2 エンゲルスかライプニッツか
文字数 16,056文字
2 Engels ou Leibniz
すべての文化民族は土地の共同所有から出発している。一定の原始段階を抜けだしたあらゆる民族において、農耕が発展してゆく過程で、子の共同所有は生産に対する桎梏となる。それは廃止され、否定され、長短さまざまな中間段階を経て私的所有に転化される。しかし、土地の私的所有そのものによって農耕のより高度の発展段階がもたらされると、そこでは逆に私的所有が生産に対する桎梏となる。-これこそ、小土地所有と大土地所有とを問わず、今日見られるところの状態である。この私的土地所有をもやはり否定して、ふたたび共有財産に転化しようとする要求が、必然的に現われてくる。だが、この要求は、昔の原始的な共同所有の再興を意味するものではなく、はるかに高度の、より発展した共同所有の形態を打ち立てることを意味するのであって、この形態は生産の障害になるどころか、むしろ初めて生産を桎梏から解きはなして、近代の化学的発見や機械的発明を生産に十分に利用できるようにするのである。
(『反デューリング論』)
フリードリッヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)の作品は、彼がファンタスティックなサイエンス・フィクションの作家だということを示している。未来を語った史上初めての哲学者と言ってよい。理想の政治・経済体制を述べた哲学者はすでに数多く存在している。しかし、彼は社会主義社会・共産主義社会といった来るべき社会を生産様式・生産関係の変化から科学的に説明していく。その変化は神の決定によって起きるわけではない。資本主義社会は内在する矛盾によって崩壊を迎え、自らの歴史的使命を自覚したプロレタリアートが階級闘争を通じて達成する。このシナリオはSFそのものだろう。ゲーム・ソフトにできる。
エンゲルスはポーとヴェルヌの間を埋めるSF作家であり、科学的分析と予言的洞察が弁証法的に融合した魅惑的な物語だ。マルクス主義以前の社会主義思想はアカデミズムの住人が、少々興味を覚えたとしても、まともに研究すべき正統的な学問ではない。俗っぽく、荒削りで、洗練されていないスリーペニー・セオリー、すなわちB級思想である。プロレタリアートはパンクな存在にすぎない。社会主義者は、伝統的な知識人から、「科学者」同様、見下されている。
1820年11月28日、紡績産業で成功を収めた裕福なドイツ人経営者の長男として、バルメン・エルバーフェルト(現ヴッパータール)に生まれたフリードリヒは、カール・マルクスと違い大学に進学していない。高等中学校を中退後、ブレーメンの商事会社に就職している。若くして、「若きドイツ派」の文芸運動に参加し、1841年、志願して入隊した軍隊生活中に、ヘーゲル左派の哲学に接し、翌年、除隊後、ライン新聞に在籍しながら、文芸批評・哲学論文・時事論説を発表している。その後、父が大株主のマンチェスターにある紡績工場に勤めるため、イギリスへ渡る。
ヨーロッパで発達した資本主義国における都市の労働者階級の劣悪な現状に衝撃を受け、それを『イギリスにおける労働者階級の状態(Die Lage der arbeitenden Klasse in England)』(1845)として出版し、注目されている。この著作は貧困についての実証的研究の最初期のものの一つで、現在でも社会学の古典である。エンゲルス自身が調査したわけではないが、公正を来たすために、彼と政治的立場が異なる人たちの資料を利用して、議論を展開している。
エンゲルスは、初期の頃、この作品の他、『ドイツ農民戦争(Der deutsche Bauernkrieg)』(1850)など個別の歴史的出来事の分析に能力を発揮している。初期の作品を読むと、彼が優れた社会学者だとわかる。
エンゲルスの名前は、もちろん、あの男と切り離せない。アルノルト・ルーゲ(Arnold Ruge)とカール・マルクスが編集する『独仏年誌(Deutsch-Französische Jahrbücher)』に寄稿したのがきっかけで、1844年、パリで再会し、思想史上最も有名な共同作業が始まる。42年にケルンで二人は会っていたが、そのときの印象はお互いに芳しいものではなかったと伝えられている。極めて刺激的な『ドイツ・イデオロギー(Die Deutsche Ideologie)』に二人でとりかかっやものの、未完に終わり、次いで、エンゲルスの草案『共産主義の原理(Prinzipien des Kommunismus)』に基づいて、『共産党宣言(Das Manifest der Kommunistischen Partei)』(1848)をマルクスと共同執筆している。マルクスよりもエンゲルスの方が思想家として先行していたが、以降、ハンサムで乗馬の得意な彼は自らを「第二バイオリン」に譬えるようになる。
エンゲルスは48年革命の失敗後に生活の拠点を英国に移し、1850年、父が経営権の一部を持つ「エルメン&エンゲルス商会(Ermen & Engels)」に入社する。彼は、後に、共同経営者に就任している。エンゲルスは有能な経営者で、マンチェスターの繊維業界の有力者の名声も獲得、貴族の狐狩りにも参加している。彼は、戦後日本で言うと、塘清二にイメージが重なる。エンゲルスが収入の一部でマルクスを援助したことはあまりにも有名である。
マルクスと交友が始まってから、左翼の活動家の間では自然科学や言語学、軍事科学を得意とすることでも知られている。大方の予想とは逆に、1870年の普仏戦争の際、フランス軍がプロシア軍にスダンで包囲されて大敗すると予測する。この的中して以来、彼は「将軍」もしくは「マンチェスターの陸軍省」(カール・マルクス)と呼ばれている。
マルクスとエンゲルスの邂逅は学者と技術者の協力である。それは科学と技術の出会いによる科学技術の誕生に類推できよう。科学に基づく技術としての科学技術は理論に基づく思想としての左翼の発展とパラレルであり、それはSFとも課さなう。
著作では、示唆に富みながらも、難解晦渋なマルクスと異なり、極めて平易な文体で明確な図式によって科学的社会主義がいかなるものであるかを解説する。ただ、このチャートも、実際には、言われているほど短絡的ではない。社会主義思想のB級性を残しつつ、理論性を追求する方法である。その上、マンチェスターの工場経営による収入の一部で、マルクス一家の生活を支え、ときには、代わって新聞記事を書くだけでなく、彼の非嫡出子を自分の子として引きとり、育てている。
著述家としては、『自然の弁証法(Dialektik der Natur)』(1873)にとりかかり、あまりに粗雑なオイゲン・デューリング(Eugen Dührings)の三つの著作──『哲学教程』・『国民=社会経済学教程』・『国民経済学および社会主義の批判的歴史』──に対する批判として、『反デューリング論(Herrn Eugen Dührings Umwälzung der Wissenschaft: Anti-Dühring)』(1878)を刊行する。これは極めて広範囲に渡る百科全書的な著作である。他にも、『空想から科学への社会主義の発展(Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaft)』(1880) 、『家族・私有財産・国家の起源(Ursprung der Familie, des Privateigentum und des Staates)』(1884)、『フォイエルバッハ論(Ludwig Feuerbach und der Ausgang der klassischen deutschen Philosophie)』(1886)などを発表している。
1883年のカールの死後は、『資本論』を含め、彼の原稿を整理・編集し、さらに、同時代の左翼運動を指導している。エンゲルスによって、マルクスの思想は民主化・自由化されたのであり、彼はマルクス主義のファクトリーである。一部の急進派や通俗的なディレッタントのための社会主義ではなく、草の根のマルクス主義者を育てあげたと言ってよい。彼の理想とする革命家は青白い顔色のインテリではなく、エンジニアのようである。
マルクス主義は思想史上最も広範囲にその名が知られ、考察されている哲学である。アカデミズムでも研究され、ジャーナリズムにもとりあげられ、大衆も話題にする。しかも、その影響は経済学から哲学、文学、政治学、社会学など極めて多岐に渡る。こうした状況が実現したのには、エンゲルスの功績が大きい。カールは素晴らしいマネージャーあるいはエージェントに恵まれたと感謝しなければなるまい。
私生活では、結婚はせず、元女工の内縁の女性メアリー・バーンズ(Mary Burns)と暮らし、1895年8月5日、ロンドンで死去した際、自らが祀り上げられることを決して好まなかった遺言により、イギリス南部のドーバー海峡に面するお気に入りのイーストボーン(Eastbourne)の沖合に散骨される。そのすべてにおいて、極めて20世紀的な人物である。
