開戦準備

文字数 5,803文字

 この世界の名を、恵まれた太陽の大地「ボン・スパーナ」と呼び始めたのは、今から二千年ほど前に神族から知の恩恵を受け、開拓と言う手段で各所の大陸に散って行った「旧教徒」の民たちであった。

 この後、数多の集権国家が乱立し、いつしか大地には戦いの日々が普遍化していった。

 神は争う人間に愛想をつかし、多くの眷属や龍族の首魁と共に極北の地に閉じこもった。

その後、人に取り入ったのが、魔導を司る精霊たちであった。

ここに、更に地の底からやって来た土鬼族の機械技術が加わった時、ボン・スパーナの歴史は大転換期を迎えた。

 魔精気を利用した自動機械の誕生が、産業形態を大きく変革させ、旧神たちを信奉していた人々は、あっという間にその信仰を奪われ、巨大国家が次々に誕生したのだ。
 このきっかけとなった聖都ムーランの破壊と元祖機械国家ボラン皇国の誕生を以て、新暦となる機暁歴は生まれた。

 それから、もうもう二世紀余りが過ぎているが、この地はまだまだ多くの戦乱に満ちており、世界を統べるべき力を持つ者は、未生出のままなのであった。

 四つの大陸と無数の島で出来たこの世界、その最も巨大な大陸アウストラルの中央に位置しているのが、現在武闘王クロムが統治するリンテント王国。わずか建国八〇年で、大陸の過半をその領土に組み入れた武装機械国家である。
 しかも、その領土拡大に実際に要した時間は二〇年弱。その戦闘の指揮の殆どを、武闘王ヴィンセント・ハリアー・クロムが行った。父、リンテント・ハム・クロムの跡を継いだ武闘王は、機甲戦術を生み出した元祖でもある。
 若き日に西国ベリードで見た戦車、これを大々的に機動戦術に取り込み、一気に大面積の戦場制圧を行う機甲戦の誕生は、世界に衝撃を与えた。武闘王は、頑強な戦車と軽快で戦場の機動が容易な機械化歩兵を組み合わせ、今までの馬や小竜による面圧戦の倍以上の速度で戦線の掌握を行って見せた。
 しかも武闘王は、戦略にも長けており、機械工作に必要な資源地帯を、優先的にその領地に組み入れていったのだ。この結果、リンテントの国土は二〇倍の規模に膨らみ、五十万の国軍兵力を抱えるアウストラル屈指の大国に成長したのであった。

 大陸の覇権をめぐりリンテント王国と激しく争っているのは主に二か国。東の峻険なポメー山脈から先を主領土とするハーム帝国と西の広大な平野カランサンの南西部にある旧教徒時代から続く古国タングルランドである。

 ハーム帝国では、つい先年に先帝の独裁者龍帝ドマンが暗殺され、新帝が立ったばかりであった。武闘王は、これを好機と捉え、総軍司令官である四皇女の長女マリソル大将に戦争準備の指示を年末に出していた。

 春になり、軍備が整ったと判断した武闘王は、自らの誕生日に全軍進撃の指示を出した。
 その指揮官に任じられたのが、これが初陣となる第四皇女クリスティーナなのである。

 そのクリスの姿は、王都の少し外縁にあった。
 彼女は一人の参謀スカーフをまいた男性と向き合っていた。
「つまり、ハームの新帝エサルは帝国精鋭であった龍軍をあえて解体し、新たに一般民衆の徴兵で賄った青軍で主戦力の再構築を行っているわけです。ここまでご理解いただけましたか、姫君」
 片手に書類を持ったまま、うっとおしいほどの黒い長髪をもう一方の手でかき上げ、派遣軍参謀長のベラネチェが言った。
「練度とか低そうじゃない、民衆兵って。脅威じゃないわよね?」
 クリスが、オレンジ茶の入ったカップをすすりながら訊いた。
 二人は、王都の東にある巨大な軍事集積基地ボッドタウ三号に置かれた移動司令部列車の司令官室に居た。
「おそらく個々の兵の能力は取るに足りますまい。ただし、問題はその数! エサルめは、この半年で百万の軍勢を作り上げました。雑魚でも、この数は正直厄介です」
「ふーん。うちの国軍の二倍かあ、それは確かに嫌な数字ね」
 クリスは、思わずカップの縁をカリッと噛んだ、何か気に入らない時、彼女は手近なものに前歯を立てる癖がある。
「ただ、帝国も東北辺境の戦線を抱えています故、その全軍をこの地域に集中させることはできません」
「そっか、実際のところ正面の敵ってどんなものかしら?」
 ベラネチェ参謀長が顎を撫でながら天井を仰ぎ答えた。
「先月の偵察では、長城要塞守備に五万ほど。ここに危急で駆けつけられる兵力、最大で十万と踏んでおる次第です」
 クリスの表情が、やや曇る。
「単純計算で正面の敵も倍はいるのね。やだなあ、質で劣っても数多いのは時間がかかるって事よね。攻め切るのに手間取るとお父様に見え切った手前いろいろあれだわ」
 クリスがしかめた顔のまま言った。
 ベラネチェは、そのクリスの言葉に、いかにもと頷き続けた。
「それとですな、密偵の報告では、帝国の工場群が大規模に拡張され、新しい戦闘機械がもの凄い大量に造られているとのことです。残念ながらその兵器類の性能は未知数です。ですが、新しい技術があの国に流れたという話も聞いておりませんし、従来のハームの兵器水準で推測したら、我が国の主力戦車隊の前に立ち向かえるほどの存在とはとてもとても…」
 ベラネチェは、そう言って片手を鼻の前でひらひらと振った、
「まあそうよね、黒熊に勝てる戦車がこの大陸にあるわけないわよね、強いから、いえ強すぎるから」
 クリスが、そう言ってこくこく頷いた。

