第20話 疑念

文字数 3,678文字

「穂乃花、どうしたんだよ?」

 僕の声は震えていた。

「だれ?」

 ウソでしょ。残酷な現実を突きつけられる。
 これでは、まるで、僕の顔を忘れているみたいじゃないか。

 ロリババア病のことを知る前だったら、単純に寝ぼけているだけだと笑い飛ばしていただろう。
 けれど、小夜さんと穂乃花を重ねてしまい。

 いてもたってもいられなくて。
 不安で胸を押さえていると、

「どうしたの、ユウ」

 穂乃花に怪訝な顔をされた。
 あれ? 戻った? 寝ぼけていただけ?

 しかし、もやもやは晴れない。

「ごめん、なんでもない。僕、着替えるから」

 幼なじみは部屋を出て行く。

 着替えながらも、穂乃花のことばかり考える。

 そういえば、昨夜も変なことがあったような。
 夕食後。僕の名前を呼ぼうとして、名前が出てこなかったことである。

 認知症のおばあちゃんや、小夜さんを見ているからわかる。
 ボケている。

 僕のことが記憶から抜け落ちたようだった。
 いわゆる、記憶障害が疑われる。

 本当に偶然だったらいいんだけれど、どうしても不安に襲われてしまう。

 念のため日向先生に連絡を取ってみよう。
 穂乃花が朝食を作ってくれている間に、日向先生にメールを送った。
 数分で、LINEが返ってくる。

『朝食を食べたら、寮に来い。彼女には説明するな。ボクから用事があるとだけ言ってくれ』

 先生に命じられたとおりに、適当な理由をつけて僕は穂乃花を寮に連れて行く。
 玄関にて。執事さんの出迎えもない。小夜さんの気配も感じられず。

「ああ、ふたりは川へ洗濯に、山へ芝刈りへ出かけた」

 日向先生があくびを噛み殺して、やってくる。
 食堂に行くと、ショパンのピアノ曲が流れていた。

「さあ、幼なじみちゃん。ボクの実験動物になってくれ」

 にやけて、穂乃花の盛り上がった胸元を見つめる。

「ふぇっ? 怖いんですけど」

 手で胸を隠す幼なじみ。

「大丈夫。胸を柔らかくするクスリを打つだけだから」

「斜め上の答えなんですけど⁉」

「というのは、ウソぴょん」

 日向先生、僕に意味ありげな視線を向けてくる。
 薄いブルーの目は、『案ずるな』と言っているようだった。

「研究に協力してもらいたいんだよね?」

「研究?」

「ああ。といっても、堅苦しいものではない。単なる知能テストだ」

「知能テストって、小学生が受けるような?」

「うん。図形を見て、問題に答える的なアレな」

 穂乃花は首をかしげる。

「いや、似たようなのって認知症の診断にも使われるんだよね。MoCAやMMSEってものなんだけど」

 破天荒な童顔教師の口から専門用語が飛び出すからギャップがすさまじい。

「小夜や美紅も受けてもらったし」

「それはいいんですけど……あたしがどうして?」

 怪訝な顔をするのも無理はない。

「ロリババア病患者でない女子高生が同じ問題をやったら、どんな結果が出るのかなって」

 日向先生は薄い胸を張って答える。

「君に受けてもらう検査。ボクが作ったものでね。時々、サンプルを取ってるんだ」

「ああ、そういうことですか」

 幼なじみは事情を呑み込むと、微笑んだ。
 騙している気がして、後ろめたい。

「ユウ、あたし行ってくるね。ゆっくり休んでて」

 日向先生に連れられるまま、穂乃花は食堂を出て行く。白銀の髪がはかなく見えた。
 僕は食堂でぼんやりと時間をすごす。勉強をする気にもなれない。
 穏やかなピアノの音も不安を消してくれなかった。

 じっとしていると頭がおかしくなりそうなので、ぶらぶらと歩いてみる。
 外へ出た。連休最終日の空は曇っていた。
 古ぼけた木製の表札が目に入る。

『ロリババア・ハウス・東京』

 ふざけた名前である。一ヶ月前、入学式の時は冗談だと思ったよ。

 ロリババア病。たしかに、美紅ちゃんは『のじゃロリ』だよ。実年齢は別として、表面的にはロリババアに見える。
 だからって、正式な病名にするとか。日本終了のお知らせと言われても仕方がない。

 けど……ホントに思う。

 笑い話であってくれればいいって。

 そよ風が若草を揺らすのを見ながら、僕は願った。

 ふと、視界の端に黒塗りの高級車が停まっているのがちらつく。
 珍しいな。なんだろう?

