第21話 できたらね

文字数 3,878文字

 いよいよ、帰国の時が迫る。

 ネパールを発つ前日。
 お世話になった人たちに挨拶をして回った。《トモダチ・ゲストハウス》の面々、買い物に行った商店、友達になった現地の人々の家。一軒一軒で立ち話をしたり、チャイを(おご)ってもらったり。愛すべき人たちと、いつまでもぐずぐずと話していたかったが、時間は無慈悲にも過ぎていった。

 夕方にアパートに戻り、荷造りをする。荷物は少ないので簡単だ。辞書や書籍の他には、少しの衣類ぐらい。《トモダチ》の受付係であるアラティが送別の品として贈ってくれた、黄色と紫色のパンジャービー・ドレスもバックパックに詰める。

 片付けをする間にも友人たちが次々と訪れ、挨拶をしてくれた。

 夜は(うたげ)。ナラヤンさんの奥さんの手料理をご馳走になる。デザートまで付いたフルコースである。他の住人たちも、揃って招待された。

 ナラヤンさんから餞別(せんべつ)を貰った。銅のブレスレットだ。ཨོཾ་མ་ཎི་པདྨེ་ཧཱུྃ(オンマニペメフン)というチベット語の有難い真言(マントラ)が刻まれている。早速、手首に()めた。(まも)られた安心感がある。

「ありがとうございます。大切にします」照れ笑いを浮かべるナラヤンさんを見詰める。
 ナラヤンさんの一家には、どれほど世話になったか。守られ、安心して暮らせた。
「また、いつでも戻ってきて。歓迎するよ」ナラヤンさんは始終、笑顔だ。
 皆で食べ、笑い――ネパールでの最後の夜は、賑やかに盛り上がった。

 翌朝。
 バックパックを背負い、部屋を出る。ナラヤンさんの後ろに()いて、階段を下りた。
「家内が、言うんだよ」ナラヤンさんが、低く呟く。「『宏美さんは、もうネパールに来ない気がする』って」
 鋭い考察だ。私自身、なんとなく、再びネパールの土を踏む機会はない予感がしていた。理由は、わからない。

 アパートの住民たちが門の前に集まり、送り出してくれた。

 バイクに乗った《トモダチ》のオーナーが、既に迎えにきてくれている。空港まで送る役を買って出てくれたのだ。

 ヘルメットを被り、後ろに(またが)る。見送りの人たちに手を振り、とうとう出発だ。

 カトマンドゥの喧騒(けんそう)の中をバイクは走る。
 露店で土産物を売る商人たちの顔が見える。散歩のたびに店の前を通っていたので、顔見知りだ。手を挙げて、合図を送った。

 ごちゃごちゃして、人の多い通り。土埃の粒と排気ガスの臭いが鼻腔(びくう)を刺激する。人に紛れて歩く牛がバイクの横をゆっくりと通り過ぎていく。中央分離帯で、車道を渡り切れない山羊が右往左往している。

 オーナーの腹に腕を回し、振り落とされないように(つか)まる。脂肪の厚いお腹周りは温かくて、呼吸のリズムが伝わってくる。

 思えば、ネパールに来たときは、私は1人だった。タクシーの車窓から、好奇心と不安の入り混じった目で街を眺めた。

 今は、違う。送ってくれる人ができた。

 多くの人にお世話になった。構ってもらって、食事を与えてもらって、お祭りに連れ出してもらった。なんだか、日本の成育歴で足りなかった要素を補うために、ネパールで育て直しをしてもらった感覚だ。

 情勢の不安定なネパールに、お世話になった人たちを置いていく――1人だけ日本に帰る心境には、薄っすらと罪悪感が混じっていた。

 いろいろあった1年間だった。
 喜怒哀楽、様々な感情を経験した。

 ネパールの土を踏んだ1年前と何も変わらない気がしていたが、もしかすると、ほんの少しの強さを手に入れたかもしれない。習慣づいた瞑想の効果だろうか。他人には察知しにくい、内面の変化を自覚する。〈何事にも動じない不動心〉とは異なる。オロオロし、(もが)き苦しむ自分をありのままに受け入れつつも、生き抜く覚悟、と言ってもいい。

 サンスクリットの知識も深まった。
 留学中に何度も(ページ)(めく)った聖典『バガヴァッドギーター』も、バックパックの中に入っている。これからも、『ギーター』を背負って生きていく。

『ギーター』は、戦乱の混沌の中での物語だ。王族同士で、国土を奪い合う(いくさ)が起こる。アルジュナ王子は戦場の敵軍の中に、恩師や親族たちの姿を見つける。

 親族間で、なぜ殺し合うのか? 
 肝心なときに、大きな迷いが生じた。
 悲しみと虚しさに(さいな)まれたアルジュナは、戦車の奥に引っ込む。
「親族を殺すぐらいなら、乞食をしたほうがマシだ」と。

 御者(ぎょしゃ)であるクリシュナは、アルジュナに微笑む。

 ――笑った。

 満面の笑みか、それとも静かに湛えた微笑みか。
 いずれにせよ、魅力的な笑顔でだろう。

 クリシュナの名前は、〈黒〉を意味する。肌の色を表し、先住民の姿をしていたと考えられる。同時に、クリシュナには〈すべてを惹き付ける者/魅了する者〉の意味もある。あらゆる者を惹き付ける神が、アルジュナに語り掛ける。長い対話の始まりだ。

