『ドミトリーともきんす』

文字数 8,140文字

『ドミトリーともきんす』/高野文子
※『らせんの本棚IV』の連載もとうとう第100回め。ということで、前回に引き続き超拡大・長文スペシャルです。

 続けてご紹介いたしますのは、『ドミトリーともきんす』にいたしましょう。

 著者の高野文子さんは、看護師として勤める傍ら、1979年『JUNE』掲載の「絶対安全剃刀」で商業誌デビュー。

 もう35年以上現役でマンガの第一線で活躍されているというのに、今まで出版された単行本が本作を含めてわずか7冊と、きわめて寡作な方なのです、けれどもひとつひとつの作品が打てばそのままホームラン級というものすごさ。

 デビュー当時、その、少女漫画とも少年・青年漫画ともまるで違った作風が注目され、大友克洋(おおとも・かつひろ)さんや、さべあのまさんなどとともに「漫画界のニューウェーブ」の旗手と目されたのだそうで、1982年に日本漫画家協会優秀賞、2003年には手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞するなど、特にプロフェッショナルなマンガの世界で絶賛されているのがわかります。

 そんな高野文子さんが12年ぶりに出した新刊がこの『ドミトリーともきんす』。

 絵柄が古いなんて言われる方もいますが、とんでもない、この空間描写、すごすぎます。


 私自身、最近は文章を書いたりしていますが、小さいころの夢は漫画家さんだったんです。ただあまりの絵心の無さに挫折しましたけれど。その挫折ポイントが空間の描写とアングルだったんですね。これがどうしてもできない。下手っぴなりに動かないものを目で見たまま描いたり写真を映すのはなんとかできても、動くものや関節のあるもの、想像上の視点からどう見えるのか等、そのあたりに潜む絵的なリアリティを、なんとなく想像はできても図にすることがまったくもってできませんでした。まぁ、そのほかお話づくりがはたして上手だったかというのはこの際おいておくとして。

 で、この高野文子さんの構図力、と言っていいのでしょうか、意外な場面を意外なアングルから切り取った独特の構図、これがまたほんとうにすごい。『ドミトリーともきんす』以前のお話でも視点の凄さはよく話題になっていました。たんに三次元の空間を二次元の紙の上に投影して描いている。っていうあたりまえの話ではなく、お話の外側の、いま本を持って読んでいる読者側からの描写や、登場人物の内面、それも見た目では無く心象からの描写(!)を絵で表現したりしちゃうのです。これはプロの評価が高いわけです。こんなこと、普通の(というのも失礼ですが)漫画家にはとても出来ない芸当なんじゃないかと思います。

 その構図パワーが冒頭から炸裂しているのが本書、『ドミトリーともきんす』なのです。(やっと本作の解説になってきた)


 プロローグの前に挿入された『球面世界』と題された小品。そもそもタイトルからして球面世界ですよ。もうしょっぱなっから構図力の凄さを予感させるタイトルです。

 舞台はごく普通(のマンションかしら?)の一室。小さな部屋に本編に登場する母娘が住んでいて、あるきっかけでその部屋が球面世界になってしまうのです。部屋の床面が球面世界の、ちいさなちいさな惑星の表面全部、といえば通じるでしょうか。まるで‎アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』の星のような、ちいさな世界です。

 普通のファンタジー的な感覚なら、そのまま『星の王子さま』の挿絵風の、小天体の上に立つ主人公の姿を、星全体ごと視野に収めたロングショットの構図で描くことでしょう。

 しかし、そこは高野文子さん、星の上に立つ王子様自身の視点で、星の上に建てられていて、星全部を覆っている建物の中にいる住人の視点でその空間を描いてくれます。

 これってまさに本書のモチーフになったであろう、ジョージ・ガモフ博士が『不思議の国のトムキンス』で行った、自然科学的な定数を(人間視点でわかりやすいように)大いに狂わせた世界そのままじゃないの!

