4/7 家の人間に気付かれないように
文字数 3,447文字
家の人間に気付かれないように、土蔵に忍び込むのは、簡単なことだった。扉の鍵は、昨晩のうちに持ち出しておいたし、土蔵の入り口は、母屋から死角になっているので、裏手からまわれば、見つかる心配はなかった。
しかし、ふたりは扉の前まで来ても、すぐには踏み込まなかった。ふたりとも、あの日以来、五年振りにそこに入るのである。あの日の恐怖がおのずと沸き起こり、鍵を開けたところで、足がすくんでしまう。
まずヒカルが、生唾をひとつ飲み込んでから、一歩、踏み込んだ。ほこりのにおい、薄暗さ、蒸し暑さ…すべて、あの日のままだった。
ふたりは、おそるおそる、五年前にミイラと遭遇したあたりまで、歩を進めた。
「たしか…このあたりだったよな…」
「うん…」
そこには、桐の箱やら、壷やら、古い箪笥やら、ダンボール箱やらが、大小おりまぜて、雑然と置かれていた。ふたりとも、何を探せばいいのか、はっきりとしたイメージを持っていたわけではなかったが、あの日、ここで何が起こったのか、それを解明できる手がかりを求めて、あたりをさぐり始めた。
一時間ほどかけて、あちこち調べてみたのだが、これといって目に付くものはなかった。
「ふう…ちょっと休憩するか…」
「うん…」
ふたりは、それぞれに、手ごろなダンボール箱を見つけて、腰を下ろした。
「あやしいと言えば、どれもこれもあやしく見えるけど…こう、ピンとくるものがないんだよな…」
「そう…掛け軸とか、変な仏像とか、巻き物とか、全部あやしく見えちゃう…」
ふたりして、大きなため息をつく。
「単純に探していたんじゃ、ダメっぽいな…もっと、まとを絞って、探した方がいいのかも…」
「うん、そうだね…たとえば…ミイラに関係がありそうなもの…西洋的なものとか?」
「ああ、なるほど…日本じゃ、死体は燃やしちゃうから、ミイラって、いなさそうだもんな…」
「うん…即身仏ってのもあるけど…あれは、即身仏、って言うより、ミイラ、って感じだったし…」
「よし、それじゃ、西洋的なものを探すってことで、まとを絞ってみるか」
ふたりは立ちあがり、ふたたびあたりをさぐり始める。ねらいを絞ると、それは、十分後、すぐに見つかった。はじめに、それを発見したのは、あかりだった。
「ヒカルくん…あそこの上の方にある、あの箱って…いかにも西洋的だよね?」
その箱は、サイズで言えば、掛け軸を入れる桐箱ぐらいの大きさで、黒い布張りの表面に、金色の蝶番がチラリと見えている。
「ああ、たしかに西洋的だな…でも、ちょっと高いな…」
ヒカルは、手を伸ばしてみるが、全然、届きそうにない。かたわらにあったダンボール箱を足場にして、手を伸ばすが、それでも届かない。箱を積み重ねるにしても、適当なものが見当たらない。
「まいったなあ、ハシゴは、母屋の物置だし…」
そのとき、あかりが、ふと思いついたことを提案する。
「肩車したら、どうかな?」
「ああ、そうか、なるほど、肩車ならなんとか…えッ、肩車?!」
あかりは、最初、ヒカルが何に驚いているのか、分からなかったが、自分がミニスカートをはいていることに気付いて、「あッ」と言ったなり、またもや下を向いて黙り込んでしまう。
心臓の鼓動が高まる。気まずい沈黙がつづいたが、「よし、やろう!!」というヒカルの声が、それを破った。あかりは、下を向いたまま、小さくうなづいた。
まず、ヒカルがしゃがみ込み、あかりが、スカートがめくり上がらないように注意しつつ、後ろから乗りかかる。ヒカルが、あかりのひざ小僧をしっかりと抱え込み、バランスに注意を払いながら、ゆっくりと立ちあがる。
太ももの内側に、ヒカルの耳が熱くなっていくのを感じて、あかりの耳も熱くなった。しかし、すでに事態は進行しているのだから、中途半端な態度はいけない、と思い切り、ヒカルの耳を強くはさみつける。