ヘーゲルの思考方法がほかのすべての哲学者たちのそれにぬきんでていた点は、その基礎にある巨大な歴史的意識であった。その形式はひどく抽象的で観念的だが、彼の思考の展開はつねに世界史の発展と平行して進んでおり、そして後者はただ前者の検証にすぎないものとされている。たとえ正しい関係がこのことによってねじまげられ、逆立ちさせられたにしても、やはりいたるところで現実的な内容が哲学に入りこんできた。ヘーゲルは彼の弟子たちと違って、彼らのように無知を鼻にかけるのではなく、あらゆる時代を通じてもっとも博識な頭脳の一人であったから、いっそうそうであった。彼は歴史のうちに発展を、内的連関を示そうとした最初の人であった。彼の歴史哲学のうちの多くのことが今日われわれにどんなに奇妙に思われようと、彼の根本的見解の壮大さは、彼の先行者や、また彼以後に身のほどを知らずに歴史について一般的考察をした人びとと比べてみると、今日なお驚嘆に値する。『現象学』においても、『美学』においても、『哲学史』においても、いたるところこの壮大な歴史観が貫かれており、いたるところで素材が歴史的に、すなわち抽象的にゆがめられてはいるが、歴史との一定の連関のうちに、取り扱われている。 このような画期的な歴史観は、新しい唯物論的見解の直接の理論的前提であった。
(エンゲルス「カール・マルクス『経済学批判』第一分冊」)
G・W・F・ヘーゲルを唯物論的に転倒したのは巨人マルクスではなく、エンゲルスである。『空想から科学へ』は、「空想的社会主義」・「弁証法的唯物論」・「資本主義の発展」という三つの柱によって、構成され、これらは弁証法的な関係にあり、この点で彼は師匠に忠実である。しかし、「弁証法とは、自然、人間社会および思考の一般的な運動=発展法則にかんする科学という以上のものではない」(『反デューリング論』)と指摘する彼は偉大なベルリン大学総長の禁止事項を破っている。それは「哲学者は未来を語るべきではない」ということであり、新しい「科学」の認識を持ち、エンゲルスはここから危ないアウトサイダーとしてヘーゲル哲学を批判していく。
SFは、その点で、まさに反ヘーゲル的であり、そういった言説から考えられる余地がある。エンゲルスの著作はそれを教えてくれる。SFの愛好家は世界的な連帯、ネットワークを形成する傾向が強いが、社会主義者や共産主義者も同様である。「推理小説の愛好家はSFよりはるかに多いのに、彼等が世界規模で集まり何か一緒にやろうなどという話は聞いたことがない。SFに限って群れたがるのには明確な理由がある。推理小説の魅力を簡単に言えば”殺人事件の謎解きの楽しさ”であるのに対し、SFは”地球を狙う異星人の大軍をどう撃退するかに知恵を絞る……”という陽性コンセプトだから、皆が集まりたがるのだ」(野田昌宏『宇宙を空想してきた人々』)。この「異星人」をブルジョアに置き換えれば、ほぼマルクス主義者の信念と同じである。それに加えて、SFにしろ、マルクス主義にしろ、未来社会を扱う以上、政治・経済・文化を包括的に描かなければならない。世界観・歴史観を持っているため、その共有に駆られるからである。
エンゲルスの目標は「革命」である。言うまでもなく、それが暴力的なものであるか、穏健なものであるかは、議論の余地がある。けれども、革命を目指す限り、著述スタイルはSFに近接せざるを得ない。
SFは、ノースロップ・フライ(Northrop Frye)の『批評の解剖(Anatomy of Criticism)』(1957)の分類に従うなら、「ロマンス(Romance)」に属している。このロマンスは近代小説以前に出現したジャンルであり、古典的である。始まりと終わりが円環構造でつながれ、すべては構造の中で結びついている。目的に適っていない理由で、必要もしくは必然性がないと判断された物事や出来事は排除できるため、作者の願望を投影しやすい。登場人物──人間とは限らないけれども──は精神的な奥行きの深さや襞を感じさせはしないが、計り知れない力を持ち、それによって世界を変える。彼らはペルソナのプロトタイプであって、実際にありうるかどうかは問題ではない。ロマンスの作者は現実の世界ではなく、それを揺り動かしたり、転覆させたりする目的で、すなわち革命を起こさせる目的で、作品を描く。
「結果が始まりと同一であるのは、始まりが終わりであるからにほかならない」と『精神現象学』の序文で記すヘーゲルの弁証法はこうしたロマンスの特徴を体現している。彼の論理学では終わりが目的であって、すべてはそれに奉仕するものでしかない。マルクスはその弁証法をロマンスのような単純な構造からより発展させ、自分の願いではなく、現実世界をリアルに把握できるものにしている。一方、エンゲルスはマルクスほど意欲的に弁証法自体を変更していない。むしろ、エンゲルスの弁証法は極めてヘーゲル的である。しかし、ヘーゲルは、SFを思い起こさせる次のようなことを絶対に口にしない。
最近では、特にヘッケルによって自然選択の観念が拡大され、種の変化は適応と遺伝との交互作用の結果として、把握されるようになっており、その際、適応はこの過程において変化をもたらす側面、遺伝はその保存する側面である、と説明されている。
生命とは蛋白質の存在の仕方である。そして、この存在の仕方は、本質的には、蛋白質の化学成分が不断に自己更新を行うことにある。
思考や意識は脳の産物である。
(『反デューリング論』)
エンゲルスによるヘーゲル哲学の改変はマルクスよりもinvisibleである。一見したところでは、字句の変更にとどまっていると思われてしまう。彼の目標は革命であって、それを十分に生かすにはロマンスの構造を必要とする。ロマンスの持つ革命性を利用している。描かれているプロレタリアートやブルジョアジーが実在する階級とかけ離れているとしても、それを責めるべきではない。
カール・マルクスは、控え目にも、未来についてほとんど言及していない。他方、エンゲルスは未来について大いに語る。「理性は希望がなければ花咲きえないし、希望は理性がなければ語りえない。両者はマルクス主義によって統一されている──他の学問には未来がないし、他の未来には学問がない」(エルンスト・ブロッホ『希望の原理』)。
ヘーゲルによると、哲学的反省は形を与える、もしくは形を顕現する活動であり、「未来」はその及ばないカテゴリーに属している。「過去は現実として現在の中に保存されるが、未来はこれとは反対である──というより、未来は形を持たない。未来については、いかなる形を見てとることも不可能である」(ヘーゲル『歴史哲学』)。
このナポレオン・ボナパルトの崇拝者は、そのため、未来について語ろうとはしない。「もし、ゲルマンの森が今も存在していたら、フランス革命は起こらなかっただろう。(略)かくてアメリカは未来の地である。いつの日か、南北アメリカが戦い、そのことに何らかの世界史的意義が見いだされるかもしれないが、予言をするのは哲学者の仕事ではない。歴史に関する限り、われわれは過去に起きたこと、現在あることを扱うべきである。一方、哲学においては、たんに過去に起きたことや、たんに起きるであろうことではなく、現在〈あり〉、永遠にあること、すなわち理性を扱う。それだけでも手にあまる課題だ」。
しかし、エンゲルスは自らを「科学的社会主義」と呼ぶ。前述した通り、エンゲルスの生きていた時期、「科学」は上等な思弁だけでなく、怪しげな実学の傾向を示している。新しい「科学」は蒸気や電気といったinvisibleなものによって世界を変えている。「形を持たない」ものを対象にできる。この科学が台頭した時代では、その意義を踏まえるならば、哲学者は未来も語り得る。
物質が自己のうちから思考する脳を発展させてきたということは、たとえそうした発
展が生じているところではその一歩一歩が必然性によって条件づけられているにせよ、機械論にとっては純然たる偶然なのである。ところが真実は、思考する存在の発展にまで進歩してゆくことは物質の本性なのであって、だからそのための諸条件(かならずしもいたるところ、またいつでも同一だというわけではない)が存在する場合にはいつでもこういうことはかならず生じているのである。
(『自然の弁証法』)
エンゲルスは、『反デューリング論』において、科学的分析に従って、「宗教」や「国家」の死滅を予言する。しかし、それはあくまでも生産関係・生産様式が変化することによって、既存の権威・権力が対応できなくなるからである。「人に対する統治に代って、物の管理と生産過程の指揮とが現われる。国家は『廃止される』のではない。それは死滅するのである」(『反デューリング論』)。宗教にしても、権力によって禁止されて消えるのではなく、「自然死」を迎える。そもそも禁止は必ず反動かを招く。エンゲルスはただたんに願望を予言として語っているわけではない。
エンゲルス以降、多くの哲学者・社会学者らが未来について語るようになっている。現在でも、イマニュエル・ウォーラステイン (Immanuel Wallerstein)やアントニオ・ネグリ=マイケル・ハート(Antonio Negri & Michael Hardtt)がマルクス主義的理論をとり入れて、近未来について書いている。また、この傾向はマルクス主義に限定されない。マーシャル・マクルーハン(Marshall McLuhan)は、メディアの観点から、来るべき世界を語っている。
