第29話 眼に映った光景

文字数 734文字

 その頃、広間の片隅で半分やけ酒をあおっていた勇駿は、踊っている人々の輪の中に阿梨がいないのに、ようやく気づいていた。
「父上、長の姿が見当たりません。それにあの王子も」
 だいぶ酒の入った父は顔を赤らめ、ご機嫌そうに、
「どこかへ抜け出されたのではないか。お二人とも若いからのう。ふほっふほっほっ」
「何を呑気な……」
 手にしていたグラスを置き、勇駿は広間を飛び出した。手始めに王宮の回廊を探し回ったが、阿梨は見つからない。
 人気(ひとけ)のない回廊はたいまつで照らされた白い壁が続き、まるで迷宮の中にいるようだ。
 不安はつのり、眼を離すべきではなかったと後悔の念が勇駿を苛んだ。
 閉ざされた行き場のない想い。踊っている二人を見るのが辛くて、自分は顔をそむけ、逃げてしまったのだ。
 もしも、と思う。
 もし、あの王子が本当に阿梨を愛し、阿梨も同じなら。
 ならばいい。自分は今まで通り水軍の長の部下でいるだけだ。
 だが、違う。阿梨に向けるセルト王子のまなざしには、どこか曇りがある。
 まっすぐに阿梨自身を見てはいない。長い間、阿梨だけを見つめてきた勇駿にはよくわかる。
 阿梨の笑った顔も、怒った顔も、疲れた顔も、すべてを見てきた。
 回廊を一回りして庭園の方に眼をやった時だ。遠くで阿梨の声が聞こえたような気がした。
 勇駿は声のした方へ、庭園を全速力で走った。
 よく見ると、茂みの向こうにひっそりと東屋がある。
「長!」
 息を切らせ、すぐ近くまでやって来た勇駿の眼に映った光景は。
 東屋の外へと、勢いよく投げ飛ばされるセルト王子の姿だった──。  




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登場人物紹介

阿梨(あり)


羅紗国の王女にして水軍の美しき長。勇敢で聡明な娘だが、恋愛にはかなり疎い。

世間では「型破り王女」と言われている。

勇駿(ゆうしゅん)


阿梨の護衛で幼なじみ。彼女が王女という身分差もあって想いを口に出せずにいる。

勇仁(ゆうじん)


勇駿の父で阿梨の教育係。姫さま大事の忠義者。頑固。

セルト


阿梨たちが訪れたマルバ王国の第3王子。阿梨を気に入って求婚するが、その真意は……。

白瑛(はくえい)


阿梨の異母弟。羅紗国の王太子。母は違うし、年も離れているが、仲のよい姉弟。

真綾(まあや)


阿梨の母。美しくたおやかだが芯の強い女性。王妃の地位より海の民であることを選んだ。

ルキア


マルバ王宮女官長。セルトに頼まれ、阿梨を最高に美しい貴婦人にすべく使命感に燃える。

マルバ国王


水軍の大切な取引相手。大らかで人柄のよい王さま。

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