42.意にそぐわない命令

文字数 3,201文字

 ムサノ生達に「聞こえの良くないディビジョン」と称された、内閣調査部外事五課。
 事件当初からこの件に関わっていたことが国会、政府を含めて露見してしまい、その対応に追われていた。
 捕捉対象の国外への逃亡を阻止できなかった責任を取らされた形で、既に内藤は別事例を受け、特命で急遽、海外への赴任してしまっていた。
 代理で、次官の佐藤が指揮をとっていたが、課の活動は大きく制限されており、組織的な国のサポートも当分期待できない状態だった。
 それでも課内のメンバーで、米ソ、そして、国内に潜入したエメトリア工作員の監視をかろうじて続けていたが、国家の支援のない諜報組織の限界は低い。
 課自体の解体も囁かれる中、それでも内藤の支援だけは続けていた。
 そんな中、内閣政策統括官の一人から佐藤に呼び出しがかかった。
「どうします?」
 非合法活動の多いこの課では珍しい女性のサブリーダー、武蔵野大学附属の内偵指揮をとる竹内洋子が佐藤に訪ねる。
「どうもこうも、行くしかない」
 半ばやけ気味立ち上がると、かけてあったジャケットに袖を通す。
「当班の過重労働状態についても報告してきて下さいね」
 佐藤が何か言い返そうとしたが、ため息をついてやめた。
 既に何人か過労で病院送りになっているのだ。
 とてつもなく嫌な予感を感じつつ、佐藤は重いドアを開けると内閣府の統括官室へと向かった。

 外事五課の担当統括官は表向きは政策調整担当となっていたが、実際は公安、陸幕調査部といった国内外の諜報、工作活動の総指揮を担っていることは、公然の秘密となっていた。
 室内に入ると、統括官の荻上の妙に大きな肩がゆっくりとこちらに振り返った。元柔道家という荻上の体格は割と細身の佐藤と比べ二回りほど大きく、その地位を利用して他者を見下す彼の態度に相応しい。そしてその横には、件の陸幕調査部の新井も立っていた。
 型どおりの挨拶の後、
「現地に向かった内藤君。彼に新たな指令がある」
 一枚の命令書と、厚地の茶色い封筒に入った作戦書を机に差し出しながら、荻上が言った。
 命令書を取り上げて読んだ佐藤が、努めて冷静に荻上と新井を見やった。
「我々はいつからアサシン(暗殺者)になったんですかね?」
「我々ではない、君たちがだ」
 荻上がわざとらしく訂正した。
「イリーガルは君たちの十八番(おはこ)だろう」
「一応、国家公務員のつもりなんですが」
「スパイだって国家公務員さ」
 ふざけてやがると佐藤は思ったが、総理の直々の命令書とみて間違いない。現在、表向きは、米方面と協調路線のはずだ。ということは米と非公式に会談があったと見て良い。
「外務省でやってくれませんかね」
「あそこは対外的な儀礼とイベントといった、クリーンなコミュニケーション企画実行部隊だ。交渉も工作もできないことを、君たちのリーダーは良く知っているだろう?」
 うすら笑いを浮かべながら荻上が応えた。
 湾岸戦争時、日本人捕虜の返還交渉、工作ですら満足に行えず、アメリカの指示通りに動く木偶集団と化していた外務省。
 そんな形骸的な体質に愛想を尽かせて省を出た内藤の話を以前聞いたことがある。外務省勤務当時、佐藤はそんな内藤の話を聞いて、今のポジションに興味を持ったのだ。
「しかし、日本人の、しかも未成年を四人も犠牲にする必要がありますかね?」
 口の中に苦い物が広がるのを感じながら佐藤が聞いた。
「我々にとっては、彼らは過去の汚点なんだよ。大人しくしていれば良いものを、イラク軍の包囲から勝手に脱出してきた上、今度は公国の姫の救出だと?外務省、日本政府の対面とプライドをなんだと思っているんだ。たいがいにしてもらいたいものだね」
 荻野が顔をしかめて言い放つ。当時、荻野も外務省だったはずだ。
 守るべきは、まず自分たちのプライドとそして立ち位置なのは、今も昔も変わらない。
「米軍と自衛隊、そして我が外務省の活躍で、イラクに捕らわれた日本人高校生達は救われた。そいうことだ。連中が問題を起こして、世間に我が省の恥が露見するのは、総理もそして政府としても困るんだよ」
 国家と組織の論理には反吐がでる。しかし、自分もその一員で、その基準で物事を判断する立場にいる。
「彼らには東欧で消えてもらう。エメトリアか何かしらないが、反体制気取りのガキどもが現地にいてむしろ好都合だからね」
 話を聞く佐藤の様子を、興味深げに陸幕調査部別室の新井が見つめていた。
 表情を変えず聞いていた佐藤だが、その場で作戦書をあらためることはしなかった。
 命令書と厚手の封筒を脇にかかえると、一礼してそのまま部屋を出て行こうとする。
「質問は、この新井君へ言ってくれ」
 荻野が付け足すようにして言った。
 新井が軽く佐藤に会釈した。
「それと、アサシンとはイスラムで『ハシシを喰らう者達』と言う意味だ。省内で使うのはどうかね」
 ハシシとは大麻を意味する。イスラムで暗殺者に大麻を服用させて対象を暗殺させたことに由来する言葉だ。
 何を言ってんだこいつと思ったが、それには返答をせず、佐藤は目顔で会釈だけを残して政策調整担当室を後にする。
 そういえば、陸幕調査部の奴が一言も喋らなかったな。
 立ち止まってドアを振り返る。目を顰めると、重いため息を吐いて佐藤が再び歩き出した。
 