さらに、アメリカには、オズヴァルト・シュペングラー(Oswald Spengler)の末裔とも言うべき「フューチャリスト(Futurist)」の系譜があるが、ハーマン・カーン(Herman Kahn)は、『考えられないことを考える(Thinking about the Unthinkable )』(1962)において、「フューチャリスト」の役割を「まだつくられていない歴史に取組む」と定義している。ダニエル・ベル(Daniel Bell)やピーター・F・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)、バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller)、エズラ・F・ヴォーゲル(Ezra F. Vogel)、アルヴィン・トフラー(Alvin Toffler)らが代表的なフューチャリストである。彼らは、概して、体制順応的で、計画主義的傾向が強い。いささか短絡的な概念と大仰な歴史観、商業主義的なキャッチコピーに覆われたフューチャリストの胡散臭ささえ漂う書物は、ジャーナリスティックなテレビ番組は別として、B級性を無理やり消し去ろうとしているために、まともな学者のすることではないとアカデミズムから無視されることも少なくない。
マルクス主義系にしても、非マルクス主義系にしても、彼らはいずれも過去と現在を歴史的に考察して位置づけ、未来を予想しているが、これはエンゲルスの手法であり、彼の物語のリメークである。ヴェルヌやウェルズがSFのプロトタイプとして継がれているように、エンゲルスは一つの理論家のスタイルを後世に残している。
かつて未来を語ることは予言者の仕事であったが、科学がそれを民主化・自由化する。SFはその一つの現われである。ウェルズの『タイム・マシン』に時間に関する記述が見られるが、それは過去の幻想文学と違い、妥当かどうかは別にして、科学に基づいている。時空間も、SFにおいて、民主化・自由化されたというわけだ。
けれども、この改革解放には、非常な計画性・管理性に帰着しかねない危険性がある。「今日の生産力を、ついに認識されたその本性にしたがって、このように取り扱うようになれば、社会的生産の無政府状態がなくなって、社会全体と各個人との欲望にしたがって生産が社会的・計画的に規制されるようになる」とエンゲルスは『空想から科学へ』において書いているが、ヴェルヌやウェルズを代表に、SFの近代文明への懐疑は社会主義思想と結びつくことも少なくない。ヴェルヌはサン=シモン主義に共鳴しているし、ウェルズはジョージ・バーナード・ショーやシドニーとベアトリスのウェップ夫妻らのフェビアン協会に所属している。しかし、「“民衆階級から生み出された文化”と“民衆に押しつけられた文化”とを同一視することは、(略)愚かなことだ」(カルロ・ギンズブルグ『チーズとうじ虫』序文)。
SFが有効な時代には怪しげな発明家という姿をした科学者を通じて民衆の間から科学が生まれていたのであり、このジャンルは「民衆階級から生み出された文化」である。防毒マスクと信号機の発明で知られるギャレット・オーガスタス・モーガン(Garrett Augustus Morgan)は、アフリカ系アメリカ人だったために、生前、それにふさわしい賞賛を得られていない。多くの人々が彼の発明品の恩恵に預りながらも、1963年に亡くなった彼は、危なく、歴史から葬り去られかねなかったほどである。科学の一つの意義は世界の多重性・可能性を顕在化させ、既存の権威を再考させる点にある。「民主的であるためには科学的でなければならないはずである」(森毅『学校とテスト』)。
「否定の否定としての発展」…「大麦の粒をとってみよう。幾兆のこういう大麦粒は、引き砕かれ、煮炊きされ、醸され、それから食われる。だが、もしこのような大麦の一粒が、それにとって正常な条件に出会えば、つまり好適な地面に落ちれば、熱と湿気との影響を受けて特有の変化がそれに起こる、つまり発芽する。麦粒はそれとして消滅し、否定され、それに代わって、その麦粒から生じた植物、麦粒の否定が現われる。だが、この植物の正常な生涯とはどういうものか?それは生長し、花をひらき、受精し、最後にふたたび大麦粒を生じる。そして、その大麦粒が熟するというと、たちまち茎は死滅し、今度はそれが否定される。こういう否定の否定による結果として、ふたたびはじめの大麦粒が得られるが、しかし、一粒ではなくて、一〇倍、二〇倍、三〇倍の数で得られる。
(『反デューリング論』)
ブルジョアにとって、科学は生産向上のための道具であり、彼らはそれをプロレタリアートに押しつける。20世紀初頭のSFはそうした支配を諷刺するプロレタリア文学である。しかし、社会主義思想が明るい未来を提示するどころか、逆に、オルダス・ハクスリー(Aldus Huxley)の『すばらしい新世界(Brave New World))』(1932)やジョージ・オーウェル(George Orwell)の『一九八四年(1984)』(1949)のように、全体主義や管理主義の暗い恐怖をもたらすだけだと警告する作品も登場する。
Someday they won't let you, now you must agree
The times they are a-telling, and the changing isn't free
You've read it in the tea leaves, the tracks are on TV
Beware the savage jaw
Of 1984
They'll split your pretty cranium, and fill it full of air
And tell that you're eighty, but brother you won't care
You'll be shooting up anything like tomorrow's wasn't there
Beware the savage jaw
Of 1984
(Come see, come see, remember me?)
We played out an all night movie role
You said it would last, but I guess we've grown
In 1984 (who could ask for more)
1984 (who could ask for more)
Now we can talk in confidence
Did you guess that we've been done wrong
Lies jumped the queue to be first in line
Such a shameless design
He thinks he's well screened from the man at the top
It's a shame that his children disagree
They cooly decide to sell him down the line
Daddy's brainwashing time
He's a do do, no no didn't hear it from me
He's a do do, no no didn't hear it from me
She doesn't recall her blessed childhood out of yore
When a unit was a figure not a she
When lovers chose each other seems the perk's are due
Another memo to screw
She's a do do, no no didn't hear it from me
She's a do do, no no didn't hear it from me
Can you wipe your nose my child without them slotting in your file a photograph
Will you sleep in fear tonight wake to find the scorching light of neighbour Jim
Come to, turn you in
But the do do, no no, didn't hear it from me
Another do do, no no, didn't hear it from me
Another do do, no no, didn't hear it from me
Another do do, no no, didn't hear from me
Come see, come see, remember me?
