アトモスフィア 1-1

文字数 1,948文字

 初夏は梅雨入りの印象が強いが、俺の住む地域はそうではない。
 地理的に見ても少し北寄りだからかもしれないし、近年の気候変動がそうさせているのかもしれない。つまりは、通説のようにいかないことという事なのかもしれない。
 こんなことを考えてしまうのは、授業の暇潰しに見ていたページが気象に関する内容だったからかもしれない。
 外は快晴だが、まだ熱を含んだ空気が浮遊しない。俗に言う過ごしやすい気候だった。
 ノートに曲線を書いては消し、書いては消すのを繰り返す。太陽系の惑星を書くとかいう授業で、上手く楕円を書くことが出来ずにいた。
「いつまでそれ書いてんの?」
「うるせぇ」
 となりの席の中島という女子生徒に耳打ちされる。おかげでまた線が振れてしまう。
 後で書くことに決め、黒板に目を向ける。丁度自分がノートに書き写していない部分が消されてしまっていた。これも後で友人から見せてもらうことにしようと決める。
 そうして六限の授業が終わった。先生の死角になる位置で文庫本のページを繰りながら、ホームルームをやり過ごす。
 終わったのを見計らって、俺は荷物をまとめて早足で教室を出ていく。誰かに声を掛けられたような気がするが、田中という苗字は俺を除いても二人居るのだから、そのどちらかであろう。
 俺が開けた引き戸は、職員室のひとつ上の階にある会議室だった。
「よ」
「今日早いな」
「まあ、保健室行ってたし」
 長机が楕円状に並べられたカーブ部分に座り、シャープペンシルを走らせる汰瀬の姿があった。
「なあ、理科ってどこまで進んだ?」
「理科ぁ? 何処だったかな。忘れた」
 汰瀬は黒いリュックから緑色の大学ノートを引っ張り出し、俺に向かって投げた。
「ありがと」
 俺は汰瀬の隣の椅子に座った。自分のリュックからルーズリーフを数枚取り出し、汰瀬のノートと並べて机に置く。
 詳細を見ると、汰瀬のクラスの方が授業進度が早い事が分かる。
「うわ、お前その跡なんだよ」
 汰瀬が指さしたのは、俺のノートにあった楕円の書き跡だった。
「上手く書けなかった」
 そう言うと、ふぅんという相槌だけ返される。だか今一度描いてみると、すんなりと思った通りの軌道を引くことが出来た。
「あー、内惑星とかのやつか」
「うん」
 いつの間にノートを覗き込んでいたのか、自分の顔の近くに汰瀬の顔があった。その時に、俺はにおいが気になった。
「お前、どっか怪我した?」
「え? おう、体育でちょっと擦りむいた」
 汰瀬がカッターシャツの長袖部分を捲った。そこに保健室で処置された痕跡が現れると同時に消毒液のにおいが一層鼻につくようになる。
「授業サボったのかと思ったわ」
「保健室行ってたやつ? まさか。そんなことするかよ」
「前してただろ」
「あれはサボりじゃねぇよ。その時はサボりって言ったかもしれないけど」
 俺は汰瀬のノートを返し、ルーズリーフをリュックにしまう。汰瀬はその間に学ランを着、会議室の引き戸に立って俺を待っていた。
「帰ろうぜ」
「おう」
 俺も汰瀬も帰宅部であるため、まだ陽が高い時間には学校の門を出ることができる。部活に入部することが原則ではあるが、学外活動をしている生徒や事情のある生徒はそれが免除される。汰瀬は前者、俺は後者に当てはまる。
 学校から程近いところに駄菓子屋がある。駄菓子屋と呼ぶのは、そうとしか形容できない風貌をした平屋であるからだ。それくらいには、ここは田舎の土地なのだ。
 そこに俺と汰瀬は入る。内装も良く言えば風情のある、悪く言えば黴臭いものが漂っている。玄関に駄菓子などが陳列され、店の主は玄関に面している閉ざされた障子戸の向こうにいる。
 汰瀬が店の端に設置されているアイスケースから棒つきアイスの袋を二つ取り出して、店主を大声で呼ぶ。この店は何故か一種類のアイスしか販売していない。
 程なくして、店主が障子戸を開けて出てきた。汰瀬が金額ぴったりのお金を手渡すと「どうも」と呟く。それを聞いた後に店を出るのが常で、今日もそうだった。
 通学路を歩きながらアイスの袋を開ける。パッケージは桃のデザインであるのに、実際はさくらんぼの味がするというアイスを一口頬張る。味は普通に美味い。
「そういえば」
「うん?」
「明日ってプール掃除あるよな」
 汰瀬のその言葉に、口に含んだアイスを飲み込む気力を無くす。どおりで教室に白い液体の入ったペットボトルが並んでいたのか。
「明日休もうかな」
「いや、来いよ」
 俺は食いかけのアイスを汰瀬に渡す。汰瀬は受け取って直ぐにそれも食べ始める。
「今日は水泳ある日だよな」
「おう。家来るなら明日にしろよ」
「明日は俺が無理」
「まじ?」
 本当は大した理由ではないけどな、と内心思う。なぜなら明日は俺のせいで出来た予定ではないからだ。
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