原子力事故

文字数 3,231文字

 私は、駅のホームで電車を待つ長蛇の列に並びながら、ぼんやり考えていた。
 一体自分はどうなってしまうのだろう。
 私は「藤本」。中年のサラリーマンである。勤務先は後述する。
 つい昨日、福嶋第一原子力発電所で爆発のような事があった。
 格納容器は無事だったと報じていたが、放射線量がなぜか急激に上昇し地元住民の避難も始まっている。専門家は格納容器破損の公算が高いと報じていた。
 この爆発は全く他人事ではない。
 私はこの発電所を運営する帝国電力に勤務しており、電力需要を昼間から夜間へシフトさせる、デマンドサイドマネジメント業務を担当している。
 そう言えば格好良いが、要は電気温水器の普及促進営業である。
 パワービルダーや建築会社を周るのが主な業務で、変電所、配電線路の保守運営を行う技術系社員ではなく、社内では少数派の事務系社員である。
 震災があった金曜日から停電が多発しており、技術系社員は、その日から泊まり込みで自宅に戻っていないと聞く。
 私は会社に貢献できず歯がゆい思いをしながら週末を過ごした。現に上長からの呼び出しはなかった。

 会社に何とか到着すると、蜂の巣をつついたような騒ぎが起きていた。
 多くの発電所が止まった影響で計画停電の実施が決まっていたからだ。太平洋沿岸の発電所が軒並み停止している。発電出力が確保できない以上、ブラックアウトを回避するためには致し方ない事だと思うが、これは電力会社側の理論である。この理屈が電力需要者全員に通じるはずもない。
 顧客ごとに停電時間を電話で周知していく。反応は惨憺(さんたん)たるものだった。
 へとへとになったその日の夕方には
「一部の社有車に貼られているステッカーをすぐはがすように」
 と本社指示があった。電化を推進する派手なデザインの電気自動車だったからだ。住民の心情に配慮し、という建前だが、確かにこんな車運転したら袋叩きにあうだろう。
 インターネットでは帝国電力に対する厳しい書き込みがあふれているだろう。当然のことである。
 ただ電力会社勤務でも、都会に住む藤本に、今すぐ大変である現地に対してできることはない。
 生活は続いて行く。私にも家族を守る義務がある。それはそれ、これはこれだ。

1年後

 あの震災から1年が経ち、職場の1割程度が賠償のため東北各地へ異動している。
 所帯持ちも多いが、優先して異動対象となるのは独身者である。仕事を辞めていく若者も多かったが、まだ、現場で働いている人間のモチベーションは高かった。
 太平洋沿岸の火力発電所は復旧し、供給は安定したものの、電化推進業務は一切行わない方針となり、営業という名がつく部門は全て廃止。そこでの勤務者は賠償業務に回るか、料金部門や訪問作業業務へ回される。
 私は訪問作業業務に回った。プロパー正社員であっても、電力会社は現場業務が多い。そういう特徴なのだ。ただし、すでにこの会社は「企業」とは呼べる状態ではなくなっていた。資金調達を単独では行えず、国が経営に関与する状態になっていたからだ。辛辣な表現を用いると、それこそ「ゾンビ企業」である。
 ただそれでも、現場周りは忙しい。「電気を送る」という仕事があるのだ。私は毎日毎日汗をかいて働いた。
 こんな日々を送っている矢先、出身である広里(ひろさと)市の幼馴染みである門石(かどいし)から電話があった。門石は家業の国産雑穀販売を中心とした食品販売会社を継いだ、とかなり前に聞いていた。
 計画停電の時に、ホームページの更新ができなくなり、その後の風評被害で売り上げが70%ダウンした。理由は帝国電力だ、と怒り狂っていた。
「会社がやばい。原発事故のせいだよ。何とかしてくれよ」
「申し訳ない。賠償の窓口でしかるべき対応を…」
「藤本もすっかりサラリーマンになったんだな。二度とオレの前に顔を出すな!」
 思いがけない発言で言葉を失った。次の瞬間電話は切れた。
 びっくりしたが、だんだん怒りがこみあげてきた。
 そもそも私に文句を言ったって業績が戻るわけでもないだろう。あれは天災だ。なんてわからず屋なんだ。
 ただ、彼が食品会社を継いだのは知っていたのに、原発事故から1年、彼のことを心配することはなかった。心が痛んだ。そういうところで鈍くなってしまっている。
 確かに、原発事故の被災者に対しても申し訳なく思う。私が自宅で入浴や晩酌をしているまさに今も、勤務先の原子力事故により自宅に帰れない方々がいるのだ。中には明らかに避難の影響で亡くなった高齢者もいる。
 彼らや遺族が悔しくて泣いていても、私はすぐに気づけない。でも、それはそれ、これはこれだ。開き直らないとやっていけない。