 ガモフ博士は『不思議の国のトムキンス』で素粒子を目に見えるサイズにしたり、宇宙全体の直径を10kmにしちゃったりして、その宇宙の中ではものごとはどう見えるか、光の速さを極端に遅くしたらどうなってしまうか、なんていう科学的な思考実験を一般人にも理解できるユーモラスなお話にしてくれていました。

 それを、高野文子さんは、その手法そのままに現代版のコミックにしてしまったという感じです。

 と言っても、パクリであるとか模倣であるということではなく、正しい意味でのオマージュであろうと思います。それは本書のタイトル『ドミトリーともきんす』からもわかりますし、なんといってもこの『球面世界』にトムキンス氏がそのまま登場することからあきらかでしょう。

 繰り返します。ガモフ博士が描いたトムキンスさんがそのままでてくるんですよ! 小さなころに『不思議の国のトムキンス』で科学の世界に触れた私なんかはこれでもうちょー嬉しくなって、(実を言うとここまで立ち読みでした)そのまま本書を抱えてレジへ駆け込んでしまいました。

 その後もトムキンスさんが『脈動する宇宙』(『不思議の国のトムキンス』第五話)で体験したのと同様の経験をする とも子さん(母)と きんこちゃん(娘)。これは、『不思議の国のトムキンス』のオマージュであるだけでなく、『不思議の国のトムキンス』という本の紹介になっていて、さらにその、対象の〝本の世界〟にキャラクターと共に入り込む、高野文子さん流の最高のリスペクトなんじゃないかと感じました。


 この本を読んだ読者は、


 1.ガモフ博士の『不思議の国のトムキンス』を読んで感動した著者高野文子さんによる想像上の

 2.『不思議の国のトムキンス』の世界風に生まれ変わった高野文子さんの世界を

 3.世界の内側から見ているキャラクターである『とも子さん』の視点を通じて

 4.その世界を見て感じ、考えて自然に受け入れる。


 という、『不思議の国のトムキンス』風の何重にも入れ子になったあわせ鏡の中にいるような不思議な感覚を、こんなややこしいことを意識すること無く体感できるのです。

 それを、このあっさりした線画で描いてしまう。さすが、高野文子さんです。何度もいいますがものすごい人です。

 ちなみに、高野文子さんは本作を描くために、道具から変えて原稿用紙に臨んだのだそう。今までの、力の入れようで太さの変わる漫画用のペンをやめ、太さの変わらない製図用のペンに持ち替えたのだそうです。ずっと人の心理の内面を描いてきた、感情の乗る道具ではなく、あえて感情を排した静かな線を描ける道具に、静謐な科学者の気持ちを伝えるための道具に取り換えたのですね。こんなところでもプロフェッショナルなんだなあと思います。


 ちょっと余談。過去の作品について。


 こういった作風というか、私に言わせれば「匠の技」について、世の書評家は、『ほとんど暴力的(な模倣)』(荒俣宏(あらまた・ひろし)氏による書評『ふゅーじょんぷろだくと』1982年7月号、ラポート、103頁)とまで言っています。高野文子さんの初期の作品でよく話題にのぼるのが、『田辺のつる』(『絶対安全剃刀』に収録)という作品。こちら、認知症が始まり、自分が幼女であると思い込むおばあさんのお話です。そのおばあさんの視点からお話が語られるので、マンガ世界の中では彼女は可愛らしい幼女として描写されます。

 これは、往年の少女漫画で有名な大島弓子(おおしま・ゆみこ)さんの『綿の国星』の、自分が人間の少女と思い込んでいる猫を少女の姿で描くという手法そのままなんですね。

 これは大島弓子ファンを始め、当時の少女漫画好きに与えたショックは相当大きかったんだろうと想像できます。そりゃ『暴力的』と言われても不思議はありません。

 でも、これって、現実世界や従来の作品が生み出してきた古典的なメソッドに、まるで違う極端な対象を代入して出来上がる世界を舞台に、そこの住人のリアルな視点から物語を描写しなおす。という、SFの手法でよくあるエクストラポーレーション(外挿法)なのではないかと思うのです。

