第33話

文字数 2,074文字

「これからは彼女が受け取りをするわ、よろしく頼むわね。仕事の都合があるから、できれば、今後は配達をあと1時間ほど遅らせてくれると嬉しいわ」
「了解です。問題ありません」
「以前もお伝えしたけれど、届けていただく内容も、変更していただくことになるわ。調理したものは、今後はゼロに、その分、食材で届けてもらうかたちにね」
 了解です、と再び頷く男に頷き返し、貴禰は依里子を振り返った。
「お願いするのが遅くなっちゃってごめんなさいね。受け取りは、これまで矢城野がやってくれいていたんだけど、これからはあなたがやってちょうだい。よろしくね」
 矢城野さんがやっていたのか。そういえば、あの人はどこへ?
「矢城野さん…。あ、そういえばこのところお見かけしていませんが」
「ああ、彼ならもういませんよ。暇を出しましたからね」
 何をいまさらといった口調で言われ、目が点になる。
「はい?」
「あら、だって、あなたを養うんですもの。もう彼の給料を払う余裕は無いわ」

 言わなかったかしら? と首を傾げる貴禰に、ええ? 私のせいであの人、クビになっちゃったの? こいつが言っていた2人って、そういうこと? 私よりこいつのほうが、この家の事情に詳しいの?―
 さまざまな考えが頭を巡って、依里子は呆然とした。
「言っときますけどね。後見人ができたらこうすることは、以前から決めてあったの。だから、より子さんのせいじゃなくてよ。世の中は、取捨選択ですからね。それより、ほら、食材を確認して、受け取り証にサインしてちょうだいな」
「お願いします」

 待ってましたとばかりに差し出された伝票に、依里子は一瞬面食らった。今どき、紙の伝票? あの弁護士さんといい、この家に関わる人はどうも電子化が遅れているみたいね―心中文句たらたらで、依里子はそこに自分の名前を記入した。

        ***

 伝票を受け取り、配達時間変更をノートに記入して、男は去っていった。
 その姿を見送り、こっそりその背に向かって「いいーだ!」と子どものように歯をむき出しにして顔を作っていると、ほらほら、早く片づけましょ、と貴禰の声がし、依里子は慌てて猫を被り直して振り返った。

「今日は木曜日だから、4日分の夕食と食材よ。次は、月曜日の午後5時に、3日分、食材だけが届くはず。食材だけ頼むと、何をどう料理していくとうまく使い切れるかといった、推奨献立が入ってくるの。それを参考に、献立を作ってみてちょうだい。必ずしも、推奨どおりにやらなくていいから。あ、料理が不安なら、私も一緒に―」
「いえいえ! だいじょうぶです! ずっとキッチンでお付き合いいただいて、万一貴禰さんにお疲れが出たらたいへんですから!」
「あらそう?」
 少しばかり不満げな様子はこの際無視して、だいじょうぶ、を押しとおす。ここでまたビシバシやられたら堪らないもの。
「一応、自炊歴は長いので、まずは自力でやってみたいと思います!」
「わかったわ。じゃあ、何か、聞いておきたいこととかあるかしら?」
「…あ。お聞きしたいこと、というのではないのですが。先ほどの、配達の方…」
「ああ、松吉さん? 彼が、どうかした?」
「いえ、お届けは貴禰さんの見守りも兼ねている、と、おっしゃっていて。何だか私、信用されていないんだなあ、って」

 あんたが来たからだろ、という言葉があれからずっと引っ掛かっていて、つい確認したくなる。貴禰さんも、自分を油断ならない他所者という目で見ているのかしら?
別にそれならそれで構わない、はずなのに、なぜか確認せずにいられない。

「そうねえ、そういう見方をする人がいても不思議じゃないわよね」
「…そうですね」

 貴禰さんは、どう思われますか? その一言が、どうしても聞けない。口ごもった依里子を、貴禰は、ふむ、と言うかのように首を傾げ、口を開いた。
「信用なんてものは、一朝一夕で得られるものじゃないわよね。得たいと思うなら、それ相応の時間をかけて、誠意を見せて行く必要があるものだわ。決して簡単なことじゃないし、そうして積み上げた信頼も、ほんのちょっとしたことで、あっという間に失われたりするしね」
「はい…」
「見回りの仕事を請け負っている立場で考えたら、すぐには信用できないと言われても驚くようなことじゃないわ。物事は、多面的に見るようになさい。考えすぎずね。そうすると、案外気にするほどでもなかったと思えることも、あるはずだから」
「ええ…」
 なおも沈んだ表情の依里子に、貴禰は意識を切り替えるよう手を打ち合わせた。
「あらあら、そんなことより、ほら、冷凍されているお肉やお魚は、すぐに冷凍庫へ入れて! 溶けちゃったら台無しよ。乳製品は冷蔵庫のほうね。入れた? いいわ。
 野菜は、鮮度を保ちながら保管する方法を、これから教えたげる。でもその前に、まずカップとポットを洗っちゃいましょ。長く放っておくと渋が着いちゃうから」

 一朝一夕では得られない。確かに、そうなんだけど。もやもやしたまま頷き、そのもやもやを頭から追い出すべく、依里子は猛然と作業に取り掛かった。
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