このティーポット

文字数 4,429文字

無限に広々とした空間が在った。全てが完全に白いその空間の中に、突然うっすらと淡い影のようなものが現れた。影は形においては不均等で、その輪郭においてはぼやけていた。影が映ったのはまぎれもなくその空間の大地であり、そして影を生み出した実体が浮いていたのは、その空間の宙であった。ここで、大地へと映ったのは影だけではない。その射影の持主の像もまた、実体の一部分を映しだし(というのも、同じ視点からは一部分しか見えないので)、大地の中空に現れた。
その実体の正体は、果てしない白の空間の中に突如として浮んでいた灰色の物体だったが、灰色と言っても、どちらかと言えばそれは白に近い薄い灰色であり、始めから均等に色付けされていた。その表面は光沢を放っており、質感はまるで陶器のようであった。また、物体は明らかな立体であり、従ってこの空間の奥行きを当てにして存在していたが、また単純に名前をつけて呼ばれ得るどのような立体とも、――たとえば、立方体とか、四面体、五角柱、円錐台――単純に言い切ることは出来ないのだった。しかし、どちらかと言えば丸みを帯びていて、少し潰れた球から、余計なものがあちこち突き出たような形をしている。
以下の事実は正しいだろう:素材の外見から、その物体が持つ性質をある程度まで推測することができる。つまりそれは、表面が波打っていないから、安定した物体であろうとか、複雑な形をとっていることから、さらにある程度硬い物体なのであろう、とかいうことである。しかし、陶器質という言葉以上に、その素材を(些か不正確ではあれ)よく描写する言葉は無かった。また、まだ触れられない以上、肝心なのはむしろどこまでも物体の形であった。
 その物体は、やや潰れた球から、余計なものがあちこち突き出たような特徴的な形をしていたのだが、ではどのような余計なものが、どのように突き出ているのかを、明かそう。先ず、その立体には一箇所だけ、球の一部をすっぱりと切り取ったときにできる断面のような、広くて平らな面の部分があった。その平面の形はほどほどの大きさの正確な円形であって、ただしその円の周だけは、縁取りされたように内側より少し盛り上がって見える。この円い平面部分が、もとのやや潰れた球の形と比べたときに唯一凹んでいる部分であって、もしその空間に重力というものが存在したならば、安定して大地にこの物体を据えるためには、この面を素直に下にして試行するのが最も適切と思われた。
 そしてその安定面の対蹠には、突き出た小さな丸い玉(下のわずかな部分だけが、その元の球と接着し、融合している)を中心とした、もとの球体のそれよりややなだらかな傾斜をした球の一部を切り取ったかのような、放射状の岡が有る。先程の部分――安定面――を下と見立てると、この部分はさしづめ頂上である。さて、突き出た小さな丸い玉を中心に据えた扁平な岡は、円盤にも見立てられた。なぜならば、岡はある程度降ったところで、それ自身を切り離す円形の縁に達していて、中心の突き出た小さな丸い玉を中心点とした真円状に広がるこのなだらかな岡は、その縁のところで、安定面を有する物体の下部と完全に切り離されていたからである。簡単に言ってしまえば、この上部分は、突起の付いたかなりなだらかな球の一部を切り取ってつくられた円盤だった。そしてこの円盤の縁には切れ目にそって、物体下部との断裂境界を示す影の黒い環が浮き出ている。また、この円盤部分を俯瞰してみると、そこにはさらに興味深い特徴があった。つまりそれというのは、その俯瞰視点を取れば、中心には前述の突き出た小さな丸い点を上から眺めた球という風景が映っているのだけれども、そのなだらかな傾斜にあたる部分に、それとは別に一箇所、小さな黒い点のような穴が見受けられたのである。その穴はかなり微小であり、縁よりはむしろ中心の小さな丸い玉の近くのほうに開けられていて、黒いのはおそらく、内部空間の闇を映し出しているからであろう。
 もとの球はくびれて、円盤部分を包み込むように口を開けていた。円盤の裏とこの開いた口の縁とは水平に接しており、包み込むとはいっても、これは本体と円盤が分離することを、理論上妨げるような様相では無論無い。いわば、その開口部は円盤部を上にただ乗せているだけのようなものであり、そして必然的に、このくびれの開口部のくちは、円盤部より一回り大く、かつ水平で正確な円の形をしていた。その円の大きさは無論極端に大きすぎるということはなく、せいぜいもとの球の最大の直径部分に一等及ばないほどの切子面というところだった。また、開口部の中、球の中は空洞であり、まだ照らされていない闇が充満していた。物体が空洞であることは、前述の円盤に空いた小さな穴からも伺い知ることができるし、また外の理由によって窺い知ることもできる、かなり有力な根拠のある事象である。
物体の形に就いて今までに明かした部分としては、一つはそれを底と呼べるであろう平らな部分、安定面、いまひとつは安定面の対蹠に位置する円盤部とくびれの開口部である。安定面と円盤部の丁度真横に、次に明かさなければならないもう二つの特徴的部分があり、この二つの部分は、それぞれがそれぞれに対して、完全に反対の位置についていると叙述して差し支えなかった。さて、仮にこの二つの部分が全く無いと想定すればどうであろうか。この仮想の物体は壺体と等しくなり、従ってわれわれが目指す真の物体とは明らかに違うものなのである。よって、問題としている二つの部分が、その物体を物体自身たらしめる、重要な本質的役割を担っていることは明白であった。
