風花 其の二

文字数 11,315文字

                              NOZARASI 1-2
風花
   其の二
 
 哀しい心を引きずりながら、清兵衛は今年最後の窯焚きに入った。
 黙々と窯焚きを熟す清兵衛の背中は哀しみに溢れ、それを手伝うお久実もまたその同じ哀しみを背負いながらも、日々萎れゆくが如くに感じられる清兵衛の身体を気遣うのであった。
 窯開けが終わってほっと一息ついたとき、お久実は、清兵衛の一気に年老いたのを感じた。
 清吉の死が心の痛手となってのことであろうことは容易に推察できた。
 恐らく清兵衛は、清吉は何処かで生きている、そして焼き物をやっているのではなかろうかという一縷の望みを抱き続けていたのであろう。
 お久実の信じていた通り、清吉は焼き物を捨ててはいなかった。が清兵衛は、清兵衛の壁を超えるべくこの窯場を捨て旅に出た清吉の心に気づきもせず、ただただ身勝手にその心根を察せられずにいた自分の心の狭小さに思い至った時、それは、これまでの後悔とは比べ物にならないほどの重みをもって、その心をさらなる後悔の闇の中に閉じ込めていったのである。

 清吉の死という逃れられぬ悲しみを背負い苦悶しながら窯を焚き続けた清兵衛の心が炎の神に届いたか、あの三つの壺の一つが驚くほどの焼き上がりになっていた。残る二つも好い物ではあったが、清兵衛は躊躇うことなく割ってしまった。
「好か壺になったばい、清吉」と、仏壇の前にその壺を置き、清吉の壺に向かい寂しそうに語り掛ける清兵衛の背中が、明らかにこの間までとは違い、お久実には小さく見えた。が、「赦してくれ久代、清吉ば頼むばい」と小さく呻くように呟いた清兵衛の言葉は、お久実には届かなかった。

「美濃に帰る前に、もう一度清吉さんにお線香をと思いまして」と、幸作が再び窯を訪れて来たのは、もう師走も半ばを過ぎようかという頃で、玄界灘からの冷たい風に乗り、風花のちらちらと舞う日であった。
 清兵衛もお久実も、幸作はもうとっくに美濃へ帰ったものと思っていたので、少し驚かされた幸作の訪問であった。
 幸作が、線香を上げ手を合わせた後振り返ろうとし、仏壇脇の花入れの後ろに隠すように置かれてあったあの壺に気づいた。
 幸作の目が、感動と戸惑いの綯い交ぜになった複雑な表情を浮かべた。
 それを目敏く見逃さなかった清兵衛が、「好か物が焼けましたばってんが、こいは贋作ですばい」と、同じ焼き物職人としての照れであろうか、苦笑いのような笑みを見せ、幸作と同じような複雑な表情で語り掛けるのであった。
「贋作?」
 訝しむように応えた幸作の目は、清兵衛の言葉に振り返ることはなく、あの壺に釘付けにされていた。
「はい、ある壺ん贋作です」
「口辺から肩、素地の鉄の好い焼け具合が、被った灰の融け具合に好い色を醸し出しながら頽れて、私の大好きな、風花の舞う玄界灘の夕暮れを彷彿とさせてくれます。ですが、この壺の形……」と、言葉の途切れた幸作を訝りながら、「風花の舞う玄界灘の夕暮れ……」と、お茶を淹れていたお久実がその手を止め、聴きとれぬような小声で呟き壺の方を見た。
 が清兵衛は、その幸吉の言葉にお久実とは違う何かを感じたのであろう、敏感に反応した。
「こいと似た壺ばご存じなんですね」と、少し問い詰めるかのように幸作に訊いた。
 美濃から来たのだ、あの壺を目にしたか、作った者を知っているのかも知れないと清兵衛はすぐに察し、そう訊いたのであった。
「はい……」
 応えた幸作の言葉尻が、微妙に歯切れが悪い。
「こん秋ん頃、あるお侍様に拝見させて戴きました美濃ん物らしか壺に惹かれまして、作ったお方には申し訳なかと思いましたばってんが、おいなりに真似ばさせて戴きました。何ともいえん優しさん中に、晩秋ん風ん匂いば感じさせてくれるごた好か壺でした。が、残念ながら、そん壺には遠く及びませんでした……」
