第9章プロローグのしっぽ:ストーリーとプロットについて

文字数 2,265文字

第9章の本題に入る前に、「ストーリー」と「プロット」について、
ル=グウィンさんからのメッセージを載せておこうと思います。
 この章では、〈物語を語ること(ストーリーテリング)〉のさまざまな局面について学びます。どれも普通、ストーリーテリングとして意識されていない部分です。
 ストーリーテリングって、出来事を起きた順番に書いていくことだと思っていませんか?
 そうとはかぎりません。


「ストーリー」イコール「プロット」だと考える人たちもいます。「ストーリー」を「アクション」に限定してしまう人たちもいます。文学の授業や創作講座では「ストーリー」がほんとによく取り上げられますし、「アクション」もたいそう重要視されていますから、私はあえて反対意見を提出してみたいと思います。
 アクションとプロットしかない小説は、つまらないです。
 アクションもプロットもなくても、優れたストーリーになり得ます。

 個人的には私は、プロットは、ストーリーを語る手法のひとつにすぎないと思っています。つまり、出来事を緊密に、たいていは因果関係にしたがって結びつけていく手法。
 プロットはすばらしい方便ですが、ストーリーより大切ではないし、なくてもかまわないものです。

mimura_akira

 アクションに関して言えば、もちろんストーリーというものは先へ進まなければならないから、何かが起きないわけにはいきません。でも、その「何か」は、
・出した手紙が届かない
・思ったことが口に出せない
・夏の日が暮れていく
というようなことでいいのです。

 ひっきりなしに暴力的なアクションが続くというのは、たいてい、じっさいには何の語るべきストーリーもないことの現れです。

mimura_akira

手厳しいですね!
というか、痛快!
 E.M.フォースターの『小説の諸相』は、私が長年愛読し、話題に取り上げてきた本ですが、その中に有名な定義があります。
◆「王が死んだ。それから王妃が死んだ」がストーリー。
◆「王が死んだ。そこで王妃は悲嘆のあまり死んだ」がプロット。

 私の意見では、これはどちらも「いちおうストーリーになっている」というレベルのものです。
 一番目のは出来事を並べただけで、二番目はそれに比べたらいくらか構造がある、という程度の違いでしかありません。
 どちらもプロットとは言えないし、プロットをふくんでもいません。

「王の弟が王を殺し、王妃を自分の妻にしたので、王太子は怒っちゃった」
 これなら、プロットです。
 何のお話かご存じですよね。(正解:シェイクスピア作『ハムレット』←ヒツジ補足)

 プロットの数には限りがあります。(7つとも12とも30とも言われていますが。)
 ストーリーは無数にあります。

 世界中の人の数だけ、出会いの数だけ、ストーリーがあります。
 ウィリー・ネルソン(米国のシンガーソングライター←ヒツジ補足)は、どうやって曲のアイデアを得るのですかと訊かれて、「メロディーは空中にいっぱいあるんですから、手をのばしてつかめばいいんです」と答えたそうです。それと同じです。
 世界は物語(ストーリー)に満ちているんですから、手をのばしてつかめばいいんです。

mimura_akira

最後のイメージが素敵ですね!
でも、わかったような、わからないような?

「ストーリー」と「プロット」をどう定義するかにもよりますね。
日本語では、さらに「プロット」があいまいな使われかたをしている気がします。
「プロット plot」にはもともと、「策略」とか「軍略」という意味があります。そういう、意識して立てる「構想」が「プロット」。天から降ってくるのが「ストーリー」……という感じでしょうか。

「こういうお話を書きたい」が「ストーリー」。
「そのお話を書くには、こういう形にしよう」が「プロット」、
という感じでしょうか。
「手をのばすだけでいい」なんて言ってみたのは、
「きっちりしたプロットを作りこむまではストーリーを書いちゃいけない」
という思いこみから、皆さんが解放されるといいなと思ったからです。

 そういう書きかたが好きなかたは、もちろんそうしていいのです。
 でも、好きではないなら、プランやプロットを立てるのが苦手なら、気に病むことはありません。世界は物語に満ちているんですから。必要なのはただ、
・登場人物の一人か二人
・彼らの会話
・何かの状況
・どこかの場所
 それくらいでいいんです。
 それだけでもう、ストーリーは動きだします。

 そのストーリーについて思いをめぐらせてみましょう。じっさいに小説本編を書き始める前に、少なくとも一部分、習作として書いてみましょう。
 そうすると、だいたいどちらの方向へ向かっていったらいいかわかります。

 でも、あとは、書いているうちに自然に道が定まるものです。
 私は自分で考えた「ストーリーテリングの技の舵を取る」というイメージが気に入ってはいますが、じつはこの船=ストーリーは魔法の船で、自分の行く先を知っているのです。
 舵手の仕事は、船が進むべき方向へ進むのを、助けてあげることです。

mimura_akira

とっても素敵な、幸福なイメージですね。
そう思われませんか?
こう言ってもらうと、ヒツジなんて、いますぐ小説を書きたくてたまらなくなってきちゃいます。
このページの白枠の引用部分は、『ル=グウィンの小説教室 (Steering the Craft)』第9章の冒頭そっくりそのままです。(省略も要約もないということです。)
ヒツジが自分で訳しました。太字の強調はヒツジによるものです。
原書の電子書籍版では94ページから、96ページの最初の段落までに当たります。

mimura_akira

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登場人物紹介

ミミュラ


このコラボノベルの管理人。ときどきアマビエに変身する。

アーシュラ・K・ル=グウィンをこよなく慕い、勝手に師と仰いでいる。

ヒツジのくせに眠るのが下手。へんな時間に起きてしまったり寝てしまったりする。

犬派か猫派かでいったら、犬派。(←ヒツジだけにお犬さま方にはつねづねお世話になってます(^^ゞ)

たい焼きは頭から、チョココロネは太いほうから食べる派。

ミニャノ

管理人に「眠り下手仲間」のよしみで誘われ、このコラボに参加することになった紀州犬。と言っても紀州には何のゆかりもなく、出身は相州鎌倉。現在、台湾台北に生息中。

「鳩サブレー」は頭からでも尾からでもなく、袋の状態のまま、指でぶちぶち潰してから食べる派。

日本語と中国語の間をふらふら往き来する人生ボケ担当大臣(自称)。ときどき別形態になるんだって。

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