第11話「ジャパンカップは有馬への序曲」(2020年有馬記念予想編:その1)

文字数 4,799文字

「アーモンドアイ!」
「キセキ!」
源司と稟音はゲートが開くと、雄叫びを上げる。
二人に後押しされた二頭は、好スタートで飛び出す。

「よし、勝った!アーモンドアイ!」
気の早い源司が、ガッツポーズで右腕を引く。
ジャパンカップのライブ観戦は稟音の家、リビングで冒頭から気勢が上がる。
ソファーでは稟音、源司、久美が85インチ8K液晶テレビを食い入るように目を見張る。

スタートが微妙な二頭は天皇賞秋以上と、勢い良く駆けていく。
目を細める久美も「いいスタートですね」とポニーテールを振る。
外からヨシオが先行も、キセキがギアをアップし、一コーナーを果敢に飛ばして貫録を見せ、ハナに立つ。

初恋の人である稟音、今の妻の久美は、高校の同級生だった。
45歳の前田源司、25前に若返る二十歳の稟音や久美とジャパンカップ観戦だ。
今秋、別れた稟音と再会してから、瑞々しい彼女たちとの不思議な競馬観戦が続いていた。

「逃げてしまぇーっ!キセキーッ!」
小さな口を大きく開く稟音がソファーでジャンプし、ツインテールを乱舞させる。
逃げ馬好きな彼女が念願したキセキの先頭に嬉々として飛び跳ね続ける。
三人は瞳孔を開き、身を乗り出し、手を叩き、ゴール前の興奮を最初のカーブでぶちまける。
このまま二分後には全員の血管が切れて、気絶間違いなしのテンションだ。
「行け!行け!」と右腕を突き上げる稟音の指示が浜中騎手とキセキに届いたのかは別にして、先行く馬が気持ち良さげに飛ばす。

「グローリーヴェイズくんも四番手、アーモンドアイちゃんは五番手、いい位置ですね」
一つに纏めた髪を上下させる久美、二つの髪を同じくする稟音、納得顔の源司が腕を組む。
「デアリングタクトはアーモンドアイをマークか」
ソファーから前のめりとなる源司がデアリングタクトの積極的な競馬に驚いた。
「直後にカレンブーケドールちゃんとコントレイルくんですね」
「有力馬はみんなアーモンドアイをターゲットかな」
刮目する源司は、「いい競馬ですよね」と振り向く久美に同意して、肩に手を置いた。

「キセキーッ!浜中ジョッキーッ!逃げろーッ!!」
壊れたスピーカーからの連呼でツインテールを躍らせ、稟音はメーターをレッドゾーンに入れっ放しだ。
腕を振り回す稟音の期待に応えるべく、キセキは二番手と十馬身差だ。
「キセキくん、見事なフルスロットルですね」
キセキへの情熱を奔騰させる稟音、真剣な面持ちとなる源司の横顔に久美が感銘を投げた。
「1,000m57.9秒、覚悟のハイラップか」
三冠馬三頭相手に正攻法の逃走劇に源司も目を丸くする。
三コーナーからケヤキを通過し、四コーナーでもキセキの逃げは続く。
「ひょっとしたら」の奇跡が稟音のをに過ぎる。
四百の標識を過ぎてもキセキ先頭だ、が。

「グローリーヴェイズとアーモンドアイだ」
「カレンブーケドールちゃんも来た」
注視する源司と久美が追う馬たちを口にする。
「コントレイルとデアリングタクトもだっ」
各馬とキセキの差が詰まり、感慨溢れる稟音が濡らす瞳に無敗三冠馬コンビが飛び込む。
二百の標識から一頭、次元の違う脚色。

「アーモンドアイ!!!」
三人がジャパンカップのヒロインの名を同時に絶叫する。
「コントレイルっ!」
「デアリングタクトちゃん!」
熱い視線の源司と久美は、絶対女王に襲い掛かる若きプリンスとプリンセスも応援する。
「みんな負けるな!」
ソファーに立つ稟音の切ない声音は競馬ファンの本音か。
少し遅れたキセキに稟音は眉を寄せるが、古馬二頭もゴール目掛けて必死に脚を伸ばす。
「グローリーヴェイズ!クロノジェネシス!」
各馬、ゴールへ向けて殺到するが、レベルが違う主役がいる。