「晩秋の風の匂い……、京に運ばれたあの壺のことか……」
 幸作は何かの記憶を辿っているのか、清兵衛の言葉を繰り返すように呟いた。
「桐原幸右衛門と仰られるお方がお持ちです」
「父上が……」と、幸作が絶句する。
「えっ」と言葉を呑み込んだ清兵衛の後ろで、「あなたが、あなたが淳之介様」とお久実が驚いたままに呟いた。
「はい」とお久実の驚きに素直な返事を返した幸作も、自分の本名をお久実が知っていることに驚いているらしかった。
「久しぶりにご城下にお戻りになられたというとに、桐原様にはお会いになられてなかとですか」 
 お久実が、幸作の疑念を浮かべた表情には応えず、理解できない、呆れた、と言わんばかりの表情を露わにし幸作に問う。
 あの壺が桐原の屋敷に在って、淳之介が屋敷へ顔を出したのであれば、当然のこと、あの壺は見ているであろう。そうでないということは、淳之介の心に蟠る何かが、桐原の屋敷の敷居を跨がせなかったのではないのかと、清兵衛はすぐに察した。
「大阪の町の問屋の見世前で出遭った美濃の焼き締めの壺に、全身に鳥肌の走るほどの感動を覚え、矢も楯もたまらず、藩への手続きすらも構わず全てを放り出し美濃へ向かいました。時が経つにつれ、ほかに手段はあったものをと悔やまれましたが……。それに気づいてから今日まで、父や母に済まない、周りの方々にもご迷惑をお掛けしたと心の内で詫びながら、一心不乱に器を作る続けることで自分の心を誤魔化して参りました。唐津に戻ったあの日から毎日、重い心を引きずりながら城内の屋敷の近くまで行きはしたのですが、たった一人の息子に裏切られ、桐原家を継ぐべき者を失った父母の無念を思うと、今更自分が顔を出したからとて何になろうかと……。ずるずると今日まで思いを引きずりながら鹿島屋さんに長逗留させて戴いてきたのですが、遂に実家の門を潜ること適わず、年内には美濃へ戻らねばと、明日の旅立ちとなりました」
 淳之介が、苦悩に満ちた表情で胸に閊えた物を絞り出しきれぬかのように語る。
 清兵衛は、武家の嫡子、それも一人息子である自分が父母を裏切った、申し訳ないと強く思い込み、実家の敷居を跨ぐことを躊躇う淳之介の気持ちが解るような気がした。が、桐原はもう淳之介を赦している、今会う機会を失えば、もう死ぬまで会えぬことは目に見えている。現に、息子清吉は、あれだけの壺を作れるようになりながら、終いに帰っては来なかったではないか。自分と清吉のような哀しみを淳之介親子に味あわせたくはなかった。
「お会いなされずとも、ほんなこてそいでよかとですか。こんまま美濃へお戻りになられれば、きっとさらに深い深い悔いば残されますばい」と、清兵衛は自分の思いを込め、淳之介にその心を伝えるのであった。
「……」
 自分に言い聞かせるかのように優しく諭す清兵衛の言葉にも、淳之介は押し黙ったまま応えようとはしない。それほどに強い罪の意識を背負って今日まで生きてきたのであろうと、清兵衛は淳之介の今日までの苦しみを思いやるのであった。
 一方、淳之介の心も、清吉を失った清兵衛の心の哀しみを知り過ぎるほどに知っている、その言葉の重さは痛いほどに心に響いていた。
「桐原様は、もうとっくに御赦しなされとりますばい、一目でんよか、お会いなされてから美濃へお戻りになられませ」
「父上とわたしのことを話されたのですか」
「はい、あん壺と、一回り小さか壺ばお持ちになられまして、同じ者、つまり、淳之介様が作られた物ではなかかと、おいに……」
「どうしてあの壺が……」
「好きな根付ん好か物ば探しに訪ねた御城下ん道具屋で、偶然あん壺と出遭い、心惹かれるもんば強く感じ、どげんしても欲しくなられたそうでございます。毎日二つ並べて見ている内に、こいは淳之介様ん手になる物じゃなかかという思いが募られ、そいば確かめにおいん所へお持ちになられたとでございます」
「……」
 清兵衛は、清吉への思いを込め幸作に語り掛けている自分に気づき、淳之介親子への思いを強くするのであった。
