異世界オセロニア

文字数 20,786文字

 気がつくと、今まで一度も見たことがない見知らぬ世界にいた。

 周囲には巨大な建造物が何本も聳え立つ。それら建造物は一様に示し合わせたかの如く四角く細長い長方形の形をしていた。近づいてみるとその大きさに只々驚くしかない。こんな大きさの建物は元の世界で殆どお目にかかった事が無い。そんな建物が幾つも立ち並んでいるのは信じ難い光景だ。その建物には入口の他に透明感のある板がはめ込まれていた。それを通して外から建造物の中の様子を見ることが出来るようだ。覗いてみると中には恐らく服のような物が飾られていて売買されているようだ。売られている服は珍妙で見たことのないものばかりだ。目の前にはこの世界の人間を模した模型が服らしきものを身に着けて設置されている。

 「なんじゃ?妾に用があるなら黙っていないでいいものを」

 またしても黒い服を着て首元で結ばれた奇妙な布を体の前にぶら下げた男がじろじろと自分を見ながら通り過ぎていく。よくこういった装飾をした人間が通るが、これはこの世界の正装なのだろうか?それとも流行り?

 通りを歩く人間は自分を奇異の目で見たり逃げるように立ち去ろうとしたり反応に差はあれど自分を避けようとしているのは確かだ。話をすることも難しいかもしれない。

 自分の格好を見る。着ている服装は神宮の巫女装束、生えた尻尾に角に翼、全て白銀。______竜人の特徴であるこれらだが何故かいつもより小さくなっており目立たないようになっている。靴も履かず太股まで脚を露出した少女。

 「ふうむ、確かに少しだけ怪しいかもしれんの」

 この世界について完璧に把握しきれてはいないが、少なくとも自分の服装が「ずれている」事は分かる。今のところ竜人も魔族も天使も一切見かけないのが気になる。ここは人間の生活圏だからいないのか、下手すると存在していない可能性すらある。
 どうしてこの世界に飛ばされたのか真意は未だに分からない。

 「妾に一体なにをさせたいんじゃ?あの御方のお考えが分からん」


 コノエは竜人達の住む地の長を務めている。彼女は元々他の都に住んでいたが、その未来予知に匹敵する洞察力と上に立つ器を持っていたことからその地の治める長を任されたのだった。そんなコノエが異世界に飛ばされた原因は不明。勤めを終えて眠りにつき目を覚ましてみたらこの世界に立っていた。

 夢なのかと思ったがどうもそういう感じでは無いと直感で判断した。文化形態が見るからに違う事から根本的な部分が異なる別世界だということまではなんとか理解できた。

 何故自分はこんな場所にいるのか、誰かがなんらかの手段で送ったのかそれとも不慮の事故で飛ばされたのか。考えた末に辿り着いた一人の犯人。

 「あの御方」と呼ばれる存在。コノエの世界の竜人や竜達が尊敬と畏怖を抱き、本来の名前ですら呼ばれぬ至高の存在。あの御方なら別世界へ転移させることも可能だろう。だが何故コノエが選ばれこの世界に転移させられたのかは分からない。

 コノエはひとまず目立たないように人けの少ない場所、路地裏へ入っていった。幸い今は何ともないが竜人だとばれたらどうなるか分からない。殺される可能性も考慮すると目立つのは危険だ。
 「術も使えぬ、力もいつも通りに出せん」

 世界の理が違うからか竜人が本来使える力が使えない。竜人は普通の人間よりも竜の血が混じっている分、強いはずなのだがこの世界ではどうも普通の人間と同じ強さになってしまっている。もしかしたら竜人の特徴である体のパーツが軒並み小さくなっている事と因果関係があるかもしれない。そもそも竜人云々以前にコノエは元々前線で戦っている人間ではない。この世界の普通の人間にも手こずる、下手したら負ける。

 そんな知れば知るほど理不尽な状況だがコノエは至って冷静に物事を考えていた。

 「おいっ!そこのおぬし」

 コノエは裏通りにいた男に話しかけた。
 「えっ!?あっはい!?」

 男はさっきの人間たちと同じく黒い服に奇妙な布を垂らした姿をしていて薄い板状のなにかを指でなぞらせながらなにかをしていた。コノエが話しかけた途端に飛び上がり驚いた。男は板状のものをとり落としそうになり慌ててそれを掴んだ。

 「え―っと、どなたですか?なんの用でしょうか?___というかその格好はなんですか?コスプレ?」

 男は落ち着くと同時に不信感を露わにしながら話しかけた。男はどう見ても戦闘ができる類の人間ではない。気づいた時の慌てようからして無様としか言いようがない。彼なら安全だろう。

 「ああ、おぬしの言うコスプレとやらは分からぬがおぬしがそう思うのならこちらではそういう名前なのじゃろう。言葉が通じるなら質問があるのだがいいか?」

 「何故上から目線ですか!?そもそもコスプレを知らない?___いえ、まあ答えられる範囲であれば」

 「まずここはどこじゃ?」
 「はいっ?」

 「ここはどこだか教えてもらえぬか?」
 「いえ、別に繰り返さなくても言葉の意味は分かるのですが、自分でここにいるのにこの場所がどこだか分からないのですか!?」
 「そうじゃ」
 「・・・・・・あっさり答えられると困るのですが記憶喪失でもされているのですか?」
 「まあそういう事にしておくとするかの」
 「その言い方明らかに違う理由がありますよね?______えっと質問に答えるとここは東京都新宿区ですよ」
 「うむ、まるで分からん」
 「えっ!?知らないんですか?おかしいな日本語喋れるし会話も流暢だから日本人だと思ったのに。じゃあ外国人?分からない」
 「そなたらは日本人という種類の人間なのか?竜人みたいなものか?」
 「ええっ!?本当に貴方はなんなのですか?というか竜人って、私も漫画読むのは好きですけど流石にそれは」
 「この世界には竜人はいないのか?」

 「・・・・・・本気で言っています?その、あなたの言う竜人というのは空想上の存在で現実にいるわけないですよ」
 「そうか、じゃが竜人は実在しておるぞ。この妾こそその竜人なのだからな」

