開廷

文字数 3,580文字

「我が主たる神の下、ここに魔女裁判の開廷を宣言する。」
 振り下ろされた木槌の音が辺りに響き渡る。
 教会の中は、張り詰めた空気に支配されていた。
 この教会の内部は、もはや裁判場といった方が正しい状態にあった。
 向かい合うように並べられている2つの机。
 その2つに挟まれた空間から、少し後方にある教卓。
 他より高い場所に設置されたその教卓からは、教会中を見渡すことができた。
 その教卓の上に、今は木槌が置かれていた。
「弁護側、検察側。双方準備は整っているか?」
 初老の裁判長が、威厳のある声で問いかける。
「え?あ、は…は、は、は、ははい!」
 裁判長からみて右側の机――弁護側に立つ少女は、あまりにも緊張していた。
 少女の名は、マリア・アバーク。年齢は16歳。この裁判における弁護人である。
 マリアが緊張するのも無理はない。なぜなら、大勢の人々が傍聴人として詰めかけているからだ。この時代、魔女裁判は大衆にとって人気のある娯楽のひとつだった。
 弁護人であるマリアは大勢の傍聴人の視線にさらされることになる。加えて、彼女は法廷に立つのは初めてだった。
 遠目から見ても、体がこわばっていることが分かるほどに緊張していた。
 もはや、その挙動はロボットのそれに近い。
「モチロンだ。さっさと始めるとしようぜ。裁判長殿。」
 対して、裁判長から見て左側の机――検察側に立つ大柄な男は、余裕たっふりに応答した。
 裁判場にいるのにもかかわらず、男は鎧をまとっていた。
「…なあ、裁判長殿。本当にあの“お嬢ちゃん”がオレの相手なのか?」
 男は怪訝そうに裁判長に質問した。
「そうだ。…当教会法廷は、この魔女裁判において、あの娘が被告人を弁護することを許可した。」
 ホプキンスは一瞬だけマリアに目をやると、再び口を開いた。
「いくら、聖職者か修道士なら資格がなくても弁護人になれるとはいってもよぉ…。」
「女がそれをやるなんて、前代未聞じゃねぇのかい?裁判長…いや、司教殿。」
「教会法廷ってのは、いつから女子供の遊び場になったんだ?」
「…今回は“特例”だ。貴公が口を挟む問題ではない。」
 彼はつとめて事務的な対応でホプキンスの挑発をかわし、証言台を見下ろした。
 向かい合うの机の間に設置された証言台に、被告人の姿があった。
 そこには、マリアと同い年の少女が立っていた。
 この少女の名は、マジョーカ・シーズ。マリアの親友である。
 彼女は真っ青な顔でうなだれながらガクガクと震えていた。
 掛けている片眼鏡が今にも取れそうだ。
「あー。あっ…あぁぁ。あ。あ。う。」
 その口からは呻きとも嘆きともつかない小さな声がもれている。
 瞳は焦点が定まっていない。しきりと検察側の机の方へ泳いでいるように見える。
「シ、シーズ。あなた、大丈夫なの…?」
 どうやら、その声はシーズに届いていないようだった。
 マリアは親友を心配そうに見つめた。
 明らかに普段の彼女とは様子が違う。
3日前に捕まってから、今まで何があったのか…マリアは唇を噛んだ。
 2人のことなどはお構いなしに、ホプキンスはマリアを煽る。
「このオレの相手が、こんなお嬢ちゃんに務まるとはおもえねぇなあ。」
 彼は薄ら笑いを浮かべながら、言葉を重ねる。
「おい、お嬢ちゃん。あんたみたいな修道女でも、オレの名前くらい聞いたことあるだろう?」
 確かに彼女はその名前を知っていた。その上、この男ががもつある異名も耳にしていた。
「 “魔女狩り将軍” であるこのオレ、マシュー・ホプキンス様の名前をなぁ。」
 “魔女狩り将軍”――ホプキンスの自称である。しかし、彼はこの名に恥じないだけの実績を積み上げていた。イギリス政府からの後ろ盾の下、イングランド東部を駆け回り、大勢の人々を魔女として告発。そして、300人以上の魔女を火あぶりにした。まさに、凄腕と呼ぶに相応しい魔女ハンターだった。
 人々は口を揃えて言った『“魔女狩り将軍”に狙われた魔女は、灰になったも同然だ』と。
 マリアは緊張でこわばった口を開いた。
「は…はい。し、知っています。」
 明らかに声が震えている。
「だったらわかるだろう。この被告人は魔女だ!」
 ホプキンスは証言台に立つ少女を指さした。
「このオレが言うのだから、間違いない!」
