佐藤くんとあたしアゲイン (3)
文字数 1,061文字
彼女だということは瞬時にわかった。そこは恋する男の耳だ。聞き間違えるはずがない。
やばいミスったかも、とクリストフは自分を責める。
アリアのサンダルが謎の手によって盗まれようとしているのを見たとき、例によって考えるより先に体が動いたのだ。
簡単なジャンプで地下に飛びこみ、追いつき、宙に光るサンダルを叩いて落とさせ、奪い返した。見えない相手はちっと舌打ちしただけで、あっさり退散したようだった。
とっさの判断はもちろん正しかった。身につけるものを盗られたら危ない。何の呪術に使われるかわからない。
岡野玲子のマンガ『陰陽師』(夢枕獏原作)第一巻で、幼い安倍晴明が百鬼夜行の物の怪から師匠の
すぐに戻ればいいと思っていた。彼女のそばには皆がついているのだからと。
まさかこの一瞬の隙に、彼女自身がさらわれるとは。
彼女から目を離してはいけなかったのだ。
(落ちつけ自分。まず彼女の居場所を)
割り出そうとして、途方にくれる。
地下の虚ろなひろがりは予想に反してさざめきに満ちていた。きらめきと言ってもいい。雨に濡れた夜の繁華街のような音と色、振動、すべてがけばけばしく小刻みに三半規管を刺激する。
クリストフの苦手なタイプの時空間だ。聴覚と嗅覚と皮膚感覚に頼る彼は、かすかな手がかりを追うことには
(そうだ。彼女が、おれを呼んでくれれば)
だが思いついてくれるだろうか、おれを呼ぶことを。
もし気を失っていたら。もし腕を折られていたら。
おれを、思い出してくれなかったら。
(波多野さん)
三つ数えようと思った。
三つ数えるあいだに呼ばれなかったら、こちらから跳ぶ。
近くまでは行けるはずだ。それでまにあわなかったら――
まにあわなかったら。
(波多野さん。おれを呼んで)
「波多野さん」
思わず声に出していた。
この騒々しい闇を越えて、届くとはとても思えなかったけれど。
一つ。
二つ。
三つ――
(来た)
三つ数え終わる直前に、それは来た。
ターン……
翡翠色に透きとおって押し寄せる、大きなうねり。
腰を落として待ち受け、波頭の砕ける一瞬をとらえて、彼は飛び乗った。