 自信満々な顔のコノエに対し男はなにを言ってるんだこの人と言わんばかりの困惑した表情を浮かべている。

 「そんなに妾の言う事を信じられぬなら、この角と尻尾、翼はなんだと申すのだ?」
 コノエはいつもと比べ二まわり小さくなっているこれら竜人の特徴を指差し尋ねた。

 「それは___装飾品に決まってるでしょう?変な装飾だとは思いますが。いや、改めて見ると本当になんなのですか?あなたのその姿」

 「おぬしの指摘は間違っておる。これらは装飾品では無いぞ」

 コノエはそう言うと尻尾や角をぐいぐいと引っ張り本物であると彼にアピールする。

 「いや、自分で引っ張ったところで______すみませんが私に触らせてもらえませんか?」

 「ふむ、仕方あるまい妾の名誉の為じゃ許して遣わそう」
 神聖な体故にあまり触られたくないがこのまま竜人の存在を信じてもらえずほら吹き扱いされるのは遺憾だ。男が角を触ろうと手を伸ばす中、コノエは男に忠告する。
 「許したとはいえ本来であればおぬしのような者が触るべきではない妾の神聖な体じゃ、丁重(ていちょう)に妾に感謝の意を示しながら触るのじゃぞ」
 「ああ、そうですか。分かりましたよ」

 男はコノエの忠告を話半分に受け取り、角を触った。恐らく彼はまったくコノエの言うことを信じていない。だが、その認識はものの数秒で変わる。
 「はっ?」
 男は若干青ざめた顔をした。自分の思っていた感触と違ったからだろう。男は角を少しだけ引っ張った。勿論抜けない。
 「おいっ、あまり引っ張るな抜けたらどうする?竜人の誇りなのじゃぞこの角は!」
 「あ、はいすいません・・・・・・どうなっているんだ?」

 男はコノエの髪を掻きあげ、角の根元を見ようとした。
 「妾は角を触ることは許したが髪を触ることまでは許しておらんぞ?」
 「いや、すいません!しかしこれは確かめないといけないので許してください」
 
 角にはきちんと根元があった。角は飾りではない、角は頭から生えている。
 「なんじゃ?もう気は済んだかの?」
 男は目を白黒にさせ自分の見た光景が信じられないといった様子だ。

 「あ、ああ」
 男は角を握っていた手を離す。

 「これで信じてくれるかの?」
 「竜人かどうかはともかく、その角が本物であることは______信じます、信じるしかないです」
 男は納得のいかない様子だが角が生えた人間がいるという事実は認めるしかなかった。
 「ここまで見てもいまだに信じぬか。ほれ、妾には尻尾もあるし翼もあるぞ」
 「それは______多分この調子だとこれも本物か、私は夢を見ているのか?」
 翼が上下に動き尻尾がくるくると回る様子を見て、男は「尻尾と角と翼が生えた人間がいる」というのが事実であると認めるしかなかった。


 「竜人の話は一先ず置いておくとしてあなたはここが何処かも分からない家出少女ということですか?」
 「家出もなにもこの世界には妾の家などないぞ」
 「いやそんな訳、ああさっきの問答のせいであなたの言うことがなにもかも正しいんじゃないかと錯覚しそうだ」
 「疑う必要はない。おぬしの考えつく凡百な疑いなぞ妾が秒で論破してくれようぞ」
 「分かった、分かった。私が悪かった。とにかく記憶喪失?している少女がそんな格好で彷徨っているなんて危険すぎる。私も面倒を見切れない。警察の所で世話になってもらいますがいいですか?」
 「警察とは誰じゃ?」
 「______犯罪者を取り締まったりするお仕事をしている人を指す言葉です」
 「なんじゃ?妾は悪人なのか?先程恥をかいたからといって善人の妾を悪人に仕立て上げ証拠を隠滅しようとしても無駄じゃぞ?なに安心せえ妾はおぬしの無礼を許すし吹聴もしないでやろう」
 「あなたは私をなんだと思ってるんですか?別にそんな意図で言ってません!警察は悪人を取り締まる以外にもあなたのような身元の分からない人を保護して助ける役目もあります。警察なら国中の個人情報を扱えますしそうすればあなたの身元も分かるでしょう」
 「さっきも言ったが妾の帰る場所はこの世界にはどこにもないぞ」
 「記憶喪失、しているんでしょう?だったら分からないでしょう」
 「ああ、そういえばそういう設定じゃったな。あれは噓じゃ、実際は妾はこの世界とは別の世界から突然転移されてきたのじゃ。いきなりこの話をしても信じぬじゃろ?だから妾は今まで嘘をついていたんじゃ。どうじゃ、納得したか?」
 「いや、竜人のことよりもっと信じられないのですが、逆に噓じゃないと言ってほしいのですが。______ああ、有り得ないと否定することが出来なさそうなのがもどかしい!」
 「否定もなにもそれが真実じゃからな」
 「どちらにしても警察に行きます!警察なら私の手に及ばない事態にも対応してくれるはずです」
 「まあ、ええわ。妾もどうしたらいいか分からないしの。その「けいさつ」やらの元に行くのも悪くないかの」

 こうしてコノエとその男は警察に行くことになった。

 「ところで名前はなんです?」
 「コノエと呼ぶがよい」
 「私は杉本です」
 「そうか、では杉本、エスコートを頼むぞ」
 「エスコートの意味も分かっているのに一定の知識が不自然に欠けている。本当に異世界から来たと言われても信じてしまいそうだ」



 それから10分後。

 コノエたちは洋服店で服を買っていた。洋服店はさっき覗いていた場所と同じところだ。
 「妾たちは警察に行くのではなかったのか?」
 「周りの人にじろじろ見られて恥ずかしかったからです!このままの格好じゃ私が犯罪者にされそうだ。よく今まで通報されませんでしたね!ああっくそっそれも異世界から突然転移したからで説明がついちゃうのか。ああ、外堀が埋められていくっ!」
 「はっはっはっ!自分から墓穴を掘るとはおぬし中々面白いのお」
 「はあ、どうしてこんなことに。私のファッションセンスはいいとは言えないが応急処置くらいは。よし、とりあえずこれでいいか」
 杉本は白色のワンピースそして帽子と靴を一着づつ持ってきた。
 「妾にこれを着ろと?まあよいじゃろう。この世界の美的感覚は分からぬが妾は気に入った」
 コノエは試着室と呼ばれる場所で着替えた。


 「どうじゃ杉本似合っておるか?当然似合っとるな!妾はなにを着ても美しいからの」
 「返事聞く前にそんなこと言われたら似合っているとしかいえませんよ。これで違和感は消えたでしょう」
 コノエの尻尾と翼はワンピースの中に服ではどうしようもできない角は帽子の中に入れて隠した。これで人々から変な目で見られることは無いはずだ。

 「よくやった杉本、褒めて遣わすぞ」
 「お礼にしては上から目線すぎません?」
 「これが妾なりの最上級の褒め言葉なのじゃが不服か?」
 「いえ、もういいです・・・・・・」

