1 高山植物

文字数 3,164文字

 ハプスブルク家の離宮、シェーンブルン宮殿は、広大な庭園を擁している。幾つも有る噴水や、テーマごとの観賞用の庭、馬場や、王子達の軍事訓練用の運動場などもある。
 とにかく、広い。




 ウィーン会議から少し経った、ある日。
 アルプスの山から降りてきたヨーハン大公は、噴水のそばで、石を蹴っている男の子を見つけた。

 金色の巻き毛、なめらかな肌、やや上向きの小鼻。
 強情そうな青い瞳をしている。
 姪が、フランスから連れてきた子だと、ヨーハンは、すぐにわかった。




「そんなところで何をしているんだい?」
 子どもは答えなかった。つまらなそうに、足元を見ている。

 ヨーハンは辺りを見回した。母親……姪は、今、パルマにいる。ウィーン会議で、姪のマリー・ルイーゼは、イタリアに領土が与えられた。だが、パルマ領有は、彼女一代限りだった。息子の同行は許されなかった。

 フランスからついてきた養育女官長はじめ、フランス人従者たちは、ほぼ全員解雇されたと聞く。
 この子には今、ドイツ人の家庭教師がつけられていているはずだ。
 しかし、それらしい人影は見えなかった。

 ……さては、迷子にでもなったか。
 ……それとも、脱走してきた、とか?

 兄のカール大公の話を思い出し、ヨーハンの口元に微笑みが浮かんだ。子どもは、植え込みの陰にひょいと隠れて、侍従をまいた、というのだ。

 ……あの強面(こわもて)の伯爵がお守りでは、逃げ出したくなるのも、無理もない。
 気難しそうな家庭教師の顔を思い出し、ヨーハンは、子どもが気の毒になった。
 こんなに小さい子どもには、厳しい中年男ではなく、女官の一人もつけてやればいいものを。




「君、暇かい?」
尋ねると、幼い少年は、わずかに頷いた。
「なら、付いて来るがいい」


 少し歩いて、ガラス張りの温室に入った。
 葉の厚い植物や、奇妙な形の樹木に、子どもは、目を見張った。外壁と屋根をなす硝子を通して、太陽の光が暖かく差し込んでくる。
 オランジェリー……フランツ1世(女帝マリア・テレジアの夫)によって造られた、温室だ。




「悪いね。ここじゃないんだ。温室の中を通った方が近道だから」
真ん中の通りを歩いて、反対側に抜ける。砂色の岩石が転がる、岩場に出た。
「ほら、足元、気をつけて」
ヨーハンが言うと、子どもは、驚いて後退った。
 ヨーハンは笑った。
「悪い悪い。でも、ほら。きれいだろ?」
子どもの横に転がった岩の下に、小さな赤紫の花が、固まって咲いていた。
「アンドロサケ・アルピナだ」
「アンドロ……」

「覚えなくてもいいよ。ほら、こっち」
 隣の岩の上を指す。
 青い釣鐘型の花が、涼しげに咲き誇っていた。
「エーデルワイス……りんどうだよ」
「……」
子どもは、青い袋の先に、自分の鼻を寄せた。
「匂いはしないだろ?」
金色の後頭部に向けて、尋ねる。
 振り返って、子どもは鼻に皺を寄せてみせた。
 その顔がおもしろくて、ヨーハンは、声を出して笑った。

 少し先に進むと、草原に出た。先を歩いていたヨーハンは、腰をかがめ、手招きした。
「ご覧。ここに、ほら、ナルキッソスが」
「水に映った自分の影を好きになっちゃった男の人の名前だね!」
少年が叫んだ。完璧なドイツ語だった。
 ……おやおや。ドイツ語をしゃべってるぞ。
 子どもは、フランス語しかしゃべらないことで、有名だったのだ。
 ……さては、

にはフランス語がわからないだろう、と思ったな。
 大真面目で、ヨーハンは肯定した。
「そうだ。水仙だよ」

エーデルワイスと同じように、少年は、白く俯く花に、顔を近づけた。
「フランスの水仙より、匂いがしない……」
「高山植物は、控えめなんだ」
「高山植物?」
「山の高いところに生える植物のことさ」
ヨーハンは腕を前に突き出し、水平に動かした。
「おじさんはここに、アルプスの山から採ってきた植物を、集めているんだ」

「アルプス!」
少年は目を輝かせた。
「僕も、アルプスへ行った! お母様と、養育女官長(ママ・キュー)と! 馬車が止まって、お母様が、降りてごらん、って。高い山がたくさんたくさん見えるよって言って……」
急に、声が小さくなった。
「フランスからウィーン(ここ)へ来る途中……」

「チロルを通って来たのか……」
 ヨーハンの胸が、ちくんと痛んだ。彼は、ある理由から、今は、チロルへは立入禁止の身である。
 深い憂愁の波に、ヨーハンはさらわれそうになった。

 子どもは、きょとんとしている。

「来たくなったら、いつでもおいで」
せいいっぱい明るい顔をして、ヨーハンは言った。
「いつだってここには、アルプスがある」







 ヨーハンは、フランツ帝の5番目の弟だった。彼は、神聖ローマ皇帝として即位した長兄フランツより、3番めの兄、大公カールに憧れを抱いていた。
 13歳になったヨーハンは、憧れの兄、カールの後を追うように、軍に入った。位は、下から2番めの少将だった。すぐに、竜騎兵軍(銃を持った騎兵部隊。勇敢な兵士たちの選抜部隊)を与えられた。