We played out an all night movie role
You said it would last, but I guess we enrolled
In 1984 (who could ask for more)
1984 (who could ask for mor-or-or-or-ore)
(Mor-or-or-or-ore)
1984, 1984, 1984 (Mor-or-or-or-ore)
1984, 1984 (Mor-or-or-or-ore)
1984, 1984 (Mor-or-or-or-ore)
(David Bowie “1984”)
さらに、ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)は、1967年7月にベルリン自由大学で行った講演『ユートピアの終焉(Das Ende der Utopie)』において、エンゲルスの「空想から科学へ」の図式を批判している。カールの友人フレッドは「空想」が「科学」へと発展し、「科学的社会主義」が成立すると主張しているが、このカリフォルニア大学教授によると、社会はいかにあらねばならないのか、もしくは人間解放はどのようなものでなければならないのかという問題は、現段階でも、ユートピアであるから、それを前提にしなくては革命も社会主義もありえず、社会主義からユートピア性を排除したという点に社会主義の魅力喪失と凋落の原因がある。しかし、ハクスリーやオーウェル、マルクーゼは「科学」に関していささか誤解している。
森毅は、『学校とテスト』において、科学について次のように述べている。
現在のところ、「科学」ということばは、一方で「未来」社会を暗示する、SFまがいの憧れを持たす。その一方で、それが人間性を抑圧する何ものかであるかのような、怖れを感じさせる。これもまた、いくらかSFがかっていて、「未来学」のそれぞれバラ色の部分と黒い部分とに対応している。
これは、どちらも誤っている。それは、人間が科学から疎外されていることの、ふたつの表現である。
現在まだ、多くの人間に、科学は獲得されていない。せいぜい、科学の結果としての、知識の断片を、受動的に「与えられ」ているだけだ。科学の獲得とは、本来的に受動的なものではないので、それではニセ科学のニセ知育にならざるをえない。
その結果、「与えるもの」である、科学者もしくはニセ科学者にたいして、一面では憧れ、一面では怖れの感情を抱く。そして、憧れの象徴としての意味しかないニセ科学者になったり、あるいは、それを人間性の抑圧として嫌悪したりする。
事実は、科学からの疎外が、人間性の回復を不可能にしているのであって、科学をみずから獲得していくことこそが、人間性を回復する唯一の道であるのだが。デカルト流にいうと、何びとといえども、かわりにわかってくれる者はいないので、自分でわかるよりないわけだ。
エンゲルスは、「科学をみずから獲得」するために、未来を語っている。弁証法は自然にも適用されるという発想をジョルジ・ルカーチ(György Lukács)は斥けているが、彼は、『自然の弁証法』において、科学を援用し、弁証法を自然現象からも見出している。彼は量から質への弁証法的変化の例として脂肪酸(CnHmCOOH)の系列をあげている。nが0の場合、蟻酸(HCOOH)、nが1の場合、酢酸(CH3COOH)、nが2の場合、プロピオン酸(CH3CH2COOH)になるように、量的変化が化学的性質も変化していく。こうした比喩によって量と質は弁証法的関係を説明するなどヘーゲルはしない。
科学が未来を固定するわけではない。現代の科学は、ニュートン力学と違い、均質性に基づき、法則性に則った認識ではない。産業革命を推進した科学は熱力学や電磁気学であり、それは統計力学や量子力学を生み出し、非線形の科学へと連なる。
なるほど、古典的SFはエクストラポレーション的な思考である。これはある変域内のいくつかの変数値に対する関数値を推定する数学の手法である。既知の科学や資料、条件、知識、情報に基づいて、未来を推測し、古典的作家たちは作品を制作している。そこでも、重要なのは変数の存在であって、それによって、SFは多様な可能世界を描き得る。しかも、初期値敏感性があるので、どれだけ初期値がわかっていても、非線形現象の予想は不可能である。非線形現象は短期的には予測可能でも、長期的には予測はできない。科学が線形だけを扱っていた時代はすでに過ぎ去っている。
今日のSF作家は、ウィリアム・ギブソン(William Gibson)の『ニューロマンサー(Neuromancer)』(1984)を代表に、アルゴリズムによってコンピューター・シミュレーションさせるように、作品を書いている。彼らには、近代の小説家が持っていた意図やテーマも二次的であって、いかに方法を表現するかに関心が向けられている。SF作家は、エンゲルス同様、「科学をみずから獲得」している。「科学といっても、ようするに、『わからないことをわかるようにすること』であって、それはつねに進歩している。進歩するということは、先へ伸びるだけではなく、あらゆる部分、たとえば小学校教育でも、『わかる』ことがより容易になる、という意味でも進歩しているのだ」(森毅『学校とテスト』)。
形式論理学にしても、なによりもまず、新しい成果を見いだすための、既知のものから未知のものへと前進するための方法であるのだが、弁証法もまた同じであり、ただはるかに高い意味でそうなのである。そのうえ、弁証法は、形式論理学の狭い視野を突破するものなので、一つのいっそう包括的な世界観の萌芽を含んでいる。数学においてもこれと同じ関係がある。初等数学、すなわち不変量の数学は、すくなくとも大体において、形式論理額の枠内で動いている。微積分学をその最も重要な部分とする変量の数学は、本質上、数学的諸関係に弁証法を適用したものにほかならない。ここでは、この方法を新しい研究諸分野にさまざまな仕方で適用することにくらべて、たんなる証明はまったく従になっている。しかし、微分学における第一番目の証明をはじめとして、高等数学のほとんどすべての証明は、初等数学の立場からすれば、厳密にいうと誤りである。この場合のように、弁証法の分野でえられた結果を形式論理学を用いて証明しようとすれば、そうなるよりほかはないのである。
(『反デューリング論』)
それに、科学技術の発展は計画通りに生まれたものと偶然の産物の二つがある。後者は「セレンディピティ(Serendipity)」と呼ばれ、初期の目的としては失敗であるが、新たな成功が生まれたものと目的通りの成功にさらに別の可能性が隠れているものとにわかれる。医薬品や新素材の開発にセレンディピティは欠かせない。エンゲルスと社会主義やマルクスの出会いも同様だろう。「もし科学者になろうとするならば、今までの科学者と違う人間になる必要があるわけで、さもなければ祖述者もしくは追随者を作るだけである。つまり、科学性とは、本質的に企画性の正反対なのだ」(森毅『学校とテスト』)。「どういう事物についても、そこから発展が生まれてくるような、それ独特の否定の仕方がある」(『反デューリング論』)。
どの生物体も、各瞬間に同一のものであってまた同一のものではない。それは各瞬間に、外から供給された物質を消化して、他の物質を排泄する.各瞬間に、その身体の細胞が死滅して、新しい細胞が形成される.おそかれはやかれ、ある時間ののちには、この身体の物質はまったく更新されて、他の物質原子によって置きかえられる。だkら、どの生物体も、つねに同一のものであって、しかも別のものなのである。さらにいっそう詳しく考察すると、肯定と否定というような対立の両極は、対立していると同時に互いに分離することのできないものであり、まったく対立しているにもかかわらず、相互に浸透しあっているということがわかる。同様に、原因と結果とは、これを個々の場合に適用するときにだけそのままあてはまる観念であって、個々の場合を世界全体としての全般的連関のなかで考察するやいなや、両者は重なり合い、普遍的交互作用の観念に解消してしまうのであって、そこでは原因と結果とはたえずその位置を取り替え、いま、またはここでは結果であったものが、あちら、また後では原因になり、またその逆にもなるということがわかるのである。
(『空想から科学へ』)
エンゲルスの作品には予言と諷刺が満ちているが、その予言が的中したかどうかは問題ではない。初めて未来社会を描き、そのイメージを人々に浸透させたことが重要である。先行する思想の概観を説明して、うまく要約し、流れに位置づけるヘーゲル流の弁証法的歴史観に、当時流行の政治や経済、自然科学の用語を使って、マルクス以上に明快な文体で記す。反面、当然あるべき留保が付けられていないことも多く、ルイ・アルチュセールのように、好意的であったとしても、慎重な読者を失望させるケースさえある。
エンゲルスの提示した図式は、その後、楽観的なものにせよ悲観的にせよ、理論的・実践的なフォーマットに使われていく。社会主義社会や共産主義社会は資本主義社会の外部にあるわけではない。内在している。彼はそうした異種の時空間を顕在化させて見せ、この世界の権利上の存立可能性を問う。これはSFの方法論そのものであろう。彼は人々に自分自身の可能性に対する断続的な認識、集団とそのプロジェクト、未知なるものに対する自由化・民主化を訴えている。