 本来なら会社の休憩時間が終わり次の仕事が始まる筈だった。上司には連絡したが、信じてもらえず。後で警察から連絡を貰ったら信じようということになった。今日は災難だ。

 
 交番に行く道中、コノエ達はいくつもの大通りを横断した。縦長の建造物は「ビル」と呼ばれ中には店や仕事場が沢山あるのだという。途中で自分のいた世界と似た雰囲気を漂わせている場所があることに気づいた。聞くとそこは明治神宮と呼ばれる場所で神を祀っている場所らしい。
 この世界にも神宮があるとは。神宮はコノエの世界にもあり、コノエは神宮に住んでおり、そこで彼女は祀られていて人々から茶菓子などのお供え物が納められ慕われているという話をしたが杉本には信じてもらえなかった。信じていないというか見て見ぬふりをしているというか。まあ今は彼に頼るしかない以上無礼は許した。


 ようやく「交番」が見えてきた。これからどうなるのか見当もつかないが、取り敢えず少女を送り届けることは出来た。これで重荷が降りた。そう思った矢先だった。

 「杉本、これ以上先に進めんぞ」

 コノエは交番まであと少しというところでこんな事を言い出したのだ。コノエは交番へ進もうとするがまるで目の前に見えない壁があるように先へ進むことが出来なくなっていた。

 「はあっ!?なんですかそれ?幾ら異世界がどうのこうのという話が本当だとしてもここではそんな事起きないでしょう!?あなた本当は警察に行きたくないんじゃないですか!?」

 「そんな事無かろう妾は頑張って警察の下に行こうとしておるのじゃっ!おぬしも手伝えっ」

 「ああっ、もうっ」

 杉本はコノエの腕を引っ張り交番へ連れて行こうとした。駄目だ、いくら力を入れてもコノエは一定のラインより先に進めることが出来ない。

 「杉本っ!止めよ、これ以上やっても妾は向こう側に行けぬ。これ以上やると向こうに行くよりも先に妾の手がちぎれかねん」
 杉本は仕方なくコノエを引っ張るのを止め、警察をここに連れてくからここで待っていろとコノエに言ってから交番に一人で行った。

 数分後、交番から杉本と若い変な帽子を被った男が出てきた。二人はコノエのいる道までやって来た。
 「それで迷子はどこにいるんです?」
 「ここです、ここ。見えないんですか?」

 どうも杉本と警察の様子がおかしい。杉本はコノエを指差しているが、警察は首をかしげるばかりだ。

 「ここって、誰もいないじゃないですか」
 「いや、いるじゃないですかこ・こ・に!」

 杉本はコノエの横に立ち、コノエの頭を軽くたたく。また神聖な体に触りおって。今度触ったら許さぬぞ。

 「杉本、神聖な体にそう何度も触れるな。妾の体が穢れる」
 「ほら、今喋ったでしょう?」
 「なにを言ってるんですか?あなたには一体なにが見えているんですかなにが聞こえているんですか?」
 「うっ、これは冗談か?いや、違う。流石に違う。だったら、そこに立ってみてください」
 杉本は警察をコノエの立っている場所に誘導した。
 「はあ、なんなんですか」
 警察は文句を垂れながらもコノエのいる場所に近づき、立った。

 コノエも杉本も驚くしかなかった。コノエと警察の身体が重なっている。まるで片方がそこに存在していないかのようだ。杉本は驚き、警察に触れようとする。

 「もうなんですか?おちょくるのも大概にしてください。これ以上度が過ぎたいたずらをすると業務執行妨害で逮捕しますよ。迷子がいるというのは嘘なんですか本当なんですかどっちなんですか?」
 警察に触る前に警察はその位置から歩き、杉本から遠ざかった。警察から見ればおかしなことを言う人がいきなり手を伸ばしてきたのだ避けようとするのも無理はない。

 杉本は押し黙るしかなかった。杉本は最後の望みにかけた。
 「すいません、ここに少女が一人いますよね?見えますよね?」

 通行人達に聞く。だが通行人は皆異世界に来た直後のコノエのようにおかしな人を見る目で通り過ぎていく。中には親切に(可哀想な人を見るような目だが)そこに誰もいないことを教えてくれる人もいた。

 最悪だ。さっきまでコノエは通行人には確実に見えていた筈だ。それが今では誰の目にもコノエを見聞きできなくなっている。コノエの姿を見れるのは世界でたった一人、杉本だけだ。
 いよいよ警察に怪しむような目で見られたので、杉本は自分は迷子がいると嘘をついていたと嘘をつくしかなかった。



 もはや、頭を抱えずにはいられない。他人には視認できない少女を一人抱え立ち往生するしかない絶望的な状況。なのにコノエは冷静なまま、座ってなにか考えを巡らせている様子だ。彼女にとってこれは由々しき問題のはずだ。わけも分からない異世界に飛ばされ、自分のことを認識している存在が中年の男一人。そんな誰もが肩を落とすしかない出来事なのに彼女は平然としている。その度量の大きさは一体何処からきているのだろうか?さっき聞いた神宮で祀られているなどといった話も眉唾物ではないのかもしれない。本人にそれを言うと調子に乗りそうだから今は言わないが。

 「ふむ、なるほどこれはつまりそういう事かのう」
 コノエはなにかに納得したらしく、顔を上げて立ち上がった。

 「で、これはどういうことなのか説明してもらってもいいですか?」
 「これはつまり、あの御方の仕業じゃなっ!」
 「その、あの御方ってなんですか?誰なんですか?」
 「名前は誰も知らぬ。だから皆あの御方と呼ぶしかない。妾たち竜人や竜が崇めている世界の頂点に君臨する存在じゃ」
 「そのあの御方という人がこの現象を起こしたと?」
 「そうじゃ、妾をこの世界に呼び出したのもあの御方だと妾は考えておる」
 「全ての元凶じゃないですかっ!」
 「確かにそうじゃが、あの御方を元凶なんて不名誉な名前で呼ぶでない。あの御方はお考えはいまいち分からぬが無駄なことをしたがる者ではない。妾をこの世界に呼び出したのにも理由がある。じゃからあの御方を侮蔑することはあってはならないのじゃ」

 今までまるで自分が常に一番上の立場であるような態度をとり続けた傲慢不遜なコノエがここまで慕う「あの御方」とは何者なのだろうか?若い頃読んでいたバトル漫画特有のインフレを思い出す。少なくともこの世界に干渉できると考えるとその格の違いが身にしみる。実際に体験しているからこそ言える。「あの御方」は逆らっちゃいけない知ってはならない禁忌の存在、そんな雰囲気を醸し出している。

