記憶を失う国

文字数 4,748文字

 ガタンガタン。揺れる馬車はもうそろそろ目的地であろう場所に到着しようとしていた。だからこそ、急いで立ち上がらなくてはならなかった。

「よし帰ろう、帰るところなんてないけれど帰ろう!」

「まって!絶対ダメ!」

 ガタンガタンと揺れる馬車から俺は身を乗り出そうとするが、カレンが裾をガシッ!と引っ張り静止させた。

「いやいやいや!わざわざそんな危険な国行けるわけないだろ!」

「大丈夫だって!私があなたを守るから!」

「わざわざ守られながら危険地帯に乗り込む必要ないだろうが!」

 必死にもがく俺に、懇願するようにカレンはすがる。

「ダメなの、私の友達も、それを聞いて夜中に逃げ出した。でも数日たった後、私のことなんてまるっきり忘れた状態で国に戻ってきた」

「なっ!?」

 俺の顔は歪んでいた。逃げ出したら記憶を失くして戻ってきた。そしてもうそろそろ、カレンが向かおうとしている国に着く、手遅れだ。

 転移者の記憶を消す何者か。そんなのがこの異世界にいるっていうのか。ふざけている。何が目的でそんなことをしているんだ。

「なんで転移者限定なんだよ、なんで記憶を消すなんてことをするんだ」

 カレンは首を振った。

「分からない、何も分からないの、だから私にできることは、そんな記憶を消す何者かの手から転移者を守ること、自力で守れるように鍛えてあげること、そして私自身の手で捕まえることだけ。もう私は、記憶を消された転移者を見たくない」

 苦虫を噛むような表情で、カレンは拳を強く握っていた。
 そうだ、友達が急に自分のことを忘れていたら、そんなのショックに決まっている。彼女はそんな思いをもう二度としたくないだろうし、他の人にもそんな思いをさせたくないだろう。そういう気持ちが、俺を引き留めさせているのかもしれない。

 俺は彼女の視線を受けて、考える。

 ......それに、さっき見た魔法をどのようにして使えるのかも分からないのだ。できることなら魔法は会得しておきたい。そうすれば自分のできることも増えるだろうし、イヴの言っていた人々の心の浄化に一役買ってくれるかもしれない。さすれば、俺は俺の不幸をなくすために一歩近づくという算段だ。

 ここは異世界だ。日本の様に福利厚生が整っている場所とは違う。衣食住が保証されることなんてないし、明日にも怪物に食われてもおかしくないのだ。ならば「記憶をなくすかもしれない」というリスクから、魔法を会得できるリターンというのは十分旨味のある事かもしれない。

「はぁ、わかった仕方がない」

「そう、良かった」

 カレンは胸を撫でおろしていた。

「だけどただ守られるのは嫌だ。俺は自分の力をつけるために行く。だから俺からこそ頼む、俺にこの世界の魔法を教えてくれ」

 カレンは驚いた様子をすぐに引っ込ませて、余裕ある笑みを徐々に浮かび上がらせた。

「へぇ、いい覚悟じゃないの、肝が据わっているのね」

 カレンの元気はみるみる内に良くなった。こっちの元気ある方が、なんだかカレンという人間の本質を表している気がした。

 …「魔法を覚えることは、人々の浄化に一役買えるかもしれない」。そう想起したことで、とても重要なことを思い出した。はっとカレンに振り向き尋ねる。

「カレン!今から行こうとしてる場所って、近くに黒い塔はないか?」

「黒い、塔?」

 くそ、イヴから大きさや見た目の形状を聞いていなかったのが仇となった。人に尋ねる時に情報を伝達できない。だが、カレンはあっさりと俺の目的を言い当てた。

「もしかして心理塔のこと?」

「そ、そうそう心理塔!」

 なんだ、その言葉共通言語なのか。そう安心したのも束の間である。

「ウチに黒いのはないけど、白いのはあるわよ?それがどうかした?」

 イヴ曰く、異世界にある心理塔は今、ほとんどが黒く染まっているらしい。それは人々の心が汚れた結果そうなったのだそうな。だが人々の心が汚れていないならば、その心理塔は白い状態なのだそうな。

