第306話 4/23
文字数 1,968文字
お昼。
メンタルは少し回復しているように思う。
だが、未だに親父と出会ってしまったことは、自分の中でかなりのダメージのようで。
今、子供と奥さんが外出して、一人になったから、一人で色々と思考がぐるぐる回転する。
そのせいか、過呼吸と胸の痛みが起きる。
こういう時、どこかで誰か、仲の良い友達とかと、下らないことして、遊べたらな。とか思う。
気軽に話し合えるのは、『あの子』ぐらいしかいない。
僕は友達を過去に精算してしまったから。
というか、真の友といえる人間は少ない。
なんていうか、僕ってかなり価値観ズレてるし、好き嫌いも激しいし。
たまに本音を相手に言っちゃうと。
「ねぇ、なんでそんなこというの?」
「らしくないよ」
なんて顔をしかめる。
いや、僕のイメージを君が知らないだけで、心の中ではいつもこう思ってんだけどなぁ……って違和感を感じる。
話が脱線した。
親父に対する恐怖を考えてみた。
恐怖ではなく、拒絶されたことに傷ついて、会うとこういう症状が現れるのではないか?
そんな風に思う。
まあ、でも、親父を慕ってる人間なんて、上辺だけで、本当に慕っているのは、家の中でも兄貴だけだろう。
兄貴の場合、男として、大人して、認められているから。
でも、蓋をあけてみりゃ、あの人も親父を拒絶しかねない。
昨日の日記で思い出したのですが、過去に僕は二度ほど親父と衝突しました。
僕も年のせいか、これ言ったけ? とかよくあるので、同じこと書いてたら、すみません。
数年前、親父が子供たちを無理やり保育園に行かせるように、社会的に成功させるようなスパルタ教育をやっていて……。
要は僕たち兄弟にやっていた教育を、子供たちの意思を尊重させることなく、強制していた。
(誰も親父の教育で社会的に自立できてないのに)
それが僕たち夫婦、親にとって教育方針が違い。
不登校やひきこもりを経験した身としては、「生きてさえいてくれればいい」というのが僕たちのモットーで。
例えば、僕が経験した閉鎖病棟や恋愛に関して、親が反対したり、怒鳴り散らす親を案じて子供が涙したり、恋をあきらめたり。
その二つはあまり経験させたくない。
今でもフラバると、嘔吐しそうなくらい地獄だったので。
んで、親父のやり方が汚くて、「保育園や学校に行かせろ!」と僕に命令してきて。
僕の意思ではないので、それを嫌がる子供たちにまるで、僕が言ったように仕向けた。
自分は「大好きなおじいちゃん」を演じたいので、悪役は僕任せ。
「お前は無職のくせに」とか「子供のためにお前が障害を治せ」とか、まあ無茶苦茶なことを言いだして。
そんなことを僕に暴言を吐くわりに、孫の前ではいい格好するから、子供たちに僕たち両親は嫌われた。
だから、つもり積もった憎しみが爆発して。
僕は実家に突撃して。
あっちも鍵かけて、「なめるな!」とか逆ギレするから。
怒りマックスだった僕は、「ふざけるな!」と閉めた鍵を無理やりこじあけようとして、扉をガンガン蹴っ飛ばして。
「開けろ!」
と怒号をあげて、マンションだから、それが響いて、そんな喧嘩を数時間やったもので。
誰かが警察呼んじゃって。
まあ無茶苦茶だった。
その時も親父に僕は確かめた。
「あー、そんなに僕がいらないなら、今から死んでやろうか?」
と泣き叫んで、玄関から飛び出し、死をほのめかした。
だが、親父は冷たい目で、こっちを睨み、微動だにしない。
「甘えるな!」
「あー、そうかい。じゃあ、バイバイ!」
なんて、飛び出す僕を引き留めたのは、妻で。
これ、実は15歳、20歳ぐらいの時に何回か繰り返した行為で。
過去の時、親父は必死に引き留めた。
僕はこの時30代前半。
だから、僕は思った。
(ああ、そうか。もう賞味期限切れなのね)
と。
結局、社会的に自立してないと、親父は認めない。
だから、僕は満たされなかった。
好きと嫌いは表裏一体。
自分を保つために、嫌いに変換しただけ。
生きるために。
くだらない。
本当に人間ってしょうもないって思う。
見えることでしか、評価しない親父なんて、本当に会社で使える人だったのだろうか?
だから、僕は今のメンクリの先生に出会えて、救われて、考えを改め、生きなおすことを学んでいる。
僕のお父さんは、先生だって思ってる。
そう思うと、すごく気が楽。
だって、今までも親父だけじゃなく、学校でも、友人関係でも、拒絶したり、見捨てたり。
先生は絶対に見捨てない。
揺るがない愛を感じる。
だから、僕のお父さんは先生だ。
て言ってたら、奥さんも子供たちも先生をおじいちゃんみたいな扱いになってしまった。
悪いが笑ってしまう。
なんか、まだまだメンタル荒れてるのかも。
闇日記です。
ではまた!
