新しい土地へ

文字数 2,621文字



 陽がその全容を現し、世界の明度が増していく。優しい潮風が吹き寄せてきた。畳まれている帆に流れ込み、バタバタと上空で音が鳴りだす。



ところで、もう発つのか?

あの姉妹が来たら出発だ。

相手は半魚人の群れだし、そこまで焦る必要もねぇって船長は言ってたけどな。

――半魚人?

 半魚人は海魔の中でも弱い部類に入る。

 一般人でも、武器によっては充分倒せるくらいだ。

星力者(テーラ)にとっちゃただの雑魚だが、これから行くカタナルタって街には普通の兵士しかいねぇんだ。
専属の星力者を雇うにもそれなりの金が必要になるしな。
あれ、俺達が助けに行ったらお金は払ってくれるんだよね?
くっくっく、そう思うか?
(……まったく、教えるのが楽しくて仕方ないという様子だな)

半魚人の水かきや眼球にはいい値がつくんだな。

だから倒した死体は全部こっちが引き取るって条件で合意してもらったのさ。

なるほどー。それが交渉ってやつなんだね。
ガルザルチに比べりゃたいしたことない相手だ。ラオの訓練にはもってこいだな。
おはようございます、皆さん。
おはよーです。
 シュトラ、フィーネの姉妹が船に乗り込んできた。

おう、おはようさん。

襲撃には巻き込まれなかったか?

私達の超星力(アストラ)とは相性が悪そうだったので宿で待機していました。
おう、正しい選択だな。
ずいぶんな数が来たみたいですね。

ああ、12、3はいたか?

あんだけの群れはなかなか見ないぜ。

宿にいた他のお客さんから聞きましたが、近海を大きな海魔が荒らし回っているから、中型以下の海魔が餌にありつけないとか……。
それで、切羽詰まって人間を食らいに来たと?
その可能性もあるようです。

ふーん。

なんだろうな、その……大きな海魔ってのは。

 ロギアがラオに視線を向けてくる。

 ラオは答えられなかった。

 クラーケンの可能性は高いが、また別の大型海魔がいるのかもしれない。

ラオさん、ゆうべはお酒を飲んでたですか?
えっ!? な、なんで?
服が汚れてるので。

あ、ホントだ。

お前、まっすぐ宿に戻るって言ってなかったか?

そういえば彼は今朝方、マーリット通りの小径で倒れていたぞ。

 次々にまずい証言が出てくる。

 姉妹と別れる時、田舎者は狙われやすい、危険な場所には近づくなと注意されていた。

 それを破ったことがばれてしまう。

(せ、せめてうまく言い逃れしないと……!)

 ラオが酒場に入ったところは誰も見ていないはずだ。

 だから、多少嘘を交えて語っても見抜かれない……おそらく。

じ、実は酒場の前を通ったら、でっかいおじさんが「こっち来いよ」って声をかけてきて……
 ガタンッ、とシュトラが持っていた分厚い本を落とした。
ラ、ラオさん!
は、はい?
あなたまさか、そのおじさんについていって一夜を共に――
はいはーい、そういうのを純情な人間に言うのはやめような。
……で、酒場に引っ張り込まれたのか?
ま、まあね。そしたら男の人がたくさんいて、「こっちに座って一緒に飲もうぜ」って言ってきて……

たくさんの男……? こっちに座って……?……それってまさかヒザのイス……それで仲良くよろしく……ううっ、ダメよ私、それ以上はいけない!

…………。
…………。
…………。
(……えーと、これは無反応が正しいの?)
……そっちは無視していいから、続きを話してくれ。

 ここからは本当のことを話しても大丈夫だろう。

 ラオは騙されて金を奪われたこと、まずい酒を大量に飲まされて気を失ったこと、路地に放り出されたことを語った。

宿までついてってやるべきだったか。
管理がぬるいのをいいことに、悪党どもが好き勝手やっている街だからな。まあ、勉強にはなったであろう。
一回目だからな。――ラオ、次からやばいと思ったら全速力で逃げるんだぞ。

