第1話
文字数 1,909文字
京助は一口コーヒーを飲み、「わっ」と思わず口からカップを離した。
「変でしたか?」
アイが心配そうに聞いてくる。
「いや、変とかじゃなくて」
もう一度、香りをかいでコーヒーをすする。
「これって、小山カフェのモカブレンドじゃないか!」
「台所に豆があったので再現してみたんです。今朝連れて行ってくれた時、おいしそうに飲んでいたので」
「再現って……」
「私、味覚も優秀なんです」
アイはそう言って小さく舌を出し、人差し指でチョンと触れてみせた。
「おいしい。確かにおいしいんだけど」
京助はカップをトレイに置いた。
「家では家のコーヒーを飲みたいな」
「家の?」
「飾らないというか、落ち着いているというか……まあ、今はわからなくてもいいよ」
「そう……ですか」
アイは少し寂しそうにうつむいた。
(すごいな)
と、京助は思う。
(今のAIはここまで感情があるんだ)
小説を生業とする金山京助、二十七歳。彼の住むマンションに試用試験として人型AI、ヒューマノイドが派遣されたのは昨日の事である。名前は「アイ」。見た目は十六、七歳の娘。今朝、散歩に街へ連れ出してみたが、時々、会話のかみ合わないところを除けば、姿やしぐさは人間の女性と変わらなかった。
派遣元のクアンテック社はその頭脳となるAIに創造性を持たせたいらしい。AIがチェスや将棋で人間に勝利し、過去の絵画作品を参考にして絵を描くようになって二十年が経つ。だが、AIはいまだに一から小説や音楽といった芸術を生み出すことに遠く人間には及ばなかった。
(これがきっかけでAIが小説を大量生産するようにれば、僕は作家連中に磔にされるな)
デスクに置いたノートパソコンのディスプレイに着信アイコンが表示された。クリックすると書きかけの小説を押しのけるようにビジュアル・フォンのウィンドウが開かれる。沢村洋子の名前と共に三十代位の細身の女性が映し出された。
「沢村主任!」と、喜びの声を上げたのはアイ。
「洋子、先輩……」と、戸惑うようにつぶやいたのは京助である。
「ようアイ。元気そうだな。金山君は相変わらずか」
京助はアイに、わるいけどコーヒーを下げてくれ、と台所へ行くように促した。
ウィンドウの向こうで、洋子は手元のタブレットを操作しながら話しかけてきた。
「担当なのにしばらく連絡できなくて悪かったわね」
「どうしたんです。今日は」
素っ気ないそぶりをして、京助は答える。
「一日目だろう? アイの調子はどうかと思って」
「順調に人間してますよ。彼女の能力に驚かされる以外は」
「そこが我社のウリだから」
洋子はいたずらっぽく笑った。
京助は溜息をついた。
「そんなセレブ御用達のハイクラスを、しがない小説家に貸し出すなんて物好きな会社ですね」
「あーっ、私の推薦だってこと忘れてる? 科学にも小説にも精通する人物ってことで随分アピールしたんだから。あなたにとってもAIについて取材するメリットがあるはずよ」
洋子はデータを入れ終えたタブレットを、振り向きざまにデスクへ置いた。ショートボブヘアの下に小さな耳と白い首筋が見える。
「……髪、短くしたんですね」
洋子は髪を触りながら笑って答えた。
「いいでしょ? 思い切って切っちゃった、バッサリと。彼も気に入ってくれてる」
ふっと京助が表情をこわばせる。
「先輩は切り替えが早いですね」
「何? まだ引きずってるの? もう三か月よ?」
「その前が長いんですよ! 一年ですよ? 俺たち……付き合ってたの……」
「私はもういい思い出にしたよ。金山君も早く新しい彼女を見つけな。もちろん、アイ以外でね」
「当たり前です!」
洋子のウィンクでウインドウは閉じた。
京助は椅子に背をもたせて、深く息をついた。洋子との楽しい日々が脳裏に浮かび、消えていく。
「もう京助って呼ばないんだな……」
「あのー」
「わっ、そこにいたのか」
アイがコーヒーカップを載せたトレイを手に、京助の後ろに立っていた。
「入れてみました。家のコーヒー」
「家のコーヒー?」
京助はアイのトレイからカップを取って、口に運んでみた。
一口を飲み、二口目を味を確かめるようにして飲む。
「これは……」
「私、派遣される前に沢村主任の家に一週間いたんです。家事や日常の事を学んで、その時に覚えたコーヒーなんですけど……どうですか?」
京助の口の中に、一年前の思い出の味が残っている。
「うん、確かに飾らない家のコーヒーだ。でも……」
「?」
アイは不思議そうな顔をして京助の言葉を待った。
