第1話

文字数 3,231文字

【女性として、自由と、責任と、生きていく】

「女性は聖母マリアである事を求められる」のだと映画「マリッジストーリー」の中であるキャラクターが言う。

そのセリフを聞いた時、ずばりその通りだと思った。
と同時に、女性がマリアの部屋から飛び出す時、自由を得ると同時に、大きな責任が伴うのだ、とも思った。



映画「マリッジストーリー」の中では、’聖母’の捉え方が私が思う「男を見守るだけの存在」であるのに対し、「完璧な女性」を指していた。
女性は母親になって、人生がスーパーハードモードになっていこうとも、男性と違って、常に’完璧’を求められるのだ。
(無理ゲーでは?)
(映画の中では、男性は失敗しても、大抵の場合許されるとされていた)

なぜ女性は完璧を求められるのか?
それは、遥か昔から、’聖母マリア’という完璧な女性のロールモデルがあったから。
マリアはいつも、議論から少し離れた場所で、菩薩のように集団を優しく見守ってくれる。
議論に余計な口を挟むことなく、ただ優しく見守るだけ。
そして常に過ちを犯さず、自分の立ち位置からでしゃばることなく、自分の役割を完璧にこなす存在。
女性はそんな聖母マリアのように、自分の仕事(家事や育児)を完璧にこなし、男の議論には口を出さず、いつも優しく見守ってくれる…男が傷ついたら優しく癒やしてくれる…そんな存在である事を求められている。
映画ではそう語られていた(と私は感じた)。

まあ、男尊女卑はなはだしすぎなんや〜〜〜〜(大草原)
と思う。
と同時に、女性は聖母マリアの部屋に閉じ込められたくないのなら、そこから出たいのなら、変わっていく必要があるのだ、自分の人生に完全に責任を持つ必要があるのだ、とも思った。
(突然冷静)

そもそも、聖母マリアって…自分のことどんだけ棚に上げとんじゃい〜〜
と思われるかもしれないが、私自身の経験の中で、「あ〜今閉じ込められているな〜」と思った瞬間について話したい。
あくまで私の経験によるものなので、世の中の男性全てがそうとは限らないし、私の周りの男性を批判するつもりは毛頭無い。

例えばバンド活動をしていたとき。
バンドの今後の方針や、次のライブのセットリストを決める時、メンバーの性格にもよるものかもしれないが、大体女性メンバーの意見は反映されない。
聞いてもらえないと思ってあまり繰り返して言うと、うざがられて気まずい雰囲気になるというのがオチだ。
なので、女は黙って聞いているが吉なのだ。
黙って議論を聞き、何かおかしな雰囲気になれば、雰囲気が和やかになるように気配りする。
経験上、それが一番上手くいくんじゃないかな、と寂しい気持ちとともに大人になるにつれて学んだ。
(いやじゃあなんで女をメンバーにいれるんだよそもそも)

また、例えば、飲み会の席。
私の知り合いに、非常に活発的で顔の広い女性がいる。
SNSでなんとなく知り合いになった、みたいな人までも抵抗無く飲み会に呼んでしまうような、とんでもないコミュ力の鬼なのだが、男達の集まりの飲み会にその子が来ると大変だ。
その子中心に話が転がり、次から次へと知らない飛び入り参加者が増えていく。
男性達は自分達の思い通りに飲み会が進まず、不機嫌になる、という流れだ。
(なかなかこんな女の子もいないと思うのですが、この子は実際本当にコミュ力の鬼です笑)

最後に(どんだけ恨みつらみあるねん)カップルの旅行での一コマ。
これはもしかしたら経験ある方も多いのではないかと期待してしまう。
恋人と2人でレストランに入り、「タバコに行くから」と席を外される。
(全然話変わるけど、タバコ吸うの待たされる時間ほど無駄なものってなくないですか?)
なかなか帰ってこないので、様子を観に行くと、ちゃっかりそこで友達を作り、仲良く話し込んでいる。
私がそこに行くと、「せっかく楽しい話をしていたのに」というムードになり、話は終了。
あーあ、女がきちゃったよ、みたいな。