 寮の周りは閑静な住宅街。割と人気のある街だけれど、富裕層の姿は見かけない。どちらかといえば、庶民の街なのだ。
 ふと違和感を覚えたけど、今は連休中。きっと金持ちが親戚の家とかを訪ねたのだろう。

 そろそろ中に入るか。
 食堂に戻ると、日向先生が難しい顔でスマホをいじっていた。

「穂乃花は?」

「ああ。キッチンを使って、料理をしている。執事であるパイオツスキーさんの許可をもらったし、うまいものでも食わせて――」

「どうだったんです」

 僕が前のめりになると。

「焦りすぎは女に嫌われるぞ」

 先生は茶化してきたと思えば。

「ボクの部屋で楽しもう」

 耳元でささやく。

 日向先生の部屋は初めて入ったけど、すごい。そう表現するしかなかった。
 一番目立つのは小さな身体に似合わぬど大サイズの机である。
 幅広のモニターが三台並んでいて、足元からは大型のPCがガチガチと音を鳴らしていた。
 椅子もパイロットの操縦席みたいな。

「なんというか本格的ですね?」

「もちろんだ。ゲームには設備が必要だからな」

 eスポーツでもやっているんだろうか。
 とまあ、機械的な部屋から思えば、部屋の隅には顕微鏡やらフラスコやら。理科室な雰囲気もあり。
 さらには、壁にバーチャルYou○uberやら二次元美少女のポスターが貼られている。

 それだけなら、仕事部屋兼私室でよかったんだけど……。
 本棚には十八歳以上は読んではいけない薄い本とか、大人のオモチャだとか。
 カオスすぎる。

「おい、ボクのコレクションは自由に使っていいぞ」

 担任が直径十五センチ強の棒を自分の尻に突き刺そうとしていた。女子小学生だけに犯罪臭がハンパない。

「そんなことしませんし。いかがわしいものは隠してくださいよ」

 僕はやんわりとたしなめる。

「さて、ベッドに座れ。ボクを押し倒してもいいぞ」

 ベッドに腰を下ろした先生。ミニスカートがめくれ上がっている。イチゴ柄の模様がちらついていた。

 僕は目をそらして、隣に座る。
 あえて気遣ってくれるのか、普段通りなのかは不明だ。

 前者だとしたら、気持ちはありがたい。
 けど、逃げてばかりはいられない。

「……穂乃花は病気なんですか?」

 単刀直入に尋ねた。

「断定はできないが、検査の結果、記憶障害の傾向が見られる」

「記憶障害……ですか」

「ああ。昔のことは覚えているが、直近の記憶が飛んでいるようだ。朝食べたものを忘れる的な」

「それって……」

 認知症みたい。家族の顔がわからないのに、数十年前の出来事は鮮明に覚えているようなケースが認知症では多いけど。

 目の前が真っ暗になる。

「明日にでも、MRIやCTを取れるよう病院を手配しよう。脳に損傷がなければよいのだが……」

 幼い先生の声は大人びていた。神のように思えた。

「お願いします」

 僕は頭を下げると、先生が僕の頭を撫でてきた。
 幼女に癒される背徳感と同時に、妙な安堵感を覚える。バブみというより、お姉さんに抱擁されているような気が。

 けれど、いつまでも甘えていられない。

「もう大丈夫ですよ」

 数十秒が経った頃、僕は先生から身体を離した。
 日向先生の青い瞳を見つめて、僕は推測を口にする。

「穂乃花もやっぱり……」

「ああ。彼女が病気ならば、その可能性は高いだろう」

 なんてことだ。

「君、覚悟はあるようだね」

 僕は無言で首を縦に振る。

「なら、訊く。幼なじみは天才か?」

 担任の言葉が深く抉った。

 天才。

 ここ数日、その言葉を考えることが多かった。
 美紅ちゃんはテニス。小夜さんは経営者。
 ふたりとも中学時代に大人顔負けの活躍をしている。間違いなく天才だ。

 ただし、それはロリババア病発症前のこと。
 というか、ロリババア病の少女がふたりとも天才だったというべきか。

 そして、穂乃花は……。
 昨日、温泉で近所のおじさんに言われた言葉を思い出す。

 まさか?
 ある疑念が脳裏をよぎる。

 が、一瞬で冷静になった。推測は自由だが、非科学的なことを信じようとするのは危険だ。
 とはいえ、偶然にしては不自然すぎて。

 先ほどからの会話の流れ。
 目の前のカオスな先生に僕は不審の念を抱いてしまい。

「日向先生、隠していることありますよね?」

 その瞬間、ロリババア先生の肩がピクッと震えた。
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登場人物紹介

伊藤 結人(いとう ゆうと)

中学生時代に祖母の介護をした。

福祉の勉強をすべく、福祉科があるヴァージニア記念高校に入学する。

が、どうやら特殊な能力があるようで、ロリババア病の少女たちの介護をすることに。

神凪 小夜(かんなぎ さよ)

家がお金持ちのお嬢様。

才色兼備な優等生だったのだが。

ロリババア病を発症し、ボケている。

結人と同じクラスで、彼に介護される。

ご飯を食べたことを忘れたり、家にいるのに外出したつもりだったり。

天道 美紅(てんどう みく)

元テニス選手。中学生ながら、プロに勝ったこともある。

ロリババア病を発症し、のじゃロリになる。

結人と同じクラスで、彼に介護されるのだが、傲岸不遜で結人を眷属扱いしている。

中二病を患う中学三年生。

青木 穂乃花(あおき ほのか)

幼なじみ。優しくて、尽くしてくれる子。爆乳。

結人の傍にいたくて、ヴァージニア記念高校の普通科に進学する。

小夜と美紅に振り回される結人を助けるも、小夜たちには複雑な感情を抱く。

敗北する幼なじみと思いきや。

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