第三章 中華帝国の台頭

文字数 11,707文字

「やれやれ、最近の若い者達は理論や理屈が大好きな様子だ」
 いつの間にウォリアーが居た。
「こんな所に居て良いのですか? ウォリアー卿」
「退官した軍人は基本的に余暇を楽しむのが基本だ。とは言っても人生百年時代だ。世界的に労働力が不足している。故に老兵とて奉仕しなければならない時代でもある」
「NSAも大変そうですね」
「そうだな」
 世間から見れば逆風であり、情報機関としては中華国に追い付かれつつある。専ら、最近の同盟国の機密情報の流れ振りからすると中華国が関与していると感じる様になった。いや、東側は確実に西側から技術を奪い、政治経済に介入している。恐らくの予測であるが。
 それにしても自分は一世紀位生きているウォリアーしか知らないが、無駄のない体付きと言うか、無駄のない動きをしている。足音も気配も殺す様に動ける。そして、それらを自分で制御出来ている節がある。
 敢えて気配を殺しているのは蝿の王が近くにいたのを感じ取っていたからかも知れない。
 ふと気付いた。ウォリアーの横に年老いた軍人が佇んでいるのを。
 いつの間に、と思って見ると思わず動揺してしまった。動揺した理由の一つがどう見ても東洋人の軍人なのだが、何かが違う。緑の正装なんて同盟国にあったのか?
「ああ、こちらは中華国の毛将軍だ。と言ってももう現役は引退しているがな」
「初めまして、じゃね。毛と言います。宜しく」
 流暢な日本語で喋る軍人だった。ウォリアーと異なって厳かと言うより気さくなお爺さんと言った印象を受ける。
 しかし、何故中華国の軍人がここに?
「成程、この子がかね?」
 ウォリアーは頷いた。
 何のことかさっぱり解らない。
「未来操作システムのことに気付いた者達の一人」
 一瞬、動悸が走った。こちらの表情を見たのか軍人は慌てて取り繕う。
「そう緊張なされないで。世界中でこのシステムの存在に気付いている者は結構な数居るんじゃよ。だから安心しなさい。何も命を取られることも自由も奪われることもない」
 安心した反面、やはりかと言う思いがある。
 中華国は既に未来操作に係わる技術を国の計画の中に組み込んでいる様子だ。
「基幹技術は最早世界の至るところに浸透しておるよ。実際に稼働出来る国は限られるがね。動かすのにも技術がいるしのう。ところで気になるのは君の描いた第二部編とやら何じゃよ。あれも神からの啓示から描かれた未来預言かね?」
「い、いえ。構想は元々ありましたが、勢いで書き切ったものでして……啓示と呼べる代物では」
 そもそも啓示はエシュロンの危険性を訴えるものに近かったので第二部は直接関係ない。
「多世界解釈も君自身の解釈かね? 宜しければ老い耄れに聴かせてくれんかね。物理学者でもない君が推測する多世界解釈とやら」
「は、はあ、陳腐なものでありますが」
 自分なりに伝えてみる。多世界とは並列世界ではないこと。より厳密に言えば自分達の存在する次元以上で世界が存在していることを。
「ふむ、それでは世界の可能性とは何でも在りになってしまうのう。君の友がほとんど何でも出来る様に、いや、君の信じている神とやらが何でも出来る様に無数の可能性を生み出してしまうのう。そこで質問があるのじゃが、良いかね?」
「あ、はい」
 気さくな雰囲気も合い余ってついつい話してしまう。
「あの世界観が成立する見込みの根拠は何だったのかね? 君はその辺りをぼかしておるね。更に設定の一部に矛盾する話が見られる。簡単なところではイスタンブールをコンスタンティノープルと言い換えたり、記憶の食い違いが見られる。あれは単なる間違いかね?」
「勢いで書ききってしまったので間違えと言えば間違えです。ただ後付け設定は幾らでも出来ますが」
「それも誤魔化しじゃね。君は肝心の答えをはぐらかしておる。何故『秩序』が台頭したのか?君は説明責任を果たしておらんよ」
「簡単に言えば可能性の盲点を突いたのです」
 しかし、何故そんなことを訊くのだろう? 恐らくシステムはそれ程警戒していない筈だ。少なくとも第二部の世界観が成立する見込みはほぼない。今のところは。だから自分の仮説を伝えるしかないのだ。それでこの軍人が納得するかは別だが。