 命令書に書かれていた米側の担当者との会合は、六本木一丁目の近くにあるホテルが指定されていた。
 アメリカ大使館が非公式に利用する一室に物理的にもシステム的にも完全な防諜が施され、外部からの狙撃なども考慮して、窓ガラスは防弾ガラスの三重構造になっている。
 モンロー効果による階下からの爆破にも耐えられるように、NATO軍の対爆パネルが床下に敷き詰められているらしい。
 部屋へと続く廊下には屈強のガードマンに守られた二重のセキュリティチェックも設けられていた。
 襲撃が行われれば、通路は全てガスで満たされ、酸素マスクを持たない物は数分で窒息する。
 政府高官も利用するため、ホテル内でもより豪華な作りになっているその一室で先に待っていたのは、太平洋艦隊所属の特命部隊、スティーブ・マクレガー少佐と名乗る男だった。
 30代後半、アングロサクソン系ではあるが、身長は佐藤より少し上と小柄で、筋骨隆々としたタイプではない。アメリカ軍の兵士と言うより、傭兵を思わせる感じだ。
「お互い、意にそぐわない任務についているようですな」
 簡単な挨拶と握手の後、そう言ったマクレガーの困ったような笑顔を見て、佐藤は意外に思った。この任務には感情のない冷酷な殺人マシーン、一般人だろうが幼子だろうが平気で潰すような人材が派遣されると思っていたからだ。
 命令書にある作戦指示内容の確認の後、現地での連絡方法について協議する。エメトリア内に入ったとの連絡の後、行方がわからなくなっている内藤と、緊急時に取り決めていた連絡方法について、一部を除いてマクレガーにも共有する。
「内藤とは面識はないが、昨年は同じ作戦に参加していたと聞く」
 特殊任務に就く者が過去の作戦について話すことも意外だった。
 もしかしたら、こちらの裏を取りに来ているのかもしれない。
 そうは思うが、解体が決まりそうな内閣府内の極秘部隊を揺さぶったところで、出てくるのは担当者の政府への不満くらいだろう。
 互いの政府の盗聴と録音があることは覚悟の上で、佐藤は自分の考えを語ろうとした。
 マクレガーの目線が鋭く動き、部屋の一角を見るように促す。
 それでも話そうとする佐藤に対して口元に軽く人差し指を当てて制する。
「少数の犠牲の上に、ナショナルセキュリティ(国家的安全)は保たれる。お互い自重が必要ですな」
 大声にわざと言って立ち上がると、マクレガーは過酷な職業の割には繊細な手を差し出して佐藤と握手を交わし、部屋を後にした。

To be continued.
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