5-4 消えゆくもの

文字数 5,490文字

 リオの身体が崩れ落ちる。
 シェスティンはそれを気にもせずに振り返った時紡ぎに、半身を起こした状態でナイフを構えた。

「何を確かめたって言うんだ? 後釜ってどういうつもりだ?」
「どうもこうも。彼が勝手をしたいっていうから、その勝手が通るものかどうか確かめたんだよ」

 無造作に近づく時紡ぎと要領を得ない返事に、シェスティンは舌打ちしながら素早く立ち上がる。

「それで? 結果はダメだったってわけか?」
「反対だよ。及第点だ。まぁ、幸運体質じゃなきゃ危ないかもだけど……竜もいるしね」

 シェスティンは後退さっていた足を止め、訝しげに少し首を傾げた。

「じゃあ、何故」
「意識を無くしてくれていた方が都合がいいから。シェスティ、それは仕舞って」

 聞く気のないシェスティンに、距離を縮めた時紡ぎは手にしていた剣の柄を差し出した。

「持つのはこっちだ」

 剣と時紡ぎの顔を見比べて、彼女は戸惑う。

「何を、させる?」
「終わらせよう。君がここに残る気がないのなら」

 数秒動きを止め、言葉の意味を呑み込んだシェスティンは表情を消してナイフを仕舞い、錆の浮いた剣の柄へ手をかける。時紡ぎは一度剣を掴む手に力を込めて、彼女に笑いかけた。

「ただし」

 ゆっくりと言い含めるように。

「幸せになると誓ってくれ」

 きょとんとした後、シェスティンは困惑で顔を顰める。

「どういう意味だ? いつか、生まれ変わったら?」

 時紡ぎはゆるゆると首を振る。

「あの糸車の構造はそうは見えないけど、とても複雑に改造されてる。旧式だしちょっと触ったくらいでは大丈夫だけど、壊されてしまえばもう『時』は紡げない。もちろん、君の『時』も」

 だから、終わらせると言っているのだ。シェスティンはこくりと頷いた。

「『僕』ならきっと上手くやれるんだろう。でも、彼は君の『時』を止めたくない。絶対にやってくれない。でも私ではその構造を理解するまでの記憶の融合に至っていない。だから、今まで触れられなかった」

 時紡ぎはシェスティンの手を取って、ゆっくりと中央の糸車の前まで彼女を誘導した。

「でもね。シェスティ、君はもう自分で自分の『時』を紡げる」

 シェスティンは一瞬、自分が何を聞いたのか解らなかった。だから、ただ黙って微笑む時紡ぎを見つめる。

「時間はかかったけど、出来るようになってるはずだ。これを壊せばみんなの『時』は一度バラバラになって新たな『時』に生まれ変わる。君はその中から自分の『時』を手繰り寄せて、紡ぐんだ」
「わ……わた、しは、もう……」
「やり残したことがあるんじゃないの?」

 シェスティンはにっこりと笑う時紡ぎから、思わず視線を逸らした。

「シェスティ。もう生きるのは飽き飽きかもしれないけど、ここで君の時を戻してもあと数十年だ。そのくらいきっとすぐだよ。幸い、その間付き合ってくれそうなお人好しが何人かいる。誰を選んでも、選ばなくても、君が生きるはずだった君だけの時間を全うして」
「…………アルフ、は」
「君に時が戻ったら、私も私の時に戻るよ。ゆっくり眠るのかもしれないし、また誰かとして生きることになるかもしれない。ね。だから、心配せずに幸せにおなり」
「わたし、だけ……」

 シェスティンの唇がわななく。

「シェスティ。君が悪いんじゃない。誰も、悪くない。それでも君はひとりで耐えてきた。だから、みんなの分も笑って。その方が、みんな喜ぶ」

 そっと背中を押されて零れそうな涙を見せまいと、シェスティンは糸車に向き直った。呼吸を整えて両手で剣を振り被る。
 どうすればいいのかなど、正直彼女には解らなかった。ただ、なんとなく――なんとなく、見えない手で自分の大事な何かを掴んで離さないようにイメージしていた。
 そのまま、剣を振り下ろすだけ。

 派手な音を立てて、あっけなく、糸車も、そこにかかっていた糸も真っ二つになる。

 一度、心臓が肌が脈打つほど強く鳴り、シェスティンは痛みに胸を掴んだ。もう一方の手を台について、倒れ込みたくなるのを辛うじてやり過ごす。呼吸が荒くなり、額に脂汗が浮かぶ。
 やがて少し楽になってくると、彼女は自分の周りにキラキラと光る糸が螺旋状に取り巻いているのに気が付いた。短いキラキラが撚り合わさるようにして1本の糸になっていく。
 シェスティンはしばらく呆然とその光景を眺めていたが、それは長くは続かなかった。彼女が見ているそばから糸は見えなくなり、何事も無かったかのように静けさが辺りを支配する。

 彼女が時紡ぎを振り返ると、彼は微笑んだまま目を閉じた。
 次にその目が開かれた時には瞳に光はなく、少し哀しそうに、ぼんやりと壊れた糸車を眺めてから、ゆっくりと部屋を出て行った。