「システムは完全な未来操作を行える訳ではない。ある一定の段階、不確定要素が入るとシステムは操作を軌道修正せざる得ない」
「そうじゃろうね。技術が発達しても完全と言うのは無理じゃしのう」
「そして、システムは合理性に基きます。個々の心理、結果から行動を予見します」 
 軍人は得心がいった様子で頷いて回答を先読みしてくれた様子だ。
「非合理性の道を歩む訳じゃな」
「ええ」
 本来ならこの人はこんな行動はしないと言う前提があったとする。それを敢えてするのだ。その人自身が最も選択しない道を幾つか行う。これでシステムそのものに狂いが出て来るのが定めだ。
「成程、『秩序』の世界を今の君は容認しない訳じゃな」
「『秩序』の世界は私が絶望した果てに望むであろう罪深い世界です。でも、実際人は絶望したら無気力になっていくとも感じます。だから、あの世界は実現するのに想像以上にしんどいと思いますよ。特に私の様な非力な人間にとっては天地創造級の確率でしか実現しない世界でしょう」
 それこそ億や兆分の一すら在り得ない。そもそもその人の嗜好から外れた行動を人間は最も避けたがるのは自明の理。それを敢えてやるなら一層苦痛でしかない。
 自分の選び易いのは自死だろう。あの様な『秩序』の世界は造りたがらない。抜け道はあるにはあるが仮説の中でも乏しい仮説なので言わない。
「じゃが、世界の無限性を証明するなら天地創造級の出来事なんぞ幾らでも起きてしまうがな」
「ですが、実証不可能な証明です」
 それらは物理学者の仕事だ。自分の出る幕ではない。世界の無限性を証明したいなら多世界解釈を実証すれば良い話だ。カラビヤウ多様体がもしかしたらより高度な次元を持ち合わせているのなら、それらが空間に満ち足りているなら、自分達はいつも細分化された時間の世界を渡り歩いているかも知れない。その場合の質量保存の原則がどうなるのか自分にはさっぱりだが。多世界が成立したとしても質量はどの様に分化されるのか解らない。いや、そもそもの前提が間違っている可能性すらある。並列世界は世界の初めから存在し、無数の枝分かれしていない可能性も又捨てきれないのだ。
「では、世界の無限性を否定するかね?」
「いいえ、人には無限の可能性はある。世界そのものが自らの手で可能性を閉ざさない限りは」
「無限の可能性か。わしらに対するあてつけにも感じられるがのう」
「かも知れません」
 そう、無限の可能性を閉ざしているのはいつだって一握りに為政者の利益の為だけだ。中華国にも本来無限の可能性はある。勿論、同盟国にもだ。
 だが、中華国は信徒を弾圧している。これは教会の発展を阻害しているのは明らかだった。近年、自分達の国の人が中華で拘束されているニュースを見ているといかに中華政府が教会を弾圧しながら牧師や信徒を拘束しているのが伝わってくるのだ。中華国には豊かな技術こそあれども、豊かな思想や表現の自由がない。故に偉大な思想を持つ信徒を抱えても信徒の可能性を活かしきれていない。
 これは多かれ少なかれ現代の世界の病そのものである。教育の貧困、食料の貧困、思想制限はそれだけで世界の無限性を縮小する。世界の資源の循環も上手く行っていないのも拍車をかけている。意志の優生学を歪曲している。
 目の前の老軍人に眼を遣る。恐らく自分の意図した嘘に気付いているのだろう。第二部の世界は実際に起りえる世界の一つだ。可能性は天地創造級並みに低いが、実現されている余地は残されている。皮肉にも可能性は無限に存在する。地獄が顕現する可能性も同じく存在する。老軍人の恐れているのは地獄の顕現なのだ。その可能性を実現出来る程に同盟国、共産国、中華国は技術水準に到達してしまっているのだ。
「子冬君、個人的に尋ねたい。世界は滅ぶじゃろうか?」
「悪の救世主がいずれ世に台頭することは避けられません。私達の世界が汚いところから眼を背け続ける限り、悪と呼ばれる存在が社会構造の不完全さを利用し巨大な力を手にするのは不可能ではないと思います」