 黒熊は、リンテント王国兵器廠が作り上げた傑作戦車、いや究極戦車と王軍兵たちは呼ぶ存在だ。
 いまだその装甲を破られたと無く、主砲の100ガウス魔導砲で撃破できない装甲兵器は、少なくとも現在までアウストラル大陸には現れていない。
 ガウス1につき概ね魔精石一個が砲弾に詰め込めるから、同時に100個の連鎖魔法爆発を引き起こせるわけである。
 この攻撃の前には、どんな属性装甲も太刀打ちできない。
 しかもクロム王国軍は、伍属性すべての砲弾を完成させ、戦車に搭載していた。
 しかも装甲も全属性に耐える五重鋼板を使っている、それ故に巨大で重くなったのだ。
 なるほど、これほど強力な攻撃力と装甲を持っていれば強いのは当たり前だ。

 ただし、黒熊は無敵ではない。
 その理由について、当の戦車に乗っている者たちはよく理解していたが、残念ながら王家の人間を筆頭に軍首脳部の大半が、この重大なる事実に気付いていなかった。
 すでに何度か報告は上層部に行っているが、常に挙がる大戦果によって無視されてきたのだった。

 その時、司令部の扉をノックする音が響いた。
「誰か?」
 ベラネチェが問いかけた。
「当番士官のベテルギウスであります。司令官姫にお客様であります」
「お客さん? 誰かしら?」
 クリスに心当たりは無いようであった。
「魔導砲兵団王都防衛隊のマルガリタ・ククル大佐であります」
 皇女の顔が、ぱっと輝いた。
「あら、ククルお姉さま! 入ってもらって」
 ベラネチェ参謀長が訝しそうに姫に訊ねた。
「どなたでしょう?」
「高等魔科校の同級生よ、でも歳はあたしより二っつ上、苦労人だったから。今はね、列車砲コリガンの砲術長よ」
 ベラネチェが、なるほどと頷いた。
「あのデカ物の責任者。ある意味大物でございますな」

 コリガンとは、王都防衛軍の誇る巨大列車魔砲である。
 とにかくでかく、邪魔なので普段は王都の周りにある環状待避線の上をあちこち移動している。
 しょっちゅう動くから、でかいけど目立っておらず、実はまだかなりの秘密兵器なのであった。
 もっとも、王都が直接攻撃に晒される危険など微塵もないので、部隊は半ば閑職扱いされている模様であった。
「クリス! 初陣おめでとう!」
 勢いよく扉が開き、大きなつばの砲兵帽をかぶった長身の目鼻立ちのくっきりした女性士官が入って来た。手には大きなバケツを抱えていた。
「お姉さま、ありがとう。わざわざ来てくれたの?」
 二人は軽く抱き合った。
「いやうちのどら猫が、二時間前にこの基地の隣に移動してきたのよ。そしたら、あんたの司令部があるって聞いたから」
 どら猫が、巨大列車砲の事なのは説明せずとも、クリスティーナとベラネチェ参謀長には判った。
 コリガンは、南アカ山脈に住む巨大山猫の名だ。
「全然気付かなかったわ、忙しかったし、朝からここを一歩も出てないもん」
 そう言うと、クリスティーナは列車司令部の窓のカーテンを開いた。
 いきなり目の前にどでかい砲身が現れた。
 とにかく、その巨大さは際立っていた。
 司令部の周囲に積まれている戦略資材の箱が、おもちゃの積み木以下の存在にしか見えない。
「でかい」
 ベラネチェが思わず漏らした。
 ベラネチェは第二王女アンニフリードの下で長く西域戦線にあり、数年ぶりに王都に戻り、すぐに今回の作戦の参謀長として招集された。
 だから去年建造されたばかりのコリガンを間近で拝んだことが無かったのだ。
「自慢の子ですわ。でもお仕事がなくて困ってますの。たまには一発ぶっぱなしたいわよ」
 ククルはそう言って、豪快に笑った。かなり豪放磊落な性格と見受けられた。
「うーん、あれ撃ったら村一個無くなっちゃうから、この辺じゃ訓練でも実弾撃つのは無理ね。お姉さまが欲求不満になるのもわかる気がするわ。ところでお姉さま、そのバケツは?」
 クリスに聞かれ、ククルは慌ててバケツを王女の前に差し出した。
「お祝いよ! あなたの大好物!」
 クリスが中を覗くと、そこには大量の野生のトムトムベリーの実が詰まっていた。
「あー、お姉さま覚えててくれたんだ、嬉しい!」
 二人が通っていた魔科校の裏山は、トムトムベリーの自生地で、放課後よく二人で摘んでは頬張っていたのだった。
 すぐにクリスは当番兵を呼び、ベリーを洗って皿に盛らせて持ってこさせた。

