第1話

文字数 2,321文字

『感性の死は私の死 ならとっくには 死んでいる』
ーーーーーーアイナ・ジ・エンド「スイカ」より

もう最近ずっと上に引用した歌詞のところばかり歌っている。

まじで、感性の死が私の死ならば私はもうとっくに死んでいる。
私の感性はとっくに死んでいる。死んでいることはまざまざと実感する。


私は中学生の頃からインターネットに日記を書いていた。とっくにもうこのネットの海でのサービスを終えてしまった今となってはサービス名も思い出せない媒体で。前略プロフィールとかと同じ運営のやつ。前略日記かな?なんかそんな感じ。

その日記のタイトルは「ありきたりに日記」だった。どんな内容を書いていたのかはもう思い出せない。出だしに好きな歌の歌詞とか本のワンフレーズだとかを引用して、その日あったことや考えたことを書いて、最後にフリー素材の写真を挿入するような。これと一緒じゃん?歌詞始まり。

高校生のときに読んで衝撃を受けたブログにコメントを書いた際に自分の日記のアドレスを入れた。
そのブログを書いた人と交流を持ちたかったからだ。でも、そのブログは中々人気のあるブログで、毎回コメントも複数ついていた。
だから自分のアドレスを入力しながらも、私のコメントがブログ主の目に止まってこのリンクが押される可能性は限りなく低いんだろうなと思っていた。

けれど、そのブログを書いた人間の目に止まり、なおかつリンクは押され、そしてその人は私の日記を読んでコメントを残し、私たちはメールで連絡を取り合うようになった。

私は田舎の高校生だった。相手は京都出身東京在住の高校生、そして私より年下だった。

その人が私の日記の何を気に入ってくれたのか分からない。でも私たちの交流はそこそこ続いた。私が関東の大学に進学して、会おうと思えば会える距離になってからも会わないまま続いた。

相手が亡くなるまで。

その人が死んだのは私の大学2年生の終わり、春休みのときだった。自宅から40km離れたバイト先の家電量販店へ向かうバスの中でその知らせを受け取った。メールだった。

その人が「自分が死んでるのを確認したら送ってくれ」と指定していた5人の中に私が入っていた。

私とその人は出会ってから別れまでずっと仲が良かったわけではない。何度か仲違いや距離ができたこともあった。
たとえば、私がその人とも仲の良い他のブログ主とメールで連絡を取り合っていることをその人が知ったとき。
その人はとても荒れた。私はよく理由も分からないままその他のブログ主と関係を切った。

たとえば、私に彼氏ができたとき。
私はその頃、とても精神的に不安定だった。
初めてのひとり暮らしの慣れない生活に適応しようと毎日とても疲れていた。大学から家に帰ったら暗い歌を聴きながら家の床に転がって泣いていた。
そして習慣であるネット上の日記に気持ちを奮い立たせるべく良いところだけを集めるように、過剰に「今が楽しい」ということを書いていた。周りがみんなよくしてくれる、部活には気になる人もいる、など。

そのころの日記について、しばらくしてから会った地元の友だちが「自分が入学したばかりで落ち込んでいるときにみおりはとても楽しそうで正直ずるいってムカついた(笑)」と言っていた。

私が拾い集めて何とか立っていた日常が誰かを傷つけていたなんて思いもしなかった。
でも正直知らんがな、と思った。私が楽しくて何が悪いの、と。

でもきっと、その人も私の新生活での良いところだけを集めて凝縮させた日記に傷ついていたんだと思う。そして、なんとも楽しそうな私に何か言ってやりたかったのだろう。

「あんたの最近書くもの全然おもんないわ」

その人はそう送ってきた。

そして私に彼氏ができて、疎遠になった。

その人の亡くなる直前また少しだけ交流が復活した。その人のブログはとても不安定な状態だった。自傷行為の報告、その人の周りの人との別れ、など。

私はもう積極的にその人と関わろうとしなくなっていた。メールが来たら返すけれど、前のように読んだ本のことで盛り上がることもなかった。

でも私はその人がずっと好きだった。その人の文章にずっと嫉妬してた。羨ましくて、憧れで、少しだけ疎ましくて、でも妹のように好きだった。

そしてその人は亡くなった。それをメール1つで知った。
死んだことを知らせる人の中に私が入っていたことに驚いた。面白くなくなった、もう感性の死んだ私にその人は興味はないと思っていたからとても驚いた。
そして悲しかった。私の感性がいつしか死んで、その人に届く言葉を紡げなくなってしまっていた自分が。
その人に見限られてしまうのが怖くて、会える距離だったのに会わなかった自分が恥ずかしかった。
その人がもうこの世に居ないことはストンと理解できた。
そして、もし会っていても私がその人にできたことは何もなかったこともわかって、悲しかった。



私の感性の死は明確にいつだったのかは分からない。けれど私が自分の感性の死をはっきり理解した日は分かる。
その人が私に「全然おもんないわ」と言った日だ。

『感性の死は私の死 じゃ無いからきっと 生きている』
ーーーーアイナ・ジ・エンド「スイカ」より


その人は死んだけど私は生きている。

私はその人が死んだ日に決めた。
残された私は何がなんでも生きてやる、と。自分で自分の命を終わらせないことと思いっきりこの生を楽しんでやることを。
あの日そう決めて、今もずっとその決意のもと生きている。

いつか、もし死後の世界があって、現実世界で一度も会ったことのない顔も知らないその人と出会うことがあったら。私はその人に言うのだ。

「楽しそうでごめんね?でも、知らんがな!私の人生じゃ!!」と。
笑い飛ばしてやるのだ。
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