第11話 優人の春

文字数 1,684文字

俺は今まだ20歳だけど、彼女の麻美とはもう3年以上付き合っているし、仕事も家の手伝いもこのまま続けていくだろうから、そろそろ結婚しても悪くないと思っていた。
回りの友達もちらほら結婚し始めていたし
それに麻美はいつも「結婚は早い方がいい。若いママになりたい」と遠回しに急かしてくるから、もう別にいいかなと思い始めていた。

4月の2週目の月曜日、
就職して3回目の春、
とても天気のいい日で
朝のテレビの占いも運勢1位だった。
『すてきな出会いがある予感』
平日に出会いはないだろと思ったけど、いい気分で1日が始まった。

その日、琴音さんに出会った。

テレビの占いも侮れないものだ。
俺は生まれて初めていわゆる一目惚れってのをしてしまった。

琴音さんを初めて見た時は衝撃だった。
かわいいし綺麗。
美人で可憐。
髪がサラサラで肌が白くて、目がぱっちりして顔が小さくて。

本物の芸能人を間近で見たことはないが、きっとアイドルと呼ばれる女性はこんな風貌なんだろう。

彼女は取引先の社員で、俺も名刺をもらえた。
『株式会社インビジブルハンド
企画開発部
サブコーディネーター 佐野 琴音』
俺はその夜何時間もその名刺を眺めていた。
インビジブルハンドはお父さんの農業ビジネスをコーディネートしてくれた渡辺さんの会社で、この分野では大企業だ。
そこのコーディネーター見習いという名刺は雲の上の存在だということをさすがの俺でもわかった。
『アイドルの沼にハマった時ってこんな感じなんかな〜』
琴音さんがアイドルなら絶対にライブ行って、グッズ買って...あーもう一度会いてえ〜と悶えていた。
そんなことは知らないはずのお父さんが次の日の朝
「優人、インビジブルの新しい担当さんに会ったことあるか?来週会いに来るからお前も一緒に話を聞いてみろ」
と言われた。

それからは仕事をしていてもバスケをしていても全てのことが輝いて見えた。
麻美に会っていても「なんかご機嫌だね?」と言われ、普段はイラっとするようなことがあっても広い心でおおらかに対応できた。
カードでスーツも新しく買ってしまった。
琴音さんに会うということに浮かれすぎていた。
実際にはそのスーツを着る機会はなく、仕事中に呼び出されて作業着のままその時を迎えたが。

琴音さんは我が家に来るのではなく、長谷川運送の会議室で、お父さんだけじゃなく他の農家さんも数人呼んでインビジブルハンドの新しいビジネスについての提案をしてくれた。
琴音さんというより、メインは渡辺社長自身がリモートで説明して、俺には難しい話すぎてよくわからなかった。
お父さんは押し黙って聴いていたけど他の農家さんたちは「そんなの無理に決まってるだろ」とか「うまくいく保障はあるのか」とか野次っていて琴音さんと営業のおじさんは気まずそうにしていた。
期待してた状況と違ったが、琴音さんにもう一度会うことができて、幸せだった。
琴音さんは多分大卒だしサブコーディネーターってことは25歳以上だろうなとか、この前と違って今日は髪をしばっているので大人っぽく見えるなとか内容をほとんど聞いていなかった俺にお父さんが、
「優人、お前どう思う?」
と急に振ってきた。
俺は何も考えずに
「すっげえ、いいと思うよ」
と答えてしまっていた。
数秒後、さすがの俺もその場の空気が一時停止していることに気づいたが、先にお父さんが
「少し検討させてもらう」
と言ってその場はお開きになった。
帰り際、琴音さんが俺たちに近寄ってきて
「今日はありがとうございます。ご検討よろしくお願いします。」と頭を下げてきた。
俺はテンションが上がりすぎて、任せてくださいとか言って握手してもらってしまった。
俺が浮かれてる意味もわかっていないお父さんは夜、話があると真面目な顔で部屋にきた。
「昼間の件だが、お前が本当にやってみようと思っているなら、俺は応援する。が、このビジネスは2、3年で軌道に乗るような話じゃない。俺というよりお前がどうしたいのか、お前が決めていい」
つまり、俺がやりたいって言ったら琴音さんと仕事が出来るってことだった。
俺は迷わず
「やりたい!」
と答えていた。
深く考えずに。
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登場人物紹介

相場 恭子 47歳 主婦

相場 勝 68歳 農業

相場 優人 20歳 会社員

相場 陽菜 18歳 高校生

相場 凛 10歳 小学生

相場 ツネ 勝の母

佐野 琴音 (株)インビジブルハンドの相場家担当コーディネーター見習い

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