その発見には、愛があふれていた

文字数 6,585文字

 ニュートン。彼がいなければ地球はどうなっていたか。偉大である。私はそう思う。簡単にして深遠な発想は、慧眼と言うよりも先見の明。ニュートンはすでに神に召された。真っ赤に目を腫らし、苦渋の思いでリンゴを落としたのではなかろうか。
 あってはならないことだったのだろう。農家の方が丹念に育てた果実を何度も地面に落とすなんて、彼にはできなかった。彼は病になりかけた。「実験だから」と許しを乞い、断腸の思いでリンゴを木からもぎ、地面に落としたのかもしれない。何度も落とそうとして、やはり、やめた。
「明らかな事実だ。手で引っ張らなければ物は下に落ちる。いや、真理は分からない」
 彼は深く考えた。
「なぜ落下する? だれが決めたことだ?」
 ニュートンは閃く。「神は平等なり」
「では、なぜリンゴは落ちて、人間は落ちない? 地球に落ちるときもある・・・・・・か」
それも瞬く間に氷解する。落としたリンゴに頬ずりしたくなった。
「すまない。きっとかじって、私は種を大地に戻すだろう」
 ニュートンは冷静になった。
「もう、なにも考える必要などない」
 彼はゆっくりこぶしを握った。
「素晴らしい。ただそれだけだ」
 神の御心が見える気がした。
「ありがとう、地球。そして、ありがとう、神よ」
 ニュートンは四阿(あずまや)に帰った。ほとんど眠れない。眠れなくても、気分はよかった。
 穏やかな朝が静かに訪れた。朝の光がまぶしい。小鳥がさえずっている。
「実に、素晴らしい」
 目を開けてみた。降り注ぐ太陽。首を傾げた。
「いや、待てよ。まさか――。そんな馬鹿な」
 ニュートンは思い浮かべた。
「太陽と地球に星。それに、リンゴ。地球上の人間。すべて、神が作った。それは否定できない。神が育てている。大地、空、海。花と樹」
 そこでつまずいた。
「太陽? なぜだろう」
 また、悩んだ。すぐにわかった。
「ああ、わかる。私には。ああ、神は偉大だ。宇宙はとても素晴らしい」
 そう言葉を発し、また次の思考に移った。
「宇宙、か。月に星。まさか? いや、それもわかった。私は何者だろう」
 少し疲れた。彼は体を床に横たえ、自分の手をもう一方で触って確かめた。
「私はただの人間だ。しかし、わかるようで、まだ完全にはわからないな」
 彼はおもむろに納屋を出た。
 小川に向かった。
 水が流れていた。水。
「水だ。そうか、これだ。このことも客観的な事実で、わかり切っている」
 水と宇宙。どちらも一緒の質がある。
「いや、待て。宇宙は流れない。水は流れる・・・・・・のか? 流れるときと流れないときがある。高さに違いがあれば流れる。しかし、おわんに水を張っても、水は流れない」
 ニュートンは小川を前にして歩き回った。宇宙と水。
「宇宙に流れがあるのか? それはないだろう」
「地球に存在する水も、流れているようで、本当は流れないのではないか」
 それは間違っていないだろう。川は海へ注ぎ、どんどん海へとたまってゆくだけだ。もしくは土の中に染みこんでゆく。
「大きく見れば、地上にある水は、ただゴツゴツした地形を、痛い思いをして、嫌々ながらに移動して海にたどり着く」
 本当なのか、と念のために川の水を手ですくってみた。確かだ。すくった水は、すこし揺れるが流れはしない。地球は丸い。しかし、ゴツゴツした場所も多い。
 神も悩まれ、願ったのだろう。「水は優しく流れてほしい。そして、海にかえれ」と。
 地球はおおむね丸い。細かくいえば、山や谷があり、ゴツゴツしている。しかし、神は優しい存在だ。水を柔らかくお作りになったに違いない。水は生命に必要であり、さまざまなものを溶かし、運ぶことのできるものだ。地上に注がれた水は、川を流れて海に帰る。そこが母と同じ存在であるから。
 彼はそう考えた。
「きっと長い旅をして、安心してかえってゆく場所があるのだろう。そこが自分の生まれた故郷、海だから」
 ニュートンはまた思った。母のことを。愛のことも。愛こそ全てだ。愛について、深く考えた。そして、また発見した。