肩車をしたものの、もう少しというところで、黒い箱には届かない。はじめは恥ずかしがって、遠慮がちにしていたふたりも、そのうちに必死になり、すこしでも高く、と集中するようになった。
ヒカルが背伸びをする。あかりも、出来る限りに手を伸ばす。
「ん…も、もう、ちょっと…」
ギリギリなんとか、指の先がひっかかり、届いたッ、と思った瞬間、ぐらりとバランスを失って、倒れ込んでしまう。
ヒカルは、倒れたときの大きな音で、母屋の人間にばれなかったかどうかを、まず最初に心配した。仰向けの状態のまま、じっと息をひそめて、気配を探る。はっきりとは分からなかったが、いますぐに誰かが駆けつけてくるような雰囲気ではないようだった。
ひとつホッと息を吐き、あらためて、自分の置かれた状況を確認する。倒れたときに、左の肩を強く打ったのだろうか、すこし痛みがあるが、大したことは無いようだった。
あと、首がかなりいやな角度に折れ曲がったような気がしたので、そのことを確かめようと、首を、まず、左にひねり、そして、右にひねると、そこにあかりの顔があった。
ドキリとして、またもや身動きが取れなくなってしまうが、あかりが気を失っていることに気が付くと、すぐに起き上がり、呼びかけた。
「おい!! あかり!! 大丈夫か!!」
つよく肩をゆすったが、目覚める気配はない。まさか、と思い、その胸に耳を付けると、心音は聞こえるし、呼吸もしている。外傷もこれといって、見つからないので、ひとまず大丈夫のようだったが、頭を打っている可能性があったので、安心はできなかった。
ヒカルは、救急車を呼ぼうとして、携帯電話を取り出したが、そのとき、倒れた拍子に黒い箱から飛び出したのだろう、ゴワゴワした、妙に分厚い紙が、筒状に丸まった状態で、そこに転がっていることに気が付いた。
* * *
サイレンを鳴らして、救急車がやってきた。それは土蔵のなかにも聞こえてきたので、ヒカルは母屋の方に急いだ。ヒカルが玄関に行くと、母親とふたりの救急隊員が、怪訝な顔で話し合っていた。
「すいません!! こっちです!!」と、ヒカルが声をかけると、母親が、「ヒカル!! あんた、学校は!?」と声を上げた。
「それは、あとで説明するから!!」と母親に言い、「土蔵の方なんです!! お願いします!!」と救急隊員に、もう一度、声をかけた。
救急隊員によると、命に別状はないと思うが、やはり、ぶつけた場所が場所だけに、精密検査を受けておいた方が良い、ということだった。
あかりの姿をみとめた母親が、ヒカルの頬を平手で打ち、「ヒカル!! あんた、何したの!!」と詰めよった。
ヒカルは、打たれた頬には頓着せずに、「それは、あとで説明するから…」と、母親の目を正面から見据えた。その強い目にあてられ、母親はグッと言葉が詰まり、ヒカルが、救急車に乗り込み、病院へと向かうのを、ただ見送るしかなかった。
* * *
あかりは夢をみていた。ひとりの少女が、暗闇のなかにしゃがみ込んで、泣いている。それは五年前のあかりだった。
「ヒカルが死んじゃったよう…悲しいよう…」
これは、夢だ…でも、何かが変だ…胸がザワザワとしてくる…
そのとき、暗闇から、何者かの声が、あたりに響いた。
「望みは何だ?」
しわがれた女の声。
「誰!?」
あかりはビクリとなり、咄嗟にそう訊ねた。
「望みは何だ?」
しわがれた声は、問いには答えずに、そう繰り返した。
あかりは、ガタガタとおびえていたが、勇気を振り絞って、暗闇に向かって叫んだ。
「お願い!! ヒカルを生きかえらせて!!」
暗闇のなかで、そいつが、ニヤリと笑ったような気がした。
「いいだろう…その望みをかなえてやろう…ただし…」
汗がブワッとふきだしてきた。
そうだった…これは、わたしの五年前の記憶…夢だと思い込もうとしていた現実…
「ただし…条件がある…」
しわがれた声はそう言うと、何かをあかりの鼻先に突き出す。あかりが、おそるおそる、目をこらしてみると、それが青白い光を発し始める。それは、ゴワゴワした、妙に分厚い紙だった。