「こん世にただ一人、自分の血ば分けた子ですよ、同じ血が流れていなさるんだ、大事に思わぬ親が何処ん世界におりましょうか。そん思いが、あん壺ば淳之介様ん物ではなかかと無意識ん内に感じ取りなされた。桐原様は、淳之介様ん生き方ば良しと認め、淳之介様は淳之介様で、桐原様ん心ば傷付けたであろうと後悔なされている、優しか好か親と子じゃぁございませんか。そげな親が、我が子ん作った物に惹かれないわけがございません。ましてあんな好か壺だ……。互いん心ば思いやり、理解し合っていなさるんだ、心ば決めて、是非ともお会いになられてお帰りなさいませ」
「互いに理解し合っている……」
「はい、桐原様は、あん一回り小さか壺が届いた時から、もう淳之介様ば御赦しなんだと、おいにはそう感じられました。淳之介様も、あん壺ば、焼き物やっているよ、好か物が作れるようになったよ、元気でいるよ、と御父上に知らせ、また、自分の代わりに傍に置いとって貰いたかと願いお送りになられたとでございましょ」
そう言いながら、清兵衛の胸は清吉への思いでいっぱいになってゆく。清兵衛の頬を涙が一筋伝い落ちていった。
「……」
 清吉を亡くした清兵衛の心と父幸右衛門の心とが重なり合い、淳之介の胸の奥に熱い何かがふつふつと滾りだし、抑えきれぬ激情のようなものが溢れ出さんとしていた。
「ひと目だけでん会うていかれなさいませ」と清兵衛が涙声を重ねた。
 俯き黙る幸作の目にも堪えきれぬ涙が溢れんとしていた。
 が、淳之介は何も言わず、哀しく切ない表情のまま、涙声で明日は美濃へ発ちますと、別れの挨拶をし、逃げるかのように窯場からの坂道を下って行った。
 清兵衛もお久実も、淳之介の哀しく切ない心を思いやると、我がことのように胸がキリキリと痛むのであった。
「淳之介様ば見とるとあんちゃんが帰って来たごたる気んする。幸作と名乗っとるんも、大好きなお父さんのお名前から一字ば戴き、赦しば願っとるからなんよ、親子互い、それぞれん心ば思いやっとるんよ。お父さんにお会いになられて帰らるるとよかばってんなぁ」と、その寂し気な後姿を見送ったお久実は、淳之介の心の葛藤を思い、その胸に去来するであろう寂しさにさらなる思いを重ねるのであった。
 清兵衛は、そう言ったお久実の目に、寂しさや同情だけではない、揺れ動く女心と、死んだ女房の久代が持っていた愛する者の心の痛み、哀しみを優しく包まんとするあの大らかな女の温もりを感じ、おやっと思いはしたが、「きっとそげんすっばい、心配なか」と、短く呟き返していた。

 翌日午後。
「お邪魔致しまーす」と、生け垣の外から聞こえてきた元気の良い淳之介の声に、お久実が満面の笑顔で戸口の方へ飛び出して行った。
 胸の閊えが下りたような淳之介の明るい声であった。勿論お久実はすぐにそのことを感じ飛び出して行ったのだ。
「淳之介様、そんお声からすると、お父様にお会いになられたとですね。あっ、こいは桐原様、失礼ば致しました」と、慌てて謝っているお久実の声が聞こえてきたところからすると、どうやら桐原も一緒に来たようである。
「あんおっちょこちょいめが」と、清兵衛も嬉しそうに苦笑いを浮かべながら火鉢を離れた。

「昨日、この坂を下り、唐津の町に入ると、何か堰が切れたように涙が溢れ、一目散に城内の家の方へ駆け出し、そのまんま大声で玄関に飛び込み……」
 幸作が照れたように言いながら、その時の感動を思い起こしたのであろう、その目を潤ませ言葉を詰まらせた。
「ははははは、こん馬鹿者が、子供んごと泣きじゃくりおってのう、妻もじゃよ……」と、言いながら言葉を呑んだ桐原の目にもまた涙が溢れんとしていた。
 清兵衛が、うんうんと首を小さく縦に振りながら、これもまた貰い泣きである。
「清兵衛殿、重ね重ね世話になったのう、御蔭様で、もういつ何時死んでも悔いは残らんばい」と、座布団を外し改まった桐原が、言葉を重ねるように礼を言い、その涙声のまま深く低頭し、ぐすり、と鼻を啜った。