 あー、そうでした。俺、不幸な星の下に生まれた不幸人間でした。
 早速ハズレを引いたのだった。

 ────────────────

 ガタンゴトンと揺られていると、大きな城壁が見えてきた。これがカレンの言っていた国か。

 呆然と眺めていると、白い塔の頭が城壁を越えて聳え建っているのが見えた。きっとあれがイヴの言っていた塔なのだろう。あれが周囲の人間の心を少しだけ吸収し、アダムに供給しているとのことなのだ。......逆に考えよう、白いってことは安全なのだと。

 ────────────────────

 俺達は門戸を潜ると、そこでは門番のお兄さんが笑顔で出迎えてくれた。

「ディネクスへようこそ。あ、お勤めお疲れ様でございます、カレンさん。とうとう誘拐犯を捕らえたのでございますか?」

「いや今回も外れ、でも手配書に載ってるから奴らだから確認して」

 そうですか、と悲しげな顔を浮かべるお兄さん。彼にカレンは檻ごと誘拐犯を受け渡し、しばらくしてから門番が戻ってきた。それと、どうやらここはディネクスという場所らしい。

「はい、手配書にありました誘拐犯の一団と......野良の魔法使いでありました。こちらをギルドのクエストカウンターまでお渡しください」

 クロウは野良扱いなのか。って野良って何だよ猫なの?

 何の違和感もなく、門番のお兄さんはある紙をカレンに手渡した。仕事を完了したことの証明書みたいなものだろうか?

「うん、ありがとうね」

 カレンがそう言って手を振る。俺もそれに倣うと、門番のお兄さんは俺に向かってにっこりとほほ笑んでくれた。

 彼らの事情聴取や裁判やら諸々この国の役人にお任せし、俺とカレンはギルドに来ていた。

 ギルドに来ていた。

 ギルドに来ていた。

「はは、マジで酒場にあるよ」

 視界に壁に積まれた数多くの樽を見て、周囲でテーブルに腰を下ろし料理を食べている鎧や魔法使い姿の人々を見て、俺は嘲笑を漏らした。だってギルドなんて、まさに異世界さながらじゃないか。つーか異世界転生モノの物語を書いていた人はもしかしたらこの世界に取材に来て執筆しているのかもしれないまである。死して聖地巡礼することになろうとは。

「ここに来る転移者は何故かいつもそういった反応するのよね」

 首を傾げるカレン。そのまま俺を酒場の奥にあるギルドっぽいスペースに案内した。そりゃねぇ......まぁね。鏡を見なくても苦笑いしていることがわかった。

「マスター、ただいま~」

「お帰り~、仕事どうだった?」

 けだるげに戻ったカレンを出迎えたのは、気のいい男性だった。エプロンを白のタンクトップの上から身に纏い、ムキムキな腕っぷしにより、さっきから料理を凄い勢いで作っている。フライパンが四つくらい並んでいてそれを効率よく振り回していた。

 彼の手前のカウンター席に座ることはなく、カウンターの机にグデーっと体重を預けて、愚痴を溢していた。

「今回もハズレね、やっぱり足跡一つ見つからなかった」

「そうか、ま、とりあえず奥行けよ、その間におすすめ作ってやっからさ、君も腹減ってるだろ?」

 気を落とすカレンにフォローを入れるマスターは、親指でキッチンの隣の道を指した上に俺にまで気を遣ってくれた。しかも視線をこちらにむけて、フランクに接してくれている。

「ありがとうございます」

 と会釈しておく。何だろう、この国の人間はとてもやさしい。

 薄暗い通りを抜けると、

「おおぉ、マジかよ、やっぱりかよ」

 そこでは大きな横長のクエストボードに目をやっている人々が視界に広がっていた。剛健そうな鎧武者や甲冑、カレンのような魔法使いにシスターみたいな人も、皆がみな、クエストボードを眺めたり、貼り付けられた紙を取り、受付に渡したりしている。ここで受注しているのだろう。

