嘘に共感してしまうーーミーシャと狼

文字数 1,812文字

昔、大学院時代の同級生に自分の不幸話ばかりする人がいた。
 
 確かに彼の境遇は

ものだった。はじめのうちは彼の話をみんな真剣な顔で聞き、励ましたりしていた。けれど、彼と話していると、どんな話でも最終的に何故か彼の不幸話か、世間の恨みつらみの話のどちらかにすり替わってしまうのだ。おまけにどんなアドバイスも、「そんなのお金のある、恵まれた人だからできることだ」として決して現状は変えようとせず、「けいさんの人生はイージーモードで、僕はどうしてこんなにベリーハードなんだろう」と言ってくるので、わたしもだんだん疲れてしまっていた。わたしは確かにのんべんだらりと生きてきたけど、それでも“イージー”と言われると今までの自分の苦しみも努力も無意味なものに思えてしまう。辛かった。
 こんな時、アルテミスは、
「それはとてもつらかったですね。ですが、あなたはよく頑張りましたね」
とまるでシスターのように話しかけていた。普段はとっても天真爛漫な彼女だが、さすがわたしよりも年上だなと思った。まだまだわたしはガキだ。
 
 一学期が終わり、上海の冬がやってきた。その日もまた彼の止まらない話を聞いていた。その頃になると、わたしの頭の中には彼の壮大な不幸話がまるまる入っていた。そしてその日になりようやく話の辻褄(つじつま)が合わない部分があることに気が付いた。彼の不幸話は盛っていたり、故意に話していない箇所があるな、とその時わかった。
 彼の止まらない口を黙って見ていた。



 ナチスに囚われた両親に会いに行くために、狼と生活しながら森を抜け、ドイツを目指す少女の物語。なんと実話で、映画化もされた、『ミーシャ ホロコーストと白い狼』。その物語が“嘘”だとしたら—―?
 今回紹介するのはネットフリックオリジナルドキュメンタリー『ミーシャと狼』。
 ミーシャは戦争体験を近隣住人に話したことがきっかけだった。幼い少女が狼と共にナチスに勝った話は人々に深い感動を与えた。そしてある出版社が目を付けその話を出版することに。そこまでは順調だったが、ミーシャはある日、「正当な印税」が入っていないとして、出版社の女性編集者を訴えるということが起きた。女性編集者がホロコーストの生き残りを搾取したとして、陪審員たちは完全にミーシャの味方だった。裁判で負けた女性編集者はある時ミーシャの話に矛盾があることに気づく。起死回生のチャンスとしてミーシャの過去を調べると、本当のミーシャの人生が浮かび上がる…。

 このドキュメンタリーの見どころは2つ。まずはミーシャの過去を調べる方法。戦争中ということもあり、資料が極端に少ない。しかし英語版とフランス語版の名前の違いやミーシャが持つ写真、キリスト教徒ならではの記録から、ミーシャの本当の素性が見えてくる。映像も工夫されているので、明らかになっていくそのスピード感がいい。

 もう一つは嘘をつく人と、騙される人間がいるということだ。つらい経験をしたことがない大多数は経験がないから、共感することはできないのか。実際は逆だ。今はドラマや映画など多くの物語に触れあって生きている。そこから実際に経験していなくても想像し共感する能力が高い人が多いと思う。ただ経験したことがないからこそ、そこにある嘘にも見抜けないかもしれない。実際にこのミーシャの話を見破った人の一人はホロコーストの生存者で、お話のミーシャと同じ隠された子(ユダヤ人の子どもを預かり、ユダヤ人以外の民族として育てられた子)だった人だ。
 この物語を信じたい。そして戦争被害者を疑うのはよくない…そういう気持ちが利用されてしまったのだ。

 そして、ミーシャがどうしてそんな嘘をついたのかということも丁寧に描かれている。ミーシャを単なる嘘つきの悪者(ヴィラン)とせずに、ミーシャなりの、ある種もっと残酷な現実があったことがわかる。

 今回の冒頭部分の話は書こうか書かないかずいぶん迷った。読者様を楽しませる話ではないし、彼には彼の事情があることは理解しているつもりだからだ。しかし、彼と一緒にいると、わたしの優しい友達もだんだん暗くなり、なんだか彼に消耗されているように感じた。
 他人を思いやる気持ちは大切だ。だが彼やミーシャのような人物と日常を共にする関係なら、共感以外にも一歩線を引いたっていいのではないだろうか。自分の心を守ることは必要だと思っている。


今回の物語:ミーシャと狼
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