将来に殺される①

文字数 1,562文字

 ——あいつは、いつも私の目の前にいた。
 初めてあいつの存在に気が付いたのは、小学6年生の夏。夏休みの宿題に『将来の自分』というテーマの作文が出た。
「ねえ、『将来』ってあたし、どうしよう」
 確か、母に尋ねた。
「そんなの


 母が指さした、私の目の前に、あいつは現れた——いや、ずっとそこにいたのだ。
「なに?」
 とぼけた顔で、あいつは聞いてきた。
「あたしの『将来』ってどうしたらいいのかな。わからないよ」
「そうだねぇ、具体的にしたいことはないの?」
「うん。したいことがないというか、わかんない。あたしが何をしたいのかわからない」
「ふーん、あっそ。だったらとりあえず、

いろいろやってみたらいいんじゃない? ……小学生から始められることといえばまあ、勉強かな」
「えぇ、勉強? あたし勉強嫌い」
「そんなこと言われても。じゃあ自分のやりたいこと探しなよ。それからそれに向かって努力したらいいじゃない。けどあなたがわからないとか言って自分のことをしっかり考えないから、提案しただけでしょう」
「だってー」
「だっても何もないよ。別にしたいことしたらいいんだよ? 強要なんかしてない。だったらなにが好きなの?」
「ピアノ弾くのが好き」
「だったらそれを頑張ればいいじゃない」
「うーん。でもでも……」
「そりゃまあ、たしかに今すぐに決めるのは難しいだろうね。だから、とりあえず

出来ることから頑張ればいいんじゃないって話だ」
「……わかった。あなたのいうことを聞くことにする。

勉強するよ」
 これが私とあいつとの出会い。最初の会話、そして最後の

だった。

 それからは毎日、あいつと私は一緒に過ごした。
 違う。
 それから私はあいつの奴隷になった。

頑張れよ」

努力しろよ」

我慢しろ」


 私がどれだけ苦しくても、辛くても、悲しくても、あいつは絶対に私を甘やかさなかった。
「もう嫌だ! 

どうして私がこんなに頑張らなければならないのよ!」
 一度だけ、私にどうしても限界が来たことがあった。確か高校三年の冬。大学入試も差し迫った2月、ここにきてとうとうプレッシャーに押しつぶされて、勉強に耐えられなくなった。するとあいつは、
「だったらやめれば? 俺は最初に言ったじゃない。別に強要なんてしていない。これは



 私は何も言い返せなかった。
 押し黙った私をみて、あいつはつまらなそうに、
「だったら、

やるしかねーじゃん」
 そう吐き捨てたのだった。

 私は唇を噛んで、言葉を飲み込んで、あいつの言う通り必死に、あいつに尽くした。

努力したのだ。
 その甲斐あって無事に第一志望の大学に合格した。
 しかし、ずっと目の前であいつが囁く。
「遊んでる暇なんかねーぞ。

さっさと次のことを頑張れ。さてと、次は就職だ。たくさん勉強して、いろいろ経験しなきゃなんないからな。あ、同時に恋愛もちゃんとしておけ。なんたって


 それからあいつの言う通り、大学で出会った人とお付き合いをはじめ、恋愛を学び、別れて、公務員になるべく勉強をし、また別の人と恋愛をし、役所に就職して、その人と結婚して、仕事をして、子どもを産んで、全部全部、

、生きた。

 いつでもどこでも何でも、あいつのために生きた私の人生は、あいつに出会ったその日に終わっていたのだ。
 私はあいつに——『将来』に殺されたのだ。
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