたベンツを運転して行き、親独的なフランスの要人たちと談笑する支局長を写真に撮って現像する。そしてその写真が新聞や雑誌の紙面を飾るというわけだ。
正直に言おう、パリでの毎日はとても楽しかった。ベンツを乗り回しライカをぶら下げて、社交会の名士と会っては高級なワインやブランデーを飲むという、夢のような日々が続いた。だからゼップが私と入れ替わるように親衛隊パリ支局を去ってベルリンのSS本部に戻っても、私はさほど寂しいと思わなかった。
パリの上流階級や文化人には、対独協力者が驚くほど大勢いた。ボドリヤール枢機卿、アカデミー会員のアベル・ボナール、そして数多くの実業家達。ル・ヴィガンやコリヌ・ルシェールなどの俳優や女優達、それに数多くの歌手や舞踏家に作家。クノッヘン支局長に付き従い、私は連日のようにパリの有名人と会っていた。あの有名なレストラン《マクシム》にも行き、ラ・ロシュフーコー伯爵やポリニャック侯爵らとも顔を合わせた。
ゲシュタポの支局長と言うと、大方の者は悪鬼のような粗暴な中年男を想像するだろう。だがクノッヘン支局長は違う。年もまだ三十を少し過ぎたばかりで、髪は栗色だが背は高く目は青い。広い額から受ける印象の通り、彼は知的な教養人で社交の場での物腰も上品だった。後に知ったことだが、クノッヘン支局長は哲学博士の学位も持っていた。
ただクノッヘン支局長には、愛想が足りない。変える事の出来ない生まれついての性分なのだろう、支局長は滅多に笑顔を見せなかった。
そしてその点を、私がよく補っていたと思う。世間にイメージされているSS隊員とは正反対の小柄で童顔の私が、精一杯の笑顔を作って下手くそなフランス語で話しかけると、フランスの人々は驚きかつ安堵したような表情になった。
「まあ、ゲシュタポにこんな可愛いお方がいるのね!」
フロランス・グールドのサロンで、ある貴婦人にそう言われたことがある。
ロシアやアフリカでドイツの命運を賭けた激戦が続けられていた頃、私はパリのサロンで知的で上品な人々と優雅な日々を過ごしていた。
当時、私はまだ二十歳を過ぎたばかりの若造だったのだ。有頂天になるな、と言う方が無理だ。
銀モールで縁取りされた黒い制服を着込み、恥ずかしながら私はエリートの仲間入りしたつもりで悦に入っていた。
私がパリで出合ったフランス人達は、みな親切で友好的だった。だが、レジスタンス活動は毎日のようにフランスのどこかで起きていた。
フランス各地でドイツ兵が襲われていた。宿舎に爆弾を放り込まれる。あるいは、人混みの中で背後からナイフでひと突きされる。様々な手口で、毎日幾人ものドイツ兵が殺されていた。
戦友を殺され、ドイツ兵達が激高しない筈がない。しかしその犯人が捕まる事はまず無かった。レジスタンスの一味は、事件を起こすとすぐ普通の市民の間に紛れ込んでしまうからだ。そして無害な民間人とレジスタンスの区別をつける事など、まず出来ない。
するとヒトラー総統は報復と見せしめの為、刑務所や収容所に拘束中のフランス人の人質の銃殺を命じた。
その人質を銃殺するのも、我々ゲシュタポの仕事だった。
フランスのどこぞから、ゲシュタポに緊急の報告が入る。
「××××駅前で我が軍の少佐が狙撃され、死亡しました!」
「××××街の我が軍の宿舎で爆発発生、現在もまだ燃えていますッ。正確な人数はまだ不明ですが、複数の死傷者が出ているものと思われます!」
するとクノッヘン支局長は非常線を張って捜査を始めるだけでなく、同時に人質の処刑も命じた。レジスタンスがドイツ兵を襲う度にその悲劇が繰り返され、そして多くの場合、犠牲になったドイツ兵一人につき六人のフランス人が処刑された。
私は広報担当のスタッフだから、捜査を任される事は無かった。しかしテロとそれに対する報復が行われる度に、私はひどく憂鬱な気持ちになった。レジスタンスのテロに断固たる処置を取るのはわかる、しかし何の関係も無い人質を処刑するのは、どうにも納得がいかなかった。
そんな私の心の内を、おそらくクノッヘン支局長は感づいていたのではないだろうか。
私がゲシュタポに勤務して三カ月ほど経った頃、パリからランスに向かった伝令が消息を断った。そして数日後、道路沿いに流れるマルヌ川に国防軍の伝令兵アルベルト・ブッフホルツ伍長の遺体が浮いているのが、所属する連隊の捜索隊に発見された。