「ようございました」と、清兵衛も自分のことのように嬉しそうである。
「あんちゃんも喜んどるばいね」と、お久実が仏壇の小壺を振り返りながら涙ぐむ。
「ああ」と、清兵衛も感無量の面持ちで短く応えた。
「御子息殿には気の毒なことでありましたの、そん上、清兵衛殿ん事情も、心も斟酌できず、我がことばかり……。失礼の段、まことに申し訳ない」と桐原は深く低頭し、清兵衛の心が痛いほどに解るのであろう、いつまでも頭を上げない。
 清兵衛がそんな桐原に戸惑っているのを横目で見ながら淳之介が仏壇に進み線香を上げ終わると、桐原の背中に優しく手を添えた。
「某にもお線香ば上げさせて下され」と、やっと頭を戻した桐原が仏壇の方を見て言った。
「ありがとうございます」
 線香を上げ手を合わせ、しばらくじっと清吉の白い壺を見ていた桐原が、やっと顔を上げて下がろうとしてその動きを一瞬止めた。
 あの壺に気づいたのだ。魅入られたように壺をを見つめ、振り返ると淳之介を見た。
「こいか、淳之介ん言うとったあん壺ん贋作いうんは」
「父上っ。申し訳ございません、清兵衛さん」と、淳之介が桐原のいきなりの豹変に驚き狼狽え、清兵衛の顔を見、如何にも申し訳ないという風に戸惑い顔で謝った。
「ははははは、本当んことばってん、謝らなければならんとはおいん方でございますばい。こん年になって、他人ん手ば真似て壺ば作らされ、そん上、手元に残して置きとうなるほど愛着ん湧く物が出来るとは思ってもおりませんでした。あん壺がそいだけ好か壺いうことでございますよ」
 桐原の豹変と幸作の慌てぶり、そして清兵衛の笑い声がその場の空気を一変させた。
「清兵衛殿にそげん風に言うて貰えれば、親としてん執着至極ですばい」
 如何にも嬉しそうにそう言いながら、しげしげと贋作の壺を見ていた桐原が、「やはりこちらん方が恬淡としたもんば感じさせられ、心が洗われるごた気んする。そげん思わんか淳之介。まだまだ修行が足りんとではなかか」と、淳之介に矛先を向けた。
「はい、昨日、この壺に出遭い、それを強く感じさせられました」
「そげなことはなか、こいは飽くまでも贋作、あん壺ば超える物ではございません、何れ割らねばならぬ物ですばい」
「なんと、割られっとでござるか、こげな好か壺を」
 清兵衛のその言葉に反発するかのように、桐原が目を剥き驚きの表情を見せた。
「はい、しばらく手元に置き、そん後に。もう先ん見えた老いぼれ、いくら好かもんと雖も贋作は贋作、贋作ばこん世に残して死ぬことは出来ません」
「うーん」
 再びしげしげと壺を見ていた桐原が、「お譲りして戴けませんぬか」と、恐る恐る、本当にびくつきながら清兵衛の表情を窺うように小声で切り出した。
「お断り致します」と、清兵衛が語気を少し強め、即座にきっぱりと断った。
 その勢いに桐原が顎を引き、目を剥き、一瞬の戸惑いを見せた。
 このときお久実は、どう頼まれても清兵衛は絶対に譲らない、時が経てば己の手で割ってしまうのだと、いつもの頑固さを思い出し、確信に近いものを持っていた。
 清兵衛は、これまでいくつもの贋作を作ってきた。がそれは、飽くまで己を高めようとする修行のため、気に入ろうが気に入るまいが、他人には見せず、時が来れば必ず割ってしまっていた。特に、懇願されれば断りにくい鹿島屋の目に触れさせることは決してなかった。
「清兵衛殿、こん壺はやっぱ割っちゃぁいかんばい、失礼ば承知ん上で、重ねてお願い致す、儂ん思いば叶えてやってくれんかのう」
 余程未練が残るのであろうか、桐原がまた恐る恐る清兵衛の顔色を窺うように頼み込んだ。
「父上っ」と淳之介が躊躇いながら桐原を諫めた。
「……」
 何故か清兵衛は無言である。
 その無言を頑なな拒否だと感じたのか、「そうでありましょうな、つまらんことばお願い致し申した、御赦しくだされ」と引き下がりはしたものの、桐原の未練はその顔に如実に表れていた。