 そう、丁度ファシズムが台頭したのも似た理由だ。資本主義の欠点を突き、貧困層から支持を得て、やがては国主となるのは珍しいことではない。歴史は同じことの繰り返しだ。違うのは全く同じ過ちを人類は繰り返さない様にしている。二千年代に起きた世界恐慌も百年前の世界恐慌と状況が異なった。百年前の過ちを繰り返さない為に国立銀行の発足など対処はしていた。資本主義も同じで世界大戦終戦後に社会保障を取り入れ始めたことで格差社会を産み出し辛い様に社会そのものを改良してきた。
 ただ、今日に至ってその遺産は食い潰されているが。だからこそ『秩序』の世界が誕生する余地が生まれたのだが。
「だからこそ、悪の救世主が望めば世界終焉の筋道も現実的になるのです」
 自分なりの結論を聞いた老軍人はこちらを見据えている。納得はしていない様子だった。当然だろう。物語で言えば起承転結の起と結しか語っていない。具体的な悪の救世主の台頭方法については説明していないのだから説得力に欠ける。
 悪の救世主のやり方は巧妙だ。恐らくヒトラーより巧みの権力を手中に収めるだろう。一介の伍長に過ぎなかった者が国主になるのだから、悪の救世主はどの様な出自でも権力を手中に収めることが可能だろう。実に最高悪は最高偽善である。悪魔も御使いや預言者の振りをするのだから悪の救世主がまるで真の救世主の様に世界に振舞わせるのは何ら不可思議ではない。
「まるでヒトラーが小者扱いだのう、その悪の救世主に比べるとのう」
 ヒトラーを引用する辺り、この老軍人は気付いているのだろう。悪の救世主とは圧制者ではなく、民衆を扇動し、世界の世論を都合良く動かせる存在だと言うことに。ある種のサイコパスに近い、実体はそれより遙かに悪質で恐ろしい存在。騙そうと思えば己さえ騙せるある種の狂信性、世界ですら偽りのものに落とし込める悪のカリスマ。理屈上は判る。
 だが、現実の存在としてそれが如何なる存在なのか定義し難い。だから陳腐な表現で悪の救世主と呼ばざる得ない存在。
 そして、老軍人は齢故にそれが如何に恐ろしい存在であるか悟っていた様子だった。
「君はヒトラー本人に会ったことがあるかね?」
 自分が首を横に振ると老軍人は重たい息を吐いた。
「じゃろうな。わしらは当時大日本帝国軍と戦っていた。帝国軍は統率力に優れ、電撃戦に長けていた。会戦まで満州国を制圧した帝国軍の組織は僅か数万程度じゃった。そこから帝国がいかに強力で手強い相手なのかわしらは痛感した。国民党との共同戦線がなかったら敗戦は濃厚じゃった。だが、軍首脳部をそれ程恐れておらんかった。わしらは帝国に驕りありと見たんじゃよ。実際帝国の見積もりは甘過ぎた。当時の超大国だった同盟国の通信網を掻い潜って奇襲攻撃するなんぞ無謀にも程があった。当然、同盟国は奇襲を知っておった。第一次大戦が終わった後、同盟国には厭戦の雰囲気が強く漂っておった。だが、一見すると法を無視した帝国軍の奇襲を見て同盟国民は怒りの余り戦争に加わった」
 何を言いたいのか解らない。老軍人は歴史を講釈したいのか? 自分の表情に気付いた老軍人は答えを勿体ぶって中々喋ろうとしない。そこで横合いが入る。
「帝国軍は優秀だった。個ではなく群として見れば。毛、貴殿の言いたいことは長過ぎる。我々は本当に恐れたのは圧倒的な個のカリスマだった。ヒトラーはカリスマそのものだった。指導者として卓越した何かを持っていた。それに惹かれる様に第三帝国に次々とカリスマが終結した。欧州戦線とは結局ヒトラーが采配を手にしていたのと同様だ。若造の言いたいことも判る。だが、貴公はヒトラーの怖ろしさを知らん。だから平然と悪の救世主など提唱出来る。あの時代のドイツ国民が盲目的なまで従えさせたカリスマを眼にしていないからな。後の時代の者達は皆口を揃えて言った。『私達だったら従わなかった』とな。だが、それは所詮ヒトラーを知らん者の語る歴史だ。今では殆んど生き残っていないあの時代の我々からすると『まるで解っていない』の一言だ」
 ウォリアーの言葉に少し不快を感じる。老牧師はそれを見事に見抜き、言葉巧みに表現する。
