第22話 それからの日々

文字数 4,795文字

「調査と諮問は以上で終了です。派遣された医師団も本日引き上げます」
 第五ゲート近くのベンチに小川は政府からの事務官と並んで腰かけていた。
 季節は秋に移り、ドームのうえの空は薄い青に変わり刷毛ではいたような雲が流れている。非常時の一か月が終わり、明日からここは元の閉鎖施設に戻る。
「天然痘の死者が出なかったのが不幸中の幸いでした」
「朝比奈先生は亡くなりましたけどね。政府からすれば『なかったこと』でしょう?」
 小川の皮肉に事務官は反応せず、黒ぶちの眼鏡を人差し指で押し上げた。
「議長は朝比奈先生の言うとおりに、ハリン氏だったのですか」
 あのとき、確かに小川は見た。議長が朝比奈の名を呼ぶのを。事件後、議長の行動は報道されなかった。わずかに次の訪問を体調を理由に中止したとだけニュースで流れた。
 事務官はこれにも答えず、ブリーフケースから書類を出し小川に署名を求めた。
「隠蔽と改竄は今に始まったことじゃない…ですか」
 白衣のポケットから万年筆を外して小川は署名した。
「味がありますね」
 金釘文字を評され、むっとしたが以前にも同じやり取りをしたことを思い出した。
「…来たときの?」
 事務官はわずかに唇の端をあげて見せた。
「気づかなくて」
「いえ、わたしたちは意図的に皆同じような姿かたちをしていますから」
 事務官は書類をしまい、少しだけ話しましょうと言った。
「あなたのテロリスト疑惑がはれて、なによりでした」
 ええ、と答えて小川は執拗な取り調べを思いだし、うんざりした。
「朝比奈先生と特別な関係だったんじゃないかとか、さんざん聞かれましたよ」
 根掘り葉掘りとはあのことだろう。結局は無罪放免となったが、軟禁状態が二週間ほど続いた。
「田嶋が」
「え?」
 事務官から旧友の名前が出て、小川は背もたれから体を離した。
「わたしは田嶋と長い付き合いですが、あの田嶋があなたがテロリストなわけがない、と力説したんです。ずっと自分が監視を続けていたのだから、と」
 小川は胸が熱くなった。
「あんなに感情をむき出しにする田嶋を見たのは初めてでした」
 そして、目を細めて笑った。
「彼と、いい友人だったのですね」
 それでは、と事務官はお辞儀をするとゲートの車列へと歩み去った。
 小川は立ち上がりそれを見送ったが、袖を遠慮がちに引く手に気づいて振り返った。
「カナタ」
 小川を呼んだくせに、いざ目があうとカナタは視線をそらした。
「髪、切ったんだね」
 こくんとうなずくと、初めて話したときのように、ベンチで膝を抱えた。
 カナタは髪を切り、七分袖のカットソーにカーゴパンツという男の子らしい格好をしている。こうしていると、普通の中等部の生徒にしか見えない。
「腕が直ったね」
 カナタがぶっきら棒にうなずいた。
「丸子博士が直してくれた」
 戦闘で傷ついたカナタは丸子やソフィアの病が癒えるまで放置するしかなかった。
「博士の…ロボットを」
 言いかけてカナタはまた黙った。唇を引きむすび、眉毛をハの字にしている。
 小川は隣に座ると、カナタの頭を抱きよせた。
「ありがとう、カナタのおかげで飛天は人を傷つけずにすんだよ」
 カナタはお日様のにおいがした。柔らかい髪に頬を当て、かつての飛天を想った。人に似るよう、人のいたみに寄り添うようにと、精魂こめて作り上げた小川の傑作だった。
「軍事に転用されていたなんて…ね」
 カナタの震えが小川に伝わる。カナタの能力は人の命を救うことも、また壊すこともできるのだ。その手首から伸びる鋭利な刃物、高圧の電流を操り敵をなぎ倒す圧倒的な攻撃力。ドーム内の機械を操作できるカナタだ。おそらく戦闘機すら自由に操作できるだろう。カナタが悪いわけではないのだ。すべては、周囲の人々の思惑や欲望からカナタは複雑な存在になった。