 がそれは、淳之介の壺に惹かれて作ったのだ、親である桐原なら構わぬかという迷いと、桐原の『やっぱ割っちゃぁいかんばい』と言った言葉に、本当に焼き物好きになった者の壺への愛着を見たような気がし嬉しかったからであるが、その時何故か、ふと心を過った清吉の笑顔が清兵衛の心を揺らした故の沈黙でもあったのだ。
 清吉がこの家を出て以来、清吉の顔を思い出すことはあっても、それはいつも哀しみを湛えたものであった。今、清兵衛の脳裏に蘇りきた清吉の笑顔に、清兵衛はこの場の成り行きを重ね、黙してその時を噛みしめていたのである。
 それは恰も、今の哀しい清兵衛の心を救わんとし、この壺と共に清吉がもたらしてくれたものではなかったのか。
 清兵衛が、静かに清吉の白い壺へ目をやった。
「おとうやん、いいんじゃなかね、貰って戴けば」と、お久実が清兵衛の心の一瞬の迷いと穏やかに解けてゆく頑なさを垣間見、すかさず口を挟んだ。
 お久実が器のやり取りに直接口を挟んだのは初めてであった。
「お久実さん」と淳之介が、その何かを感じお久実を見た。
「だって、こい、端から贋作ば承知、好うてん悪うてん割るつもりで作ったとでしょ、じゃけん、内ん窯印もなんも入れてなかとでしょ。誰が見たって首ば傾げるだけで、誰んもんとも、何処んもんとも判らんとじゃなかかなぁ。京へ売られた筈んあん壺が唐津へ流れてきたとも、御城下で桐原様が淳之介様ん壺に出遭われたとも、そん壺がここに持ち込まれたとも、淳之介様があんちゃんの壺ば持ってここば訪れて戴いたとも、みーんな縁、あんちゃんの魂がみんなば結び付けてくれたとよ。あん壺とこん壺は二つで一つ、桐原様ん御屋敷に仲良く三っつ並べて置いて戴くんが一番好かと、うちはそげん思うばってんが……」とお久実が、半ば遠慮しつつも、ちょっぴりしたり顔で言う。が、清吉への想いか、その目には涙が溢れんとしていた。
 そして、お久実の心の何処かで芽生えてきたのであろう淳之介への想いが、それを後押ししていたであろうことは、お久実の意識の内には感じられずとも確かなことであったろう。
「我が家ん宝じゃ、のっ、のっ、淳之介」と、桐原がお久実の言葉に勇気づけられ、縋るように、清兵衛ではなく淳之介に助け舟を求めた。
「それは、わたしもそうなれば好いと思いは致しますが……」と、焼き物を作る者として、清兵衛の心が解り過ぎるほど解るのであろう、淳之介は躊躇いがちに言葉を濁した。
「清兵衛殿、なっ、御頼み申す、譲って下され」
 懇願というに相応しい桐原の頼み方であった。
「よかでしょう、清兵衛からもお願い致します」と、清兵衛が難しい顔を微笑みで解きほぐした。
「かたじけなかぁ」と、ほっとした桐原が、引き寄せた壺を愛しそうに撫でながら微笑んだ。
 その仕草が、本当に好きな器に出遭えた者の心を如実に表していた。
「うーん、小さか頃んお前が、ようこげんして壺ば撫で繰り回しとったとが、今、ようやっと解ったごたる気んするばい」と桐原が更に壺を懐に抱くよう引き寄せ撫で擦り、相好を崩している。
 その桐原の姿に、お久実が淳之介と目を合わせ、涙を拭いながら嬉しそうに微笑んだ。が、その直後、二人の目線が、躊躇いと恥じらいを綯い交ぜにしながら宙に逸らされていった。
「いえ、本音ば言えば、自分の作った物は、例え傷物であろうとも、不出来ん物んであろうとも、決して割ったりしとうはなかとです。どげん形でんよか、誰か好きな者に使うて欲しかと思うとっとです。お久実ん言うごと、こん壺は桐原様ん所へ行くんが、清吉ん一番の供養になるごた気ん致しますばってん、宜しくお願い致します」
 その清兵衛の言葉を大きく頷きながら聞いていた桐原が、「壺三っつ、大事に大事に我が家ん床の間に置かせて戴きます。ところで、失礼とは思うんじゃが」と戸惑いながら、やはり恐る恐る切り出してきた。