 残り二つの部分のうち、まず第一に円環部について述べる。円環部は、もとの球から突き出た二本のひも状のものを空中で見分けがまったくつかないように融合させたならばこうなるであろうという感じであり、ここによって位相上の高さを有していた。つまりこの一本のひもは、もとの球とそれぞれ二箇所で接着しており、一箇所から出発したひもをたどると、必ず、迷うこと無く明快にもう一箇所へと至る。ひもは実際には太く、限りなく細い糸のようなかたちというわけではなく、また物体の素材より柔らかくもない。むしろその太さは最大では円盤部の突き出た丸い玉の幅の3分の2に匹敵するもの(ついでにひもの垂直断面は、物体の上下方向にやや扁平である。つまり、切り取った時に断面が真円ではなく、細長い形になる)であり、その固さは物体と同体だった。その紐をつなぎとめている二箇所すなわち2つの固定点は、安定面に対してその横に、垂直に並んでついており、かつ固定点は2つが狭くなり過ぎないようにある程度の隙間を空けて、かつその条件の下で、上部と下部の高さにおける中間にぞれぞれができるだけ近づくよう位置どっている。また、ひものアーチは途中でねじれてはいない。これによって、壺体には輪になっている部分がただひとつ有ったが、その輪の中に切り取られた空洞は欠けた月形ではなく、むしろ正規分布の小高い釣鐘型をやや上に(つまり開口部の方へと向かって)持ち上げたような図形をしている。輪の中に切り取られた形の大きさは固定点の間隔に見合うように小さく、この相応を無視して、もとの球から極端に飛び出ているというわけではない。しかしまた小さすぎるということもない。天下り的ではあるが、総じて円環部は何か手でつかみやすい部分という節があるのだった。さて、その反対側に、つぎの部分が在る。
 この最後の部分が、注口部である。注口部はもとの球に突き刺された管だった。ある程度の厚みを帯びたこの管は、中の空洞へと円錐を突貫し、そこに風穴を開けるに至り、そのため物体のうちで最も革新的な(あるいは核心的な)特徴を演じている、それがこの注口部である。その管と風穴の場所は、円環部の丁度真反対側である。管は上の方に向かって(つまり開口部の方に向かって)斜め45度に伸びており、ちょうど管の根本から半分、その下部分のところだけがふっくらと膨らんでいる。管の先の穴は実は真円ではなくて、楕円である。この楕円は安定部の平面と平行になっており(つまり、管は斜めに切られており)、その高さは開口部と同等である。この楕円の面積はおそらく円盤部の小さな丸い玉の半径と同じ半径を持つ円とくらべて、やや大きいというところであろう。その楕円は卵形にほど近い。その楕円の穴は闇によって黒く、物体内部の空洞を窺い知らせる。ところで、その管の根本の膨らみは、その下限が、反対側の円環部のひもの2つの固定点のうちの、下側の位置と同じである。管の上限は、同じく2つの固定点のうちの、上側の位置と同じである。そして注口部の管のふくらみ方は、この物体の本体に対してそれほど不釣り合いという大きさではなく、円環部にちょうど釣り合うようにこじんまりと膨らんでいるが、その幅において左右にも膨らみが伸びているため、円環部と注口部では、やや注口部の方が視覚的に優位を占める。このふくらみの曲線にはある種独特の味があって、物体のもとの潰れた球のような形の膨らみ、また円盤部の突起の玉、円環部の輪の曲線にもそれぞれ独特の味があるのだが、この注口部は格別である。このふくらみが管の下部に取り付けられているという構造、その構造こそが物体の仕上げであると言えた。
 前述のような物体が、白い空間を漂っていた。その物体の下には淡い影が出来、物体をなすあるじの像が、完全に水平な大地へと浮かび上がっている。大地も物体も共に光沢を持ち、そして降り注ぐ光はまぶしい。今でこそ、物体の形は完全に明らかにされた。さて、こうなった以上は、物体はもはや一個の名詞として指されなければならない。すなわち、「ティーポット」として。これが何のために使われるものなのか、それは未知であり、しかし、それが空間をあてど無くさまよっているという事実、それこそは生の事実だった。
 突如、白い空間は漆黒の闇に覆われ、次の瞬間には黒地に幾千もの輝く点のまとまりが映し出されていた。ここはいわゆる、銀河系である。やがて、それが常識外の速度で次第にズームアウトしてゆくと、星々の光は消え、いつしか壮大な精度でたち迫る太陽系が、豁然とそこに現れていた。太陽系の惑星として知られている幾つかの星を、視点は映し出していた。火星と地球は(この膨大な空虚の距離の尺度の下にあっては)ほど近く、太陽はそれら2つの惑星を同じように引き寄せて回っていたが、ティーポットは微小で見えないながらもその両惑星に勝るとも劣らない固有の軌道上を誇らしく周回しはじめながらも、われわれの意識から徐々に姿を消し、ついにその宇宙空間は、初期値と物理法則に従って運動を始める、あの玄妙なる機械仕掛の近似とまったく変わらなくなった。
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