 「いくらそのあなたが崇めるあの御方といえど、自分の存在を私以外に認識させなくするなんて流石にやりすぎじゃないですか!?酷い仕打ちですよこんなの」

 「五月蠅い奴じゃの。自分のことでもないのにそんなに感情的になるでない。安心せよあの御方はちゃんと考えておる。______ほれ、そこの者こんにちはじゃっ」
 コノエは近くを通り過ぎる通行人に挨拶した。通行人は突然挨拶されて少しびっくりした様子だったが、「こんにちは」と返してその場を去った。

 「今度は見えるようになっている?」
 さっきとは打って変わってコノエの姿も声も通行人にしっかりと届いていた。
 「この通りじゃ、あの御方は妾の存在の認識についてオンオフを切り替えることが出来るようじゃ」
 「なんですかそれ、なんでもありじゃないですか。では何故さっきは存在の認識を消したのですか?」
 「恐らく妾を警察の方に行かせたくなかったのじゃろうな。なんなのかは分からぬが妾はこの世界になにかする為にやってきたと推測しとる。警察はその目的を果たすうえで不都合が生じるのじゃろう。あの御方はそれを危惧して妾を認識できなくしたのじゃろうな」

 「なんですかそれ、あの御方って自分勝手ですね。これで迷惑がかかる私のことは一切考えていないじゃないですか」
 「あの御方の悪口を次言ったら妾も黙ってはおれんぞ?」
 「うっ、すいませんもう言いません」
 コノエの目が人を殺しそうな目をしていたので急いで謝った。「あの御方」の悪口はこれからは心の中に留めることにした。


 「それで杉本はこれからどうするのか?」
 「私は職場に戻りますよ。あなたの方こそどうするんですか?」
 「ふむ、特に目的も無いし杉本についていくぞ」
 「えっ!?」

 流石に職場に彼女は連れていけない。仕事の邪魔になるという理由もあるがそれ以上にあらぬ疑いをかけられる可能性もある。あの御方とやらがコノエの認識をまた消してくれれば助かるが、さっきの事件であの御方は自分には特に気遣いやフォローはしてくれないと分かった。彼女を連れ込むのはまずい。______こうなったら仕方ない。

 「悪いが職場には連れてこれないコノエのような子供は入れないんだ」
 「妾はこう見えて子供という歳でもないんじゃが・・・・・・。では妾にどうしろと言うんじゃ?野宿する気も無いしおぬしの言う事を聞く気もないぞ」
 「少しは聞けっ!これは私の家の合鍵だ。渡しておく。これからお前を駅まで送る、そしたら指定した電車に乗って私の言った駅に辿り着いたら降りて、私がこれから言う道を歩く。そしたら私の家があるから鍵で家の中に入ること。そしてそのまま私が仕事から帰るまで待機していること!分かったか?」
 「おう、分かったぞ。妾はそのままおぬしの家の居候になるわけじゃな」
 「そんな訳あるかっ!引き取り先が見つかったらそこに引き取ってもらう。それまで住まわせてあげるというだけだ」
 「けち臭いのう、どうせ独身の身なのじゃから妾一人くらいいいじゃろうに」
 「そうですか、独身に見えて悪かったですね。私はこれでも結婚してます。一人娘もいます!」
 「ほう、それは悪かった。家にいるその一人娘とやらは妾を見て驚いたりしないのかの?」
 「後でメールで事情は伝えておきますよ。まあそりがあなたと合うかは分かりませんが」
 「そうか、ところで家には娘以外に母親もいると思うのだがそちらにも連絡するのか?」

 「______妻とは途中で別居して今は事故で亡くなっています」
 あまりその話題に触れられたくないのか顔を背けながら杉本は答えた。
 「ほうほう、そなたも中々に修羅な人生を歩んでおるのじゃな。はっはっはっ」
 「割と重い話なんですがなんですかその反応!?この話で笑う人初めて見たのですが」
 「はっはっはっ、こういう話は笑って流したほうがいい場合もあるのじゃぞ?世の中スマイルは大切なのじゃ」
 「______そうですか?私はそうは思いませんが」

 口ではそう言ったものの実際は彼女の笑いで少し心が軽くなったような気がしたということは秘密だ。
 
 
 

 「ほうほう、これはまた不思議な仕組みじゃの」
 薄い板状の鍵をかざすとドアが反応して開く。鍵穴に差し込む必要がないオートロック式のマンションだ。
 ここに来る途中も電車という乗り物に我ながらはしゃいでしまった。このビルも面白い。摩訶不思議なエレベーターという乗り物に乗り、杉本から聞いた番号を押す。到着して教えてもらった部屋番号に到着しカードキーをかざすと部屋に入ることができた。
 「ふむ・・・・・・」
 リビングを一通り見てからの感想。
 「綺麗じゃの、妾の住んでいる神宮の部屋にも劣らぬ部屋じゃ。あの者には勿体ない程豪華な住居じゃ」
 コノエは家主がいない事をいいことに部屋を物色する。スイッチで風を送る機械、もふもふの毛布、枕、そしてそれらを置くのにうってつけのソファー。コノエはソファーに横になり毛布を自分にかける。自分に向けて機械で風を送る。

 「うむ、思った通り寝心地がよい」

 風にあたり気持ちよさそうにしていたコノエだがぎゅるるるるとお腹が鳴いたのを聞いて顔をしかめる。そういえばここに来てからなにも食べていない。考えることも多かった分、お腹の減りも早いのだろう。あの御方ならコノエのお腹がすかないようにしていると思ったが違うらしい。甘えるな自分で頑張れという事なのだろう。今一番欲しいのは甘味、甘いものだ。頭を使うと甘いものが欲しくなる。コノエはその職業柄ずっと頭を使い続けている為、必然的に甘いものが好きな体質になっている。

 「これは、食えるのかの?」

 コノエは鍋などが置いてある料理するらしき場所から1つの容器を取り出す。容器に書かれている文字は読めない。残念ながら発音体系が同じだけで文字はこちらとは異なる文字のようだ。文字を解読しようと試みたが、まるで読めない。仕方ない、ものは試しだと蓋を開こうとしたその時。

 「だめええええ!!」

 コノエを制止する声が部屋中に響いた。




 「なんじゃ?妾はただ蓋を開けて中身を確認しようとしただけじゃ、訳の分からんものにいきなり口をつけて飲んだりするなどするわけがなかろう?」 
 「結果的にはそうだったけど、心配して声を掛けるに決まってるじゃん!もしもあなたが本当に飲もうとしてたらどうするの?私は嫌、目の前で一人洗剤を飲んで死んだりしたら」
 「ふん、まあ妾を気にかけてくれたようではあるし今の無礼は許そう」

