第3話

文字数 1,784文字

 友人に「健康のためだから!」と口を酸っぱく言われて湯船に毎日つかってはいるが、ここまであがりたくないと思ったことはない。あがってしまったら、連絡をしなくてはいけない。

「あの、ナンパみたいで本当はどうなんだろうって思うんですけど、貴女のこと、ここで働いてることしか知らないので。……その、今日家帰ったあと、時間があったら名刺の裏の番号に電話ください」

 貰った名刺の裏には、手書きで携帯の番号が書かれていた。表面の番号とは違うので、きっとプライベートな番号。名前は素直に(そら)と読むのだろう。会社の名前は聞いたことなかったけれど、帰りのバスの中で調べてみたら、SNSで広告を何度か見たことある会社だった。

「……電話、苦手なんだよな」
 
 お湯の中に、顔を少し潜らせる。苦手なことや嫌なことからは逃げたい。可能な限りやりたくない。今も職場の人と極力話したくないから、退職の話をしたくなくて今も居心地が微妙な職場に居続けている。自己分析なんてできないから、転職活動なんてしたくない。でも、いつものよう苦手から目を背けてしまって、この人と逢えなくなるのも寂しい気がする。あの店にまた来てくれても、うちの店は潰れてる可能性の方が高い。

 ーーカチカチカチ

 髪を乾かしてリビングに戻ると、いつも気にならない時計の音がやけに耳についた。23時。もう寝てるかもしれない。電話なんて無理だ。……いつもならさっさと諦めてるのにな、私こんな奴だっただけ。

 SMS、電話番号がわかればメールできるシステム。そんなものがあったことをふと思い出す。メッセージアプリをタップして、書かれた番号を入力する。文章は……さっきまで逢っていたのに初めましてじゃおかしいのか。なにが良いんだろう。

『雑貨屋で働いてる本多です。夜分遅くになってしまったのでSMSで連絡しました。』

 ええいままよ。送信ボタンを押してすがベッドに潜り込んだ。恥ずかしい、絶対文章気持ち悪い。もう自分が嫌になる。頭を掻きむしりたい衝動に襲われた所、着信音が鳴る。

「はい、本多です」
「先ほど名刺を渡した空です。ごめんなさい、声聞きたくてかけちゃいました」
「こちらこそ、連絡が遅くなってしまい申し訳ありません」

 店長からかと思ったらまさかの空さん。初めて逢った時の、造花を見てキラキラしていた顔を思い出して恥ずかしくなる。なんでこの人と話してるんだろう私。

「あの、多分自分と本多さん同じ歳だと思うので、タメ口でも良いですか?」
「私、26歳なんですけど27になる歳と同級生です。早生まれで……」
「あーじゃあ学年1つ下ですね! 誤差の範囲内ですし、タメ口でいってもいいですか?」
「はい」
「そこは、『はい』じゃなくて『うん』だよ」
「うん」

 そこから時間はあっという間だった。わたしのお店のこと、幼少期に流行ったゲームのこと、相手のお仕事のこと。途中から空さん側のスマホがスピーカーモードになり、あの小さい男の人(空さんのお友だちでもあり、会社の社長さんでもあるらしい)も加わって、3人で会話をした。久しぶりに心から笑ったせいか、ほっぺとお腹が痛い。

「もう日付かわりそうだから切るね。おチビくんに怒られそうだから」
「おい、友だちだけど一応社長にチビって言うな!!」
「仲が良いんですね、羨ましい」
「本多ちゃんは仲のいい友だち居ないのー?」
「1人居るんですけど、今東京のアパレルで働いてて久しく会えてないんです」
「店の名前教えてよ、メンズ服あるなら今度行きたい」
「おチビくんに着れる服あるかなー?」
「だーかーらー!!」

 声を出して笑ったあと、ふと、視界に鏡が映った。気持ち悪い顔。なんでこんな顔で生きてるんだろう。さっきまでの楽しさがマジックのように消えた。

「本多ちゃん、明日の夕方の飛行機で俺たち帰るんだ。こっちに出張入ったら空に行かせるようにするから、その時は空にかまってやって」
「そーだね、お願いしまーす」
「わかったよ。じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみー」

 電話を切って、すぐ友人のお店の名前と住所、あと友人のお店用のSNSアカウントを送る。もうあの2人に関わることなんて、きっとない。お店も話題にのぼったから場所を送っただけ。彼女なら、おしゃれだし綺麗だし、あの2人と話は合うだろう。

 ーーあの2人のことはなかったことにしよう。私は、何も知らない。
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