 残されたシェスティンの頬を涙が伝う。嬉しいのか悲しいのか、また動き出した彼女の『時』のせいなのか、彼女がいくら止めようと思ってもそれは止まる気配を見せなかった。
 倒れていた男が身じろぎする。
 シェスティンは手を貸そうと止まらぬ涙を拭い拭い、彼に近付いた。

「大、丈夫か? もう、終わ、った、から」

 しゃくりあげそうになって、妙な気恥ずかしさが彼女を襲う。それでも屈み込んで彼に手を差し伸べた。
 まだぼんやりしているような男は後頭部を片手で押さえ、もう一方の手で何かを探していた。求める物が手に触れず、彼はゆっくりと辺りを見渡す。
 落とした剣は探していた手の少し先にあった。のろのろとした動きでそれを拾い上げると、立ち上がって彼はシェスティンを見据える。

「まだ、終わってない」
「……え?」

 屈み込んでいたシェスティンを男は片手で引き起こし、くるりと半回転させた。まだかろうじて纏まっていた髪を握り込み、ひやりとした金属の感覚が彼女に分かるように首の後ろにその剣身を当てる。

「何、を」

 身を固くするシェスティンの髪にそっとキスを落として、彼は続けた。

「確認。動かないで」

 彼は刃を立てて一息にそれを引く。
 ばさりと、短くなった髪がシェスティンの頬を叩き、涙に濡れたそこに張り付いた。
 彼女は恐る恐るそれに触れ、ゆっくりと男を振り返る。

「戻らないね。ちゃんと君に『時』は戻ったみたいだ」

 いる? と少しおどけて手の中の髪の束を差し出してくる男に、シェスティンは小さく首を振った。

「シェスティ、気を付けて。自分を犠牲にするやり方はもうできない。今ある『時』が切れてしまえばそれでお終い。髪も爪も伸びるし切れる。長い間に忘れてそうだ」

 男は張りついた彼女の髪を優しく払い、耳にかけてやる。戻す手で頬に手を添え、流れる涙を何度も親指で拭った。

「アル、フ? 何で? スヴァットは?」
「意識の無い間だけ、借りてる。だからあんまり時間は無いよ。彼はずっと『僕』の分身と同居してたから、慣れてるはずで、負担は少ないと思うんだ」
「そう、なの……?」

 至近距離で青い瞳を見ていると、なんだか混乱してくる。さらに青い瞳が近付いて、シェスティンは慌てて顔を伏せた。両手で軽く彼の胸を押しやる。

「な、何しようとした!?」
「確認」

 同じ言葉なのに、今度のそれは笑いを含んでいる。

「シェスティ。こればっかりは『僕』の身体じゃ確認できない。だから彼を借りてるんだけど……彼の意識がないうちがいいだろう? 以前は挨拶代りだったじゃないか」
「い、いい。余計なお世話だ」
「そうやって怖がらなくてもいいように、できることはしておこう?」

 シェスティンの顎に手がかかり、上向かせられる。目が合うと、彼女は思わず後退さってしまう。
 何故、こんなに混乱するのか、薄々解ってきた。
 声がよく似ているのだ。でも瞳の色以外顔は似ていない。話し方が違うので印象も違っていたが、アルフの話し方で話されると耳の奥で何かがかき混ぜられる気分だった。

「意識の無い時に勝手にするなんて、スヴァットにも迷惑だ。もし、それで、時を奪う効果が残っていたら……」

 男はちょっと肩を竦めて彼女が下がった分だけ距離を詰める。

「じゃあ、彼の意識が戻ってからしてもらう?」
「か、彼じゃなくても!」
「誰か、好きになった人、とか言うんだったらダメだよ? 君はそんな危ない橋は渡らないだろう?」

 シェスティンが答えに詰まると同時に、じりじりと下がっていた体が糸車の乗っていた台にぶつかる。

「彼なら、例えそれで命を落としたって惜しくなさそうだし」
「い、命は惜しいだろう?! ああ、もう! スヴァット! 目を覚ませ!」

 両脇に腕を置かれ、台の上で追い詰められたシェスティンは男の頬を軽く張った。

「傷つくなぁ。数百年ぶりなのに、キスもさせてくれないの」
「ひ、他人(ひと)の身体で言われてもっ」
「見てるからじゃない? 目を瞑りなよ」

 うっかり従いかけて、シェスティンは違うと頭を振る。
 くすくすと楽しそうに彼は笑った。

「こういう君も新鮮だね。いつまでもからかっていたいけど、時間もない。ねぇ、シェスティ。お伽噺の世界ではお姫様の呪いを解くのは王子様の役目なんだ。そういう意味でも彼は条件を満たしているし、なにせ幸運体質も持ってる。めったなことじゃ死にやしない。これでもちゃんと考えてるんだよ」
「でも……めったなことだったら」

