ローマの道も一歩から
文字数 1,949文字
ローマは一日にしてならず。もしくは、千里の道も一歩から。
何事も日々の研鑽と積み重ねに勝る手立てはないという、先人たちが遺したありがたい教訓だ。そしてそれは、ダイエットに関しても変わらない。
だがしかし――
「あの……〝努力しなくていい〟って、本当ですか?」
その肝心の一歩目から履き違えてしまう人は、どんな時代でもあとを絶たない。例えば、この飛び込みさんのように。
「ここに、そう書いてありますよね?」
「いえ、〝そして我慢は最小限で〟と書いてありますね」
一体どんな変換アプリを使うとそんな翻訳になるのか、ぜひとも教えていただきたい。
本日の朝一……看板を上げるなり、いきなりの乱入劇だった。
なぜ喧嘩ごしで迫られるのかは謎すぎたものの、俺はにっこり笑って突きつけられたチラシを拝領する。うやうやしく確認する紙面には、ケレン味を効かせた文句でこう書いてあった。
『整体カイロプラクティック師仙堂療術院 大好評ダイエットプラン!! 院長実践マイナス40kg! ダイエットは難しいものではありません。誰でも確実に達成できます。そして我慢は最小限で!!! TEL:〇〇-XXX‐〇〇〇 要予約』
さらに中央の空きスペースに並ぶ、瀕死のヒキガエルとシュパッとシャープなアマガエルを思わせる俺の写真。所謂、ビフォアーアフターというやつだ。
まぁ改めて考えるまでもなく、わが整体院の投げ込み用チラシなわけだが……。
「ええっと、こちらのプランのご依頼ということでよろしいですか?」
「…………」
今度はダンマリだった。どうやら飛び込みさんは今、ご機嫌がアルゼンチンの方を向いていらっしゃるらしい。むっつりしたまま、じっとこちらを睨みつけている。
――というかこの人……。
もしかして、ご自分の今の体型が俺のせいだとでも思っているのだろうか? なんかこれ、完全にカレシ寝取ったメスネコに向けられる視線なんですけども……。
と、とにかくメゲずに再挑戦。
「差し支えなければ、お名前を頂戴したいのですが?」
「…………………」
玉砕。そして再び千日戦争勃発。お見合いしてても始まらないので、とりあえず対象の状況を確認することにする。まずは――
氏名不明。住所不明。職業不明。
推定年齢・26~27歳。
身長は高からず低からず。肝心の体重の方は、パっと見たいした体脂肪率でもなさそうな気もするのだが――妙齢の女性の美意識というのは、これでも満たされないものなのだろうか。こればっかりは、どんなに件数をこなしても男には理解しかねるところ。
ということで……。
ここまでのプロファイルで明確になったのは、俺には探偵の才能はないということだけだった。そりゃもう、全部謎だらけ。助けてホームズ先生!
そうこうしているうちに、
「……あの」
「あ、はいはい」
やっとデレターンがきたらしい飛び込みさんは、俺の手に移ったチラシを指さし、
「その写真、本物ですか?」
「え、えぇ……まぁ、今ご覧いただいている通りですが」
軽くおどけて見せると、彼女の視線はダンゴ虫を見るモードにグレードアップした。スミマセン。デレターン勘違いでした。生まれてきてスミマセン。
――とはいえ。
さすがにこの写真を紛い物だとすると、俺の現状に説明がつかなくなるわけで。相変わらず目つきは険しいものの、ひとまず納得していただけたらしく、
「じゃあ、この〝簡単に〟っていうのは本当なんですか?」
「いえ、それは〝確実に〟と読みますね」
「つまり……詐欺ってことですか」
詐欺じゃねーし。
つーか……努力云々の前に、少しは我慢を覚えましょーよ。
チーズケーキひとつで359Kcal。一週間で、2513Kcal。毎日のおやつを一日おきにしただけでも、ざっと1436Kcal――300gのステーキ一枚分くらいのカロリーを減らせる計算になる。
そしてなにより、継続は力なり――
コツコツと積み重ねることこそ、成功への唯一の道! 体重計の数字が減るのと痩せるのは、まったく別のハナシやっちゅうねん!