 ホプキンスはマリアを睨み付けながら、大声で言い放った。
 審理の前に相手を威圧する、ホプキンス得意の場外戦術。
 その目的は弁護人を萎縮させ、ペースを乱すことにある。
 元々弁護士だった彼は、こういった違法ギリギリの法廷戦術に精通している。
 今回相手が少女であると知ったときから、彼はこれだけでほぼ勝負は決まるだろうとふんでいた。
「い、いえ。それは違います。シーズさんは魔女ではありません!」
 マリアは震え声のままではあったが、ホプキンスの言葉を即座に否定した。
 意外なことに、彼女にはまったく怯えた様子は見られない。
 思わぬ反応にホプキンスの表情が少し引きつる。
「…ほぉ。」
「まぁいい。修道女ごときが、このオレの追求に耐えられるわけがねぇ。」
「《魔女裁判》の恐ろしさ…これから、たっぷりと教えてやろう。」
 ホプキンスは酷薄な笑みを浮かべた。
再び、教会内に木槌の音が鳴り響く。
「では、原告側。そろそろ冒頭弁論を始めてくれ。」
「はぁ?おいおい、裁判長殿。そんなの必要ない―」
「検察側には、最初に起訴内容を簡潔に説明する義務がある。さっさと始めるように。」
「…ちっ。しかたねぇ。」
 ホプキンスは悪態をつきながらも、しぶしぶ鎧の隙間から羊皮紙を取り出した。
〔あっ。用意はちゃんとしてるのね…。〕マリアはほんの少しだけ感心した。
 彼はそれを読み始めた。
「我、マシュー・ホプキンスは、被告マジョーカ・シーズをここに魔女として告発するものである。」
「3日前、被告人がこの町の近辺において不審な行為を働いているという情報が入った。」
「情報のあったその日のうちにこれを捕らえ、尋問をおこなった。」
「結果。魔女であることが判明した。」
「魔女とする証拠は3つ。これらは、いずれも決定的なものである。」
「一つ目、魔女の印の発見。それに伴って行った針刺しの結果。」
「二つ目、水責めにおける悪魔的な異常の発見。」
「三つ目、魔術による予言とその的中。」
「検察側として、この法廷で被告人が魔女であることを完全に立証する。」
「…以上だ。」
 先ほどまでの荒い言葉遣いはなりを潜め、ホプキンスは丁寧な口調でよどみなく冒頭弁論を読み上げた。
 元法律家であるこの男にとって、この程度は朝飯前である。
〔次からはずっと、あんな風に文章を読み上げながらしゃべって欲しいわ…。〕
ホプキンスのチンピラのような口調に慣れていないマリアは、割と本気でそう思った。
「予言の的中?なんだそれは?」
 裁判長は眉根を寄せた。
「その説明は必要ないと思うぜぇ。裁判長殿。」
「オレはこれから、順番にひとつずつ立証していくつもりだが…」
「このお嬢ちゃんが三つ目までたどり着けるとは思えねぇからな。」
 ホプキンスはマリアへと視線を投げた。
「ど、どういうことですか?」
 彼女の口から思わず疑問が飛び出す。
「さっきも冒頭弁論で言ったがなぁ、この3つはどれも決定的な証拠なんだよ。」
「どれかひとつでも当てはまれば、魔女として処刑するに足るくらいのなぁ。」
「つまり。この内のひとつでも覆(くつがえ)せなかったその時点で…」
 ホプキンスはマリアを指さして告げた。
「お嬢ちゃんのお友達は、即刻火あぶりになるってこった。」
「なっ…!?」
 絶句するマリア。
その反応を見たホプキンスは愉快そうに笑う。
「はっはっは!覚えておきなぁ。お嬢ちゃん。それが魔女裁判のルールだ。」
マリアの動揺を確認した彼は間髪入れず、裁判長に提案する。
「裁判長殿。検察側から要請がある。まずは、一つ目の証拠についてだ。」
「これについて証言できる人物がいる。」
「召喚させてもらっても、構わないよな?」
 裁判長はおごそかに頷いた。
「…いいだろう。召喚を許可する。」
「法廷係官。被告人は控え室の牢に入れておくように。」
〔そんな…被告人は審理を聞くことすら許されないっていうの…。〕
〔自分の命が掛かった裁判なのに…。〕
 係官に連れられ退廷するシーズを見て、マリアは決意を新たにした。
〔…待っていて、シーズ。私が必ず助けてみせる。〕
〔あなたは絶対に…魔女なんかじゃない。〕
 ホプキンスは芝居がかった動作で一礼すると、大きく指を鳴らした。
「証人。入廷してもらおうか。」
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