第1話

文字数 4,454文字

「この中に、私に片思いしている人がいる!」
 放課後の静かな教室の中、マリは突然そう言って立ち上がった。マリの左前の席で、目の前の席で眠るシマのことをボーっ見ながら過ごしていたぼくは、驚いて肩を吊り上げる。
 ま、まさかバレた? ぼくは恐る恐る彼女の方を振り返った。
「急になんだよ。どういうことだ?」
 マリから二席挟んだ右隣の席でタキと課題に取り組んでいたヨウトが怠そうに尋ねた。
「だから、この中に、私のことを好きな人がいるのよ。意味わからないとか馬鹿なの?」
「だから、どうしてそう思ったのかってことを聞いたんだよ。お前こそ馬鹿なの?」
 二人は睨み合った。ちょっと羨ましい。
「まあまあ、落ち着きなよ」
 タキに窘められて、二人ともフンッと鼻を鳴らしながら目を逸らした。
 この中ということは、


「あら、『この中』ということは私も容疑者のひとりってことね」
 さっきまでマリの隣で話していたコトミも笑いながら言った。
「もちろんそうよ」
「興味ないから帰っていいか? ちょうど課題も終わったし」
 ヨウトは心底どうでもよさそうに荷物をまとめて立ち上がった。
「へぇ、つまりマリのことが好きだってバレるのにビビっているのかしら?」
 日直の仕事をこなしているために教室に残っていたユキが黒板を消す手を止めて振り返り、意地悪な笑みを浮かべて訊いた。
「そ、そんなわけねえだろ! わぁったよ! 最後まで聞いてやる!」
 ヨウトは席にドカッと座りなおした。
 ユキはクスクスと笑ってから、話をまとめる。
「とりあえず確認ね。教室にはマリを含めて7人。まさかだけれど、『私は私が大好き!』なんてオチはないわよね?」
「そんな寒いこというわけないでしょ!」
「シマは……寝ているからまあ放って置きましょう。マサミもしばらく教室でマリの戯言に付き合ってくれるかしら?」
 戯言って……、と恨めしそうにマリはつぶやいたが、ユキは無視した。
「え? ああ。僕は構わないよ。けれど読書を継続してもいいかな」
「もちろんいいよ。そもそもシマだって隣で寝ているじゃない」
「確かに」
 そう言って読書に戻った。
「じゃあ早速、マリに推理を聞かせてもらおうかな」
 コトミは愉快そうに、ピアノを弾くように指で机を弾いていった。
「そうね……最近学校で誰かからの視線をよく感じるのだけれど……」
 そう言ってキョロキョロと全員を見回した。ぼくは一瞬目が合ってドキッとした。
「は? 被害妄想なんじゃね?」
 ヨウトが冷めた声で言った。
「そんなことないわよ! はっきりと感じるのよ! いまだって何度も!」
「わかった、お前頭おかしくなったんだろ。この前あんな事件があったから……」
「ヨウト! それは冗談でもダメ」
 少し厳しい口調でタキが諭した。少しだけ空気が悪くなった。それをぼくは申し訳なく思った。ヨウトは決まり悪そうだったが、それでもなお悪態をつくことを止めず、
「なに、お前霊能力にでも目覚めた?」
 マリを小バカにするように笑った。
 一方でぼくは心底ひやひやしていた。まさか、そんなに露骨に見つめるようなことはしていなかった——恥ずかしくてできなかったのに、まさか——。
「あれれ? ヨウトさん? さっきからちょっとマリさんに絡みすぎじゃあないですか?」
 ユキが揶揄うように言う。それに同調して、
「男子は好きな女子に意地悪するって言いますよね、ユキさん。もしかして……」
 コトミもニヤニヤと笑みを浮かべながら言った。
「ちがうって言ってるだろ!」
 ヨウトは妙に顔を赤くして否定する。どういうことだ? まさか彼もマリのことを好きなのか? それは聞き捨てならないぞ!
「お、おい! タキもなにか言ってやってくれ!」
「え、俺が何か言っていいの? こほん。じゃあ許可が下りましたので言いたいと思います。俺はヨウトがマリのことが好きじゃないということを簡単に証明できます」
「へぇ。聞かせて」
 興味深そうに全員の視線がタキに集まった。
「ヨウトが好きなのは、ユk——」
 ヨウトがタキの口を全力で押さえつけていた。
 みなが一様に理解をしたような表情をしている中、教卓に立っていたユキだけは距離的に聞き取れなかったようで頭にはてなマークが浮かんでいる。それのせいでヨウトがますます哀れに見えた。
「ヨウトの気持ちはわかったよ。ごめんなさい」
 マリが素直に謝った。
「私も揶揄い過ぎたわ。まあ、がんばりなさいな」
「? アタシにはなんだかわからないけれど、頑張ってね?」
「……応援、ありがとよ」
 ヨウトはがっくりと項垂れた。
「ところで、どうしていま『この中に』というの?」
 切り替えてタキが訊いた。
「さっき言ったけれど、いま視線を感じたからかな。ちなみに今も感じてる。普段なら人が多すぎて絞りきれないけれど、今ぐらいの人数ならどうにかなるかなって思って」
「なるほど」
「それで今から、誰が私を好きなのか、推理していこうと思うの」
「あらあら。もしかして、私の好きな人も暴かれちゃうのかしら!」
 コトミは何だか嬉しそうだった。
「はぁくだらねぇ。ぜってぇお前が自意識過剰なだけなのに」
 ヨウトはため息をついた。
「そんなことないもん!」
「やっぱり帰っていいか?」
「いいけれど、それなら自分は犯人じゃないって証明をしてからにしてね」