 コノエの目の前にいるのは学校から帰って来たばかりの少女、杉本の言っていた一人娘だ。顔は父親とは似ても似つかないが仕草などに面影がある気がする。いや、正直似てない。強いて挙げるとすれば体型は似ているだろうか?セーラー服を着た黒髪のロングヘアの可愛い少女だ。
 学校から帰って来た彼女がドアを開けたらコノエが洗剤を開けようとしている姿を見て我先に止めてあげようとしたらしい。


 「あんた、本当に異世界から来てるのね・・・・・・。ああ私の名前は絵里香、絵里香って呼んで」
 絵里香はコノエの頭に生えている角をいじりながら自己紹介をする。
 「それより妾の角にあまり気安く触るでない!父娘揃ってもう少し遠慮というものは無いのか?」
 絵里香は父親からのメールからコノエが家に来ることを知った。遂に父親の頭がおかしくなったんじゃないかと心配したが、父親の「信じられないなら彼女に角と翼と尻尾が生えているのを確かめてみろ」という伝言から絵里香はコノエに角があることを確認した。

 「角が生えてる、これでも十分おかしいんだけど。ところで翼と尻尾は?」
 「杉本に言われてこの服の中に隠しておる。出していると怪しまれるからの」

 着ているワンピースをひらひらはためかせながらコノエは答えた。

 「うわっそれっぽい理由、見せて見せて!」
 「うおっちょっ妾に気安く触れるでない!ええい、仕方がない。妾が特別に服を脱いで見せてやろう感謝するがよい」
 コノエの服を脱がそうとする絵里香にコノエは困惑しながら自分に翼と尻尾があることをワンピースを脱いで見せつける。
 「うわっ、本当にある!尻尾可愛い、触っていい」
 「一回だけじゃぞ」
 「わあっ!」
 絵里香はきらきらと目を輝かせながらコノエの尻尾を触る。
 「ちょっ、あまり尻尾を撫でるな!くすぐったいぞ」
 「ははは・・・・・・」
 いまいち調子が狂う奴だ。こういうタイプの行動を見抜くのは難しい。

 
 「うわあ凄い、ファンタジーの異世界にありそうな服装!」
 コノエが元々着ていた服装を身に纏うと絵里香はまたはしゃいだ。
 「巫女っぽい服を着ているけどもしかして元の世界では神社とかにいたの?」
 「妾は神宮で皆に崇められているのじゃっ」
 「そっかあそうなんだあ」
 「おぬし本当に信じとるのか?」
 「うん、信じてる信じてる」

 
 「それはそれとして腹がすいたぞ」
 コノエの腹の音は鳴り止まない、食べ物を欲している。
 「そうなの?それもそっかこっちに来てから飲み食い一回もしてないらしいもんね」
 「おぬし、食べ物はどこにある?」
 「それはこの中、これは冷蔵庫っていうのこの扉を引っ張れば開けられる。食材の貯蔵庫のようなものだと思ってくれればいいわ」
 「待ってて今探すから」
 絵里香は冷蔵庫の中を物色する。
 「出来れば甘いものがいいのう、妾は甘いものが大好きじゃ」
 「そうなの?私も同じ。そうね、だったらこれとかこれっ!私のおすすめよ」
 
 テーブルの前に置かれたのはプリン、あんドーナツ、バウムクーヘンと呼ばれる菓子だ。

 「どうぞ」
 「では遠慮なくいただくとするぞ」

 プリンはぷるぷるとした触感で口当たりがよくまろやかな甘い味がする。カラメルと呼ばれる茶色い部分はほんのり苦く白い部分との味の差を楽しめていい。
 バウムクーヘンは焼き菓子でしっとりとした甘い味のする菓子だ。
 あんドーナツは一番気に入っている。砂糖でコーティングされたドウは勿論のこと中に入っているこしあんが堪らない。ドウとあんで違った甘さを感じることができる。それらが口の中で混ざり合い究極の甘味を形成する。

 
 「美味しかった?コノエちゃん世界で一番幸せそうな顔してたけど」
 「うむ、妾は満足じゃ。特にこのあんドーナツというものは気に入っておるぞ」
 「へえ、やっぱりコノエちゃんって見た目通り日本人と味覚一緒なのね。この中で日本で発明されたお菓子ってこれだけだし」
 「ほう、妾は日本人かっ!それは名誉なことなのか?」
 「別に名誉とかそんなのは無いわよ、私もパパも日本人だし」
 「ほう、そうか。では別に妾は日本人だろうがそうじゃなかろうがどうでもよい」


 コノエと絵里香は互いの異世界について日が沈み夜になるまで話し続けた。双方異世界について興味津々で話題が尽きる事が無かった。

 絵里香の父杉本が帰ってきた時にはお互い話しすぎて話し疲れていた。
 「ただいま」
 「パパ、遅い!夕飯までには帰ってくるって言ってたでしょ」
 「おかえりという返事を期待したのだが・・・・・・ともかく今日は悪かった。色々仕事を押し付けられた。お詫びに夕飯ちょっと高い弁当にしてきたから」
 「おい、杉本!遅すぎて絵里香も妾も疲れてしまったぞどうしてくれる?」
 「ちゃっかりまるで当然のように会話に溶け込むのやめてください。泊まる場所も無さそうなので仕方なく家に泊めてあげてるだけなんですからもう少しその上からの態度はどうにかしてほしいのですが」
 「ちょっとパパ!流石にコノエちゃんが可哀想でしょ。悪い子じゃないんだしそんなに悪く言わないであげてよね」
 「そうじゃ、妾は悪い子では無いのじゃ」
 「一体誰のせいで帰りが遅くなったと思って______はあ、二人がうまくいっているようでなによりです」
 「うむ、なにせ絵里香と妾は最高のタッグじゃからな!」
 「そうそう、コノエちゃんと私って相性がいいみたいずっと話し込んじゃった」

 予想以上に二人は上手くいっているようだ。若い者同士波長が合うのだろうか?これなら特に心配する必要もなさそうだ。


 こうしてコノエと絵里香、杉本の三人での奇妙な生活が幕を開けた。

 「コノエちゃんはいいなあ、学校に行かなくていいなんて」
 翌日、学校に行く準備をしている絵里香はコノエに対してそう愚痴をこぼした。
 「まあ妾は勉学に励む必要は無いからの。おぬしの父からも学校に行くのを止められたし仕方あるまい」
 「じゃあさ、この問題解ける?」
 コノエの発言につい、むっとなった絵里香はコノエに数学の問題集のページを見せた。