3つの例を上げたが、同じような経験をした人はいないだろうか。
(いや、お前悲惨だなみたいな顔してこっち見るのやめて下さい)
こんなような経験を通して、
「あ、男の人が話してるところには行かないほうがいいんだ。」
「男の人が何を言ってても、ニコニコ笑って座っていれば、男の人とは仲良く出来るんだ」
と学んだ。



学ぶわけ、ねーだろっっっっっっコラッ!!!!!!!!!!
(ちゃぶ台を宇宙までぶん投げる)
書いててこんなにイライラしたことはねーぞっっっっっっっ!!!!!!!
(じゃあなんで書いたんだよ)


えっと、ちょっと落ち着いたので話をまとめる。
(ぜぇはぁ…ちくしょう…)
これまでの人生で、女だから疎ましく思われたり、バカ扱いされた経験というのは星の数だけある、それで数え切れないほど怒りと疑問を抱えて生きてきた。
現に、男の子から人気が出る女の子って、そういう事をわきまえていて、でしゃばらず、怒らず、じっと我慢して(もしくは何も考えないようにして)かわいらしくその場に居場所を確保する事が出来ているように見える。
(お分かりの通り私はその正反対の場所にいるクソめんどくさい女です)
ここまでが私の聖母マリアエピソードだ。
(補足すると、社会に出て、ビジネスマンとして接せられる時などにこういう事は起きなかった。あくまで私の場合ですが。)

じゃあ、女性が聖母マリア扱いされるのは、こういった男尊女卑の社会のせい?
女は可愛くてバカじゃないと価値が無いと伝えるコンテンツかなんかのせい?
社会やメディアが変わってくれないと、女性の扱いは変わらないの?

私は、女性はきっと自分の力で、聖母マリアの部屋から抜け出し、自由になる事が出来ると信じている。
男尊女卑を助長するような社会やメディアの報道に影響されているのは、男性だけじゃなく、女性も同じだと思う。
女性も(女性と一括りにしてしまっていますが、全ての女性ではありません。あくまで、これから話すような考えをお持ちの女性です)、きっとどこかで
「いつかお金持ちと結婚して、仕事はやめちゃおう!」
「結婚すれば旦那さんのお金で生活出来る!」
という考えが少なからずあるのではないか。
(ねーよボケ100万回生き返って出直してこいって感じですかね…はい、すみません…)
(まあ、何を隠そう私が新社会人の時にそう思っていたのですよね!(泣き笑い))
女性も、男女平等を叫ぶ裏で、心のどこかで、「いいとこどり」をするような気持ちがあったのではないか。

男性は、自分より収入が高くて仕事を愛しているバリキャリと結婚でもしない限り、誰かに頼って生きていくことは難しい。
絶対に自分が折れてはいけないのだ。
女性は、そんな男性と同じものを求められたくない、とどこかで逃げていた部分があったのではないか。

そう考えてみると、女性が男性と同じ土俵で完全に対等になるためには、女性自身も誰かに頼る前提を捨てて、自分の人生に完全に責任を持って生きていく事が必要なのだと思う。
自由を手に入れ、自分の人生に責任を持った上で、パートナーと助け合って生きていくことが出来れば、それはとても素敵な事だ。
助け合うことが出来て初めて、妊娠や、出産を考える事が出来るだろう。
どちらかが下で、どちらかが上では、二人で歩んでいくことは出来ない。
それは社会全体にも同じ事が言えるのではないか。

性別関係なく、人と助け合い、励まし合う事が出来て初めて、新しいステップに踏み出せるのではないのだろうか。
性別は何の言い訳にもならないし、何のプラスにもならない。
どっちが優位でも下位でもない。
聖母マリアの部屋を、女性が少しずつでも出ていって、男性と一緒に、社会全体を面白く色づけていければなんて楽しいことだろう。
自分の人生を自由に生きていくために、責任を持って、自分を守り抜いていきたい。
そして、自分に与えられた性別を楽しみながら、他人と手を取り合って、生きて行きたいと思う。
(さっきの怒りを沈めて終わりにします)
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