「ちょっと来て」

 カレンは手招きし、俺をクエストカウンターに連れてきた。なんだろう、クエストボードやクエストカウンターという単語が頭に浮かんでくる。まさかこれは異世界に来た影響で俺の精神に何かしらの力が働いているのではあるまいな。いや、ただのアニメの見過ぎだな。

「ありがとうございます。手配犯捕獲証明書を確認しますね」

 門番さんから受け取った紙を受付の女性に手渡し、戻ってくる間、カレンはためらいがちに説明しようとする。

「あー、ええと、ここはギルド、仕事を紹介したりしてくれるんだけど、知ってる?」

「知ってる」

「ですよね」

 何も言わなくても気持ちは通じ合えるらしい。というかカレンはこうして俺みたいな転移者をギルドに連れてきた時に、同じような過程を挟んでいたのかもしれない。

 そんな数秒のやり取りの後、受付の女性が戻ってきた。

「手配書の確認が終わりました。台にカードを添えてください」

 カレンは取り出したカードを、カウンターの台に添える。

 ピ。

 という簡素な音がした。電車の改札を思わせた。あのカードにはICチップでも埋め込まれているのだろうか。

「ご利用ありがとうございました」

 受付の女性は気持ちの良い笑顔でそう言った。

 うん、やはりここはとても笑顔で溢れている。優しさに満ちている。天国と言われれば、きっとここは天国なのかもしれない。雰囲気ではない。人を受け入れる寛容さ、慈愛がこの国に充満しているように思えた。

「ありえないでしょ、こんないい国なのに、人の記憶を消すかもしれないなんて」

 俺の顔を見て、呆れたように言う。胸を張るという言葉には似つかわしくないほど、その表情は乾いていた。

「だな」

 俺はそう言うしかなかった。彼女の心中は察するが、いつか解決するなんて、そんな無責任なことは言えない。

「...あ!そうだ、この子を登録させたいんだけど」

 暗い空気をはぐらかそうと、慌ててカレンはギルドの登録を受付の女性に話しかけた。すると俺は受付の女性に促され、電話ボックスのような狭さの部屋に案内された。

「どうぞ」という一言で中に入る。

 重厚な扉が外側から閉じられる。すると、中の俺を無数の青い光が照らす。その光はバーコードリーダーの様に横長の光を、俺の身体の隅々までなぞらせた。

 やがて暗転し、扉がズシリと開かれる。俺はそこから出て、受付の女性にあるカードを渡された。

「これはサツキさんの身体情報を元に作成されたギルドカードになります。サツキさんは転移者ですので、ブロンズランクからのスタートになります」

 このギルドには、登録者をノーマル、ブロンズ、シルバー、ゴールドの四段階で分けるらしい。ブロンズランクは最低限の衣食住が国から保証され、身体情報を元に適した職業や仕事を斡旋してくれるのだとか。

「マジか!楽!」

 誰だよ、異世界は日本と比べて衣食住が保証されないとか言ったやつ。今すぐ出てこい、そしてこのギルドに登録して一生ここでのんびり余生を過ごそうじゃないか。

「ま、仕事続けないとカード剥奪されちゃうけどね」

「ですよね」

 カレンが無粋なことを口走った。いやただの常識である。そんなカレンの言葉を聞いてか、受付の女性が、にっこり笑顔でアドバイスをくれた。

「サツキさんの情報から推察しますと、『職人』が向いていますね!モノを作って売ったりするのに向いていますよ!」

「職人、か」

 とても的を射ているように思えた。俺は不幸を回避するために、あらゆる道具を独自に開発していたことがあった。もしフル装備の俺があの森にいたとしても、即時に脱出できていたことだろう。だからその職人という肩書はとてもふさわしいように思えた。

「ま、登録も説明もある程度したし、さて、ご飯作ってくれてるから食べましょうか」

「だな、ぺこぺこだ」

 俺はお腹を鳴らしながら、カレンの後についていった。
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