 小川は見ずにすんだが、ソフィアはおそらく何度も見たのだろう…カナタが命を奪う場面を。それを思うとソフィアが心を持つロボットを忌避していたのも分かる。人を助けるために作ったロボットが、兵器になる。製作者はどれほど傷つくだろう。今の小川にはそれが痛いほどわかった。
「カナタ、きみは優しい心を持っているね」
「ないよ…見たでしょう? ぼくの中は機械だ」
 カナタは小川の手を振りほどきうつむいた。
「ぼくだって、そうだよ。体の中のどこにも心なんてカタチのものはない」
 小川はカナタに語りかけた。
「でも、あの時きみを銃から守ろうとしたソフィア博士の優しさだって『見え』なかったよ」
 カナタの肩がわずかに揺れた。
「見えないけど、あるよ」
 小川はカナタの背中に手をあてた。手のひらに体温を感じる。皮膚の下には血の色と同じオイルが流れているのを小川は先の戦闘で知った。カナタは体を起こして小川を見た。
「あるんだよ、きみの中にも」
 それはきっと、かすかな光だ。
 気をつけないと見落としてしまうほどの…けれど確かに輝いている。カナタの中で。
 カナタが愁眉をといて、ほんの少しだけ微笑んだように見えた。小川はカナタの傷の消えた頬にふれた。
「よかった、きれいになったね」
 カナタはふいと横を向いた。小川はカナタの変化に気づいた。耳が赤い…!
 どこまで作り込まれているのだろう。九条博士の細やかさに小川は脱帽した。
「イタズラしないでね」
 冷ややかな声に小川はどきりとした。いつの間にかソフィア博士が横にいた。
「お、お見送りですか?」
「ええ、政府の方々のね。とんだ失態を演じても、平然と見送らなくちゃいけないから」
 赤いヒールは政府へのせめてもの反抗か。心なしかソバカスが増えたように見える。小川はシェルターでソフィアの首からネックレスを外した時の白いうなじを思いだし、今さらどぎまぎした。
「気づかなかった、朝比奈と恋人同士だったなんて」
「違います、誤解です!」
 小川は顔の前で、盛んに手を振った。その慌てぶりにソフィアが意味ありげな顔をした。
「丸子博士が政府の聞き取りで証言してたわ、『小川博士が朝比奈くんと付き合っていたなら、たぶん仕事も手につかず、周囲に丸わかりだったはずだ。彼は交際を隠しとおせるほど器用じゃない』だ、そうよ。当たってる?」
 ああ、と小川は肩を落とした。自分は丸子博士の玩具でしかないと。
「読ませていただいたわ、自律システムのレポート」
「あ…かってな考察で、…その」
 軟禁されている間、小川なりの考えをまとめてソフィアに渡したのだ。
「あたり」
「え!?
 ソフィアは苦笑しながら小川を見た。
「逆転の発想。通常ならバグは徹底的に取り除く。そうじゃなく、ある一定の確率で短絡演算子が発生するように作ってそれらを繋げていくようにプログラムする」
 小川の読みは当たっていたのだ。カナタが小さく口笛を吹きソフィアに睨まれた。
「それで、どうします? 作ってみる? 心のあるロボットを」
 ソフィアの問いに小川はすぐに答えた。すでに心は決まっていたから。
「いいえ。もういいんです。もう、充分なんです」
 心を持つロボットは、美しい…美しくて残酷で哀しい。だから、もういいのだ。小川はカナタにほほえんだ。
「それは残念だわ。わたしの仕事を手伝ってもらおうと思っていたのに」
「え、い、イヌ型のですか」
 ソフィアは後れ毛を耳にかけて横を向いた。
「設計だけよ、現物には絶対さわらせないけど」
 ソフィアもまた、耳を赤くしている。ソフィアはお母さまではないとカナタは言ったけれど、九条博士はこの二人を親子のように似せて作ったのかも知れない。確かめようがないけれど、九条博士の愛情を見る思いだ。
「手伝います、手伝わせてください」
 小川は立ち上がり、ソフィアに頭を下げた。
「…ありがとう。頼りにしているわ」
 顔をあげると、ロボットに向ける、あの優しい笑顔のソフィアがいた。
 小川は自分の顔が紅潮していくのを感じた。
 カナタがまた口笛を鳴らした。