 「うーむ、妾はこの世界の文字は読めんのじゃ」
 「じゃあ、書かれてる文章を言えば答えてくれる?」
 「ああ、答えるぞ」

 絵里香は問題集に書かれた問題を口頭で出した。結果は全問正解。紙に計算式を書くこともなくすらすらと答えた。絵里香は凡人と天才の差を痛感することとなった。______最後の問題なんか自分も解けないのに。

 
 絵里香が学校に行った後、コノエは絵里香の部屋を漁り、国語の教科書を見つけ最後のページを開く。そこには平仮名と片仮名の表が載っていた。文字が読めないというのはこの先、この世界にいるとなると大きな問題となる。そこでこの世界の「日本語」である平仮名、片仮名、漢字から学ぶことにした。
 元々発音は同じである以上、こちらの言語と一致するものも多くコノエは絵里香が学校から帰ってくる間に平仮名も片仮名も完璧にマスターし漢字も小学1年生の扱うものなら書けるようになっていた。

 「どうじゃ、書けるようになったぞ」
 絵里香が学校から帰ってきた後、コノエは平仮名を全て紙に書き記した。
 「うわっコノエちゃん凄すぎ、朝は平仮名の「あ」すら分かっていなかったのに。ひょっとしてコノエちゃんって天才?」
 「そうじゃ、妾は天才じゃ!もっと妾を讃えてもよいのじゃぞ?」
 「もう、コノエちゃんってばすぐ調子に乗るんだから。・・・・・・ねえ、そんな天才のコノエちゃんに一つお願いがしたいんだけどいいかな?」
 「ほう、妾にお願いとな?一体なんなのじゃ」
 「甘党仲間として、ね?」


 コノエと絵里香は台所に立っていた。
 「妾におぬしが作るお菓子を食べてほしいと?」
 「うん、私将来はパティシエになろうと思っているの」
 「パティシエ?料理人のことか。妾の世界にもそんな称号を名乗っていた者がおったが」
 「正確にはお菓子を作るのを専門にしている料理人っていうのが正しいかしら」
 「なるほど、それで絵里香はそのパティシエとやらになる為日々お菓子を作っているのじゃな?それで妾に味見をしてもらいたいと」
 「そうそう、友達やパパにも食べてもらってるけどコノエちゃんにも食べてもらいたいの!異世界の感性?というかそういうのも参考にできそうだし」
 「そうか、妾は別に構わぬぞ妾は甘いものじゃなくとも菓子は大好きじゃからな大歓迎じゃ」
 「よしっじゃあ早速始めちゃおう!」

 出来上がったのは大きいケーキだ。苺などのフルーツが彩りよく飾り付けられ美しい姿をしている。
 「うまそうじゃな、本当は全部食いたいのじゃが絵里香がそこまで言うなら仕方あるまい。本当は全部食いたいのじゃがの~」
 「そんな恨みつらみを言われてもこれ以上は出せません!残りはパパと友達にも食べてもらうんですから」
 切り分けられた自分のケーキと元のケーキを見比べ不満を言うコノエの要求を絵里香はぴしゃりと断る。
 「んな、けちんぼじゃの。分かった分かった次からもっと大きなケーキにしておくれ」
 「小さいからこそ一口の重みが変わるものですよ。一口が大切になるからこそより人はその一口でその味を確かめたいと思うようになり味をより深く繊細に感じることが出来るんです」
 「成程、深いの。パティシエの理念のようなものか?とにかく妾は頂くとするぞ」

 コノエはケーキをスプーンで掬い取り一口、口の中に入れた。
 「うむうむ」
 「どう?」
 絵里香の問いかけも無視してコノエは黙々とケーキを食べ進め、一言も発さず完食してしまった。
 「げっぷ、もう全部食べてしまったか?もっと欲しいぞ」
 威厳もへったくれもない大きなげっぷをしながらコノエはようやく物を言うようになった。
 「それでどうなの美味しかった?」
 「ふむ、このケーキ甘さは十分あるのじゃがちょっとくどい。生地もちょっとぱさぱさじゃ、もっとふわっとした仕上がりにして欲しいの」
 「予想外にも辛辣な評価!?」
 コノエが黙々とケーキを貪る様子から絶対においしいと言われると思ったが、どうやらそうではないらしい。
 「なんじゃ?ケーキを食べて感想を言えといったのはおぬしじゃろう」
 「いや、甘党のコノエちゃんが甘すぎてくどいとか生地について言及するとは思わなかったから・・・・・・」
 「妾は甘いものが好きなのは確かじゃしこのケーキも妾好みじゃ。しかしおぬしがパティシエになるというのであれば妾以外にも多くの客にこれを提供する。それならば妾の好み度外視で一般から見た視点でどうなのか考えるべきじゃ。このケーキは正直言って甘すぎる。妾くらいの甘いもの好きでないと食べきれんぞ」
 「うっ、ぐうの音も出ない正論・・・・・・」
 確かにコノエの言う通りだ。私はケーキを甘くしようと砂糖を多めに入れている。友人や父は食べた時美味しい美味しいと言っていたが、もしかしたら内心甘すぎると思っていたのかもしれない。思い返してみれば生地も焼き加減を妥協してしまった部分がある。コノエはこれらの悪い点をピンポイントで指摘してきた。彼女は自分の思ったことに正直で見た目で判断したりしない人間だ。
 「ふふ、分かったわコノエちゃんの意見すごい参考になった」
 「そうじゃろそうじゃろこれからもパティシエになるため日々精進せよ」
 上から目線な言い方だがそれが彼女なりの自分へのエールだということを絵里香は分かっている。
 「ありがとう、コノエちゃん」


 それからというものコノエと絵里香は頻繁にお菓子を作ってコノエがそれを食べて評価するといった日々を送った。彼女は食べる度にアドバイスをくれ絵里香はそれに応える。そんな生活にお互い慣れ始めていた。
 「コノエちゃん、近所にスイーツショップが新しくオープンしたんだって!買いにいこっ」
 二人は父にねだり、近所のスイーツショップに時には都内にある有名なスイーツ店に行き色んなスイーツを食べた。流石にプロが作っているだけあってコノエも辛辣な評価を出したりはしない。それでもたまに毒を吐くところは彼女らしいと言える。

 
 コノエが家に来てから1ヶ月が経った。父は知るかぎりの児童養護施設をあたったが、電話が途切れたりコノエを連れて行ってもコノエの姿が認識されずやむをえず引き返すといったことが続きどこにも引き取られるめどはついていない。
 あの御方はやはりここでコノエになにかして欲しいと思っているのだろう。それがなんなのか全く分からないが。

