第6話 ウイザードとウィッチ 2

文字数 1,476文字

 …緑の瞳だった。
 小川は手の中に残った髪を恍惚と見つめた。
 キューティクルまで再現されたラプンツェル社の最高級人工毛髪、色はライトブラウンだ。カナタにはヒト型ロボットに必ず額に刻印されているはずのナンバーもなかった。
 小川の口からため息がもれた。
「聞いていますか、小川博士!」
 がちゃん、と卓上の茶器が音をたてた。我にかえると正面に険しい顔をした椎葉室長がいる。
「食事は?」
 椎葉室長が問いただした。室長の後ろには天井までの大きな窓があり、逆光状態の彼は両目だけがぎらりと光った。
「さ……三ヶ月間は必ず食堂で。同時に薬が処方される、ため」
 小川はなんとか答えた。
「洗濯は?」
「ランドリールームでするか、廊下のボックスに入れておく」
「ゴミは?」
「溜めずに、ダスターシューターに捨てる」
 よろしい、と椎葉室長はうなずいた。
「口頭試問みたいね」
 小川の左隣に座る、小柄な女性が笑った。
「笑い事ではありませんから、ドクター朝比奈。事務職員が博士連中に規律を守らせるためにどれほどエネルギーを割いているか、ご存じないでしょう?」
 ドクター朝比奈の、肩までのゆるく波うつ髪が揺れる。黒目がちで小動物を思わせるしぐさが、小川より若く見せる。
「研究室の仮眠ベッドに居着かず、自室でお休みください。シャワーや入浴も忘れずに」
「はあ……」
 椎葉室長からの、あまりに細かい指導に小川は気が重くなった。
「椎葉室長、今からそんなに口うるさく言わない。医務室からは、処方されたお薬を必ず服用すること。それから、環境の変化や生殖能力を無効化する過程で気分的な落ち込みがあると思います。そんな時にはカウンセリングを受けてください。それくらいね」
 白衣の朝比奈医師は明るくとりなして説明した。椎葉室長は、ドーム内専用の手のひらサイズの携帯端末を小川に渡した。
「……小川博士は、カナタが何であるかご存知なのですね」
 椎葉に問われて小川は頬を上気させて答えた。
「現存する唯一の、自律システム搭載のロボットですよね。開発者は九条正道博士。知っていると言ってもこの程度なんですが」
 小川の言葉に二人は口をつぐんで互いに目配をせした。
「えー、小川博士。その件に関しましては」
 椎葉室長がそこまで話したとき、出し抜けに応接室の扉が開いた。白衣の裾を翻し長身の女性がヒールの音を立てて入室しテーブルの横で止まる。
「遅れてすみません。カナタを追いかけていたら手間取って」
 ひとまとめにした銀髪に手をやり、小川のほうに視線を向けた。赤いフレームの眼鏡の奥にブルーグレーの瞳があった。
「新しいかたね。よろしく、所長の林ソフィア九条です」
 柔和な笑顔を浮かべてソフィア博士は右手を出した。
 九条! 名前を聞いて小川は思わず勢いよく立ち上がり、差し出された手を両手で握った。
「小川晴哉です。あ、あの、九条博士の身内の方ですか? ……九条博士の作ったロボットに憧れてここに来ました!!
 小川はソフィア博士の腕を盛大に振り回した。小川にとっては、幻でしかなかった『九条』が眼前にいる。いまだかつて体験したことのない胸の高鳴りを小川は抑えることができなかった。
 しかし数十秒後、小川は自分以外、あまりに静かな場の様子に気づいた。 手を止めて改めてソフィア博士を見ると、凍えるような冷たい瞳をしていた。
 慌てて見回すと、椎葉室長は苦いものを口にしたように顔を歪め、朝比奈医師は困ったように笑っていた。
「光栄ですわ」
 にっこりと優美に微笑むソフィア博士の目はまったく笑っていなかった。
 小川の背中を冷たい汗が流れた。
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