Be Mine 

文字数 2,195文字

とある日の午後。私、本田咲乃はパソコンに向かって議事録を作成していた。順調に進んでいたものの、最後の最後で不明点が見つかり、担当の八竹さんに相談することにした。だが彼の姿が見当たらない。

「あれえ。佐々木さん、八竹さんはどこ行っちゃいました?」
「第四倉庫室で史料整理よ。朝礼で共有あったでしょう」
「そうでしたね。すみません。じゃあ……」
確認は後回しで、と言おうとしたとき、アクマが私に囁いた。これは正々堂々2人きりになれるチャンスではないか、と。
「ちょうどキリがついたので、お手伝いしてきますね」
「本当でしょうねえ。まあいいけど。この前みたいに迷惑にならないようにすぐ戻ってくるのよ」
「はあい」

この前、というのは先日、所内の売店に向かう八竹さんをこっそりと追いかけ、つかの間の2人きりのおしゃべりを楽しんでいたときのこと。私はうっかり財布を忘れ、八竹さんに奢らせてしまった。彼は笑って許してくれたが、なぜかそのことが佐々木さんの耳に入り厳重注意を受けたのだった。
「みんなの八竹さんなんだからね!」
彼女は私より一回り年上だが、可愛らしい怒り方をする人だと思った。

スキップしたくなる気持ちを抑えつつ、盛大に心躍らせながら第四倉庫室へと向かう。そこには古い史料が保管されていて、定期的に史料の劣化や欠損がないか確認をする必要があるのだ。確認作業は課内で持ち回りとなり、今回は八竹さんの順番だった。

前回の食事以降、彼と業務外で会う機会を作れずにいる。なので所内とはいえ、こうして八竹さんを独り占めできると考えただけで口元が緩んでしかたない。そうこうしている間に倉庫前にたどり着く。

「しっかりやるのよ、咲乃!」
一呼吸置いてドアノックをしてみる。数秒経っても反応がなく、強めにもう一度ノックするが結果は同じだった。そこでふと、第四倉庫室はかなり奥行きのある部屋であることを思い出した。
「奥の棚をチェックしてるのかな」
思い切ってノブに手をかけドアを開ける。煌々と電気は点いているものの、ドアと平行して並ぶ史料棚の列が静かにそこにあるだけだった。

「お疲れ様でーす。本田でーす」
声掛けをしても返事はない。そのまま人影も音もない室内に入り、棚の間を探していくことに決めた。耳が痛くなるような無音が最初は怖かったけれど、かくれんぼをして遊んでいるようで次第に楽しくなってくる。「十七列A」と書かれた棚まで進んだとき、なんの前触れもなく目の前に人の頭が飛び出してきた。
「きゃああっ!」
全力で飛び退いてそばの棚の影に隠れる。するとすぐに聞き慣れた声が私を追ってきた。
「申し訳ありません。驚かすつもりはなかったのですが」
「もうー八竹さーん! びっくりしましたよー!」
爆速で鼓動する心臓を抑えながら、ようやく彼との合流を果たした。
「すみません。それで、どうされました。何かご用でも?」
「あ、はい。業務のキリがついたので、お手伝いに来ました」
「わざわざありがとうございます。でも、残り少しで終わるので大丈夫ですよ。それにこの棚の史料は分厚く重量がありますので……」
「いえ、大丈夫です!こう見えて力持ちなんですよ」

あえて言葉を遮り、大きく踏み出して彼の隣に立った。この場所こそが私の定位置。史料が重かろうが何だろうが関係ない。そして有無を言わさず意気揚々と史料に手を伸ばした。しかし予想以上の重みで、あっという間に体のバランスが崩れた。
「本田さん!」
気づくと、八竹さんの腕の中に包まれていた。一瞬のうちに、密着した肌から温もりが伝わり、視線が交差する。あまりに綺麗な瞳に見惚れ、声が出せなくなった。
「大丈夫ですか?」
八竹さんはゆっくり私の体勢をなおしてから腕をほどき、重い史料を引き取ってくれた。
「気をつけてくださいね」
ああ、なんて優しい紳士だろう。
「貴重な史料ですので」

ああ、ちょっと違った。恥ずかしさでいたたまれずに、必死に言葉を探る。
「えっと、あの。八竹さんて、お兄ちゃんみたいですね」
「そうですか?」
「はい。あの、今みたいにすごく頼り甲斐があって、気配り上手だし、優しいし。おかげでいつも助けてもらってて」
「いえいえ」
「本当ですよ! それでちなみに八竹さんて、ご兄妹いらっしゃるんですか?」

彼は穏やかに微笑んで言った。
「いいえ。いませんよ」
「そうなんですね、意外です。あ! ということは生まれながらに”頼れるお兄ちゃん気質”なんですね。素敵! 優秀!」
褒めちぎっているつもりなのに、八竹さんは照れるでもなく喜びもせず、「ありがとうございます」とだけ言って確認作業に着手し始めた。そこで私は悟った。きっとこれは、「帰れ」の合図だ。
「じゃあ私、戻りますね。すみません、お邪魔しました」
「いえ。ではまた後ほど」

彼のにこやかな表情を瞳に焼き付け、私はその場を後にした。倉庫室を出てドアを閉め、盛大にため息をつく。
「ああーもうバカっ! お兄ちゃんじゃないよ! そこは“彼氏”で例えるとこだよ! 私のバカー!!」
だけど私はめげない。諦めたりなんかしない。失敗は成功のもとだもの。あの難攻不落の城をいつか必ず落としてみせるんだから。
「今日のお詫びに食事誘おうーっと」


そのころ倉庫内の八竹はドアの方を見つめていた。薄いドアに防音効果などなく、本田の心の叫びが筒抜けだった。
「お兄ちゃん、ねえ」
軽く鼻で笑って、史料確認に集中していった。

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