「ああ、またしても、神のお力だ。それこそがすべてだろう。神の御心は偉大である。森羅万象をつかさどる。神の心を説く宗教学者である私に、神の作り上げた仕組みを民衆に説明するなどというのは、畏れ多い。しかし、・・・・・・。私は何をすればよいのだ?」
 彼はゆっくりと小屋に帰ってきた。フーッと一息ついた。卓の前に座った。
「何かをなさねば」
 おもむろに紙を出した。
【無題。神は偉大なり。私は決して神を冒涜しないことをここに誓う。すべては母から教わった。愛。それは、重さとは異なる。引かれ合うこと、すなわち、引力――】
 ここに、初めて科学が誕生したのだ、と私は考えた。彼は、母を思いながら筆を進めた。
「次に、なにを書こうか」
 筆先をなめた。スラスラと筆が進んだ。
【母の愛は神の愛なり。素晴らしいことである。すべては、引かれ合うように作られた。人は人に惹かれ、水は海に引かれる】
 少しためらった。でも、書き続けた。
【月は地球に引かれ、地球は太陽に引かれているはずである。なぜか? 同じ種類の物同士だからである】
 ニュートン、少し身震いをした。
「宇宙のことはまだ詳しく知らないが、たぶんそうなのだろう。これはあくまで仮定の推論なのだ。神が冷たい宇宙なんて作るはずはない。安心するがいい」
 そう言い聞かせ、彼は安心した。紙に向かい、ペン先を舐める。
【宇宙は優しくできている。神は怖いものなんて作るわけがないのである】
 冷静になった。それはそうだ。地球と宇宙。リンゴと地球。どこがどう違う? だれしも知らないようで、単純なことならだれでも自明のことである。
【神は優しい。仕組みを詳しく知らなくても、想像するだけでわかるようなことしか、神はお与えにならない。リンゴと地球と星。どれも、おおむね、丸い。丸いものは引かれ合う。丸くなくても、丸い粒の集まりは丸いものの中心に引っ張られる】 
 宇宙は丸いのだろうか?
「え? それをここで述べる必要はないな。宇宙に形はないと私は思う。本当か否かは確かめてないし、まだだれも知りはしないだろう」
 だれも知らないことだ。知らないから、たぶん優しくできているとの仮定で進めていいだろう。紙の上に書かれた文章を読み返し、続けた。
【優しいとは平面のことであろう。宇宙は平面的である。だから、丸いものは・・・・・・】
 そこで、はたと詰まった。
「え? リンゴ? 星? なぜ?」
 彼は混迷した。ふと、母が笑う姿が浮かんだ。眠いまぶたの裏で、母の優しく笑う姿が焼きついた。
「ニュートンよ。お前って息子は」
 すまない、母さん。彼は、紙に戻った。
【宇宙は平面であり、丸いものがそこにある、と仮定しよう。地球も平面で、宇宙の一点にある。すべて、そこにとどまる】
 それでいい。おや? おかしい。
 思い出した。母の愛を。二つの乳房を。丸いのだ。愛の形は丸いのだ。地球はゴツゴツしていて丸くないけれど、おおむね丸い。母の持ち物も丸い。
「おや?」
 彼は眠くなった。
【結論のみを書き記す。地球は平面でなく、乳房のように丸い。だから、すべてのものが腕で引き寄せられるように、引かれ合う。宇宙の形まではわからないが、部分的に平面に近いのかもしれない。ものとものが引かれる。そこに力が生じている。これが引力というものである。すべてを神が設計し、作られた。すべてのものには、そうした引かれ合う力が存在するよう、神が設計なさった。神は優しい愛をもってして、母のような愛で万物を作られた。すべてのもの、万物に宿るのは引力である。すべてにある引力であるから、万有引力と呼ぶことにする】
 ニュートンはそこまで書き終え、眠った。
 夕方に起きた。パンをかじり、水を飲んだ。
「万有引力、か。すべてとは、本当にすべてなのだろうな。丸い地球には愛がある。すべてを包み込むような愛だ」
 再び、彼は紙に向かった。