遺体には無残な拷問の跡があり、オートバイと書類カバンの行方は不明のままだった。
ブッフホルツ伍長の遺体が発見されたその日、私はクノッヘン支局長に呼ばれた。支局長の執務室には、ベーメルブルクSS少佐など腕利きのゲシュタポ捜査官も顔を揃えていた。
「ドレシャーSS少尉、ブッフホルツ伍長の件は聞いているか?」
「はい」
「どう思うかね?」
「許しがたいテロ行為だと思います」
その私の返事を聞いて、クノッヘン支局長は薄い唇に冷たい笑みを浮かべて頷いた。
「ところで君は、処刑の指揮を執った事はまだ無かったな?」
「はい」
状況がよくわからないまま頷く。
「今回は君がやりたまえ。人質は今日護送されて来るから、君が銃殺隊の指揮をとれ。いいな?」
下腹に冷たい氷を押し付けられたような感じだった。
忠誠は我が誇りなり。その言葉が頭の中でぐるぐると回った。
絶対服従が親衛隊の鉄則だ。上官に命じられた以上、私はどんな事でもしなければならない。しかし……。
「お聞きしたい事があります。その者達は、伍長を殺害した犯人どもでしょうか」
クノッヘン支局長の口元に軽蔑の色が浮かんだ。
「人質は人質だ」
そしてうんざりとしたような口調で続けた。
「言いたい事はわかる。だが、我々は戦争をしているのだよ。テロリストどもに舐められるわけにはいかん。更なるテロを防ぐ為にも、人質の処刑は絶対に必要なのだ」
クノッヘン支局長は長い指の先で机を何度か叩き、私を見据えて強い調子で言った。
「ドレシャーSS少尉、これは命令だ。すぐに銃殺隊を編成し、人質を処刑したまえ」
嫌も応も無かった。問答はこれで終わりだ。もはや私に逃げ道はない。
それは自分でもよくわかっていたのだが、私はその場から動けなかった。
「SS少尉、どうした?」
「私には出来ません。罪も無い市民を殺すなど、私には出来ません」
支局長は椅子を蹴るように立ち上がり、直立不動の姿勢を取る私のすぐ前に大股で歩み寄って来た。
殴られる。私はそう直感した。反射的に身を固くしたが、しかし拳は飛んで来なかった。
クノッヘン支局長の冷たい青い目が、私を高い位置からただ見下ろしていた。
その支局長の唇から、やがて太い息が漏れた。
「君には失望したよ、ドレシャー」
支局長はドアを弾くように開け、大声で衛兵を呼びつけた。
「こいつを逮捕しろ!」
私はそのまま、自分が勤務していたゲシュタポの独房に押し込められた。
裸電球が吊るされた狭い独房は、ひどく暗く冷たかった。寝床は藁で、他には便器代わりのバケツがあるだけだった。
そこに私は、ベルトと拳銃を奪われ、階級章とSS徴章を剥ぎ取られて放り込まれた。
初めのうち、私は独房の中で胸を張っていた。どんな処分を受けるのか不安はあったものの、不当な命令を拒み通した自分が誇らしくさえあった。
独房の中で、私は少年の頃に読んだH・R・ハガードの『ソロモン王の洞窟』の中の一節を思い出していた。
「私は、生涯の間に、たくさんの人間を殺した。しかし、理由もなく殺したり、罪のない人間の血でわが手を汚したことは一度もない。ただ、自分の身を守るためだった。私たちの生命は神が賜ったものだ」
その通りだ。上官の命令とは言え、罪の無い人を殺すような真似をしたら、私はもはや人間ではなくなる。
しかし人間とは、何と弱いものなのだろう。その日の夜が明けないうちに、私の意気と誇りは早くも崩れ始めた。
独房の薄暗さに目が慣れてくると、コンクリートの壁や寝藁のあちこちにこびりついている血の跡が見えてきた。そして廊下の向こうからは、とても人間のものとは思えない、獣の叫びに似た悲鳴が時々聞こえて来た。
捕らえた容疑者の尋問は、私の仕事ではなかった。しかし私の同僚たちがどのような手段で容疑者に泥を吐かせているか、話には聞いてはいた。
殴る蹴るどころの話ではない。爪を剥ぐ、煙草の火を押しつける。ガソリンで湿らせた布を指の間に挟み、火をつける。尖った角材を並べて座らせ、肩の上にのしかかる。ゲシュタポの尋問官達は、どんなに強情な者の口も割らせる事が出来た。
そのような責め苦に、自分は耐えられるだろうか。