青白い光のなかに、黒い文字が浮かび上がっている。まず読み取れたのが、「契約書」という文字だった。
しかし、ふたりは扉の前まで来ても、すぐには踏み込まなかった。ふたりとも、あの日以来、五年振りにそこに入るのである。あの日の恐怖がおのずと沸き起こり、鍵を開けたところで、足がすくんでしまう。
まずヒカルが、生唾をひとつ飲み込んでから、一歩、踏み込んだ。ほこりのにおい、薄暗さ、蒸し暑さ…すべて、あの日のままだった。
ふたりは、おそるおそる、五年前にミイラと遭遇したあたりまで、歩を進めた。
「たしか…このあたりだったよな…」
「うん…」
そこには、桐の箱やら、壷やら、古い箪笥やら、ダンボール箱やらが、大小おりまぜて、雑然と置かれていた。ふたりとも、何を探せばいいのか、はっきりとしたイメージを持っていたわけではなかったが、あの日、ここで何が起こったのか、それを解明できる手がかりを求めて、あたりをさぐり始めた。
一時間ほどかけて、あちこち調べてみたのだが、これといって目に付くものはなかった。
「ふう…ちょっと休憩するか…」
「うん…」
ふたりは、それぞれに、手ごろなダンボール箱を見つけて、腰を下ろした。
「あやしいと言えば、どれもこれもあやしく見えるけど…こう、ピンとくるものがないんだよな…」
「そう…掛け軸とか、変な仏像とか、巻き物とか、全部あやしく見えちゃう…」
ふたりして、大きなため息をつく。
「単純に探していたんじゃ、ダメっぽいな…もっと、まとを絞って、探した方がいいのかも…」
「うん、そうだね…たとえば…ミイラに関係がありそうなもの…西洋的なものとか?」
「ああ、なるほど…日本じゃ、死体は燃やしちゃうから、ミイラって、いなさそうだもんな…」
「うん…即身仏ってのもあるけど…あれは、即身仏、って言うより、ミイラ、って感じだったし…」
「よし、それじゃ、西洋的なものを探すってことで、まとを絞ってみるか」
ふたりは立ちあがり、ふたたびあたりをさぐり始める。ねらいを絞ると、それは、十分後、すぐに見つかった。はじめに、それを発見したのは、あかりだった。
「ヒカルくん…あそこの上の方にある、あの箱って…いかにも西洋的だよね?」
その箱は、サイズで言えば、掛け軸を入れる桐箱ぐらいの大きさで、黒い布張りの表面に、金色の蝶番がチラリと見えている。
「ああ、たしかに西洋的だな…でも、ちょっと高いな…」
ヒカルは、手を伸ばしてみるが、全然、届きそうにない。かたわらにあったダンボール箱を足場にして、手を伸ばすが、それでも届かない。箱を積み重ねるにしても、適当なものが見当たらない。
「まいったなあ、ハシゴは、母屋の物置だし…」
そのとき、あかりが、ふと思いついたことを提案する。
「肩車したら、どうかな?」
「ああ、そうか、なるほど、肩車ならなんとか…えッ、肩車?!」
あかりは、最初、ヒカルが何に驚いているのか、分からなかったが、自分がミニスカートをはいていることに気付いて、「あッ」と言ったなり、またもや下を向いて黙り込んでしまう。
心臓の鼓動が高まる。気まずい沈黙がつづいたが、「よし、やろう!!」というヒカルの声が、それを破った。あかりは、下を向いたまま、小さくうなづいた。
まず、ヒカルがしゃがみ込み、あかりが、スカートがめくり上がらないように注意しつつ、後ろから乗りかかる。ヒカルが、あかりのひざ小僧をしっかりと抱え込み、バランスに注意を払いながら、ゆっくりと立ちあがる。
太ももの内側に、ヒカルの耳が熱くなっていくのを感じて、あかりの耳も熱くなった。しかし、すでに事態は進行しているのだから、中途半端な態度はいけない、と思い切り、ヒカルの耳を強くはさみつける。
肩車をしたものの、もう少しというところで、黒い箱には届かない。はじめは恥ずかしがって、遠慮がちにしていたふたりも、そのうちに必死になり、すこしでも高く、と集中するようになった。