 ナポレオンがウィーン目指して侵攻を始めた、1805年。
 ヨーハンははじめ、チロルに派遣された。彼は、チロルの民兵を組織化した。情熱的で、愛国心に燃える純朴なチロルの人々は、ヨーハンの心に、深い感銘を与えた。

 民兵を率いていたのは、アンドレアス・ホーファーという、射撃伍長出身の、チロル州議員だった。
 ヨーゼフ・フォン・ホルマイラー男爵のなかだちで、ヨーハンとホーファーは会った。


(なかだち:ヨーゼフ・ホルマイヤー)


 民兵の隊長ホーファーとは、すぐに意気投合した。
 23歳のプリンスと、38歳のチロルの指揮官。国難という意識が、身分も年齢も違う二人を結びつけたのだ。

 しかしヨーハンはすぐに、劣勢のイタリア方面へ、助太刀に、駆けつけねばならなかった。
 抗戦の甲斐なく、ウィーンは陥落し、アウステルリッツで、オーストリアはじめ連合軍は、致命的な敗北を喫した。
 兄のフランツ帝は、フランスと、ブレスブルクの和約を締結した。チロルは、バイエルンに割譲された。

 ヨーハンはひそかに、アンドレアス・ホーファーと、反バイエルンの秘密協定を結んだ。

 1809年。再び、ナポレオンが、侵攻を開始した。カール大公の檄文の元、オーストリア軍は決起した。
 これに呼応するように、チロルでは、アンドレアス・ホーファー率いる民兵が蜂起した。血気盛んな彼らは、チロルにいたフランス軍を、撃退した。


 一方、ヨーハンの方は、さんざんだった。兄カールの要請で、イタリア方面から急ぎ引き返す途中、ナポレオンの養子、ウジェーヌ軍に、さんざんに蹴散らされた。なんとか姪のマリー・ルイーゼを探し出し、安全な場所に移すことができたことだけが、救いだった。

 最も大きな心残りは、ワグラムの戦いに、間に合わなかったことだ。
 ヨーハンが1万2千の軍を率いて到着した時、すでに、オーストリア軍は破れ、トウモロコシ畑を血に染めていた。

 幸い、兄カールは、かすり傷程度で済んだ。だがすぐにカール大公は、軍だけではなく、全ての役職から退いてしまう。


 その頃、フランス軍を撃退したチロルでも、状況は悪化していた。フランス軍が反撃に転じ、ホーファーは、チロルを脱出した。しかしすぐに捉えられ、フランスに連行された。彼は、マントーヴァーで軍法会議にかけられ、翌年2月、銃殺された。










・~・~・~・~・~・~・~・~・~

※オーストリア皇帝と、孫は、同じ名前「フランツ」です。
 父ナポレオンの計らいで、孫は、祖父から、この名を貰いました。ライヒシュタット公の全名は、フランス語読みで、
 「ナポレオン(父の名)・フランソワ(母方の祖父の名)・シャルル(父方の祖父の名)・ジョセフ」
 ドイツ語読みは、
 「ナポレオン・フランツ・カール・ヨーゼフ」
となります。



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登場人物紹介

カール大公

1771.9.5 - 1847.4.30

(カール大公の恋)


ライヒシュタット公の母方の大叔父。1796年の革命戦争では、ジュールダン麾下サンブル=エ=ムーズ軍、モロー麾下ライン・モーゼル軍と戦い、両軍を分断させ、勝利を収める。1809年のナポレオン軍との戦い(対オーストリア戦)の後は軍務を退き、軍事論の著述に専念する。

レオポルディーネ

 1797.1.22 ‐ 1826.12.11

(もう一人の売られた花嫁)


ライヒシュタット公の母方の叔母。皇帝フランツの娘。ポルトガル王太子ペドロと結婚する。ナポレオンの侵攻を受け、ポルトガル王室は当時、植民地のブラジルへ避難していた。ペドロとの結婚の為、レオポルディーネも、ブラジルへ渡る。

ヨーハン大公

1782.1.20 - 1859.5.11

(アルプスに咲いた花)


ライヒシュタット公の大叔父。皇帝フランツ、カール大公の弟。兄のカールに憧れ、軍人となる。

アダム・ナイペルク

1775.4.8 - 1829.2.22

(片目の将軍)


オーストリアの軍人。フランス革命戦争で赴いたオランダで片目を失う怪我を負うも、捕虜交換の形で帰国した。

ドン・カルロス

1787.初演

(「ドン・カルロス」異聞)


シラー(シルレル)の『ドン・カルロス』は、ライヒシュタット公の愛読書だった。

チャットノベルもございます

「ドン・カルロス」異聞

マリア・テレサ

 1816.7.31 - 1867.8.8

(叶えられなかった約束)


カール大公の長女。

マリー・ルイーゼ

1791.12.12 - 1847.12.17

(2つの貴賤婚)


ライヒシュタット公の母。ナポレオンの二人目の妻、かつてのフランス皇妃。ウィーン会議でパルマに領土を貰い、5歳になる直前の息子を置いて旅立っていった。以後、全部で8回しか帰ってこなかった(最後の1回は、彼が公的に死の宣告をされた後)。

エドゥアルド・グルク

1801.11.17– 1841.3.31

(画家からの手紙)


ウィーンの宮廷画家。メッテルニヒに見いだされ、採用された。グルクの死から約170年後、彼が描いた絵が、モル男爵の屋敷で発見された。モル男爵は、かつてライヒシュタット公の補佐官で、その死の床に最後まで付き添った。

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