答えは明らかに否だ。爪を剥がれでもしようものなら私はすぐに屈服し、何でも言う事を聞く、許してくれと哀願してしまうだろう。
拷問される者の悲鳴は夜通し続いた。
独房の明かりは、夜も消されることはない。そして看守の親衛隊員が度々ブーツを鳴らして巡回しては、強いライトを私の顔に当てて確かめて行った。その度に私は、尋問と拷問の場に引き出される番が来たのではと恐れおののいた。
ゲシュタポの独房に放り込まれた最初の晩、私は朝まで眠ることが出来なかった。
次の日も、その次の日も、私は何の取り調べも受けずにただ放っておかれた。そして顔も名前も知らない誰かの悲鳴は、相変わらず夜も昼も聞こえ続けた。
私には家族が、両親と妹がいる。私が命令に逆らったせいで、もしやハノーヴァーの私の家族も酷い目に遭わされているのでは……。そう思うと、壁に頭を叩きつけたいほどの焦りと苛立ちを感じた。
親衛隊員の看守に、私は声をかけてみた。しかしどう言葉をかけても、軽蔑を込めた一瞥が返って来るだけだった。
代用コーヒーに固くてまずいパン、それに薄いスープの食事は毎回出された。しかしシャワーを浴びさせてもくれず、着替えも出来ないままだった。数日経つうち私の体は臭くなり始め、それで僅かに残っていた私のプライドすらへし折られてしまった。
人質の処刑を拒んだ事について、後悔はしたくなかった。罪の無い者を殺すなど、私には出来かねた。
だが拷問されるのも嫌だし、ひどく怖い。家族がどうなるかを考えるだけでも、私は気が狂いそうになった。
独房に放り込まれたまま一週間が過ぎ、私の神経が限界まで擦り減りかけた頃、屈強な二人の親衛隊員がやって来て独房の鍵を開けた。
「取り調べか?」
私は兎のように怯えていた。
「教えてくれ、軍法会議か?」
しかし彼らは何も答えてはくれなかった。そして私の腕を荒っぽく掴み、両側から挟んで私を独房から引き出した。
彼らは私をソセー街のゲシュタポ事務所から引き出した。裏口にはエンジンのかかったオペルのトラックが待っていて、私はその幌をかけた荷台に放り込まれるように乗せられた。
荷台には手錠と足枷で繋がれた数人のフランス人が、親衛隊員達に挟まれて座っていた。
私達を乗せたオペルはパリ市内を抜けて郊外に出た。そして舗装した幹線道路から麦畑の中の田舎道に入り、やがてボカージュの間の古い小さな僧院の庭で止まった。
「降りろ!」
親衛隊の兵士達に追い立てられて、荷台から地べたに降り立つ。
墓地だ。
私は息を吸う事も出来なくなった。いったいどういうことなのだ?
フランス人たちは手錠を外され、代わりにスコップを押し付けられた。そしてスコップは、私にも押し付けられた。
親衛隊の兵士はライフルの先で地面を指し、短く命じた。
「掘れ」
それが意味するのは一つだけだ。
命令不服従の罪を犯せば、銃殺も有り得る。それは私もわかってはいた。だが私は、まだ軍法会議にもかけられていないではないか 。
私はゲシュタポの将校がオペルの助手席から降りて来たのに気付いた。ヴァイゼルSS少尉だ。親しい友という程では無いが、顔を合わせれば立ち話くらいはする仲だった。
「ヴァイゼル!」
私は大きな声を出した。
「どういう事なんだ、教えてくれ!」
ヴァイゼルはその声も無視し、私に目すら向けようとしなかった。そして私の隣のフランス人を、尖ったブーツの先で蹴りつけた。
「さっさと掘れ、この豚野郎め!」
それは実は私に向けた言葉で、隣のフランス人は私の身代わりに蹴られたのだと悟った。
私は自分で自分の墓穴を掘った。この穴を掘り終えた瞬間に、私の命は終わるのだ。だから私もフランス人達も、実に丁寧に墓を掘った。穴の深さが身長に近いくらいになっても、掘る手を止めようとする者は誰もいなかった。
「止めろ、さっさと出ろ!」
幾つもの銃口を向けられ、穴からのろのろと這い出る。
私と六人のフランス人は、掘った穴の前に一列に並ばされた。そして親衛隊の兵士らもまた、少し離れて一列に並んでいた。
「構えッ」
ヴァイゼルSS少尉の号令で、兵士達は一斉にライフルの銃口を向けた。
喉が引き攣れるように痛い。止めてくれと叫びたいのに、声が出ない。見たくないのに、目を閉じられない。そしてヴァイゼルは次の瞬間……。