資本主義社会と異なった多重の可能世界を示した点で、エンゲルスはライプニッツ的である。ライプニッツを援用してエンゲルスを読解することははるかに意義深い。エンゲルスのサイエンス・フィクションは思考の拡大をさせるある種のメタ哲学、観点の複数化である。科学的社会主義がSFであるなら、それはこの世界に限定されはしない。地球の外でもあり得る。ピエール・マシュレ(Pierre Machereyは「ヘーゲルかスピノザか(Hegel ou Spinoza)」と言ったが、SFは「エンゲルスかライプニッツか(Engels ou Leibniz)」を具現化している。「必然の王国から自由の王国へ!」
人生がどうとか言いますが、生きていくということは、どうせ現実と夢とをクロスオーバーしながらいくわけでしょう。ぼくが言う夢というのは、何かになりうたいという夢じゃなくて、虚構=フィクションのことです。フィクションを読むことで読む人間の考えが広がればいいんです。それはやはり自分本位なのかもしれません。ぼくは見る世界が拡がればいいんで、それがはっきり形をとった思想になるかどうかはわからないですけれども、世界の見方と言うか、一種メタ思想みたいなものが、小説にはある。小説というものは、そういうものではないでしょうか。
(森毅『ゆきあたりばったり文学談義』)
すべての文化民族は土地の共同所有から出発している。一定の原始段階を抜けだしたあらゆる民族において、農耕が発展してゆく過程で、子の共同所有は生産に対する桎梏となる。それは廃止され、否定され、長短さまざまな中間段階を経て私的所有に転化される。しかし、土地の私的所有そのものによって農耕のより高度の発展段階がもたらされると、そこでは逆に私的所有が生産に対する桎梏となる。-これこそ、小土地所有と大土地所有とを問わず、今日見られるところの状態である。この私的土地所有をもやはり否定して、ふたたび共有財産に転化しようとする要求が、必然的に現われてくる。だが、この要求は、昔の原始的な共同所有の再興を意味するものではなく、はるかに高度の、より発展した共同所有の形態を打ち立てることを意味するのであって、この形態は生産の障害になるどころか、むしろ初めて生産を桎梏から解きはなして、近代の化学的発見や機械的発明を生産に十分に利用できるようにするのである。
(『反デューリング論』)
フリードリッヒ・エンゲルス(Friedrich Engels)の作品は、彼がファンタスティックなサイエンス・フィクションの作家だということを示している。未来を語った史上初めての哲学者と言ってよい。理想の政治・経済体制を述べた哲学者はすでに数多く存在している。しかし、彼は社会主義社会・共産主義社会といった来るべき社会を生産様式・生産関係の変化から科学的に説明していく。その変化は神の決定によって起きるわけではない。資本主義社会は内在する矛盾によって崩壊を迎え、自らの歴史的使命を自覚したプロレタリアートが階級闘争を通じて達成する。このシナリオはSFそのものだろう。ゲーム・ソフトにできる。
エンゲルスはポーとヴェルヌの間を埋めるSF作家であり、科学的分析と予言的洞察が弁証法的に融合した魅惑的な物語だ。マルクス主義以前の社会主義思想はアカデミズムの住人が、少々興味を覚えたとしても、まともに研究すべき正統的な学問ではない。俗っぽく、荒削りで、洗練されていないスリーペニー・セオリー、すなわちB級思想である。プロレタリアートはパンクな存在にすぎない。社会主義者は、伝統的な知識人から、「科学者」同様、見下されている。
1820年11月28日、紡績産業で成功を収めた裕福なドイツ人経営者の長男として、バルメン・エルバーフェルト(現ヴッパータール)に生まれたフリードリヒは、カール・マルクスと違い大学に進学していない。高等中学校を中退後、ブレーメンの商事会社に就職している。若くして、「若きドイツ派」の文芸運動に参加し、1841年、志願して入隊した軍隊生活中に、ヘーゲル左派の哲学に接し、翌年、除隊後、ライン新聞に在籍しながら、文芸批評・哲学論文・時事論説を発表している。その後、父が大株主のマンチェスターにある紡績工場に勤めるため、イギリスへ渡る。
ヨーロッパで発達した資本主義国における都市の労働者階級の劣悪な現状に衝撃を受け、それを『イギリスにおける労働者階級の状態(Die Lage der arbeitenden Klasse in England)』(1845)として出版し、注目されている。この著作は貧困についての実証的研究の最初期のものの一つで、現在でも社会学の古典である。エンゲルス自身が調査したわけではないが、公正を来たすために、彼と政治的立場が異なる人たちの資料を利用して、議論を展開している。
エンゲルスは、初期の頃、この作品の他、『ドイツ農民戦争(Der deutsche Bauernkrieg)』(1850)など個別の歴史的出来事の分析に能力を発揮している。初期の作品を読むと、彼が優れた社会学者だとわかる。
エンゲルスの名前は、もちろん、あの男と切り離せない。アルノルト・ルーゲ(Arnold Ruge)とカール・マルクスが編集する『独仏年誌(Deutsch-Französische Jahrbücher)』に寄稿したのがきっかけで、1844年、パリで再会し、思想史上最も有名な共同作業が始まる。42年にケルンで二人は会っていたが、そのときの印象はお互いに芳しいものではなかったと伝えられている。極めて刺激的な『ドイツ・イデオロギー(Die Deutsche Ideologie)』に二人でとりかかっやものの、未完に終わり、次いで、エンゲルスの草案『共産主義の原理(Prinzipien des Kommunismus)』に基づいて、『共産党宣言(Das Manifest der Kommunistischen Partei)』(1848)をマルクスと共同執筆している。マルクスよりもエンゲルスの方が思想家として先行していたが、以降、ハンサムで乗馬の得意な彼は自らを「第二バイオリン」に譬えるようになる。
エンゲルスは48年革命の失敗後に生活の拠点を英国に移し、1850年、父が経営権の一部を持つ「エルメン&エンゲルス商会(Ermen & Engels)」に入社する。彼は、後に、共同経営者に就任している。エンゲルスは有能な経営者で、マンチェスターの繊維業界の有力者の名声も獲得、貴族の狐狩りにも参加している。彼は、戦後日本で言うと、塘清二にイメージが重なる。エンゲルスが収入の一部でマルクスを援助したことはあまりにも有名である。
マルクスと交友が始まってから、左翼の活動家の間では自然科学や言語学、軍事科学を得意とすることでも知られている。大方の予想とは逆に、1870年の普仏戦争の際、フランス軍がプロシア軍にスダンで包囲されて大敗すると予測する。この的中して以来、彼は「将軍」もしくは「マンチェスターの陸軍省」(カール・マルクス)と呼ばれている。
マルクスとエンゲルスの邂逅は学者と技術者の協力である。それは科学と技術の出会いによる科学技術の誕生に類推できよう。科学に基づく技術としての科学技術は理論に基づく思想としての左翼の発展とパラレルであり、それはSFとも課さなう。
著作では、示唆に富みながらも、難解晦渋なマルクスと異なり、極めて平易な文体で明確な図式によって科学的社会主義がいかなるものであるかを解説する。ただ、このチャートも、実際には、言われているほど短絡的ではない。社会主義思想のB級性を残しつつ、理論性を追求する方法である。その上、マンチェスターの工場経営による収入の一部で、マルクス一家の生活を支え、ときには、代わって新聞記事を書くだけでなく、彼の非嫡出子を自分の子として引きとり、育てている。
著述家としては、『自然の弁証法(Dialektik der Natur)』(1873)にとりかかり、あまりに粗雑なオイゲン・デューリング(Eugen Dührings)の三つの著作──『哲学教程』・『国民=社会経済学教程』・『国民経済学および社会主義の批判的歴史』──に対する批判として、『反デューリング論(Herrn Eugen Dührings Umwälzung der Wissenschaft: Anti-Dühring)』(1878)を刊行する。これは極めて広範囲に渡る百科全書的な著作である。他にも、『空想から科学への社会主義の発展(Die Entwicklung des Sozialismus von der Utopie zur Wissenschaft)』(1880) 、『家族・私有財産・国家の起源(Ursprung der Familie, des Privateigentum und des Staates)』(1884)、『フォイエルバッハ論(Ludwig Feuerbach und der Ausgang der klassischen deutschen Philosophie)』(1886)などを発表している。
1883年のカールの死後は、『資本論』を含め、彼の原稿を整理・編集し、さらに、同時代の左翼運動を指導している。エンゲルスによって、マルクスの思想は民主化・自由化されたのであり、彼はマルクス主義のファクトリーである。一部の急進派や通俗的なディレッタントのための社会主義ではなく、草の根のマルクス主義者を育てあげたと言ってよい。彼の理想とする革命家は青白い顔色のインテリではなく、エンジニアのようである。