 8年後

 あの事故の余韻は消えない。
 賠償業務のため、東北へ2年間単身赴任していた。つい先月電力事業に戻ってきたばかりだ。この間、私は二人の男児を授かっていた。
 久しぶりに家族水入らずで、私の郷里、広里市に行こうということになった。単身赴任中は週末に帰宅することに必死で、そこからさらに出かけるということをあまりしなかった。まあ、子供が小さいので、それはそれであまり遠出をしなかったということも理由だが。
 お盆時期なので、車ではなく、電車で帰ろう。子供も喜んでいた。

 近隣の館川(たちかわ)駅から1時間程度特急に乗ると、広里駅に到着だ。
 特急に乗った瞬間、土砂降りの雨が降ってきた。
 しかし電車は広里駅に着いた瞬間に雨は止んだ。まるで見計らったかのように。
「さっそく実家に歩いて行こう。ばあばが昼ごはん作って待ってるから」
 そこへ、なんとなく視線を感じた。
「?」
 そっちを見ると、門石がいた。元気そうだし、服装も立派なものだ。ただ、向こうを向いている。
「あれ、門石!?」
 一瞬動きが止まったように見えたが、気づかないのかそのまま行ってしまった。
「誰?」
 妻が聞く。
「幼馴染なんだよ。いろいろあってさ・・・」
「そうなんだ、もっと大きい声出して呼びなよ」
「いや、やっぱりいいや。多分都合が悪いんだろう」
「何を言っているの。意味が分からない」

 実家へ歩く道すがら、広里市のシンボルと言っていいほど大きな岩肌が芸術的な岩城山(いわきさん)が見える。なんと、駅から徒歩20分で登山口というアクセスの良さ。
 市内のどこからでもその山は見える。
 「峡」と名の付く日本各地の観光地ほどではないが、特徴的な山容と愛嬌は、子供の頃から好きだった。
「パパ、今日あそこに登る?」
 次男の(たもつ)が聞く。
「紅葉の時が一番いいんだよ。その時登ろうよ」
 そんな会話をしながら昔ながらの商店街を歩いてると、POPや看板の新しい店が増えていることに気づいた。
「結構、頑張っているんだな…」
 地方都市の商店街は、シャッターを閉めている店が多い印象があるが、ここには活気があるように感じた。

 ぽつりと言ってしまった。
「でも、久しぶりに近況を聞きたかったな…。冷たいな」
 寂しさがこみ上げる。
「いったいどっちなの」
 と話しているとき、道路のわだちにできていた水たまりに右足を踏み込んでしまった。
「やっちゃった…」
「もうすぐ家だから、大丈夫でしょ」
「おお、そうだね」
「じいじ!」
 子供は、実家が見えたとたん、もう走っている。
 誰でも、心が痛む時がある。「あの時、こうしておけばよかった」と思うこと。
 ただ、そればっかり考えていると、前に進めない。考えないことも人生にとって大切なのだ。
 生活は続いていく。それはそれ、これはこれだ。
 午後なのに、強い日差しだ。アスファルトから雨が蒸発していく特有の匂いを感じながら、
 藤本は嬉しそうに言った。
「この街は小さい時から変わらないな。まったく…」
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