ヒカルが背伸びをする。あかりも、出来る限りに手を伸ばす。
「ん…も、もう、ちょっと…」
ギリギリなんとか、指の先がひっかかり、届いたッ、と思った瞬間、ぐらりとバランスを失って、倒れ込んでしまう。
ヒカルは、倒れたときの大きな音で、母屋の人間にばれなかったかどうかを、まず最初に心配した。仰向けの状態のまま、じっと息をひそめて、気配を探る。はっきりとは分からなかったが、いますぐに誰かが駆けつけてくるような雰囲気ではないようだった。
ひとつホッと息を吐き、あらためて、自分の置かれた状況を確認する。倒れたときに、左の肩を強く打ったのだろうか、すこし痛みがあるが、大したことは無いようだった。
あと、首がかなりいやな角度に折れ曲がったような気がしたので、そのことを確かめようと、首を、まず、左にひねり、そして、右にひねると、そこにあかりの顔があった。
ドキリとして、またもや身動きが取れなくなってしまうが、あかりが気を失っていることに気が付くと、すぐに起き上がり、呼びかけた。
「おい!! あかり!! 大丈夫か!!」
つよく肩をゆすったが、目覚める気配はない。まさか、と思い、その胸に耳を付けると、心音は聞こえるし、呼吸もしている。外傷もこれといって、見つからないので、ひとまず大丈夫のようだったが、頭を打っている可能性があったので、安心はできなかった。
ヒカルは、救急車を呼ぼうとして、携帯電話を取り出したが、そのとき、倒れた拍子に黒い箱から飛び出したのだろう、ゴワゴワした、妙に分厚い紙が、筒状に丸まった状態で、そこに転がっていることに気が付いた。
* * *
サイレンを鳴らして、救急車がやってきた。それは土蔵のなかにも聞こえてきたので、ヒカルは母屋の方に急いだ。ヒカルが玄関に行くと、母親とふたりの救急隊員が、怪訝な顔で話し合っていた。
「すいません!! こっちです!!」と、ヒカルが声をかけると、母親が、「ヒカル!! あんた、学校は!?」と声を上げた。
「それは、あとで説明するから!!」と母親に言い、「土蔵の方なんです!! お願いします!!」と救急隊員に、もう一度、声をかけた。
救急隊員によると、命に別状はないと思うが、やはり、ぶつけた場所が場所だけに、精密検査を受けておいた方が良い、ということだった。
あかりの姿をみとめた母親が、ヒカルの頬を平手で打ち、「ヒカル!! あんた、何したの!!」と詰めよった。
ヒカルは、打たれた頬には頓着せずに、「それは、あとで説明するから…」と、母親の目を正面から見据えた。その強い目にあてられ、母親はグッと言葉が詰まり、ヒカルが、救急車に乗り込み、病院へと向かうのを、ただ見送るしかなかった。
* * *
あかりは夢をみていた。ひとりの少女が、暗闇のなかにしゃがみ込んで、泣いている。それは五年前のあかりだった。
「ヒカルが死んじゃったよう…悲しいよう…」
これは、夢だ…でも、何かが変だ…胸がザワザワとしてくる…
そのとき、暗闇から、何者かの声が、あたりに響いた。
「望みは何だ?」
しわがれた女の声。
「誰!?」
あかりはビクリとなり、咄嗟にそう訊ねた。
「望みは何だ?」
しわがれた声は、問いには答えずに、そう繰り返した。
あかりは、ガタガタとおびえていたが、勇気を振り絞って、暗闇に向かって叫んだ。
「お願い!! ヒカルを生きかえらせて!!」
暗闇のなかで、そいつが、ニヤリと笑ったような気がした。
「いいだろう…その望みをかなえてやろう…ただし…」
汗がブワッとふきだしてきた。
そうだった…これは、わたしの五年前の記憶…夢だと思い込もうとしていた現実…
「ただし…条件がある…」
しわがれた声はそう言うと、何かをあかりの鼻先に突き出す。あかりが、おそるおそる、目をこらしてみると、それが青白い光を発し始める。それは、ゴワゴワした、妙に分厚い紙だった。
青白い光のなかに、黒い文字が浮かび上がっている。まず読み取れたのが、「契約書」という文字だった。