 しばらく止まっていた涙が、またシェスティンの目に浮かぶ。

「彼を失いたくないの?」
「……誰も、失いたくない」

 男は優しく微笑んだ。

「大丈夫。その、心の枷も外してしまおう」

 近づく青い瞳に一旦は目を瞑ったものの、次の瞬間にはシェスティンは両手で男の顔を押さえつけていた。

「や、やっぱり、ちょっと、待っ……」
「あーーー!! ごちゃごちゃうるせぇ!」

 突然の大声にびくりと身体を震わせたシェスティンの両手首を取り、片方ずつ台の上に押さえつけると、男は勢いよく彼女に迫る。衝撃を覚悟して彼女が目を瞑ると、柔らかいものが唇を掠めた。
 それ以上何もなくて、そっと目を開けると、まだ男の顔は目の前にあり、思案するように視線だけが横を向いている。

「……アルフ? ……スヴァット?」
「ちゃんと『俺』を呼べよ」
「……リオ?」
「ん」

 満足そうに口角を上げたまま、彼はもう一度、今度はしっかりと自分の唇をシェスティンに押し付けた。
 長いような、短いような時間が過ぎ、そっと離れていく体温を気恥ずかしいながらも視線で追うと、リオは目を細めてぺろりと上唇を舐めていた。何事も起こらず、彼が生きていることが嬉しいはずなのに、シェスティンの中に納得のいかない感情が沸いてくる。

「……なんで、『ごちそうさま』みたいな顔してるんだ」
「は?」
「良く考えたら、二度目はしなくて良かったんじゃないか?」
「はぁ? 紳士的に抑えてやっただろ? 俺がどんだけ飢えてると思ってんだよ」
「し、知るか!」
「殺されかけて、戻れたと思ったら剣を強制されるし、終いにゃ体を勝手に使われてるし! ちょっとくらい詫びとか褒美とかもらっても、バチ当たんないんじゃねーの?」
「……それは……いや、それと、これとは……」

 少し弱気になって言い淀むシェスティンに、リオはもう一度近づこうとした。

「もう一回、激しいのも試しとく?」
「じょぉっだんっ!!」

 シェスティンは反射的にリオの腹に蹴りを入れる。足が出るとは思っていなかったのか、リオはぐぇっとカエルのような声を上げて少しのあいだ空に浮き、すぐに尻餅をつくと涙目で腹をさすっていた。

「あ……すまん……やりすぎ……」
「まったく、王女だなんて嘘だろ。じゃじゃ馬過ぎじゃね? 俺の出番を無くさないでくれよ」
「……出番?」

 シェスティンがすまなそうに差し出した手をとって立ち上がると、少し迷って視線を逸らしながらリオは口にする。

「いるんじゃね? 用心棒」
「え?」
「あんたがそのまま戻るんだったら、こっそり気付かれないように付いて行こうと思ったんだ。近くにいられないなら、少し離れてればいいんじゃないかって」
「……安直だな。多分、上手くいかなかったぞ」
「あー、うん。かもな。……でも、あんたの事情も変わったんなら……雇って、くんねーかな?」

 リオはシェスティンの短くなった不揃いの髪に手を伸ばし、指先で遊ばせる。

「雇う、と言っても……ワタシもどう稼ぐか決めてない」
「贅沢は言わない。前に言ってたように解呪屋をやってもいい。トーレの兄貴に二、三枚鱗を売りつけてやるのでもいいかもしれない」
「ああ……それは最終手段だな…………いや、じゃ、なくて」

 話が決まりかけていることに気付いて、シェスティンは慌てて首を振った。

「せっかく自由になったんだ。もっと、他に出来ることが……」
「ここまで一緒に来たんだ。フツーの女になって世間に放り出されるあんたが心配になったっておかしくないだろ?」
「……放り出されるわけじゃ……」

 何気なく繰り返して、ふっと、シェスティンは違うことに思い当たった。

「アルフは? ……あなたが戻ったってことは、アルフは、もう……?」

 答えかけて、リオは開けた口を一度閉じ、じっとシェスティンを見下ろした。
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登場人物紹介

シェスティン


 主人公。死ねない。年を取らない。

 常にあちこちを旅している。

 本人は呪いだと言っているが、呪いを感知できる竜は呪いではないと言う。


 イラストは 深海さん よりいただいたもの

 (表紙イラストは さかなさん からのいただきもの)

スヴァット


 非常食にしようと思っていたウシガエルが変身した?!

 どうやら多くの呪いにかかってる模様。シェスティンと呪いを解く旅に出る。

 月の光に当たっている間だけ……


 イラストは作者落書き

ラヴロ


 竜の生き残り。かつては『孤高の竜』と呼ばれていた。

 洞窟の奥深くにひっそりと暮らしている。シェスティンとは長い付き合い。

 真実の名前をシェスティンに預けている。


 イラストは pendleburyannetteさんによるPixabayからの画像 (著作権フリーのもの)

トーレ


 行商をしているが、実は薬師。お人好しで少々危なっかしい。

 シェスティンが竜の鱗を持っていると知って、何やら画策するのだが……


 イラストは 樹里さん よりいただいたもの

時紡ぎ


 大陸に残るおとぎ話に出てくる、時を紡ぐ存在。

 お姫様に恋をして、仕事が手につかなくなる。お話のラストにいろいろなバリエーションがあるが、ハッピーエンドは少ない。


 イラストは作者落書き

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