「ヒトラーの顕現させたのは地獄そのものだった。若造、貴公の言いたいことはこうだろう。『このままではヒトラーがもたらした以上の地獄が顕現する』と、そう言いたいのだろう?」
 一言に纏められてしまった。詰まるところ、老軍人も同じことが言いたかったらしい。素直に首肯していた。
「確かにそうじゃのう。若者にわしらの話はちと退屈かのう。まあ、実際にあれ程カリスマは世にそう出るまいて。君の言う悪の救世主とやらが出現したら誰かしら勘付くものじゃよ」
 どうやら老軍人も一世紀近く生きているらしい。とても、そうは見えないが。飄々と軽やかさが老軍人には見て取れる。それとも苛烈な時代を生き残ると何処か達観した存在になってしまうのか。
 老軍人と対照的にウォリアーは逆に厳めしい顔付きだ。元々がこれが本来の在り方だったと言われればそれまでだが、どうにもそうでない様な気がする。
「私の表情が気になるか?」
 唐突に言われた言葉にじわりと汗をかく。全く以ってこの人物は何処まで人外染みた存在なのだろう。 同盟国の『使徒』にして世界大戦を生き残った古株だが、その年輪はどれ程巨大か見分けられない。
「先程来ていたのであろう。蝿の王が」
 あたかもその場にいたかの様に発言するウォリアー。父親と言わない辺り確執でもあるのかと容易に想像出来る。
「私と蝿の王では似ていないからな。あれは不気味に嗤っている。それでいて飄々としていて幾つもの顔を忍ばせている。決して正体を明らかにせん者だ。対して私は解り易いかも知れんな。長に保護されるまで私は戦闘狂として育てられたからな」
 ウォリアーは少年のことを長と呼ぶ。養父に当たる存在なので父と呼び慕っても良い筈だが。実直な彼にとって少年とは何なのか? 
「気になるか? 私と長の出会いが」
 素直に首肯する。
「そうか」
 そう答えると訥々と語り始める。彼の歴史の一端を。


 遠い昔の記憶なので朧だが、初めて人を殺したのは六歳の時だったか。蝿の王は喝采していたよ。
「我々の知る限り最も貧弱な兵器ですが、良い。素晴らしい。ウォリアー、あなたは人を殺すのに良心の呵責を感じませんでしたね? 流石は流石。劣等と言えど我々の血族に連なるだけのことはある。最弱にして最狂の戦士ウォリアー卿よ」
 そう言った賛辞の言葉にも何も感じなかったものだ。ひたすら虚ろだったものだ。それすら精確な表現ではない。寧ろ何もなかったのだ。私には凡そ感情らしい感情が欠如していた。
 母上はそんな私を悪魔の子と嫌悪したものだ。
 六歳から人殺しを続け、毎日殺した。人と言う人を殺した。だが、所詮私は人でしかなかった。僅かにではあるが感情があった。蝿の王の本性は知っていた。だから何の感慨を抱かない振りをしていた。
 時は十二歳。抹消対象に『使徒』ノートン卿がいた。如何に私が圧倒的戦闘力を誇ろうとも『使徒』は歯牙にもかけなかった。
 私の終わりの時、の筈だった。
 その時、とても美しい少年が割り込んで来た。ノートン卿は戸惑い、意見を述べた。
「この子は危険過ぎる」
 だが、少年は翻ることがなかった。少年の言葉が印象的だった。
「赦されざることなんてない。全ては赦されているんだ」
 そう言って私の身元引受人になった。表向きは教会の牧師の子供として。ある日、ノートン卿が来て世界大戦の話をされ、私を『使徒』に推挙する話を持ち上げた。私は少年が渋るのを承知で軍に志願した。待っていたのは過酷なまでの扱きだっただが。世界大戦西部戦線末期、私は投入された。待っていたのは荒廃した欧州だった。圧倒的な破壊された欧州。事態は既に戦後処理に向かっていた。ナチスが破壊した欧州を如何すべきか? 現地の報告をノートン卿に上申し、彼は国務長官のマーシャルと話し合って欧州復興政策が出来た。俗に言うマーシャル・プランと呼ばれたものだ。大西洋を隔てた西欧州を対ソ連の前線基地とする意味合いを込めてな。太平洋戦線も同様だった。国内では知日派の推挙により大日本帝国を一時占領し、連合軍の駐屯を認める意見が強くなっていた。太平洋を隔てた国を東アジアにおける対ソ連の前線基地にしようとしたのだ。経済が瓦解しつつあった日本経済を復興させる為に当時では秘密裏に凡そ十二兆円の投資を同盟国は行うことを決めていた。その資金を以ってしてインフラを再度調え、日本国を復活させる訳だった。戦後、私はある部署に配属となった。その組織は「何もない」と言う比喩を用いる程秘密裏に物事を進めるのが好きな組織だった。今となっては中華も共産も同じことをやっているがな。