「いただきまーす」
 クリスはベリーを一個つまみ。口に放り込んだ。カリッという音が響くと、いい香りが室内に広がっていった。
「これは、いい匂い」
 ベラネチェが思わずそう口にするほど、室内は酸味のある独特の香りで満たされていた。
「少将さんもおひとつどうぞ」
 ククルが皿を差し出したので、ベラネチェもベリーを一個つまみ、口に運んだ。
 だが次の瞬間、ベラネチェは叫んだ。
「すっぱーい!」
「あー、やっぱ男の口には合わないかあ」
 ククルが皿を目の前にある机の上に置き、帽子の上から頭を掻いた。
 ちょうどその瞬間、机の上の電話が鳴りだした。
 まだ顔にしわを浮かべたベラネチェが、受信棹を耳に突っ込んだ。
「総司令官室だ」
 不安定な空中波動通話と違い、有線電話の音声は明瞭だ。
「第四軍司令部のコリンズ作戦参謀です。これから、進軍の経路の最終確認の為司令がそちらに向かいます」
「ふむ、シヴェール侯爵自らご足労願えるのか。了解したよコリンズ大佐。して交通手段は?」
 片手で長い髪をかき上げながらベラネチェが遥か彼方の相手に聞いた。
「今さっき、単車でボットタウ二号基地を出ました。二〇分ほどで到着すると思います」
「え? じっさん一人!」
 反射的にベラネチェが叫んだ。
「じっさん、て参謀長。あー、もしもし」
「あ、すまんすまんコリンズ、ついいつもの調子で出てしまった」

 コリンズ大佐は、西域でしばらくベラネチェの下に居たことがある。
 このころ、西域の最左翼で機甲戦を指揮していたのが、第四軍司令のシヴェール侯爵中将だった。
 すでに六十五を越えた高齢だが、間違いなく王軍一の機甲戦術の達人であった。
 コリンズが電信器の向こうで言った。
「付いて行くと言ったんですがねえ、早く済ませて帰りにダムダ村の定食屋で夕飯食いたいから、単車で行くと言い張りまして」
 ベラネチェが、かき上げていた髪を思わずクシャっと握って答えた。
「おいおい、もし侯爵が進軍の序列変更とか言い出した時、私一人では押さえられんぞ」
「なんとかしてください、そこはそれ寝技のベラネチェの名にかけて」
「いや、あれは援護あっての決め技だぞ、ううむ」
 やり取りを聞いていたクリスが口を挟んできた。
「シヴェール侯爵がどうかしたの? ここに来るんでしょ、何か問題が?」
 ベラネチェが受信棹を耳から離しながら説明した。
「はい、老侯爵は機甲軍の進撃速度に常に戦略の重点を置きたがります。確かに、縦深戦ではこれは重要です。しかし今回のような作戦当初の面圧戦では、むしろ機甲軍に突出されますと兵站が厄介です。ですから、事前の申し渡しで、兵站部隊の鉄路建設を直接援護する我が軍の侵攻序列を一番としたのですが、どうも侯爵はこれに文句を言いに来るようです」
 クリスが頷いた。
「あー、侯爵はとっとと先に行ってしまいたい訳ね」
「左様です姫君」
 二人のやり取りを見ていたククルが、大きく首を振った。
「年寄りは強引だもんね。砲兵団にも一人頑固なのが居てこまってんのよ」
 ベラネチェが首を傾げた。
「砲兵団で頑固者? あ、もしやエマ・レイア中将?」
「そうそう、あのばあさん!」
 ベラネチェが、えへんと咳払いして首を振った。
「上官の悪口は、ちょっといただけませんぞ」
「まあ聞かなかったことにしてよ。なんか忙しくなるみたいだから、あたしは退散するね」
「あら、もう帰るの? お茶入れようって思ってたのに」
 クリスが心底残念そうに言った。
「あんたこれから超多忙になるのよ、時間は有効に使ってね。でも、もし何かあったらさ、必ずあたしを呼びなよ、親友でしょ?」
 ククルが片目を瞑ると、クリスはニコッと微笑んだ。
「うん、わかった」
 ククルは片手を振って出ていった。

 ククルの姿が見えなくなって暫くしてからベラネチェがクリスに言った。
「なかなか豪快な女性でしたな」
「頼りになるのよ、ククル姉さん」
 クリスは、そう言うとウフッと笑った。
 後々、ベラネチェはこの言葉は骨の芯まで実感することになるのである。
 まあ、それはそれとして、開戦準備は間違いなく着々と進んでいるようだった。
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