「抜けたーっ!アーモンドアイ!!!」
誰彼の音吐は混じる。
万全のクィーンが戴冠の走りを魅せると、王子王女と臣下の四頭が激しく後継者争いだ。
「「うおおぉぉーっ!!!」」
三人は唸りを響かせ、レースは頂点を迎える。
女王様が美しき円らな双眸を決し、先頭で最後のゴールを駆け抜けた。
「アーモンドアイ、やったあ!」
「コントレイルが二着か!」
「三着はデアリングタクトちゃんが頑張ったかなぁ!?」
源司、稟音、久美が到達順位を採決すると、自然と三人がハイタッチを交わしていた。

「いや、アーモンドアイは凄いわ」
源司がG1九勝かと頷き、ソファーの奥に腰を置いた。
「世紀の決戦でしたね」
久美がポニーテールを揺すり、背中を預けて脱力する。
「こんな素晴らしいレース観たら、競馬止められないわぁ」
稟音が安堵と満足、寂しさが混じる吐息を吐くとソファーに崩れ落ちた。
レース中での興奮とは裏腹に気が抜けた三人はソファーから動けなくなった。
「有終の美だねぇ、アーモンドアイ」
「コントレイルも流石だな」
「デアリングタクトちゃんも頑張りました」
稟音、源司、久美も賞賛以外はない。
馬券は当たった、儲かった、取りガミなどをオクビにも見せない。
「納得、満足だ。競馬ファンとして幸せだな」
「ファンタスティック!」
「感動しましたぁ」
繰り返される感嘆がリビングに漂った。

2020年11月29日、稟音の家は黄昏時を迎えていた。
ジャパンカップの余韻に浸る源司、稟音、久美は居然としてソファーに凭れる。
皆々は時折薄ら笑みを浮かべ、思い出したように賛美を呟く。
穏やかな時の流れが心地よい疲れと混じり、浮遊する気分にレースの名残を惜しむように押し黙る。
そこはかとなく流れる虚脱感はお祭りの後、結果を迎えてしまった競馬ファンの寂しさか。
気の置けない友人と遊び倒した遊園地を後にする時、恋人たちが分かれ分かれに離れる時、一日の切ない終幕に似ているかも知れない。
夕日は雲に隠れながら、リビングに静寂をもたらした。

「稟音ーっ!いるーっ!?」
「ジャパンカップはどうだったーっ?」と若く元気な女性の美声が、静けさを破る。
小さな体を震わせた稟音は「うへっ」と短い嘆息を吐くと、しかめた顔を外に向ける。
「いるんでしょーっ!馬券どうだったーっ!?」
響く声を避けるべく、身体丸めて床へツインテールと目を落とす。
「居留守使うなよー」と大きな発声と廊下を力強く歩く音、逃げ惑う稟音は両手で耳を塞いで、動かない。
怯える子猫のような稟音が可愛らしいと思う源司が、聞いた声音を誰かと想起する。
「あの声は……」

「ヒロコだよん」
ショートカット、色黒で筋肉質、スポーツ少女の面影を残す女性が手を挙げ、ソファーの脇に立っていた。
「内山田さん」
「ヒロコ先輩」
驚きで腰を浮かす源司、久美は嬉しそうな表情を見せる。

「おー、源司かぁ、久しぶりだねー」
ウチヤマダヒロコは源司の頭を揉みくちゃにする。
「久美ちゃんも一緒だったんだねー」には「ご無沙汰してます」と久美が一礼だ。
「相変わらず、元気そうすっね」
源司が一年上となる高校の先輩、内山田洋子に目を見開く。
「酒屋、ワインショップで重い商品を毎日扱ってるし、体力は自信あるよー」
自慢げなヒロコは若き日の姿で、腕に力こぶと口へ不敵を作り、驚く源司と再会する。

破顔となるショートヘアの彼女が二十五年前の姿で、ツインテールの子猫を発見する。
「しまったなぁ」と頭を抱えて尻を見せる少女に「ほらいた、稟音ーっ」と飛びかかる。
飼い猫を構うように稟音を抱きしめるヒロコが少年のようにはしゃぐ。
「配達の途中だけどさ。稟音の顔が見たくなって寄っちゃったよー♡」
ヒロコは会いたかったとハグをする。
あ然となる源司と久美は「ヒロコ先輩には弱いよねぇ」と大人しい稟音を珍しがった。