 高野文子さんのすごいところは、それを作品の中に閉じ込めるのではなく、作品自体に対してエクストラポーレーションを仕掛けているところ。単純にキャラをこう変えてみよう、とか、舞台を別の国にしてみよう。なんてちゃちな変え方ではなく、作品やジャンル自体の根幹にかかわるような要素を大げさに変え、しかし、普通見過ごすようなポイントだけは読者がよく知っている世界なり物語なりメソッドなりをまったくそのままにして、その一点を軸に作品全体のベクトルをぐるりと回転させてしまう。

 このセンスがすごい。高野文子さんの構図力、視点えらびの凄さは三次元どころか、四次元からの眺望なんじゃないかと思えてくるのです。


 さて、だいぶ脱線しましたが、ふたたび戻って本編のご紹介を続けましょう。


 ここは不思議な学生寮「ともきんす」。先ほども出てきた とも子さん(母)と きんこちゃん(娘)が一階でくらしています。

 お二階には寮生さんが四人。その寮生さんたちはそれぞれ後の世で偉業を成し遂げる科学者さんたち。朝永振一郎(ともなが・しんいちろう)に牧野富太郎(まきの・とみたろう)、中谷宇吉郎(なかや・うきちろう)、そして湯川秀樹(ゆかわ・ひでき)。

 この本は、そんな彼らの「科学者たちの言葉」をテーマにしています。この四人が書き残した本をモチーフに、彼らが何を感じて何を考え、何に悩み何に喜びを感じていたか、それを、前述の高野文子メソッドで、彼らの視点に飛び込みながら、彼らが世界をどう見、捉えていたのかを表現し、同寮を営むとも子さんときんこちゃんと同じところから、彼ら科学者の感性をあたたかく見守ることができます。


 では、それぞれのお話をざっと紹介してみますね。全11編入っています、本のほうを読むからいいよ! という方は読み飛ばしてください。


1 『トモナガ君 おうどんです』 朝永振一郎「鏡のなかの物理学」

 寮生さんの登場第一号はトモナガ君こと朝永振一郎。鏡を手になにか考え事をしています。

「どうして鏡の中では右と左が逆になるのに、上下はそのままなんだろう」

 ごくごく当たり前の疑問で、その瞬間の私の反応は丁度おうどんを茹でていたとも子さんと同じ「そういえばそうね」だったのですが、「そういえば」と言う言葉で自分の過去を振り返り、はっとしました。そういえば小さいころそんな疑問を持ったことがあったような。でも、どうしても答えにたどり着かず、そのままその疑問を「当たり前のこと」にしてしまって深く考えず日々の些事に埋もれさせてしまう癖がついてしまったのだ。と気がついたのです。

 彼ら科学者たちはそうした「当たり前」を当たり前としないで、どうしてなんだろう? と純粋に考え続けることができる人々なのですね。


2 『トモナガ君 泣かないで』 朝永振一郎「滞独日記(一九三八年四月七日~一九四〇年九月八日)」

 そんなトモナガ君のピュアな一面が現れる一節。ハイゼンベルク(量子力学の確率に寄与した物理学者でノーベル物理学賞受賞者)に師事すべく、ドイツのライプチヒに留学していた時の彼の日記がモチーフになっています。当時の彼は大学で同級生だった湯川秀樹(本書にも登場するユカワ君)が発表した中間子理論が世界の注目を集めていることを知り、自分もなんとかせねばと焦るものの、己の才能の無さに自己嫌悪に陥る日々だったそうです。

 しかし、彼がこの時代に苦しみ悩み続けた問題が、後にノーベル物理学賞を受賞する「くりこみ理論」の素地になったそうです。よかったですね、トモナガ君。

 なお、このマンガに出てくるトモナガ君、なかなか高身長でイケメン風に描かれています。当時の写真を見るとけっこうそっくり! モテたんだろうなあ。でも女性にはあんまり興味なさそうですね。