うん……。

せっかくみんなが買ってくれた服もこんなに汚しちゃったよ……。

そっちは洗えばどうにでもなるさ。馬小屋に放り込まれたわけじゃねぇんだろ?
そこまではされなかったけど……。
だったら平気さ。な、サク――洗濯担当。
……なにゆえ言い直した?
わかりやすいから。――とにかくラオ、あんまり気にしすぎんなよ。シュトラのこともな。
もう落ち着きました。気にしてもいいですよ。
なに言ってんだお前……。
すみません……お姉さまがすみません……。

 ガチッと音がして船長室のドアが開いた。

 船長のディック・ハンヴィールがゆっくりした足取りで出てくる。

……全員いるかね。
 ぎぎぎぎ……と音がしそうなほどぎこちない動きでディックが首を動かす。
……ハーヴェイは?
(ん? ハーヴェイ?)
――ここだ。
わ、上に人がいたのか!

 マストに対し垂直に交差する、帆をかける棒をヤードと言う。

 そこの片隅に青年が座っていた。強い海風、不安定な足場など関係なさそうに堂々としている。

あ、あの!

俺は新しく入ったラオって言います! よろしくお願いします!

ああ。
つ、冷たい……。
待て、冷たいんじゃなくて元からそういう性格ってだけなんだ。つきあってみると意外に面白い奴だから、嫌いにならないでやってくれ。
わ、わかった。信頼してもらえるように頑張るよ。
では、全員そろっているというわけだ。……ふむ、サクラも大丈夫そうか。
不覚を取ってしまい、申し訳ない。同じ過ちは繰り返さん。
気負うな……我々の稼業に怪我はつきものだ……。
 ディックは船尾甲板への階段を上がっていく。ロギアもあとを追いかけていった。
ラオさん、出港ですよ。戦い以外は自由に動いてもらってかまいません。高いところに上がるもよし、船首で風を浴びるもよしです。
じゃあ、船首にいようかな。

 ラオは船首甲板に移動した。

 誰も触っていないのに、帆のロープが解かれて勝手に広がっていく。錨もひとりでに巻き上がっていく。

(これが船長の〈神糸(リオット)〉か……)

 帆がバタバタと暴れ始めた。

 風は海から陸へ吹いているが、それに逆らうようにして『ガンマディオラ』が進んでいく。

 ラオは、帆が沖合に向かって膨らんでいるのを見た。

ロギアの〈碧渡(ストーゼ)〉……すごいな……。

 船尾甲板から、ロギアが帆に向かって右手を伸ばしていた。

 彼女の放った風が帆に入り、それが『ガンマディオラ』を動かしている。

 海上で海魔と戦うなら、これほど心強い二人もいない。

(クラーケンを倒すのも、無理じゃない気がしてきたぞ……)

 まだ絶対的な確信はない。

 それでも、復讐の達成が現実味を帯びてきたような気がした。

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登場人物紹介

「ラオ」

孤島出身の少年。〈紫焔(ブレープル)〉と呼ばれる紫色の炎を操ることができる。

「ロギア・ガーネット」

帆船『ガンマディオラ』の甲板を仕切っている少女。勝ち気な性格。

「シュトラ」

『ガンマディオラ』のメンバーでフィーネの姉。故郷を海魔に攻め滅ぼされ、流転の果てにこの船の一員となった。

「フィーネ」

シュトラの妹。海魔に故郷を攻め滅ぼされ、姉とともに行く当てのない旅を続け、やがて『ガンマディオラ』に乗船することになる。姉への依存が深刻。

「ディック・ハンヴィール」

『ガンマディオラ』の船長。〈神糸(リオット)〉と呼ばれる能力で帆船一隻を丸々操っている。膨大な力を消費するため、航行中はいつも寝落ち寸前の状態。

「サクラ・イカヅチ」

東方の武人の血を引く少女。雷撃を宿した刀を使って海魔を倒す。

「ハーヴェイ・チェッカータ」

大声を衝撃波に変える〈鬼哭(シャウガ)〉という能力を持つ青年。能力のせいで大声を出すと話し相手を吹っ飛ばしてしまうため、寡黙を貫いている。

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