「今の僕には、ちょっと苦いな」
そう言って、京助は笑った。
「変でしたか?」
アイが心配そうに聞いてくる。
「いや、変とかじゃなくて」
もう一度、香りをかいでコーヒーをすする。
「これって、小山カフェのモカブレンドじゃないか!」
「台所に豆があったので再現してみたんです。今朝連れて行ってくれた時、おいしそうに飲んでいたので」
「再現って……」
「私、味覚も優秀なんです」
アイはそう言って小さく舌を出し、人差し指でチョンと触れてみせた。
「おいしい。確かにおいしいんだけど」
京助はカップをトレイに置いた。
「家では家のコーヒーを飲みたいな」
「家の?」
「飾らないというか、落ち着いているというか……まあ、今はわからなくてもいいよ」
「そう……ですか」
アイは少し寂しそうにうつむいた。
(すごいな)
と、京助は思う。
(今のAIはここまで感情があるんだ)
小説を生業とする金山京助、二十七歳。彼の住むマンションに試用試験として人型AI、ヒューマノイドが派遣されたのは昨日の事である。名前は「アイ」。見た目は十六、七歳の娘。今朝、散歩に街へ連れ出してみたが、時々、会話のかみ合わないところを除けば、姿やしぐさは人間の女性と変わらなかった。
派遣元のクアンテック社はその頭脳となるAIに創造性を持たせたいらしい。AIがチェスや将棋で人間に勝利し、過去の絵画作品を参考にして絵を描くようになって二十年が経つ。だが、AIはいまだに一から小説や音楽といった芸術を生み出すことに遠く人間には及ばなかった。
(これがきっかけでAIが小説を大量生産するようにれば、僕は作家連中に磔にされるな)
デスクに置いたノートパソコンのディスプレイに着信アイコンが表示された。クリックすると書きかけの小説を押しのけるようにビジュアル・フォンのウィンドウが開かれる。沢村洋子の名前と共に三十代位の細身の女性が映し出された。
「沢村主任!」と、喜びの声を上げたのはアイ。
「洋子、先輩……」と、戸惑うようにつぶやいたのは京助である。
「ようアイ。元気そうだな。金山君は相変わらずか」
京助はアイに、わるいけどコーヒーを下げてくれ、と台所へ行くように促した。
ウィンドウの向こうで、洋子は手元のタブレットを操作しながら話しかけてきた。
「担当なのにしばらく連絡できなくて悪かったわね」
「どうしたんです。今日は」
素っ気ないそぶりをして、京助は答える。
「一日目だろう? アイの調子はどうかと思って」
「順調に人間してますよ。彼女の能力に驚かされる以外は」
「そこが我社のウリだから」
洋子はいたずらっぽく笑った。
京助は溜息をついた。
「そんなセレブ御用達のハイクラスを、しがない小説家に貸し出すなんて物好きな会社ですね」
「あーっ、私の推薦だってこと忘れてる? 科学にも小説にも精通する人物ってことで随分アピールしたんだから。あなたにとってもAIについて取材するメリットがあるはずよ」
洋子はデータを入れ終えたタブレットを、振り向きざまにデスクへ置いた。ショートボブヘアの下に小さな耳と白い首筋が見える。
「……髪、短くしたんですね」
洋子は髪を触りながら笑って答えた。
「いいでしょ? 思い切って切っちゃった、バッサリと。彼も気に入ってくれてる」
ふっと京助が表情をこわばせる。
「先輩は切り替えが早いですね」
「何? まだ引きずってるの? もう三か月よ?」
「その前が長いんですよ! 一年ですよ? 俺たち……付き合ってたの……」
「私はもういい思い出にしたよ。金山君も早く新しい彼女を見つけな。もちろん、アイ以外でね」
「当たり前です!」
洋子のウィンクでウインドウは閉じた。
京助は椅子に背をもたせて、深く息をついた。洋子との楽しい日々が脳裏に浮かび、消えていく。
「もう京助って呼ばないんだな……」
「あのー」
「わっ、そこにいたのか」
アイがコーヒーカップを載せたトレイを手に、京助の後ろに立っていた。
「入れてみました。家のコーヒー」
「家のコーヒー?」
京助はアイのトレイからカップを取って、口に運んでみた。
一口を飲み、二口目を味を確かめるようにして飲む。
「これは……」
「私、派遣される前に沢村主任の家に一週間いたんです。家事や日常の事を学んで、その時に覚えたコーヒーなんですけど……どうですか?」
京助の口の中に、一年前の思い出の味が残っている。
「うん、確かに飾らない家のコーヒーだ。でも……」
「?」
アイは不思議そうな顔をして京助の言葉を待った。
「今の僕には、ちょっと苦いな」
そう言って、京助は笑った。