 ある夜の日。

 コノエと絵里香は一緒のベッドに寝ていた。コノエの為にわざわざベッドを買うわけにはいかずやむを得ずこうなった。

 「コノエちゃんは今の生活はどうなの?」
 「うん?」
 なかなか寝付けずにいた絵里香は隣のコノエに話しかける。
 「コノエちゃんは今の生活を楽しいと思っているの?」
 「妾は今の生活を愉快だと思っとる」
 即答だった。
 「じゃあコノエちゃんは元の世界に帰りたいと思う?」
 「妾はずっと帰りたいと思っとるぞ」
 これまた即答だった。
 「どうして?もしかしたら向こうの世界じゃもうコノエちゃんは死んだ扱いにされてるかもしれないしもしかしたらお役目とか無くて一生戻れないかもしれないんだよ」
 「あの御方にかかれば妾の世界とおぬしらの時間の流れを変えるくらいたわいもない。向こうには妾を待ってる人々がおる。妾はその地の主、絶対に帰らなければならぬ」
 「そう、だよね。コノエちゃんも向こうには沢山の大切な人がいるもんね・・・・・・」

 いつか来るであろう別れの時、絵里香はそれが怖くなっていた。



 某月某日
 ネットのとあるサイトのあるページで絵里香はマウスを止めた。遂に見つけた。ずっと探していたレシピだ。見た目が同じだから恐らく母はこれを参考にしていたに違いない。


 今日は休日の日、父は出張で夜遅くまで帰ってこない。
 「絵里香、今日はなにを作ってくれるんじゃ?」
 「今日はね、とっておきのを作るわ」
 「ほう、それはなんじゃ?ドーナツかケーキかそれともパフェか?」
 コノエはこの一か月食べたスイーツを片っ端から挙げる。
 
 「今日作るのはクッキーよっ!」
 「クッキー、とな。また随分シンプルなものが来たのお」
 「クッキーは材料はシンプルだけどそのぶん、作り手の実力が試されるのよ」
 「ほうほうなるほど」

 見つけたレシピを見ながら、クッキーを作る。

 「よしっ完成したっ!」

 クッキーは香ばしく焼きあがっていた。オーブンから出して皿に盛りつける。
 「ほう、これはなかなかうまそうじゃな」

 コノエと絵里香はクッキーの山に手を入れそれぞれクッキーを手に入れ、口に放り込む。

 「ふむ、まあまあおいしいかのう。妾としてはあと一歩という所じゃがな______どうした?」
 コノエは怪訝そうな顔をしながら絵里香の顔を見る。

 「______違う」
 これは違う。確かに見た目は同じだが味も食感も違う。別物だ。
 どうしてだろうか?これではまた振り出しに。
 「おぬしの想像したものと違うものが出来たからといって思考を止めるな」
 「______コノエちゃん?」
 
 「妾はおぬしを一か月見てきたから知っておる。菓子を作るのは大変じゃ。普段何気なく食べている一つの菓子の中に多くの人々の想い、試行錯誤、月日がこめられていると妾は痛感した。菓子作りは根気じゃ。一度失敗したなら何故そうなったのか考えてやり直すべきじゃ」

 そうだ、止まってなんかいられない。外見は同じでも中身は誤魔化せない。最初のケーキで散々言われたことだ。

 「私の想像してたクッキーはもっと甘かった」
 「なら砂糖が足りないか隠し味の類があったのじゃろう」
 「硬さも違う」

 コノエと絵里香はクッキーを何度も焼き「母の味」の再現を試みた。




 杉本は夜遅く眠そうになりながらも自宅に辿り着いた。ドアを開ける前、なにやら懐かしい香りがした。ドアを開けるとその匂いは部屋中に充満していた。
 「なんだ?なんだ?」
 一瞬、頭によぎったのはコノエがなにかやらかしたのではないかという疑惑だ。
 急いでリビングへ向かう。するとテーブルの上にこの匂いの原因があった。

 山盛りのクッキーだ。クッキーは見覚えのある形をしていた。休日の時、妻が焼いたクッキーだ。______思い出すあの日のこと。

 「パパ!パパ!見て、私が作ったの」
 「違う違う、絵里香と妾で作ったクッキーじゃっ!」

 絵里香とコノエがやって来た。クッキーのこの香りは間違いない、妻の作ったクッキーと瓜二つ。絵里香達が食べてと促す前に杉本はクッキーを口の中に運んでいた。
 ほんのり甘い、さくさくと口の中で溶けていく。あのクッキーと同じだ。

 「一体どうやって?」
 「私とコノエちゃんが一生懸命作ってようやく完成したんだ」
 「大変じゃったぞっ!妾の腹ももうぱんぱんじゃっ」
 コノエは失敗作のクッキーの処理係となったことでもう胃袋にはぎっしりクッキーが詰め込まれている。
 「・・・・・・」
 本来の彼であればコノエにそんなにお菓子を食べると体に悪いぞと説教するところだが、今はそんなことは言えない。言う気分ではない。



 「私ね」
 「なんじゃ?」
 クッキーの試行錯誤の最中、絵里香がコノエに話しかける。

 「昔、ママがいた頃ママが焼いたクッキーが大好きだったんだ。甘さのバランスが絶妙でとってもおいしかったの。いつかクッキーのレシピを教えてもらおうと思ってたんだけどその前にお互い離れ離れになっちゃってさそんでそうこうしてるうちに亡くなっちゃって結局聞くことが出来なかったんだよ」
 「ほう、このクッキーは母との思い出の一品なのか」
 「私がパティシエになろうって決めたのはママのクッキーの忘れられないあの味に感動したから。スイーツ一つが人の心にこんなにも残るものなんだって感動したの。私も誰かをそうしてみたくって。それから私は自分でパティシエになる為の練習を行う傍らでずっとレシピへの手掛かりを探してたんだ。もしかしたら落ち込んでるパパを元気づけられるかもって。そうして長年かけてようやくそれっぽいレシピを見つけたと思ったらこれ」
 「正にがっかり、じゃな」
 「でも気づいたの、ママは確かにこのレシピを参考にした。でもレシピ通りに作ってそれで終わりじゃない。ママは常に試行錯誤していたの。より喜ばせる為、もっと美味しくする為にね」
 「母の愛、じゃな」
 「私はそれを怠っていた。レシピを探すだけじゃ駄目だった私が自分自身で工夫を凝らさないと駄目だったんだ」
 「ほう、よく理解しているのじゃな」
 
 私は何回もトライしてようやく完成させた。思い出のクッキーを。

 私が妻と別居したのは些細な喧嘩が理由だった。いつかよりを戻せると思って数ヶ月後、妻は事故に遭い、生涯を終えた。和解する事もなく逝ってしまった。悔しくて悔しくてならなかった。
 これは私と妻を繋ぐ貴重なクッキーだ。