 神の言葉を聴くためには、アルジュナのように、打ちのめされる必要があるのだろう。調子の良いとき、人は(おご)る。少なくとも、私がそうだ。楽しいときは、他人(ひと)の話を聞かない。神の言葉だって、きっと浸透しないはずだ。思えば、私が『ギーター』を読み始めた時期も、絶望で死にかけた二十五歳のときである。

 神との対話を通して、アルジュナは、この世の秘密を知る。この世に生きる意味、使命が、次々と解き明かされる。

『バガヴァッドギーター』第十一章・第七節
इहैकस्थं जगत्कृत्स्नं पश्याद्य सचराचरम् ।
मम देहे गुडाकेश यच्चान्यद् द्रष्टुमिच्छसि ॥७॥
さあ、見なさい、アルジュナよ
私の身体の中に、世界全体が収まる様子を
動く物も動かぬ物も、見たい全てが、ここにある

 クリシュナは、アルジュナに特別な眼力を授ける。

पश्य मे योगमैश्वरम्
私の偉大なるヨーガの力を見よ(第八節より)

 アルジュナは見た。偉大なるヨーガの神・クリシュナの身体の中に、ありとあらゆる物が収まる姿が明らかにされた。無数の口と目、無数の不思議な姿、無数の神々しい装飾、無数の掲げられた武器、身に付けられた花輪と衣装、神々しい香水と塗香(ずこう)
 神の実態を目の当たりにしたアルジュナは(おそ)(おのの)き、合掌した。

 日本でヨーガといえば、美容体操やリラクゼーションのイメージがある。本来、インド・ネパールにおける本場のヨーガは、思想的な意味合いが色濃く、生き方全般の指南が行われる。〈ヨーガ〉は、〈統合/制御〉を意味する。個々を一つに纏める力だ。語源を一にする言葉に、〈ユクタ〉がある。〈ユクタ〉とは、牛車と牛を繋げる器具を指す。ヨーガには、何かと何かを〈くっ付ける〉意味が込められている。

『ギーター』によれば、この世の全てが、クリシュナの身体の一部である。クリシュナのヨーガの力に引き付けられ、寄せ集められた私たち。
 個々の私たちがクリシュナという神の一部であるならば、きっと完璧な存在であるはずだ。
 
 本当に?

 生きていると、失敗ばかり。他人(ひと)とは喧嘩し、わかり合えない。コーヒーを(こぼ)して、本を汚す。鍵を失くして、家に入れない。天気予報で雨だと知っていたのに、傘を忘れる。水溜まりに、滑って転ぶ。資格試験の当日に、風邪で熱を出す。苛々を友達にぶつける。

 不完全で、駄目な私だが、必要だから生まれてきたと信じたい。不完全に感じられても、実は完全な神の一部であるはずだから。アリストテレスによれば、「自然は真空を嫌う」。宇宙に真空を作らないための、〈詰め物〉の役割でしかないかもしれない。たとえ〈詰め物〉に過ぎなくても、役割があるなら、それで構わない。

 神の一部である人間もまた、身体に小宇宙を内包している。

 私の周辺で起こった、様々な出来事。揺らめく蝋燭(ろうそく)の炎。乾いた空気に舞う土埃の匂い。擦れ違った白い牛。シヴァ寺院の鐘が鳴る。市場の山盛りのトマト。阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)。アパートの住民たちとのお喋りで明かした夜。すべては、無常(アニッチャー)。

 寄せ集めの経験が、私という人間を形成する。私自身に内在するヨーガの力で。
 人間の肉体には、ツルツルした部位もザラザラした部位もゴツゴツした部位もある。一個の人体を構成するには、多種の異なるパーツが求めらる。だから、全ての経験が尊い。

 きっとまだ過渡期だ。玉葱の構造で少しずつ開示される真相を、私はどれぐらい(めく)ったのか? もっと深まれば、インド思想の説く究極であるところのतत्त्वमसि(タットトゥワマーシ/梵我一如/汝はタットなり)を、実感を持って理解できる日が来るかもしれない。まだ迷いは多いけれど、現実を受け止め、数々の経験を積んでいくつもりだ。

 成長のためには、ゴタゴタが必要である。
 蓮の花は、泥で

咲かない。泥の中に根を張りながら、花は泥に(まみ)れない。混沌とした世の中に根を下ろしつつも、一つ高い位置に突き抜ける精神性の象徴だ。私もいつの日か、泥に根を張りながらも気高く咲けますように。



 そんなことを思索するうちに、空港に到着した。
 バイクを降り、オーナーにヘルメットを返す。

 入り口で、握手を交わす。
「思い出をありがとうございます。《トモダチ・ゲストハウス》で笑い転げた日々を忘れません」
「将来、日本の漫画を集めて、ゲストハウスの屋上に置く計画があるんだ。また来てよ。皆で待ってるから」

 オーナーの手を握りながら、自分の鼓動が激しくなるのを感じた。心が騒ぐ。
 ここや! 一度は使いたくて(たま)らなかった、あの言葉。さあ、言うなら、今しかない。

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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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