衆生済土の欠けたる望月【第十八話】

文字数 840文字





 比叡山の西塔にある黒谷(くろたに)別所(べっしょ)には、無冠の(ひじり)が集っていた。
 法然はそこの中心的指導者である慈眼房叡空(じげんぼうえいくう)の門を叩き、それまでの自身の求道遍歴を伝え、遁世(とんせい)の求道者となることを求めた。
 ……比叡山は世俗の垢にまみれていた。
 学問は自分の栄達のための手段と化していた。
 僧兵は権力闘争を繰り返していた。
 そんななか。
 わずかに黒谷の無冠の聖たちのみが、静けさのなかに厳しくも熱い、求道者の息吹を伝えていた、という。
 法然と言えば、念仏を一心に唱えれば、往生できるとした人物だ。
 日本史で習った通りだ。
 阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説いたのが、法然だ、ということだ。
 専修念仏に至るまでの道のりも伝説に彩られているが、称名念仏による専修念仏を説いたことがつとに有名だ。顕密の修行のすべてを難行としてしりぞけ、阿弥陀仏の本願力を堅く信じて「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることのみが正行とした。
 余計なものはいらない。
 ただ、唱えれば良い。
 そうすれば往生できる。

 話がズレたな。

 無冠の聖が集う黒谷の別所。
 まるでおれたちの済む三ツ矢学生宿舎のようじゃないか。
 おれたち〈ザ・ルーツ・ルーツ〉は求道者だ。
 間違いなく、な。
 民草を救うために、おれは魚山流声明を覚えた。
 マスターレベルまではほど遠いが、使いこなせている方だと思う。


 おれは「自力」の仏教を離れ「他力」の仏教に行き着いた。
 こればかりは偶然ではない。
 偶然じゃ、……ないんだよ。

 なぁ、山茶花。
 おれは狂っているだろうか。
 それとも、この世界が狂ってるんだろうか。
 世界は是正されることを望んでいる。
 そう思えてならないんだ。
 これがおれの至誠心(しじょうしん)だ。
 至誠心とは、真実の心のこと。
 そしてまた真実とは、心空しくして外見をとりつくろう心のないこと。

 つくろわない、真実の心で、おれは人々に極楽浄土を見せたいんだ。
 なあ、こんなおれはおかしいと思うか、萩月山茶花?



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

破魔矢式猫魔(はまやしきびょうま):探偵

小鳥遊ふぐり(たかなしふぐり):探偵見習い

萩月山茶花(はぎつきさざんか):語り手

百瀬珠(ももせたま):百瀬探偵結社の総長

枢木くるる(くるるぎくるる):百瀬探偵結社の事務員

舞鶴めると(まいつるめると):天狗少女。法術使い。

更科美弥子(さらしなみやこ):萩月山茶花の隣人。不良なお姉さん。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み