「値は戴けまっせん」と、その桐原の言葉の先を読んだ、頑なさが剥き出しになった清兵衛の一言がぴしゃりと応えた。
 桐原が一瞬たじろぐ。
「あん壺に出遭い、こん壺ば作りとうなりました。こん年で、見知らぬ何かば求めるごと、自分の待たざるもんば秘めるこん壺に挑戦でき、何とか炎ん力に助けられてこん壺が出来ました。おいん得たもんは大きい、どげな価もそいには及びません。大事にして戴ければ、もうそいで十分にございます」
 この壺を宜しくお願い致しますと言わんばかりに首を垂れる清兵衛に、「よいんかのう、淳之介」と、困惑したように桐原が淳之介を見た。
「清兵衛さんのお心、有り難く戴きましょう、父上」
 物を作る者の心は互い通じる、淳之介が明るく言い切った。
「宜しくお頼み致します」
 清兵衛が畏まったような顔でまた頭を下げた。
「まるで養子縁組んごたるばいね」と、ほっとした空気に、お久実が茶茶を入れた。
「そうじゃ、こいば機会に、親戚付き合いばお願いできませぬかな、清兵衛殿」
「とんでもなか、御武家様と場末ん職人風情が親戚付き合いなんぞと」と、桐原のいきなりの申し出に驚いた清兵衛が、首を幾度も横に振りながら尻込みをしていると、淳之介が、想い出を追うかのように口を開いた。
「いま、清兵衛さんの心に触れて、元服間近の頃、、唐津の町の道具屋で見た、玄界灘の夕暮れのような唐津焼の大壺に魅入られ陶然とした自分を思い出しました。あの壺がわたしの原点、あの小さい壺は、懸命にあんな壺を作りたいと追う過程で、やっと少し納得のいく物が出来、親方もこれならと、窯に入れることを許してくれ、炎の力を借りて焼き上げることが出来た偶然の物でして、余りの嬉しさに、この壺は絶対に父に送ろうと……」
「……」
「先日この壺を拝見でき、わたしの帰るべきところは、生まれ故郷、あの唐津焼の大壺、そして清兵衛さんのこの壺に出遭うことのできたこの唐津なのだと気付かされました。近い内にこの唐津へ戻り、清兵衛さんに負けないような自分の器を作りたいと決心した次第です。不躾で申し訳ございませんが、その時、わたしにお久実さんを嫁に戴けないでしょうか。そうなれば、本当の親戚ということにもなるではございませんか」
「えっ」
 淳之介の唐突な申し出に、当のお久実は勿論、清兵衛どころか桐原も、三者三葉に驚きの表情を見せている。
「そんな縁が薄かったということもあるのでしょうか、あちらでわたしの周りにいる女子衆は、どうもベタベタとした感じが強く、わたしは苦手なのでございます。自分は自分で、より好い器を作りたいと半ば一心不乱、そのためか未だもって独り身、それが、先日初めてお久実さんにお会いしてから、肩の凝らない聡明な明るさに惹かれていましたが、今日はまたそんな思いを新たにし、少し感動を覚えました。四十を疾うに過ぎた男で申し訳ございませぬが、私の願い、どうかお聞き届け願えませんでしょうか」
 淳之介が、神妙に深く頭を垂れて頼み込む。
「お久実もそれなりに年は行っていますし、三行半ば渡されて帰って来た出戻り娘でございますよ」と、清兵衛は半ば尻込みしつつ言っては見たが、昨日のお久実の目を思い出し、これはというかなり確かな感触を抱きながら、心の奥で喜んではいた。
「渡されたんじゃなかと、自分で三行半ば書いて帰って来たとでしょ。おとうやん、そいば知っとるくせに」と、お久実が怒る。
「ははは、おんなじことばいね」と清兵衛はもう安心したかのように笑っている。
「ははは、そいでこそ唐津ん女子ばい」と、心が少しが楽になって来たのか、訛りの戻りつつある淳之介がそう言って笑った。
「向こう様が跳ねっ返り娘に耐えられなかったとじゃなかかねぇ、おいだってやっとこさ堪えとっというんが本音ばい。淳之介様、堪えられますかねぇ」と、お久実の返事は訊くまでもないだろうと思っている清兵衛がさらに擽る。
「他人様ん前で、娘んことばそげな風に言う、そいこそ、おとうやんの本音ばいね」と、お久実が本気で怒りだした。