「ざっくりと話すとこの様に至極詰まらん歴史だろう」
「ウォリアー卿は……人の心を解せないのですか?」
 自分の疑問にウォリアーは素直に答える。
「半分は。今でも理解し難い時もある。感情を組み合わせた理論として人の行動は理解出来る。皮肉にもそれがソロモン・システムを立ち上げる切っ掛けにもなった。そして、それを実用の領域に持ってこれる人材が同盟国に居ただけだ。更に皮肉なのは貴公の予測通り、その家系が存在すると言う事実だけだ」
 『使徒』ソロモン。彼女は実在するのか。
「意外かね。この確率を観るのは人間原理で説明出来るかも知れんな」
 ウォリアーは根底の部分で勘違いしている。人間原理。人が観測した奇跡的な確率の代物は人が観測したからそう見えるだけと言うのはお門違いだ。
 人間の偶発性は神の必然性、神の必然性は人間の偶発性。この世界は奇跡の産物だ。我々の領域から見れば当然そう見える。
 しかし、宇宙がユニヴァースではなくマルチヴァースであるなら話は又別のものになる。偶発性であった奇跡は必然の奇跡に置き換えられる。皮肉にも多世界解釈を許すならそう言った理論も有り得る。
 根底にある価値観の相違は置いて不気味なのは老軍人だった。人の好さそうな老軍人から仮面が剥れた時、どんな正体を現すのか。彼は少なくとも自分よりウォリアーを知っている。自分達とウォリアー世代には超えられない壁がある。世界大戦を生き延びた時代の生き証人なのだ。そして老獪さを兼ね備えている。それは老軍人も同じだ。
 近年の中華帝国は覇権主義を剥き出しにしている。ウイグル人を大規模に収容したり、洗脳教育を施し、監視しつつある。今や中華帝国の監視カメラが世界シェアの半数を占めている事実を鑑みると中華帝国は世界中を監視付き経済植民地にしそうな勢いだ。そう考えると老軍人の人の好さが一種の処世術に見えてくる。
「やれやれ、ウォリアー君は相変わらず怖いのう。自らの短所を国家の長所に変貌させる。どうにも『使徒』と言うのは厄介じゃのう」
 そう言って老軍人は目配せした。するとウォリアーは溜め息を吐き、少年に目配せし、部屋から出て行ってしまった。
 後に残されたのは少年、老軍人、自分の三者だった。
「さて、子冬君。わし個人は君を買っておる。中華帝国の民族優勢説に対抗する様に意志の優生学を説いているところなどじゃね。君は気付いているじゃろう? わしら中華帝国がやっておることは世界大戦前のナチスとそう変わらん。一つの思想に統制し、一つの民族に特権を与える。中華帝国に巣くう優生思想じゃよ」
「話が見えませんが」
 一体何を言いたいかが解らない。老軍人は子供を宥める様に落ち着いて語り始める。
「わしらの国では遺伝子操作が行われている。これも又優生学の一つじゃね。ところで士冬君、優生学を成り立たせる為に必要なものは何じゃろう?」
「技術、数、情報、軍事力、体系化された教理でしょうか?」
「うん、超大国にはそれが必要なのは当然じゃよ。じゃが、最も単純なものがある。それは敵じゃよ」
「敵ですか?」
「大日本帝国が発展した理由は何かね? アジア諸国を開放する為に鬼畜英米と高らかに喧伝していたじゃろう。中華帝国も然りじゃ。大日本帝国に侵略されたと言う認識が重要じゃった。結果、中華帝国は日本を敵性国家と見做し、競争力の発展に寄与したのじゃよ」
「日本を敵性国家ですか」
「国連の敵国条項を見ればええよ。少なくとも冷戦前の東西陣営はドイツ、イタリア、日本を脅威と看做したことで軍事力を発展させていった。顕著な例がウォリアー君の同盟国じゃよ。厭戦の雰囲気を漂わせておろうと裏ではソ連に軍事支援を行っておった。尤も同盟国はソ連と対立してわしらと手を組んだがね。君は知っておるかね。ソ連崩壊の為に同盟国と中華国が軍事技術の提供の密約を交わしておったことを。今では同盟国は大層な反省を強いられておるがね」