3 『マキノ君 お正月です』 牧野富太郎「松竹梅」

 マキノ君って誰? って最初思いながら読んでみて、びっくり、これ、『牧野日本植物図鑑』の牧野富太郎さんのことじゃない! 私の家にも大きな植物図鑑があって、小さな頃ぺらぺらとめくって、すごいなあと素直に感心していた絵を描いた人だ! と、遅ればせながら気がついたのです。『牧野』って書いてあるのは牧場や野原のことかしらん? なんて当時は思ってました。人の名前だったんですよね、ホントごめんなさい。

 この節ではそんなマキノ君の植物に対する愛情のこもった観察眼美意識が伝わってきます。


4 『ナカヤ君 お手紙です』 中谷宇吉郎「(かんざし)を挿した蛇」

「雪は天から送られた手紙である」そう語り生涯を雪と氷の研究に務めた物理学者、中谷宇吉郎の思い出。彼が小学生のころ、北陸の小さな町にも電灯が付きはじめ、大人たちもようやく「科学」というものに触れたものの、まだ裏山には「簪を挿した蛇」が居ると言って子供を近づけなかったのだとか。そこに疑問を感じたのがナカヤ君にとっての「科学」の始まりだったようですが、彼はその科学にもお伽話のストーリー性や雪の結晶の美しさを感じとっていたようです。


5 『ナカヤ君 コタツです』 中谷宇吉郎「天地創造の話」

 さて、ナカヤ君といえば雪、雪といえば冬、冬といえばコタツという連想のお話です。コタツの中の炭火で火山の噴火口を想像するとも子さん。先ほど書いたとおりナカヤ君といえば雪の研究なのですが、彼は北海道の洞爺湖のほとりで突然大地が隆起して出来上がった昭和新山の研究にも参加していました。当時、戦時下だった日本では戦時研究に没頭させられ、一生に一度あるかないかという火山爆発の研究にも時間を避くことができず、たいへん悔しい思いをしていたのだとか。一般人には正反対に思える雪や氷と、大地の中の炎が同居する大自然。彼はそこに天地創造の神話を見ます。


6 『マキノ君 蝶々です』 牧野富太郎「なぜ花は匂うか?」

 植物に恋する男マキノ君の再登場。小学生男子お待ちかね(?)おしべとめしべのお話です。

貴女(あなた)方はただなんの気なしに見過ごしてらっしゃるでしょうが」と、植物の美しさの理由を解説するマキノ君。そりゃ花の美しさには敵わないかもしれませんけどね。ここでも人間の女性はカタナシです。


7 『ユカワ君 お豆です』 湯川秀樹「数と図形のなぞ」

「人はなぜ数を数えるようになったのでしょう」ユカワ君の素朴な問い。数学・物理学の天才もこうした疑問から「科学」をスタートさせていったのでしょう。ユカワ君は言います、モノの性質はどうでもよく、数えられる対象があったら、人はモノを数えるという動作をして、ものすごい抽象化と普遍化をおこなっている。抽象化すなわちフィクションとすることでモノの性質から離れて計算をすることができるのだ。と。昨今の一部の小学校では数える対象の性質によって足し算の順を変えましょうと教えるのだとか。そんな先生がたにぜひ読んでいただきたい一節です。


8 『ユカワ君 松ボックリです』 湯川秀樹『「湯川秀樹 物理講義」を読む』

 ユカワ君による、空間を数で表すお話です。前節のとおり抽象化の結果である「数」というもので空間すらも表してしまう。「科学とはいっぺん遠いところへ行くことなのです」遠くからみればよくわかることもある。と。抽象化・普遍化の結果、宇宙の法則を見つけ出す科学者の目は、ここでこの本全体の著者、高野文子さんに重なるように見えます。


9 『ユカワ君 ハゴロモです』 湯川秀樹「自然と人間」

 自然は曲線でできている。人間の作ったものは直線でできている。自然が曲線ばかりなのは、あらゆる線が許される中で直線になりえる確率は極小だからで、逆に人間が作ったものが直線ばかりなのは、直線がもっとも効率がいいからだろう。この直線と曲線の狭間、確率と可能性について、ユカワ君は考えを進めます。