 「ありがとう、これは絵里香とコノエ、あなたが協力して作ってくれたんですね・・・・・・」
 「そうじゃそうじゃ、有難く思え感謝せよ」

 叱る気にもなれない。彼女のいつも通りすぎる態度にもう笑うしかなかった。

 「なんじゃ、そんなに笑って。なにかおかしかったことでもあったのか?」
 「いえ、別に。ただ今回はお礼を言わせてください。ありがとう」
 「そう、それでよいのじゃ」

 「やったねコノエちゃん!パパが笑顔になった」

 「おぬしの望み叶ってよかったのお、これも妾のお陰____________うん?」
 「えっ?」

 コノエの体は青白く光り輝いていた。



 「これは、どういう?」
 「成程、あの御方もどうかしてるの。まさかこんな事のために妾をここに呼び寄せたとでも言うのか」
 コノエの体の輪郭が徐々にぼやけていく。彼女は目的を果たし、元の世界に帰還することを許された。

 「そんな、行かないで・・・・・・」
 いつか来るかもしれないと思っていたが、それが今日だとは思わなかった。絵里香はコノエの手を掴もうとしたがすり抜け掴むことが出来ない。コノエに触れる事はもはや出来なくなっていた。
 「はっはっはっ!そんな泣きそうな顔するでないっ!妾はこの世界での一ヶ月、実に楽しかったぞ。じゃが妾も元の世界に帰らなければならない。残念じゃがここでお別れじゃ」
 コノエは別れの時でも相変わらずいつもの笑みを浮かべていた。

 「ぐすっ、その、コノエちゃん。最後に言っておきたいことが」
 「うん?まだなにかあるのか、そんなもったいぶる程に話したい事があるのか?」
 「もしかしたらあなたをこの世界に呼び寄せてしまったのは私かもしれない」
 「ほうっ?」
 さすがのコノエでも予想外の告白に驚いた。これは父親も同様だった。
 「それはどういうことなんだ?」

 「ほら、今年も私たち初詣に明治神宮に行ったじゃない?その時______」


 どうか、今年は私の願いが叶いますように。

 「お願いが大雑把で欲張りすぎだろ!絵里香、こんなんじゃ神様が困ってしまうだろう」
 「いいのいいの!今年はお賽銭多めに入れたし叶えてくれるって」

 「確かにそんなやり取りをした覚えはあるが、まさかその結果、彼女が______」
 「はっははっ!本当の「全ての元凶」は絵里香おぬしだったんじゃな!なんとも愉快愉快」

 「______まだ、私の願いは全部叶ってないよ。あと少しでいいから、こっちにいて。あの御方って時間の流れだって操作できるんでしょ?だったらもう少しこっちにいたって」

 「そうしたいのは山々じゃが、あの御方は許してくれなさそうじゃの」
 コノエの姿が徐々に背景に同化して消えていく。
 「ああっ、そんな」
 「ははっ!そうじゃな______この辛い別れは神聖な妾をみだりに呼び出した代償じゃの。クッキーの完成とほんのちょっとのおぬしのパティシエの道への手助けがその対価じゃ。有難く受け取っておくといい」
 「コノエちゃん・・・・・・」
 「ぐすっ」

 「そもそも絵里香はともかくそこのお前は別に願ったわけでもあるまいし妾をしきりに他の場所に行かせて離れさせようとしていたじゃろう。何故泣いておる?」
 涙が一筋流れ出ている杉本をコノエは糾弾した。
 「そうですな、ファーストコンタクトは最悪だったしあの後もコノエ、あなたとは気が合うことはあまりありませんでした。一刻も早く家から離れてほしいなんて最初は思っていた。それでも、別れがいざ来ると悲しくなってしまうものですね」
 「ふん、おぬしが涙を流そうと妾はちっとも悲しくならんわ」

 いよいよコノエの姿は見えなくなる。
 「コノエちゃん、ありがとう」
 「______ありがとうございます。娘に色々教えてくれて」

 「わっはっは、その言葉を最後に聞けて妾は満足じゃ」

 こうしてコノエの異世界での生活は幕を閉じた。





 目覚めると、そこは一ヶ月ぶりに見る天井だった。
 「久しぶりじゃの」
 そう呟くとコノエは布団から起床、布団を片付ける。
 コノエの記憶はぼんやりしていた。夜に寝てから一ヶ月の間、異世界に飛ばされた。それからいろいろなことがあったようだがいまいち覚えていない。記憶にはっきりあるのは数々のおいしい異世界の食べ物、そして二人の男女の姿だ。そして最後に食べたクッキーという菓子の記憶。

 夢なのか現実だったのか分からぬがクッキーの甘い香りが鼻に残ってることから実際に行ったのだろうと判断した。

 コノエが朝食の為、下に降りるとお付きがやって来る。
 「本日のスケジュールはこのようになっておりますコノエ様」
 今日の予定が書き記された紙を渡される。これからまた里長としての忙しい日々が始まる。

 「うむ、くるしゅうない。ところでじゃが・・・・・・」
 「なんでしょうか?コノエ様」
 「パティシエという言葉に聞き覚えはあるか?」
 「パティ、シエ・・・・・・ああ、パティシエシュクレのことですか?確か彼女は世界中を回ってお菓子を作る修行の旅をしているとか」
 「ほう、お菓子を作るのかっ!さぞかし美味しいのだろうな」
 「はいっ彼女の作るお菓子は評判がいいようです」
 「そうか、それでその彼女を今度ここに招待してもらうことはできるかの?」
 「ええ、本人が承諾してくれれば可能だと思いますよ」
 「間違いなく来るじゃろう。パティシエとはお菓子で皆を幸せにする人じゃからの」
 「成程、しかしコノエ様どういう風の吹き回しでこのようなお考えを」

 「______うーむ・・・・・・」
 コノエはいつも明確な理由の下行動するが、今回は違う。特に理由もなく提案してしまった。
 「そうじゃな、妾はパティシエとやらが作った菓子を食べてみたいからじゃ」
 どうにか振り絞って出した答えがそれだった。今日の自分はどうしたのだろうか?昨夜の異世界での生活でなにかあったのだろうか?

 何故パティシエという単語に謎の拘りがあるのか、どうしてそれを呼びそれが作るスイーツを食べようと思ったのか恐らく、異世界で出会った二人の人間のせいだろう。記憶はおぼろげながらもコノエは覚えている。
 何気なく食べている一つの菓子の中に多くの人々の想い、試行錯誤、月日がこめられている。パティシエはもっともそれを理解していて菓子一つ一つに情熱をかける。だからパティシエの作る菓子は美味しいのだと。
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