マルクス主義は思想史上最も広範囲にその名が知られ、考察されている哲学である。アカデミズムでも研究され、ジャーナリズムにもとりあげられ、大衆も話題にする。しかも、その影響は経済学から哲学、文学、政治学、社会学など極めて多岐に渡る。こうした状況が実現したのには、エンゲルスの功績が大きい。カールは素晴らしいマネージャーあるいはエージェントに恵まれたと感謝しなければなるまい。
私生活では、結婚はせず、元女工の内縁の女性メアリー・バーンズ(Mary Burns)と暮らし、1895年8月5日、ロンドンで死去した際、自らが祀り上げられることを決して好まなかった遺言により、イギリス南部のドーバー海峡に面するお気に入りのイーストボーン(Eastbourne)の沖合に散骨される。そのすべてにおいて、極めて20世紀的な人物である。
ヘーゲルの思考方法がほかのすべての哲学者たちのそれにぬきんでていた点は、その基礎にある巨大な歴史的意識であった。その形式はひどく抽象的で観念的だが、彼の思考の展開はつねに世界史の発展と平行して進んでおり、そして後者はただ前者の検証にすぎないものとされている。たとえ正しい関係がこのことによってねじまげられ、逆立ちさせられたにしても、やはりいたるところで現実的な内容が哲学に入りこんできた。ヘーゲルは彼の弟子たちと違って、彼らのように無知を鼻にかけるのではなく、あらゆる時代を通じてもっとも博識な頭脳の一人であったから、いっそうそうであった。彼は歴史のうちに発展を、内的連関を示そうとした最初の人であった。彼の歴史哲学のうちの多くのことが今日われわれにどんなに奇妙に思われようと、彼の根本的見解の壮大さは、彼の先行者や、また彼以後に身のほどを知らずに歴史について一般的考察をした人びとと比べてみると、今日なお驚嘆に値する。『現象学』においても、『美学』においても、『哲学史』においても、いたるところこの壮大な歴史観が貫かれており、いたるところで素材が歴史的に、すなわち抽象的にゆがめられてはいるが、歴史との一定の連関のうちに、取り扱われている。 このような画期的な歴史観は、新しい唯物論的見解の直接の理論的前提であった。
(エンゲルス「カール・マルクス『経済学批判』第一分冊」)
G・W・F・ヘーゲルを唯物論的に転倒したのは巨人マルクスではなく、エンゲルスである。『空想から科学へ』は、「空想的社会主義」・「弁証法的唯物論」・「資本主義の発展」という三つの柱によって、構成され、これらは弁証法的な関係にあり、この点で彼は師匠に忠実である。しかし、「弁証法とは、自然、人間社会および思考の一般的な運動=発展法則にかんする科学という以上のものではない」(『反デューリング論』)と指摘する彼は偉大なベルリン大学総長の禁止事項を破っている。それは「哲学者は未来を語るべきではない」ということであり、新しい「科学」の認識を持ち、エンゲルスはここから危ないアウトサイダーとしてヘーゲル哲学を批判していく。
SFは、その点で、まさに反ヘーゲル的であり、そういった言説から考えられる余地がある。エンゲルスの著作はそれを教えてくれる。SFの愛好家は世界的な連帯、ネットワークを形成する傾向が強いが、社会主義者や共産主義者も同様である。「推理小説の愛好家はSFよりはるかに多いのに、彼等が世界規模で集まり何か一緒にやろうなどという話は聞いたことがない。SFに限って群れたがるのには明確な理由がある。推理小説の魅力を簡単に言えば”殺人事件の謎解きの楽しさ”であるのに対し、SFは”地球を狙う異星人の大軍をどう撃退するかに知恵を絞る……”という陽性コンセプトだから、皆が集まりたがるのだ」(野田昌宏『宇宙を空想してきた人々』)。この「異星人」をブルジョアに置き換えれば、ほぼマルクス主義者の信念と同じである。それに加えて、SFにしろ、マルクス主義にしろ、未来社会を扱う以上、政治・経済・文化を包括的に描かなければならない。世界観・歴史観を持っているため、その共有に駆られるからである。
エンゲルスの目標は「革命」である。言うまでもなく、それが暴力的なものであるか、穏健なものであるかは、議論の余地がある。けれども、革命を目指す限り、著述スタイルはSFに近接せざるを得ない。
SFは、ノースロップ・フライ(Northrop Frye)の『批評の解剖(Anatomy of Criticism)』(1957)の分類に従うなら、「ロマンス(Romance)」に属している。このロマンスは近代小説以前に出現したジャンルであり、古典的である。始まりと終わりが円環構造でつながれ、すべては構造の中で結びついている。目的に適っていない理由で、必要もしくは必然性がないと判断された物事や出来事は排除できるため、作者の願望を投影しやすい。登場人物──人間とは限らないけれども──は精神的な奥行きの深さや襞を感じさせはしないが、計り知れない力を持ち、それによって世界を変える。彼らはペルソナのプロトタイプであって、実際にありうるかどうかは問題ではない。ロマンスの作者は現実の世界ではなく、それを揺り動かしたり、転覆させたりする目的で、すなわち革命を起こさせる目的で、作品を描く。
「結果が始まりと同一であるのは、始まりが終わりであるからにほかならない」と『精神現象学』の序文で記すヘーゲルの弁証法はこうしたロマンスの特徴を体現している。彼の論理学では終わりが目的であって、すべてはそれに奉仕するものでしかない。マルクスはその弁証法をロマンスのような単純な構造からより発展させ、自分の願いではなく、現実世界をリアルに把握できるものにしている。一方、エンゲルスはマルクスほど意欲的に弁証法自体を変更していない。むしろ、エンゲルスの弁証法は極めてヘーゲル的である。しかし、ヘーゲルは、SFを思い起こさせる次のようなことを絶対に口にしない。
最近では、特にヘッケルによって自然選択の観念が拡大され、種の変化は適応と遺伝との交互作用の結果として、把握されるようになっており、その際、適応はこの過程において変化をもたらす側面、遺伝はその保存する側面である、と説明されている。
生命とは蛋白質の存在の仕方である。そして、この存在の仕方は、本質的には、蛋白質の化学成分が不断に自己更新を行うことにある。
思考や意識は脳の産物である。
(『反デューリング論』)
エンゲルスによるヘーゲル哲学の改変はマルクスよりもinvisibleである。一見したところでは、字句の変更にとどまっていると思われてしまう。彼の目標は革命であって、それを十分に生かすにはロマンスの構造を必要とする。ロマンスの持つ革命性を利用している。描かれているプロレタリアートやブルジョアジーが実在する階級とかけ離れているとしても、それを責めるべきではない。
カール・マルクスは、控え目にも、未来についてほとんど言及していない。他方、エンゲルスは未来について大いに語る。「理性は希望がなければ花咲きえないし、希望は理性がなければ語りえない。両者はマルクス主義によって統一されている──他の学問には未来がないし、他の未来には学問がない」(エルンスト・ブロッホ『希望の原理』)。
ヘーゲルによると、哲学的反省は形を与える、もしくは形を顕現する活動であり、「未来」はその及ばないカテゴリーに属している。「過去は現実として現在の中に保存されるが、未来はこれとは反対である──というより、未来は形を持たない。未来については、いかなる形を見てとることも不可能である」(ヘーゲル『歴史哲学』)。
このナポレオン・ボナパルトの崇拝者は、そのため、未来について語ろうとはしない。「もし、ゲルマンの森が今も存在していたら、フランス革命は起こらなかっただろう。(略)かくてアメリカは未来の地である。いつの日か、南北アメリカが戦い、そのことに何らかの世界史的意義が見いだされるかもしれないが、予言をするのは哲学者の仕事ではない。歴史に関する限り、われわれは過去に起きたこと、現在あることを扱うべきである。一方、哲学においては、たんに過去に起きたことや、たんに起きるであろうことではなく、現在〈あり〉、永遠にあること、すなわち理性を扱う。それだけでも手にあまる課題だ」。
しかし、エンゲルスは自らを「科学的社会主義」と呼ぶ。前述した通り、エンゲルスの生きていた時期、「科学」は上等な思弁だけでなく、怪しげな実学の傾向を示している。新しい「科学」は蒸気や電気といったinvisibleなものによって世界を変えている。「形を持たない」ものを対象にできる。この科学が台頭した時代では、その意義を踏まえるならば、哲学者は未来も語り得る。
物質が自己のうちから思考する脳を発展させてきたということは、たとえそうした発
展が生じているところではその一歩一歩が必然性によって条件づけられているにせよ、機械論にとっては純然たる偶然なのである。ところが真実は、思考する存在の発展にまで進歩してゆくことは物質の本性なのであって、だからそのための諸条件(かならずしもいたるところ、またいつでも同一だというわけではない)が存在する場合にはいつでもこういうことはかならず生じているのである。
(『自然の弁証法』)
エンゲルスは、『反デューリング論』において、科学的分析に従って、「宗教」や「国家」の死滅を予言する。しかし、それはあくまでも生産関係・生産様式が変化することによって、既存の権威・権力が対応できなくなるからである。「人に対する統治に代って、物の管理と生産過程の指揮とが現われる。国家は『廃止される』のではない。それは死滅するのである」(『反デューリング論』)。宗教にしても、権力によって禁止されて消えるのではなく、「自然死」を迎える。そもそも禁止は必ず反動かを招く。エンゲルスはただたんに願望を予言として語っているわけではない。