【できたばかりの地球は、寒かったのだろう。神のこしらえたものを、少しでも近くに引き寄せたい、温めてやりたい。それが地球の引力の解釈であろう。きっと、宇宙も冷え切って寒かったのだろう。寂しくて、しょうがなかったのだろう。できたばかりの宇宙には、何もなかった。何もなかったから、星たちを包み込んだ。寒かった地球がそうしたように、宇宙も引力を使って星々を抱き寄せ、温めた】
 ニュートンはそこまで思いを巡らせ、頭を腕で支えた。
「なるほど。よくぞそこまで考えたな」
 宇宙について考察しようと、続きを書いた。
【宇宙の構造が平面ならば、丸い星は転がるだろう。宇宙はふわふわして、ゆらゆらしているとしたら、どうだろうか。それならば、星たちはつかみどころがない場所から転がり、逃げてしまうかもしれない。宇宙にとっては、寂しくてしょうがない】
 神もきっとお考えになったのだろう。「何もないところにどうやって、星を留めようか」と。
 ニュートンは頭の中で実験してみた。宇宙の面をザラザラにしてみると、星は止まるだろうか? たぶん、ゴミの粒のようなものしか止まらないだろう。
「そんなはずはない。平面もダメ、ザラザラな面もダメ。それで、地球は少しゴツゴツ。神はどうなさったか」
【丸い星が平らな宇宙で留まる理由はわからないので、横に置いておく。一般に、引かれ合う関係にあるもの同士において、神は強いものと弱いものの区別をつけられた。強いものが弱いものを引き寄せるように作られた。神は母の愛と同じように、弱いものが強いものに守られるよう、引き寄せられるよう、お作りになった】
「そうだ。これこそ、万有引力だ」
 ニュートンは胸を撫で下ろした。
「なんだ、たったそれだけのことか」と。
 しかし、同時に怖くもなった。地球が丸いなんて、だれにも言えない。困った。困ったけれど、紙に書いて他の人に見せたい思いは変わらなかった。
【神は万有引力を作られた。強く大きな地球が、地上の万物を引く。一方、宇宙では、地球が月を引くようにして、大きな太陽が星を引き、他の星からも太陽を引く。二者の力のバランスが保たれ、それぞれの位置に留まっている。まさに、奇跡である。丸い地球に万物が引かれる。なんといえばよいのだろう。ありえないことである。しかし、神がなしたことなら理解できる。それは神業だ】
 少し、考えて彼は紙に絵を描いた。宇宙の場合を考えてみる。宇宙は平面で、そこにたくさんの星が配置されている。仮にきれいな平面だとして、その中心には太陽があり、整然と星が並んでいる。実に、わかりやすいではないか。神業といえるだろう。
 ニュートンは、そのことは書かなかった。宇宙の構造を実際に証明してみるのは、至難の技だった。
【これから数式を書いてみるが、後に夜空の星々を観測して、もっと多くのことがわかるだろう。この書物を『プリンキピア』と名付けることにする】
「私の使命は、万有引力の仕組みを解説したものを書き留めることである。これを本にして、知り合いに配ることだけである。あとは好きに暮らそう」

 それから数世紀がたった。
 ニュートンの意に反して、まさかの科学というものが誕生した。
 奇跡ではない。彼から、科学は始まったのだ。科学の祖ニュートン。地動説のコペルニクス。勇気ある偉人よ。ありがとう。科学は日進月歩である。エジソンときて、アインシュタイン。
 二十世紀の科学は難解になった。数式のオンパレードで一般に理解しづらい。アインシュタインも悩んだかもしれない。
「俺は何を?」
 アインシュタインは数式を知り尽くした物理学者である。EはMとC二乗の積。概念的には、難しいことではない。たとえるなら、動物の食事と同じだ。腹が減れば、食べ物を口にしてエネルギーの不足を補う。摂食によって養分をエネルギーに変換し、力が生まれる。減ったものは何か? かじられたリンゴの質量分だけ減った。食べたリンゴの重さだけ、エネルギーが発生した。それを数式化したら、よく知られた特殊相対性理論の式になる。それは、とてもきれいで覚えやすい数式である。神業と言えよう。
