第76話 にこやかに

文字数 546文字

 とがめられた梨華は細い声で、
「母さまが心配で……。すぐに自分の部屋に帰るから、先生、中に入ってもいい?」
 いいとも、と医師はうなずく。
「その代わり、お話がすんだらベッドに戻るんだよ」
 父に支えられて寝台のそばまで行くと、梨華はおそるおそる声をかけた。
「母さま、ご病気なの?」
 いいや、と阿梨は横になったまま、微笑んだ。
「でも具合が悪いのでしょう?」
「えーと、つまり、それは……」
 言葉に窮する阿梨の後を、ムジーク医師が引き取るように、
「今、ちょっとお母さんの体調が悪いのはね、お腹に赤ちゃんがいるからなんだ」
 唖然とする一同に、医師はにこやかに続ける。
「来年には、梨華ちゃんと勇利くんに弟か妹ができるよ。楽しみだね」
 皆の視線が集中する中、阿梨はばつの悪い思いで、掛け布団を眼のところまで引っ張り上げた。
 思い出した。以前にも一度、こんなことがあった。
 昔のことなのですっかり忘れていたが、あれは勇利と梨華を身ごもった時だ。
 なまじ普段が丈夫なだけに、具合が悪くて寝込むとかいう事態に慣れていない。
 あの時も勇駿と二人で、生きるの死ぬのと大騒ぎした気がする……。




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登場人物紹介

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の美しき長。結婚して母となっても、変わらず颯爽と水軍を率いている。

勇駿(ゆうしゅん)


公私共に阿梨を支える夫。阿梨と子供たちをこよなく愛している。

梨華(りか)


双子の妹。母譲りの容姿と武術の才能を持つ。勝気な性格でいつも兄を振り回している。

勇利(ゆうり)


双子の兄。学問には秀でているが、ちょっと気弱。常に妹に押され気味。

勇仁(ゆうじん)


勇駿の父。以前は長の補佐として采配をふるっていたが、今は孫たちの教育がもっぱらの生きがい。

アディーナ姫


タジク国第一王女。二つの国の絆を深めるために海を渡る花嫁。金髪と緑の瞳の、美しく優しい姫君。

寄港地のフローレスでひと時の自由を願う。

ケイン


荒事屋。名の通り、目的のためなら荒っぽい手段も辞さない裏社会の人間だが、殺しはやらないのが信条。

ラルフ


ケインの相棒。孤児だった自分に手を差し伸べてくれたケインに恩義を感じ、行動を共にしている。

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