――とか、叫びたいのはやまやまなのだが……。
「う~ん……そうなると、ちょっとウチではお引き受けできませんねぇ。当院ができるのは、あくまで〝効果的なダイエットのお手伝い〟だけですので……」
「わかりました。じゃあいいです――」
あぁ、とうとう猥褻物を見下す目にファイナルフュージョンしてしまった。
無言で立ち去る飛び込みさんの後姿を、俺はただ空しく見送るだけだった。長い整体稼業、たまにはこんな一日の始まりもある。
気を取り直して窓の外を眺めると、急に強さを増した夏の日差しが目に突き刺さってきた。近所の公園から、ガキどもがはしゃぎまわる声がする。
――うん、今日もいい日になりそうだ。
〈了〉
何事も日々の研鑽と積み重ねに勝る手立てはないという、先人たちが遺したありがたい教訓だ。そしてそれは、ダイエットに関しても変わらない。
だがしかし――
「あの……〝努力しなくていい〟って、本当ですか?」
その肝心の一歩目から履き違えてしまう人は、どんな時代でもあとを絶たない。例えば、この飛び込みさんのように。
「ここに、そう書いてありますよね?」
「いえ、〝そして我慢は最小限で〟と書いてありますね」
一体どんな変換アプリを使うとそんな翻訳になるのか、ぜひとも教えていただきたい。
本日の朝一……看板を上げるなり、いきなりの乱入劇だった。
なぜ喧嘩ごしで迫られるのかは謎すぎたものの、俺はにっこり笑って突きつけられたチラシを拝領する。うやうやしく確認する紙面には、ケレン味を効かせた文句でこう書いてあった。
『整体カイロプラクティック
さらに中央の空きスペースに並ぶ、瀕死のヒキガエルとシュパッとシャープなアマガエルを思わせる俺の写真。所謂、ビフォアーアフターというやつだ。
まぁ改めて考えるまでもなく、わが整体院の投げ込み用チラシなわけだが……。
「ええっと、こちらのプランのご依頼ということでよろしいですか?」
「…………」
今度はダンマリだった。どうやら飛び込みさんは今、ご機嫌がアルゼンチンの方を向いていらっしゃるらしい。むっつりしたまま、じっとこちらを睨みつけている。
――というかこの人……。
もしかして、ご自分の今の体型が俺のせいだとでも思っているのだろうか? なんかこれ、完全にカレシ寝取ったメスネコに向けられる視線なんですけども……。
と、とにかくメゲずに再挑戦。
「差し支えなければ、お名前を頂戴したいのですが?」
「…………………」
玉砕。そして再び千日戦争勃発。お見合いしてても始まらないので、とりあえず対象の状況を確認することにする。まずは――
氏名不明。住所不明。職業不明。
推定年齢・26~27歳。
身長は高からず低からず。肝心の体重の方は、パっと見たいした体脂肪率でもなさそうな気もするのだが――妙齢の女性の美意識というのは、これでも満たされないものなのだろうか。こればっかりは、どんなに件数をこなしても男には理解しかねるところ。
ということで……。
ここまでのプロファイルで明確になったのは、俺には探偵の才能はないということだけだった。そりゃもう、全部謎だらけ。助けてホームズ先生!
そうこうしているうちに、
「……あの」
「あ、はいはい」
やっとデレターンがきたらしい飛び込みさんは、俺の手に移ったチラシを指さし、
「その写真、本物ですか?」
「え、えぇ……まぁ、今ご覧いただいている通りですが」
軽くおどけて見せると、彼女の視線はダンゴ虫を見るモードにグレードアップした。スミマセン。デレターン勘違いでした。生まれてきてスミマセン。
――とはいえ。
さすがにこの写真を紛い物だとすると、俺の現状に説明がつかなくなるわけで。相変わらず目つきは険しいものの、ひとまず納得していただけたらしく、
「じゃあ、この〝簡単に〟っていうのは本当なんですか?」
「いえ、それは〝確実に〟と読みますね」
「つまり……詐欺ってことですか」
詐欺じゃねーし。
つーか……努力云々の前に、少しは我慢を覚えましょーよ。
チーズケーキひとつで359Kcal。一週間で、2513Kcal。毎日のおやつを一日おきにしただけでも、ざっと1436Kcal――300gのステーキ一枚分くらいのカロリーを減らせる計算になる。
そしてなにより、継続は力なり――
コツコツと積み重ねることこそ、成功への唯一の道! 体重計の数字が減るのと痩せるのは、まったく別のハナシやっちゅうねん!
――とか、叫びたいのはやまやまなのだが……。
「う~ん……そうなると、ちょっとウチではお引き受けできませんねぇ。当院ができるのは、あくまで〝効果的なダイエットのお手伝い〟だけですので……」
「わかりました。じゃあいいです――」
あぁ、とうとう猥褻物を見下す目にファイナルフュージョンしてしまった。
無言で立ち去る飛び込みさんの後姿を、俺はただ空しく見送るだけだった。長い整体稼業、たまにはこんな一日の始まりもある。
気を取り直して窓の外を眺めると、急に強さを増した夏の日差しが目に突き刺さってきた。近所の公園から、ガキどもがはしゃぎまわる声がする。
――うん、今日もいい日になりそうだ。
〈了〉