 ユキが言って、全員がポカンとした顔になる。
「あのね、ユキ?」
「何?」
「正直、ヨウトが私を好きじゃないっていうのはもう証明されたんだよ」
「え? どういうこと?」
「それはヨウトの好きな人が……ねぇ?」
「アタシは知らないわ!」
 誰もが憐れむ視線をヨウトに向けた。
「何よ! アタシだけ仲間外れなの? どうして! 酷い! ヨウト大っ嫌い!」
 いまにも泣き出しそうだったが、彼女は自力でどうにか涙を堪えて、
「とにかく! ヨウトがしっかり身の潔白を証明するまであなたの帰宅は許しません! いい?!」
「は、はい」
 ヨウトの口から魂が抜けかけていた。
「じゃあ、一人ひとり考えてみましょ」
 コトミはパンパンと手を打ち鳴らして場を切り替えた。ユキは教室に残っているメンバーを黒板に書きだした。そこでぼくは少しだけ安心した。そして少し残念に思った。
「そうね。じゃあ消去法でいきましょう。まずこの中で確実に容疑者リストから外れる人を考えましょうか」
「えーと、私的に、ヨウトと、コトミは外したい」
「どうして?」
 ユキが不思議そうに尋ねる。
「コトミは、普段から仲がいいでしょう? コトミと話している最中に視線を感じたり、感じなかったりするの。だからかな。ヨウトは……私がヨウトの好きな人を知っているから……なんだけど……」
「わかりました。納得できませんが、探偵さんがそういうのならば」
 ユキはヨウトとコトミの名を黒板消しで消した。
「あとはアタシとタキとマサミ、寝ているシマだけれど。アタシも簡単に証明できそうだわ」
「それってどういう?!」
 突然立ち上がってヨウトが叫んだ。少しデジャヴ。
「だってアタシ彼氏いるもの。他校の一つ年上の先輩」
「そんなぁ……」
「「「ヨウトォ!!!!」」」
 ぼくたちも叫ぶ。ヨウトが後ろにひっくり返ったのだ。ユキだけがそれを奇妙なものを見るように首を傾げていたのだった。それから自分の名を黒板から消した。
「それで、あとはタキ、マサミ、シマだけれど」
「えーと、俺も違います。俺は恋愛哲学は『当たって砕けろ』なので」
「ああ、確かに。高校入ってから何人に振られたんだっけ?」
「軽く二桁はいってるよ」
 少しの逡巡もなくタキは言った。
「そう言えば、私もタキに告られたことあったわ」
 何でもないことのようにコトミが言った。
「え、ひどいっすよ。あの時は俺は本気だったのに!」
 そう言ってヘラヘラと笑う。正直ドン引きだった。
「まあ、だからタキがそんなねっちっこい視線を浴びせることはないんじゃないかな」
 マリはタキを軽蔑する目で見ながら、
「あなたが犯人でないことを認めます」
 同じくすごい目つきでタキを睨みながら、ユキが彼の名を黒板から消した。
「それで、マサミは?」
「ん? 僕?」
 ぼくはマリがこっちの方を見ていることで、ものすごくドキドキした。
「そうだなぁ。別に好きな人はないけれどそれを証明するのは無理だね。僕を信じてくれたりしないだろうか?」
 マリが少し怪訝な顔をした。
「なんだかそこまでさっぱりしていると逆に怪しいというか」
「はは。困ったね」
「……うん。わかった。私はマサミを信じます」
 そう言ってマリはフワリと笑う。彼女のそういう表情に、ぼくは惚れたのだった。
「あとは、シマだね」
「さっきから視線を感じるということは、シマは狸寝入りなのかしら?」
 マサミの名を消してから、ユキがゆっくりと歩いてくる。目の前で眠るシマをぼくは軽くつついてみた。すると急に飛び上がって目を覚ました。みんなが驚くなか、シマは辺りをキョロキョロ見回して、
「ん? 誰か俺に触った?」
「いや、まだなにもしてないけど」
「そうか、なんか横腹を誰かにつつかれたような気がしたんだが」
「なに? もしかしてほんとに狸寝入りだったから誤魔化そうとしているの?」
 みんなが怪しむような目つきでシマを見る。ごめん、それぼくなんだ。
「はぁ? わけが分からん」
 まるでとぼけているようには見えない様子を見て、みんなは今の状況をはじめから説明した。
 シマは考える時、自分の頬を弄ぶ癖がある。話の全て聞き終わると彼は自分の頬をつまみ、引っ張りはじめた。それからしばらくたった頃、
「たぶん犯人が分かった」
 そう言って少し悲しそうに笑った。
 ああ、バレてしまったか。
 シマは自分の後ろの席をコンコンとノックして、
「こいつだ」
 全員の視線が、


「なぁミキヤ。そこにいるんだろ?」
 シマだけはぼくの顔をしっかりと見てくれた。
 ああ、いるよ。確かに、ぼくはここにいる。
「お前のことだから、伝えられずに逝っちまった後悔でいっぱいなんだろうな」
 正解。見透かされたようで、なんだか恥ずかしいね。伝えたかったけれど、それはもう、ぼくにはできない。でも、伝えられずに終わってしまった気持ちを、シマが伝えてくれた。さすがぼくの大好きな親友だ。
「そうだったんだね。ありがとう、ミキヤ君。その気持ちにはもう答えられないけれど、とっても嬉しいよ」
 そう言ってマリは口を押えて、嗚咽した。ぼくの気持ちが確かに伝わったらしい。
「よかったな」
 そう言ってシマは今度こそ、満面の笑みを見せてくれた。
 
 ありがとう。もうなにも思い残すことはない。
 
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