エンゲルス以降、多くの哲学者・社会学者らが未来について語るようになっている。現在でも、イマニュエル・ウォーラステイン (Immanuel Wallerstein)やアントニオ・ネグリ=マイケル・ハート(Antonio Negri & Michael Hardtt)がマルクス主義的理論をとり入れて、近未来について書いている。また、この傾向はマルクス主義に限定されない。マーシャル・マクルーハン(Marshall McLuhan)は、メディアの観点から、来るべき世界を語っている。
さらに、アメリカには、オズヴァルト・シュペングラー(Oswald Spengler)の末裔とも言うべき「フューチャリスト(Futurist)」の系譜があるが、ハーマン・カーン(Herman Kahn)は、『考えられないことを考える(Thinking about the Unthinkable )』(1962)において、「フューチャリスト」の役割を「まだつくられていない歴史に取組む」と定義している。ダニエル・ベル(Daniel Bell)やピーター・F・ドラッカー(Peter Ferdinand Drucker)、バックミンスター・フラー(Richard Buckminster Fuller)、エズラ・F・ヴォーゲル(Ezra F. Vogel)、アルヴィン・トフラー(Alvin Toffler)らが代表的なフューチャリストである。彼らは、概して、体制順応的で、計画主義的傾向が強い。いささか短絡的な概念と大仰な歴史観、商業主義的なキャッチコピーに覆われたフューチャリストの胡散臭ささえ漂う書物は、ジャーナリスティックなテレビ番組は別として、B級性を無理やり消し去ろうとしているために、まともな学者のすることではないとアカデミズムから無視されることも少なくない。
マルクス主義系にしても、非マルクス主義系にしても、彼らはいずれも過去と現在を歴史的に考察して位置づけ、未来を予想しているが、これはエンゲルスの手法であり、彼の物語のリメークである。ヴェルヌやウェルズがSFのプロトタイプとして継がれているように、エンゲルスは一つの理論家のスタイルを後世に残している。
かつて未来を語ることは予言者の仕事であったが、科学がそれを民主化・自由化する。SFはその一つの現われである。ウェルズの『タイム・マシン』に時間に関する記述が見られるが、それは過去の幻想文学と違い、妥当かどうかは別にして、科学に基づいている。時空間も、SFにおいて、民主化・自由化されたというわけだ。
けれども、この改革解放には、非常な計画性・管理性に帰着しかねない危険性がある。「今日の生産力を、ついに認識されたその本性にしたがって、このように取り扱うようになれば、社会的生産の無政府状態がなくなって、社会全体と各個人との欲望にしたがって生産が社会的・計画的に規制されるようになる」とエンゲルスは『空想から科学へ』において書いているが、ヴェルヌやウェルズを代表に、SFの近代文明への懐疑は社会主義思想と結びつくことも少なくない。ヴェルヌはサン=シモン主義に共鳴しているし、ウェルズはジョージ・バーナード・ショーやシドニーとベアトリスのウェップ夫妻らのフェビアン協会に所属している。しかし、「“民衆階級から生み出された文化”と“民衆に押しつけられた文化”とを同一視することは、(略)愚かなことだ」(カルロ・ギンズブルグ『チーズとうじ虫』序文)。
SFが有効な時代には怪しげな発明家という姿をした科学者を通じて民衆の間から科学が生まれていたのであり、このジャンルは「民衆階級から生み出された文化」である。防毒マスクと信号機の発明で知られるギャレット・オーガスタス・モーガン(Garrett Augustus Morgan)は、アフリカ系アメリカ人だったために、生前、それにふさわしい賞賛を得られていない。多くの人々が彼の発明品の恩恵に預りながらも、1963年に亡くなった彼は、危なく、歴史から葬り去られかねなかったほどである。科学の一つの意義は世界の多重性・可能性を顕在化させ、既存の権威を再考させる点にある。「民主的であるためには科学的でなければならないはずである」(森毅『学校とテスト』)。
「否定の否定としての発展」…「大麦の粒をとってみよう。幾兆のこういう大麦粒は、引き砕かれ、煮炊きされ、醸され、それから食われる。だが、もしこのような大麦の一粒が、それにとって正常な条件に出会えば、つまり好適な地面に落ちれば、熱と湿気との影響を受けて特有の変化がそれに起こる、つまり発芽する。麦粒はそれとして消滅し、否定され、それに代わって、その麦粒から生じた植物、麦粒の否定が現われる。だが、この植物の正常な生涯とはどういうものか?それは生長し、花をひらき、受精し、最後にふたたび大麦粒を生じる。そして、その大麦粒が熟するというと、たちまち茎は死滅し、今度はそれが否定される。こういう否定の否定による結果として、ふたたびはじめの大麦粒が得られるが、しかし、一粒ではなくて、一〇倍、二〇倍、三〇倍の数で得られる。
(『反デューリング論』)
ブルジョアにとって、科学は生産向上のための道具であり、彼らはそれをプロレタリアートに押しつける。20世紀初頭のSFはそうした支配を諷刺するプロレタリア文学である。しかし、社会主義思想が明るい未来を提示するどころか、逆に、オルダス・ハクスリー(Aldus Huxley)の『すばらしい新世界(Brave New World))』(1932)やジョージ・オーウェル(George Orwell)の『一九八四年(1984)』(1949)のように、全体主義や管理主義の暗い恐怖をもたらすだけだと警告する作品も登場する。
Someday they won't let you, now you must agree
The times they are a-telling, and the changing isn't free
You've read it in the tea leaves, the tracks are on TV
Beware the savage jaw
Of 1984
They'll split your pretty cranium, and fill it full of air
And tell that you're eighty, but brother you won't care
You'll be shooting up anything like tomorrow's wasn't there
Beware the savage jaw
Of 1984
(Come see, come see, remember me?)
We played out an all night movie role
You said it would last, but I guess we've grown
In 1984 (who could ask for more)
1984 (who could ask for more)
Now we can talk in confidence
Did you guess that we've been done wrong
Lies jumped the queue to be first in line
Such a shameless design
He thinks he's well screened from the man at the top
It's a shame that his children disagree
They cooly decide to sell him down the line
Daddy's brainwashing time
He's a do do, no no didn't hear it from me
He's a do do, no no didn't hear it from me
She doesn't recall her blessed childhood out of yore
When a unit was a figure not a she
When lovers chose each other seems the perk's are due
Another memo to screw
She's a do do, no no didn't hear it from me
She's a do do, no no didn't hear it from me
Can you wipe your nose my child without them slotting in your file a photograph
Will you sleep in fear tonight wake to find the scorching light of neighbour Jim
Come to, turn you in
But the do do, no no, didn't hear it from me
Another do do, no no, didn't hear it from me
Another do do, no no, didn't hear it from me
Another do do, no no, didn't hear from me
Come see, come see, remember me?