 アインシュタインは几帳面な博士だと私は思う。特殊な条件で導いた簡単な式を、さらに一般化した理論にまで拡張した。条件を外せば、より複雑かつ難解になるのは予想できた。難解な数式を導き、徹夜を重ねた。数式の詳細は参考書に譲る。真意は、数式うんぬんではない。大変な、実に大変なことを発見した。彼はブラックホールの存在を知っていた。
「ウソだ。ありえない。神がそんな愚かなことを」
 否定したかったが、天文学者は確かに発見した。
「ヤバい。これでは、宇宙を飛行できないではないか。ニュートンならどうした?」
 アインシュタインは本棚をひっくり返した。
「あった。プリンキピア。『母の愛。神。万有引力――』。お、俺はなんてことを!」
 万物引力があるじゃないか――。
 アインシュタインは、二十世紀にして、まだ科学を疑っていた己を、叱咤した。
「心配することなど不要だった。ブラックホールとはこのことだったのか」と。
 ブラックホールなんて、実際にはだれも見たものはいない。そんなものを神が作るものか。ブラックホールこそ、命である。万有を神が作られた。最初、ブラックホールなど存在しなかった。
「ブラックホールなんて――。神は正しい。神がブラックホールをお作りになられた」
 ここからは私の空想である。恐らく、宇宙は古くなったのだろう。古い宇宙には、古くなって寿命の尽きた星や壊れた星、星のかけら。それに、隕石やゴミ屑が山盛りになっていた。ブラックホールで、そうしたゴミを吸い取れば楽ちんである。
実際、SFの世界では、古い星々は「ワームホール」を通り、掃き出し口の穴「ホワイトホール」から出て、新たな星の原料として利用、再生されているとの説が有力である。
「ワームホール」が細いとしたら、ゴミのような星の屑がぶつかり合い、また別の何かが生まれる。それは星の原料になるかもしれない。星の屑同士も引かれ合うのは、万有引力が関わっている。
 アインシュタインは、ここでも、神とニュートンに感謝した。
 いずれにせよ、アインシュタインはブラックホールによって時空が歪み、その方程式を書き上げた。それにより、未来の宇宙において宇宙船が航行するとき、ブラックホール近くの時空がどのような方程式で湾曲しているのか計算できて、ブラックホールを避けて飛行できると私は推察した。それもアインシュタイン博士の論文の功績の一つではなかろうか。

 それから幾星霜もたって今に至る。地球と太陽はまだ老いてない。それでいいと思う。
 話はかなり飛躍するが、宇宙の神秘と阪神タイガースのジェット風船も実は似ていたりする。膨らみ、しぼむ。宇宙とジェット風船の共通性は、何かの気流で膨らみ、しぼむところにある。破れてしまうことはあっても、なかなか壊れない。
 宇宙の構造を安定系と見れば、古物を掃除機が吸引し、再生させる役割をブラックホールは果たしているのかもしれない。
 恐いイメージのつきまとう、黒い穴の存在は私も不安だった。どうしても、ブラックホールの中が見えず、気味が悪かった。光が当たらないから、見えないのは当然である。光が曲がり、空間が歪んでいる。
 アインシュタインの数式は難解だった。難解ではあるが、これまでの説明の範囲で考えれば、イメージは極めてつかみやすい。かたや、動物の食事とエネルギーの関係を表す数式。かたや、宇宙船の安全飛行のために歪んだ空間を表す数式であり、不要になった星々の掃除機の役目を果たす、ブラックホールの空間を含んだ数式。だから、ノーベル賞の中でも頻繁に取り上げられるのではなかろうか。
 ニュートンの深い洞察を私見で想像し、文章にした。母の愛を思い浮かべることで推論は単純かつわかりやすくなった。彼の思想は科学の普遍的な原理となり得て、多くの人に対して新しい知見の扉を開いた。私の書いた話の半分以上はイメージであるが、ニュートンもアインシュタインも、迷ったときに神を信じて偉業を築いた学者であるだろう。そうした点において、二人は立派な科学者であり、すばらしい金字塔を打ち立てた偉人である。 〈完結〉
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