第95話 彼岸の頃【回想】
文字数 1,433文字
夜10時を回り、ウサギと海ちゃんが寝息をたて始めた頃。
兄ちゃん、お疲れさま。お腹空いている? なにか食べる?
大丈夫。長老のところで、朴葉味噌の焼きおにぎりいただいたから。露天風呂も入ってきたし、あとは寝るだけ。
あ、そのほうじ茶、僕にも淹れて。
ふぅ、ほうじ茶おいしいね。
最近コロナのことで頭がいっぱいになっていてさ、反ワクの言うところの「コロナ脳」になっているみたい。
なので今回は日常回です。
確かに「コロナ脳」だ(笑)
全数把握見直しがスタートして、数字があやふやで落ち着かないみたいだから、しばらくゆっくりしたら?
そういえばさ、三回忌でお寺に行ってきたんでしょう? どうだった?
うん……病み上がりで怠かった。
そういえばお寺の控室に般若心経の絵本があって、その表紙に書かれていたのが、
”いらいらするな、くよくよするな、ぎすぎすするな、おおらかに”
……ヨレヨレだったからちょっと沁みた。いつもそういう心持ちでいたいなぁ。
ふーん。でも、そんな彼岸に片足かけたような境地に到達しちゃったら、生きやすくはなるんだろうけど、エモーショナルな創作世界は遠ざかるんじゃないの?
安寧は手に入れたけど、オリジナルの武器は手放しました、みたいな。
「創造の病(クリエイティブ・イルネス)」って言葉もあるじゃない。
私の場合、心配事やタスクが山積みになると、そっちに引っ張られて放電して、書けなくなる。
とにかく安寧一択だね。
離婚して子黒猫連れて実家に戻っていた8年間は、心がざわざわして日記も書けなかったし、音楽も響かなかった。仕事と子育て、実務をこなすことで追われて。
とにかく自分の心を大切に、波風立てずに整えることが優先。仕事でミスったりしたら、落ち込んじゃってもうアウトだし。
復縁して元夫と子黒猫と、新しい家に移って季節も移った晩秋の頃だったかな。
会社帰り、枝垂れ桜の枝が月に照らされる道沿いを歩いて、「ああ、やっとひとりになれた」と静寂が聴こえた。
それからぽつり、ぽつりと、書くようになった。
ちょっと気取った言い方だったね。
長めに入っていたお風呂(実家)から上がって、脱衣所(新居)でゆっくり涼んでいるときに、書いてみようかなという気になったというか。
それが小説というものをあまり読んでこなくて……引き出しゼロだよ。
ノベルデイズにいるとコンプを感じる。
(無造作に置かれた本を見て)
精神科医の著書が多いみたいだけど、どうして?
それを説明するには……中井久夫先生の言葉を引用するね。
「いま自分が健康なのはたまたまのことのであって、いくつかの条件が重なれば誰でも発病する可能性がある。病んでいる患者を貶めるな、五十歩百歩の違いでしかない」
「 ”だれも病人でありうる、たまたま何かの恵みによっていまは病気ではないのだ” という謙虚さが、病人とともに生きる社会の人間の常識であると思う」
中井久夫医師
精神科医 京都大学医学部卒 神戸大学名誉教授
阪神大震災時に被災者の精神的ケアに尽力。また統合失調症研究の第一人者である。
(2022年8月にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。)
昔からそういう気持ちが強く根底にあるから、精神科医の本やエッセイばかり読んでいる。
まさに他人事じゃないというか……
兄ちゃん、今日はもうお疲れだから、そろそろ休んだら?
ふぁ……(あくび)、そうしようかな、おやすみなさい。
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