We played out an all night movie role
You said it would last, but I guess we enrolled
In 1984 (who could ask for more)
1984 (who could ask for mor-or-or-or-ore)
(Mor-or-or-or-ore)
1984, 1984, 1984 (Mor-or-or-or-ore)
1984, 1984 (Mor-or-or-or-ore)
1984, 1984 (Mor-or-or-or-ore)
(David Bowie “1984”)
さらに、ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert Marcuse)は、1967年7月にベルリン自由大学で行った講演『ユートピアの終焉(Das Ende der Utopie)』において、エンゲルスの「空想から科学へ」の図式を批判している。カールの友人フレッドは「空想」が「科学」へと発展し、「科学的社会主義」が成立すると主張しているが、このカリフォルニア大学教授によると、社会はいかにあらねばならないのか、もしくは人間解放はどのようなものでなければならないのかという問題は、現段階でも、ユートピアであるから、それを前提にしなくては革命も社会主義もありえず、社会主義からユートピア性を排除したという点に社会主義の魅力喪失と凋落の原因がある。しかし、ハクスリーやオーウェル、マルクーゼは「科学」に関していささか誤解している。
森毅は、『学校とテスト』において、科学について次のように述べている。
現在のところ、「科学」ということばは、一方で「未来」社会を暗示する、SFまがいの憧れを持たす。その一方で、それが人間性を抑圧する何ものかであるかのような、怖れを感じさせる。これもまた、いくらかSFがかっていて、「未来学」のそれぞれバラ色の部分と黒い部分とに対応している。
これは、どちらも誤っている。それは、人間が科学から疎外されていることの、ふたつの表現である。
現在まだ、多くの人間に、科学は獲得されていない。せいぜい、科学の結果としての、知識の断片を、受動的に「与えられ」ているだけだ。科学の獲得とは、本来的に受動的なものではないので、それではニセ科学のニセ知育にならざるをえない。
その結果、「与えるもの」である、科学者もしくはニセ科学者にたいして、一面では憧れ、一面では怖れの感情を抱く。そして、憧れの象徴としての意味しかないニセ科学者になったり、あるいは、それを人間性の抑圧として嫌悪したりする。
事実は、科学からの疎外が、人間性の回復を不可能にしているのであって、科学をみずから獲得していくことこそが、人間性を回復する唯一の道であるのだが。デカルト流にいうと、何びとといえども、かわりにわかってくれる者はいないので、自分でわかるよりないわけだ。
エンゲルスは、「科学をみずから獲得」するために、未来を語っている。弁証法は自然にも適用されるという発想をジョルジ・ルカーチ(György Lukács)は斥けているが、彼は、『自然の弁証法』において、科学を援用し、弁証法を自然現象からも見出している。彼は量から質への弁証法的変化の例として脂肪酸(CnHmCOOH)の系列をあげている。nが0の場合、蟻酸(HCOOH)、nが1の場合、酢酸(CH3COOH)、nが2の場合、プロピオン酸(CH3CH2COOH)になるように、量的変化が化学的性質も変化していく。こうした比喩によって量と質は弁証法的関係を説明するなどヘーゲルはしない。
科学が未来を固定するわけではない。現代の科学は、ニュートン力学と違い、均質性に基づき、法則性に則った認識ではない。産業革命を推進した科学は熱力学や電磁気学であり、それは統計力学や量子力学を生み出し、非線形の科学へと連なる。
なるほど、古典的SFはエクストラポレーション的な思考である。これはある変域内のいくつかの変数値に対する関数値を推定する数学の手法である。既知の科学や資料、条件、知識、情報に基づいて、未来を推測し、古典的作家たちは作品を制作している。そこでも、重要なのは変数の存在であって、それによって、SFは多様な可能世界を描き得る。しかも、初期値敏感性があるので、どれだけ初期値がわかっていても、非線形現象の予想は不可能である。非線形現象は短期的には予測可能でも、長期的には予測はできない。科学が線形だけを扱っていた時代はすでに過ぎ去っている。
今日のSF作家は、ウィリアム・ギブソン(William Gibson)の『ニューロマンサー(Neuromancer)』(1984)を代表に、アルゴリズムによってコンピューター・シミュレーションさせるように、作品を書いている。彼らには、近代の小説家が持っていた意図やテーマも二次的であって、いかに方法を表現するかに関心が向けられている。SF作家は、エンゲルス同様、「科学をみずから獲得」している。「科学といっても、ようするに、『わからないことをわかるようにすること』であって、それはつねに進歩している。進歩するということは、先へ伸びるだけではなく、あらゆる部分、たとえば小学校教育でも、『わかる』ことがより容易になる、という意味でも進歩しているのだ」(森毅『学校とテスト』)。
形式論理学にしても、なによりもまず、新しい成果を見いだすための、既知のものから未知のものへと前進するための方法であるのだが、弁証法もまた同じであり、ただはるかに高い意味でそうなのである。そのうえ、弁証法は、形式論理学の狭い視野を突破するものなので、一つのいっそう包括的な世界観の萌芽を含んでいる。数学においてもこれと同じ関係がある。初等数学、すなわち不変量の数学は、すくなくとも大体において、形式論理額の枠内で動いている。微積分学をその最も重要な部分とする変量の数学は、本質上、数学的諸関係に弁証法を適用したものにほかならない。ここでは、この方法を新しい研究諸分野にさまざまな仕方で適用することにくらべて、たんなる証明はまったく従になっている。しかし、微分学における第一番目の証明をはじめとして、高等数学のほとんどすべての証明は、初等数学の立場からすれば、厳密にいうと誤りである。この場合のように、弁証法の分野でえられた結果を形式論理学を用いて証明しようとすれば、そうなるよりほかはないのである。
(『反デューリング論』)
それに、科学技術の発展は計画通りに生まれたものと偶然の産物の二つがある。後者は「セレンディピティ(Serendipity)」と呼ばれ、初期の目的としては失敗であるが、新たな成功が生まれたものと目的通りの成功にさらに別の可能性が隠れているものとにわかれる。医薬品や新素材の開発にセレンディピティは欠かせない。エンゲルスと社会主義やマルクスの出会いも同様だろう。「もし科学者になろうとするならば、今までの科学者と違う人間になる必要があるわけで、さもなければ祖述者もしくは追随者を作るだけである。つまり、科学性とは、本質的に企画性の正反対なのだ」(森毅『学校とテスト』)。「どういう事物についても、そこから発展が生まれてくるような、それ独特の否定の仕方がある」(『反デューリング論』)。
どの生物体も、各瞬間に同一のものであってまた同一のものではない。それは各瞬間に、外から供給された物質を消化して、他の物質を排泄する.各瞬間に、その身体の細胞が死滅して、新しい細胞が形成される.おそかれはやかれ、ある時間ののちには、この身体の物質はまったく更新されて、他の物質原子によって置きかえられる。だkら、どの生物体も、つねに同一のものであって、しかも別のものなのである。さらにいっそう詳しく考察すると、肯定と否定というような対立の両極は、対立していると同時に互いに分離することのできないものであり、まったく対立しているにもかかわらず、相互に浸透しあっているということがわかる。同様に、原因と結果とは、これを個々の場合に適用するときにだけそのままあてはまる観念であって、個々の場合を世界全体としての全般的連関のなかで考察するやいなや、両者は重なり合い、普遍的交互作用の観念に解消してしまうのであって、そこでは原因と結果とはたえずその位置を取り替え、いま、またはここでは結果であったものが、あちら、また後では原因になり、またその逆にもなるということがわかるのである。
(『空想から科学へ』)
エンゲルスの作品には予言と諷刺が満ちているが、その予言が的中したかどうかは問題ではない。初めて未来社会を描き、そのイメージを人々に浸透させたことが重要である。先行する思想の概観を説明して、うまく要約し、流れに位置づけるヘーゲル流の弁証法的歴史観に、当時流行の政治や経済、自然科学の用語を使って、マルクス以上に明快な文体で記す。反面、当然あるべき留保が付けられていないことも多く、ルイ・アルチュセールのように、好意的であったとしても、慎重な読者を失望させるケースさえある。
エンゲルスの提示した図式は、その後、楽観的なものにせよ悲観的にせよ、理論的・実践的なフォーマットに使われていく。社会主義社会や共産主義社会は資本主義社会の外部にあるわけではない。内在している。彼はそうした異種の時空間を顕在化させて見せ、この世界の権利上の存立可能性を問う。これはSFの方法論そのものであろう。彼は人々に自分自身の可能性に対する断続的な認識、集団とそのプロジェクト、未知なるものに対する自由化・民主化を訴えている。
資本主義社会と異なった多重の可能世界を示した点で、エンゲルスはライプニッツ的である。ライプニッツを援用してエンゲルスを読解することははるかに意義深い。エンゲルスのサイエンス・フィクションは思考の拡大をさせるある種のメタ哲学、観点の複数化である。科学的社会主義がSFであるなら、それはこの世界に限定されはしない。地球の外でもあり得る。ピエール・マシュレ(Pierre Machereyは「ヘーゲルかスピノザか(Hegel ou Spinoza)」と言ったが、SFは「エンゲルスかライプニッツか(Engels ou Leibniz)」を具現化している。「必然の王国から自由の王国へ!」
人生がどうとか言いますが、生きていくということは、どうせ現実と夢とをクロスオーバーしながらいくわけでしょう。ぼくが言う夢というのは、何かになりうたいという夢じゃなくて、虚構=フィクションのことです。フィクションを読むことで読む人間の考えが広がればいいんです。それはやはり自分本位なのかもしれません。ぼくは見る世界が拡がればいいんで、それがはっきり形をとった思想になるかどうかはわからないですけれども、世界の見方と言うか、一種メタ思想みたいなものが、小説にはある。小説というものは、そういうものではないでしょうか。
(森毅『ゆきあたりばったり文学談義』)