10 『ようこそ、ガモフさん』 ジョージ・ガモフ『G・ガモフ コレクション1 トムキンスの冒険』

 とうとう本編にジョージ・ガモフさんご本人の登場です! とも子さんが大ファンとのことで作中でサインをもらってます。いいなあ。

 もう作中作を飛び越えて、登場人物として別のキャラクターが紹介している本の著者まであらわれる、現実とファンタジーと、科学と本の世界がまざりあって、なかなかすごいことになっている気がしますが、そんなことはお構い無く、一人増えて計五人となった科学者たちと、とも子さんにきんこちゃんは楽しそうにテーブルを囲みます。

 そうして、読者である我々は『トムキンスの冒険』の表紙のサインはこうして描かれたことを知るのです。いいなあ。


11 『詩の朗読』 湯川秀樹「詩と科学~子どもたちのために~」

 最後に、数式を書くのは好きでも文章を書くのは苦手だったというユカワ君の詩の紹介です。

 詩と科学、それは遠くにあるようで実は近い。なぜならどちらも出発点が同じだから。どちらも自然を見ること聞くことから始まる。

 両者は同じ出発点からはじまり、遠く離れてしまう。だがいつの日か二つの道は交差し、同じところにたどりつくのかもしれない。

 隠された自然の真実の美に触れた科学者は、数式という言葉で(うた)をうたうのです。

 そして、一人の科学者によって見出された美は、いくらでも増やすことができる。

 詩の紹介の背景には、ユカワ君たちの発見を手にする子供たち~無数のきんこちゃんが、まるでM.C.エッシャーの描くパターン画のように広がっていきます。


 そこで、何の気なしにページをめくっていた私は気が付きました。各章の扉に描かれていた幾何学模様は実は『ドミトリーともきんす』自体のパターン画であることに。

 本の中扉の図も同様の幾何学模様。

 そういえば表紙の階段のシルエットを上り下りする母娘の姿もエッシャー的な意匠な気がしてきて……。


 どうやら高野文子さんは、マンガというアート=詩を突き詰めていくことで、数学や物理科学に交差し、それらを内包し表現する詩としてのマンガを発明してしまったようです。


 なお、あとがきの後におまけ的に掲載されている『Tさん(東京在住)は、この夏、盆踊りが、おどりたい。』に至っては、盆踊りを三次元+音楽(時間)で捉え、二次元の展開図にしてしまっています。わずかなページ数で描かれていますが、いままで紹介してきた科学と芸術が交差するアートとしてのマンガ表現の神髄が味わえます。まるで実験映像のような時空間。おまけと軽くあしらわずにぜひ最後まで楽しんでみてください。

(おまけのひとこと)

なっが! もうオマケもいらないよ! ってぐらいお腹いっぱいだとおもいます。すみません><

我ながら熱量高めの長文紹介ですね。。

この段階で8千文字。

「らせんの本棚IV」の1話の平均が800文字ぐらいですから、およそ10話分の大増量です。

前回の『本にだって雄と雌があります』と同様、月刊群雛用の文章からの転載なのですが、いやーあー、今読むと肩に力入りすぎてる文ですねぇ。はずかしー><

硬い真面目な文章にしようとしていたのかもしれませんけど、読書の楽しさを伝えることより、本自体のすごさを解説しようと躍起になって空回りしていた感じです。

これじゃあ群雛で書評枠打ち切られたのもしょうがないですねえ。。

(この、私の出した書評が最初で最後だったのでした><)


ともあれ、100回続いた「らせんの本棚IV」もこれでいったん最終回とさせていただきます。まだいくつか紹介できてない本もありますが、あんまり長くなると読むのも大変だとおもいますので、100話目で一区切りとさせていただきましょう。


またいつか、どこかでお目にかかれればと思います。(と言ってすぐ隣で別の連載してたりしますけどねw)

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登場人物紹介

神楽坂らせん

読書の合間に本を読み、たまにご飯してお茶して、気が付けば寝ている人です。一度おやすみしてしまうと、たいていお昼ぐらいまで起きてきません。

愛読書は『バーナード嬢曰く。』

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