「それで、ジャパンカップは!?」
意気揚々と先輩風を吹かす競馬ファンのヒロコは後輩をいじりながら、問うた。
「記念の馬券は的中でした」と返す下級生に「良かったよねー。配達先の喫茶店で観戦したよー」と嬉しがるヒロコ先輩だ。
内山田洋子は配達先である白井雪乃が営む喫茶店に立ち寄ったという。
白井雪乃も源司やヒロコたちの先輩で、穴馬好きな「妙齢」の和風美女だ。
「アーモンドアイ、感動したよねぇー。あんなレースもう一生見れないよねーっ」
瑞々しく弾むようなサウンドを発生するヒロコ、高校時代は合唱部かと、源司は思い出す。
なぜ、稟音たちと同じく若いのか、これも彼女の影響か。

不可解だが、源司の初恋の人である稟音、妻の久美、高校の先輩だった雪乃、競馬観戦すると関わる女性全員が二十五歳若返って、現れた。
屈託のない久美が「相変わらずカッコイイですね」とボーイッシュなヒロコ先輩との再会を嬉しがると「あんた達もいると思った」とヒロコは言う。
源司たちの存在は雪乃から耳にしたのだろうか。

「今日は何用で?」と源司が困惑顔を浮かべる。
「有馬記念に向けたジャパンカップの出走馬チェックだ」と気の早いヒロコは白い歯を褐色の肌に映えさせ、「何がおススメ?」と聞く。
「ジャパンカップからはワールドプレミアが面白いかぁ」
競馬の話題だと途端に元気になる稟音が十一ヶ月振りのG1で六着と善戦した菊花賞馬の名を挙げると、久美が評する。
「長い休み明けでも頑張りましたねぇ。次走は期待ですぅ」
首を縦にするヒロコは「確かに狙い目かもねー」と口にし、「参考になるなー」と感心した。

「キセキも出走すれば、面白そうだな」
頬を緩める源司の選択に笑みを零す稟音が膨れる。
「そうだけど、オレの馬とセリフを取るなぁ」
そう声を高めると、肘打ちを男に見舞う。
相変わらず仲いいねと、冷やかすヒロコは横へ目を移す。
一人寂し気な女の子へ「久美ちゃんはどう?」と促す。

「カレンブーケドールちゃんはどうですかぁ?春一戦で秋三戦目ですよぉ」
有馬記念には元気に出走できますねと、何かを振り切るように髪を上下させ力説した。
「いいぜぇ、オールカマーを勝ち切れなかったんでジャパンカップじゃあ軽視したけど」
カレンブーケドールを買わなくて「肝を冷やした」とツインテールを左右にして評する。
同じ冷や汗を掻いた男も失笑し、頷くしかない。
「鋭い差し脚で三強の次の四着は立派よねー」と称えるヒロコ。
「デアリングタクトの頑張りに感謝だねー」と痛い事実も突く。
カレンブーケドールとハナ差で首の皮一枚だった。
三着で助けて貰ったデアリングタクトに稟音も苦笑で言葉が少なくなる。

「デアリングタクトか……」
ジャパンカップが終了したばかり、期待する源司たち競馬ファンの思惑だけで有馬記念の出走馬は決まらない。
デアリングタクトが有馬記念を回避したのはジャパンカップの後、チャンピオンズカップの前だが、ジャパンカップを観終わったばかりの源司たちには、これからの話だ。

「来月は有馬記念だねー」
ヒロコの言に源司が感嘆に耽る。
「もう、そんな時期か」
「明後日は師走。もう冬だもんねー」
年末商戦はどうなるのか?と、昨今の事情から酒屋で商売するヒロコは顔に影を作る。
「有馬記念の前にクリスマスパーティしませんか?」
競馬予想を兼ねてと、優しい表情の久美が誘う。
イベント好きな稟音も元気になり、ヒロコに向く。
「雪乃っちも呼ぶぜぇ!」
ヒロコが了解とばかりに酒の顧客でもある喫茶店主の雪乃にスマホでチャットを入れる。

「クリスマスの営業後、お店でパーティね……」と返信が即、届く。
雪乃のメールを横から覗いた稟音が嫌らしく相好を崩して、犬歯を光らせる。
「パーティね……」に続く一文が絶妙と、久美も画面を見て吹き出し一笑だ。
眉間を寄せる源司が「何事か?」と稟音に問う。
「ああ、パーティを12月25日の夜にどうか?と、雪乃っちからの提案だ」と返答する。
26日に稟音の家で予定した五人のクリスマスパーティを、夜はアルコールも飲める店がハネた後での誘いだ。

「全然、オッケーだよ!」
賛同する源司の一つ返事に美女三人が含み笑いを投げる。
幸か不幸かチャットを見聞きしない源司が、浮かれて口笛を吹く。
浮ついた男に降りかかる果報と災難が混じるクリスマスパーティなど、知る由もなかった。

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