「ばってん、余り出来んようなか娘ば嫁にくれと仰って下さるお方ん前で、嘘なんか言えんばい」と、清兵衛が、お久実の性分に絡めるように駄目押しをするのであった。
「ははははは、春、花ん咲く頃には戻ってまいります、そん時までに好かお返事ば戴ければ」と笑いながら言った淳之介の言葉に、「おいも年ですけん、ここん跡取りっていうことだったら、すぐにでん承諾すっとですが、まさか御武家様ではねぇ」と、打ち解けてきたその場の雰囲気に少し悪乗り気味の清兵衛が、ついつい本音を漏らしてしまった。
「いや、淳之介は、幸作として焼き物ば続けると言っとるばってん、こんまま続けさせるつもりでおっと。ただ一人ん子で未練はあったばってんが、武家ん悲しさ、家名は何としてん守らねばならんでの、もう十年以上前に、親戚とん養子縁組ば済ませ、我が家ん跡継ぎはもう御城へ御勤めに上がっとっと、孫も二人おっと。ばってん、お心遣いは無用でござる。淳之介んこと、宜しくお願い申す」と、 桐原は本気のようで、真顔で丁寧に低頭する。
「桐原様もご承知だったんで……」と、少しばつの悪そうな顔で清兵衛が訊ねる。
「いや、儂も今初めて聞いたとばってん、清兵衛殿とお久実さんがご承知くだされば、こげな好か話はなか、是非にでん淳之介ん嫁に戴きたか。きっと似合いん夫婦になる、さすれば、もうこん世に思い残すことはなんにもなか。重ねてお願い申す」
 そうなれば話は決まったも同然であろう、「お久実、お前はどうなんや」と、訊くまでもあるまいと思いはしたが、清兵衛はお久実の気持ちを確かめる。
「出戻りんわたしにはもったいなかお話しかと、そげな気が致しますが、桐原様、淳之介様、不束者でございますが、どうかよろしくお願い申し上げます」
 お久実も常にはなくしおらしく頭を下げた。
 桐原と淳之介が目を見合わせ、ほっとしたように微笑みあった。
「桐原様、淳之介様、こげな娘でございますが、どうか宜しゅうお願い申し上げます。淳之介様、是非にでんこん窯に来てくだせぇ」
「ありがとうございます、そいから、淳之介はお止め下さい、そいはこい限りにして今日からは幸作でお願い致します」
 何となくどこか気持ちが落ち着いたのであろうか、淳之介の言葉の端々に、唐津訛りが頻繁に出て来るようになってきていた。
「じゃぁ、幸作さんも、おいば親父と呼んでくださいますか」と返す清兵衛の言葉に、「親父かぁ」と、淳之介が小さく嬉しそうに、また照れ臭そうに呟くのであった。
 その言葉の響きに、清兵衛の目が、一瞬懐かしいものを追うかのように潤んで宙を彷徨った。
 お久実も、清吉が清兵衛のことをそう呼んでいたことを懐かしく思い出していた。
 楽しそうに語り合う清兵衛たち三人の傍で、温かく微笑みながらその姿を見ていたお久実は、清吉の死がもたらした悲しみを越え、清兵衛の全身に精気のようなものが蘇り、轆轤に向かう時のあの充実した気力が溢れんとしてきているのを感じさせられ、胸の奥が熱くなってゆくのであった。

 湯を足しに出た縁側に冷たい風が吹き抜け、何処からか飛んできた風花が、お久実の喜びに火照った頬に降りかかり、ひんやりとした心地よさを残しながら解けてゆく。
 もう師走も半ば過ぎ、冷たい季節風にも少し慣れてきたものの、いつもならその冷たさに思わず身を竦めるのであったが、風花の舞う冬木立の向こうに微かに見える玄界灘の人を拒むかのような冬の風情にも、今日は何処か近しみを覚えさせられ、ほんのりとした心地よさを覚えていた。
 風花の舞う冬の玄界灘の夕暮れが好きだと言った淳之介の言葉を思い出し、吹く風の心地よさに暫しその身を預け、「おかぁちゃん、あんちゃん、ありがとう」と、小さく呟くお久実であった。

                                   ー終わりー
 



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