体重、92.2キロ。
メンタルは少し回復しているように思う。
だが、未だに親父と出会ってしまったことは、自分の中でかなりのダメージのようで。
今、子供と奥さんが外出して、一人になったから、一人で色々と思考がぐるぐる回転する。
そのせいか、過呼吸と胸の痛みが起きる。
こういう時、どこかで誰か、仲の良い友達とかと、下らないことして、遊べたらな。とか思う。
気軽に話し合えるのは、『あの子』ぐらいしかいない。
僕は友達を過去に精算してしまったから。
というか、真の友といえる人間は少ない。
なんていうか、僕ってかなり価値観ズレてるし、好き嫌いも激しいし。
たまに本音を相手に言っちゃうと。
「ねぇ、なんでそんなこというの?」
「らしくないよ」
なんて顔をしかめる。
いや、僕のイメージを君が知らないだけで、心の中ではいつもこう思ってんだけどなぁ……って違和感を感じる。
話が脱線した。
親父に対する恐怖を考えてみた。
恐怖ではなく、拒絶されたことに傷ついて、会うとこういう症状が現れるのではないか?
そんな風に思う。
まあ、でも、親父を慕ってる人間なんて、上辺だけで、本当に慕っているのは、家の中でも兄貴だけだろう。
兄貴の場合、男として、大人して、認められているから。
でも、蓋をあけてみりゃ、あの人も親父を拒絶しかねない。
昨日の日記で思い出したのですが、過去に僕は二度ほど親父と衝突しました。
僕も年のせいか、これ言ったけ? とかよくあるので、同じこと書いてたら、すみません。
数年前、親父が子供たちを無理やり保育園に行かせるように、社会的に成功させるようなスパルタ教育をやっていて……。
要は僕たち兄弟にやっていた教育を、子供たちの意思を尊重させることなく、強制していた。
(誰も親父の教育で社会的に自立できてないのに)
それが僕たち夫婦、親にとって教育方針が違い。
不登校やひきこもりを経験した身としては、「生きてさえいてくれればいい」というのが僕たちのモットーで。
例えば、僕が経験した閉鎖病棟や恋愛に関して、親が反対したり、怒鳴り散らす親を案じて子供が涙したり、恋をあきらめたり。
その二つはあまり経験させたくない。
今でもフラバると、嘔吐しそうなくらい地獄だったので。
んで、親父のやり方が汚くて、「保育園や学校に行かせろ!」と僕に命令してきて。
僕の意思ではないので、それを嫌がる子供たちにまるで、僕が言ったように仕向けた。
自分は「大好きなおじいちゃん」を演じたいので、悪役は僕任せ。
「お前は無職のくせに」とか「子供のためにお前が障害を治せ」とか、まあ無茶苦茶なことを言いだして。
そんなことを僕に暴言を吐くわりに、孫の前ではいい格好するから、子供たちに僕たち両親は嫌われた。
だから、つもり積もった憎しみが爆発して。
僕は実家に突撃して。
あっちも鍵かけて、「なめるな!」とか逆ギレするから。
怒りマックスだった僕は、「ふざけるな!」と閉めた鍵を無理やりこじあけようとして、扉をガンガン蹴っ飛ばして。
「開けろ!」
と怒号をあげて、マンションだから、それが響いて、そんな喧嘩を数時間やったもので。
誰かが警察呼んじゃって。
まあ無茶苦茶だった。
その時も親父に僕は確かめた。
「あー、そんなに僕がいらないなら、今から死んでやろうか?」
と泣き叫んで、玄関から飛び出し、死をほのめかした。
だが、親父は冷たい目で、こっちを睨み、微動だにしない。
「甘えるな!」
「あー、そうかい。じゃあ、バイバイ!」
なんて、飛び出す僕を引き留めたのは、妻で。
これ、実は15歳、20歳ぐらいの時に何回か繰り返した行為で。
過去の時、親父は必死に引き留めた。
僕はこの時30代前半。
だから、僕は思った。
(ああ、そうか。もう賞味期限切れなのね)
と。
結局、社会的に自立してないと、親父は認めない。
だから、僕は満たされなかった。
好きと嫌いは表裏一体。
自分を保つために、嫌いに変換しただけ。
生きるために。
くだらない。
本当に人間ってしょうもないって思う。
見えることでしか、評価しない親父なんて、本当に会社で使える人だったのだろうか?
だから、僕は今のメンクリの先生に出会えて、救われて、考えを改め、生きなおすことを学んでいる。
僕のお父さんは、先生だって思ってる。
そう思うと、すごく気が楽。
だって、今までも親父だけじゃなく、学校でも、友人関係でも、拒絶したり、見捨てたり。
先生は絶対に見捨てない。
揺るがない愛を感じる。
だから、僕のお父さんは先生だ。
て言ってたら、奥さんも子供たちも先生をおじいちゃんみたいな扱いになってしまった。
悪いが笑ってしまう。
なんか、まだまだメンタル荒れてるのかも。
闇日記です。
ではまた!
体重、92.2キロ。
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