「カナタ!」
 小川は二人のやり取りに、思わず吹き出した。
「…朝比奈先生は約束を守ってくれたようです」
 小川は涙をこぼさないように、目元に力を入れた。ソフィアがいぶかしげに小川を見た。
「非常ベルを鳴らす前に言ったんです。ソフィア博士と仲直りさせてあげるって」
「仲直りも何も…みゆき…」
 ソフィアは眼鏡をはずし、指先で目じりの涙をぬぐった。
「あと少しで大惨事になるところだったのに、ぼくは…朝比奈先生を憎めません」
「お人よしね。あれだけの目にあったよ。一歩間違えば、死んでた」
 そう言いながらも、ソフィアも朝比奈を憎んではいないようだ。
「議長はハリン氏だと思いますか」
「なんとも言えないわ。ただ、政府のやり方はいろいろ知ってる。自分たちが使いやすいような『人材』を作り上げていたとしても、不思議じゃない」
 不都合なことは、隠蔽する。情報を操作して真実をねじ曲げる。少数の犠牲のうえに、大多数の平安が作られている。小川はドームに来てから、そのことを痛いほど味わった。
「ソフィア博士、九条博士は…その、政府側に消されたんだと…朝比奈先生が」
 ふふ、とソフィアが儚げにほほ笑んだ。
「違うわ。私の目の前で窓から飛び降りたんだもの」
「……す、すみません」 
九条の自殺は、疑う余地のない事実なのだ。ソフィアの笑顔はあまりに透明で、そのまま秋の陽にとけてしまいそうだった。
 ―今でも愛しているわ……朝比奈の言葉を思い出す。朝比奈の死に顔は、その時と同じ表情をしていた。せめて、彼女が欲しかった真実を手にして亡くなったのだと小川は心から願った。
「たとえ何の記録が残らなくても、世界は嘘に満ちていても、私たちは生きている。ここで。……ここで生きていきましょう」
 ソフィアの笑顔に所長としての覚悟を見る思いだった。小川はソフィアの凛とした姿に小川はしばし見とれた。
「そろそろ出発するんじゃない」 
 カナタに言われてゲートを振り返って見たとき、小川の鼻を懐かしい匂いがかすめた。ドームに来てからは一度も嗅いだことがない…煙草の匂いだ。
 見ると、スーツ姿の人物が政府の黒塗りの車の横で煙草をふかしていた。
 小川はその姿に目が吸い寄せられた。
 見送りに出ていた椎葉室長が注意している。おそらく、ここは禁煙ですと言ったのだろう。
 注意された人物は、おどけるように小さく両手をあげた。
「田嶋!」
 思わず小川は叫んだ。声に反応した彼が小川を見た。
「サイボーグ?」
 カナタがぽつりとつぶやく。やはり田嶋だ。駆け出そうとする小川をソフィアが止めた。
「だめ、彼らとの接触は禁じられてるわ」
 三役クラスでなければ、こちらから近寄ることはできないのだ。
 小川はすぐそばにいる大切な友人に、どうしても伝えたいことがあった。
 小川はとっさに左右のカナタとソフィアの手を掴んで高くあげた。
「ちょっ、ちょっと何ごと!?
 突拍子な小川の動きにソフィアがうろたえた。身長差のあるカナタは引きずられるようにしてベンチに立った。
「なんなの?」
「友だちなんです、ぼくをドームによこしてくれた…大切な」
 ソフィアが驚いたように田嶋を見つめた。
 小川は真ん中で二人の手を取り、大きく振った。
「もう…バカじゃないの? ほら、カナタ笑いなさい! 小川博士は、ここにいて幸せだって、笑ってみせなさい」
「……へんなの」
 カナタは困った顔のまま、中途半端に笑った。ソフィアは小川の隣でほがらかに笑っている。
 やがてあの事務官が一つお辞儀をして乗車し、田嶋は一度だけ手を高く上げ車に乗った。
別れ際と同じ、あの古風な言葉が小川には聞こえたような気がした。
 小川たちは車がゲートの中に消えるまで手を振り続けた。

 最後のときも、今日この時をきっと思い出すだろう。

 田嶋……。
 ぼくは
「ゆめを かなえたよ」

                かすかに光るもの一つ        おわり
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