交わり

文字数 2,582文字

 簡単な話だ。助けたはずが助けられなかった。出来たと思っていたことができていなかった。それだけの話だ。私は彼女を何度も助けられたと思っていた。

「ねえ、君は何でこんなに私に関わるんだい? もうそろそろ気が付いているだろう? 私がどうしたいのか。私が何をやっているのか」
 その問いに対して、私は何も答えることができなかった。答えるべきことは分かっている。言いたいことも、言うべき事柄も、全部わかっている。だけれど、句碑が開かない。開こうとして、言葉をだそうとするたびに、奥歯が強くかみ合う。唇は横に伸びて硬く締まる。
 私がそれを言わねば彼女はどうなってしまうのだろう。黒く柔らかい大きな不安と、好奇心にも似た疑問が消えかけの蝋燭のようなものが灯る。それはいけない感情だと、考えてること自体がおぞましいことだと瞬時に思う。だが、燃え広がることもなければ、消えることもない。しこりのように残る。
「分かってるよ。君の動機や気持ちを完璧に知らないわけじゃあないが、完璧に把握しきっているわけでもない。けれども君の行動がどういう結果を招くかは分かるし、君がその結果を望んでいるのもわかるよ」
 やっとのことで私は口から吐き出す。一度出てしまえばあとは濁流のように言葉が喉をせりあがってくる。だけど、その勢いは決して彼女に伝えるにはふさわしくはないのだろう。それに私自身がその濁流の波に耐えられそうにない。だから、自然と止まってしまう。
 彼女はこちらを見てはくれない。そっぽを向いて、私の言葉が届いているかどうかすらわからない。それは私にとってはうれしくも悲しいものだった。伝えようとしていたのに、伝わらなかったことに対して安堵するなんて、そんな矛盾があるだろうか? 私の中の感情は水に垂らした絵具のように乱雑に広がっていく。だがそれは、決して自分自身の中では矛盾のしようがないものだった。
 彼女が口を開く。私を問いただすかのような口調だ。
「そうだろうね。君は人の気持ちを考えられるはずだ。決して感が悪いわけでもない。それは分かるよ。でも、私の質問には答えていない。私が、君の気持ちを知ったうえで行動していること。それも君は気が付いているんだろう」
 その通りだ。私は彼女の気持ちをある程度は分かっているし、彼女が私の気持ちを知っていることもわかってる。自分の望みが通らないことも、お互いに知っていたはずだ。これだけ食い違っているのも、お互いにわかっている。けれども私はその行動をやめることはないだろう。本能にも似た、個人的な欲求が根底にあるとわかっていても。それが自己満足だとしても。
「ああ、うん。私は君の質問には答えていない。答える必要性を君からは感じないからね。だって、君自身がさっき言ったじゃないか。私の気持ちを知ったうえで行動をしていると。それなら私の気持ちが分かっているんだったら、理由なんて言わなくてもわかるはずだ」
 私は彼女の問いに対して、少し意地悪な回答を口にした。だってそれはそうだ。彼女は私の気持ちを知っているといった。それならっ理由だってわかっているのだろうし、私が何て答えるかも予測できているという事。そう考えてしまうと私は少し、彼女に対しての感情が青色から紫になるように、微かに何かが混ざっているのが分かる。もちろん意図して混ぜたわけでもなければ混ぜたいと思ったわけでもない。単なる感情だ。
 感情というのは厄介で、一度出てしまい、意識してしまうと意識の外へ出るまでは長く燻ぶっている。
「そうか。うん。そうだね。確かにそれはそうだ。まるで君を小馬鹿にしたような発展性のない質問をしてしまったね。じゃあ、もう少し核心的な部分で話をしようか」
 彼女は少しの悪戯の様な声で話を続けた。そしてその言葉の最後は、私の心臓を高鳴らせるには十分だった。核心という一言。これだけで、私の心臓が大きく締め付けられると同時に、その反動で胸の表面に伝わるほど大きく撥ねる。これを繰り返す私の心臓から送られる血液は、私の脳へと容易に血液を送る。血管を通る感覚が伝わる錯覚を起こすほど、過剰に。脳は過剰に送られた血液のせいか、そこに心臓が移ってきたかのように脈を打つ。頭痛まで引き起こす。とても不快だ。
「核心的なところというのは、当然関係性についてだ。私と君は一体何のつながり何だろうね? そして私と君はその関係を踏まえたうえで、どうなるのだろうね」
「それこそ不毛な質問だよ。活計性なんて言うまでもない。核心でありながらお互いの認識するところ。そこは変わらないだろう。そしてどうにもならない。きっとね」
 私は、どうにも言えない感情が喋り終わった後にこみ上げてきた。そして口に出したからか、その感情を抑えるほどに頭が回り始める。感情に引きずられながらも、頭がひたすらに回る。もう止められない。
「そうだね。確かにそれはそうだ。不毛だ。お互いにわかりきっているだろう。私が辞めないのも、君がそれを止めるのも。もう本心で話そう。私は君に何度も止められてきた。それは私にとっては助けではない。君が助けたと思っていても、私はそれを望んでいない。はっきり言って不愉快だ。怒りすら覚えている」
「分かっているさ。私も本心で話そう。お互いの認識に関しては相違はないだろう。そして君の言った通り、君を止める。だけど君は繰り返すんだろうね。私は非常に情けなくなるし、思い通りにならない自分と君に怒りを覚える。その感情自体が自分にとって非常に不愉快でもある」
 私はこれからも彼女を止めて、助けたと思うだろう。だが彼女はそのたびに苦しんでも結果を得れずに、私に対して怒りを募らせるだろう。そうして私は止めきれなかった自分と彼女に怒りを燃やすだろう。こうして私たちは繰り返していく。

 口を開き、話し合い、模索した。だが解決策も妥協案も根本的問題すらも至る所まで至らないのなら、それはもう繰り返していくしかない。
 それを解決できない私自身にも、環境にも、周りにも、状況にもすべてに対して赤黒い何かで覆い尽くされていく感覚がある。抗わなければ飲み込まれそうな、力強く、身をゆだねれば楽になるというような甘美の様な腐敗した匂いのするモノと、戦っていかねばならないのだろう。
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