 千九百八十年代、その様な条約を結んだと後の歴史で語られているが、本当のことだった様だ。
「わしらの本音を話そう。大義を成り立たせる為に正義を失ったのが今の東側の真実じゃよ。だから敵性国家を創り上げる。それが過去の亡霊だとしても、栄華を失いつつある超大国だとしても。皮肉にも今の政府は狡猾じゃが、無能な腐った蛇じゃよ」
 驚いた。仮にも共産党員がその様なことを言うとは。よりにもよって他ならぬ中華帝国の礎を築き上げた一人にそこまで言わせるのか。それ程共産主義は理想を見失ってしまったのか。
 そこにいるのは朗らかな老軍人のそれではない。現実を悲観し、焦燥たる怒りを燻る理想主義者の屈強の眼差しが自分に注がれていた。
「私に何をやれと?」
「単純なことじゃよ。ジ・オーダーを創り上げるのじゃよ」
「断ると言ったら?」
「子冬君、君に断る理由はない筈じゃ。君は確かに堕落しておる。隙も多いし、甘い。未成熟な子供とさして変わらん。じゃが」
 老軍人は一拍置いてから告げる。
「君にも視えている筈じゃ。何千万と言う人々が日々命の危険に晒され、何十億と言う人々が貧困に突き落とされ、世の中の生き物が娯楽の為に食い物にされ絶滅に瀕している事実を。たった一握りの存在の為に全てが消費される歪んだ世界を見ている筈じゃ。誰もが苦しんでいる。そんなの当たり前じゃろう。一握りの存在を活かす為に全ての労働と資本が動いているのじゃから。皆が皆、都合の良い情報に振り回され、真実が何かも判らん状態じゃもの。いつの時代もやることは一緒じゃ。真実の中に嘘を練り混ぜ固める。民衆はその菓子に騙される。それが飢餓に満ちた砂漠であろうと」
「義の為にジ・オーダーを目指すとは滑稽ですよ。ジ・オーダーは観察者であり、裁定者であるのですよ? 人類が『全てに救い』か『全てに滅び』を選択するか観察し、場合によっては自滅の選択肢を選ばせる存在。毛将軍、あなたの言われる前提を決して叶えるかも怪しい存在。世界を是正するのではなく、世界を根絶する存在、それがジ・オーダーなのに」
「だからこそじゃよ。共産主義でも駄目じゃった。その上で人間を超越した存在からの啓示も素直に受取れない種族であれば、人はそこまでの種族じゃったと見切りをつけるべきと思わんかね?」
 生憎と自分も同じ見方をし易い。神や人に期待しても無駄なだけと言う発想が根付いている。それが先天的なものなのか後天的なものかは判らないが、月日と共に自分自身に諦めを感じる様になったのも事実だ。『秩序』とはその諦観の先にあるものなのだ。希望を見出すのではなく、世界を呪詛に渦巻く様に仕向けていく。諦観の先にある憎しみや虚無と言った意志に世界そのものを染め上げる。故にジ・オーダーは最期の『秩序』なのだ。間違っても世界の是正を行ったり、秩序の回復に努めたりはしない。それらは世界自身の役目であり、教会や宗教の役割なのだ。ジ・オーダーはそれらを観察するだけなのだ。
 逆を言えば。
「我々がジ・オーダーになることによって人々の危機感が高まり世界が是正される確率が高まると言う論理もある訳ですね」
「出来は悪いが判りが良い者を受け容れるだけの準備はわしらにはあるのじゃよ。逆にヒトラーの様にある種の欠落性がないとこの役目は受けれんのじゃよ」
「ただ、待って貰いたいのです。あの子が逝くまで」
「君の愛犬じゃな。君の最期の良心になり得る存在。君の最期の愛。『全てに救い』の基を君に与えた存在。君は神を試しておるのじゃな。在り得ない奇跡が起きるかどうか。つまるところ、君には二択しか存在しないのじゃろう。自死か、世界に復讐するか。じゃろうな」
「流石、経験を積んだ方は話が早いですね」
「じゃが、疑問が残る。君は少年を諦める覚悟があるかね? 少年は特殊じゃよ。どんなに君が荒んだところで君を見捨てる気は更々ない。神の様に最期まで語りかけ続けるじゃろう」
「それは……」
 先程から黙々と聴いている少年を眼にして躊躇いが生まれる。
「どんなに荒んだところで人間は所詮人間。無償の愛の前には跪くものじゃよ。あの過酷な時代にあっても理想を見失わない人々がおった様に、君が愛の虜囚にならんかと否定出来るものは何処にもない。無論、わしにもな。まあ、その辺りは解決不能な問題に近いがね」
「近いとはまるで糸口がある様子ですね」
「糸口はある。来る日に又会おう」
「………………」
 そう言って老軍人は去った。
 去ったことを確認してから少年に向き直る。
「あんたは同盟国に密告するか?」
「まさか、僕は君を信じるよ」
「それが失望に変わってもか?」
「肝要なのは希望をいつも持っていることだよ。忍耐、練達、希望が繋がっている様にね。君にとってパピを失うのは生きる意味の喪失に繋がったとしても僕は待つよ」
「そうか、生きるとは何だろうな? あんたらから言わせて貰えば使命を果たすことなのだろう。だが、生への実感が伴わない生など生きる価値などあろうか? 社会の歯車の一部として生きるのは本当の生と言えるのか? 苦難のみの生など……」
 その先は言えなかった。初代教会から今に至るまでの苦難のみの道を歩んだ信徒のことを考えると閉口せざるを得ない。自分は彼らの様に強くない。葦の様なものだ。
「子冬、僕は待つよ。君の帰る場所でね」
 それは地獄か果たして天国なのかは判らない。自分の最期を知る者でなければ。自分は死ぬのだろうか? 
 肉体的な死でなく心が死に至る。そんな未来しかないのだろうか? 
 問いかけに答える神は暗に示していた。受難こそ祝福そのものだと。
 だが、それが人の世界で言う呪いめいた運命であることを考えると自分は耐えられないだろうと感じる。
 人は『全てに滅び』をお与えになる。
 人を殺すことを如何に罪深きことと嘆こうとも人は人を殺す。何故なら現行の社会システムは競争と言う名の優生思想に染まっている限り、この世界はヒトラーの具現しようとした世界を多少ましにしたものにしか過ぎない。劣等として炙られた人々は自らの存在証明を失い、虚無に服するだろう。そして、世界の支配者たる資本家達が虚無に服し続ける限り、世界が閉塞していくのも事実だ。腐敗、民族優生主義、世界大戦で葬ったかの様に見えた亡霊は今世界を跋扈している。自由と平等が失われ、思想統制される時代が目の前に這いよってきているのだ。
 あらゆる軍事が他の軍事と対立しながらも深い繋がりを保っている。一つの時代が終わろうとしている。
 あらゆるものがいつかは終わる。栄華も名声も虚しい。あらゆるものが廃れようとも愛は残るのだろうか? 自分の愛したかったものは。命には重大な責任が伴う。それを支えるだけの力は自分にはない。故に自滅か破滅しかないのだ。
「人は『全てに滅び』をお与えになる、か……」
 予言と言う生易しい代物だったらどれ程良かったことか。セカンド・ヒトラーはいずれ現れる。
 超人は既に我々の中に存在している。但し、それは酷く残忍で獰猛な者だ。
 それは愛を喪失している。超越者にとって愛は無用な代物であり、踏み越える轍でもある。愛を超克しなければ超越者になれない。愛の源である神の虜囚である限り、人間は人間にしか過ぎないことを思い知るだろう。
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登場人物紹介

ジ・オーダー……『秩序』にして『命令者』、『注文』の『騎士団』とも揶揄される存在。

子冬……少年と共に『全てに救い』を探求する者。気弱で病弱、心の病んだ者。 

少年……子冬に『全てに救い』を指し示し、共に道を歩む者。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ウォリアー……同盟国の重要人物にして『使徒』でもある。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

毛……中華帝国の建国時のメンバーの一人。穏やかな性格で理想主義者でもある。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

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