覚悟  最終話

文字数 4,323文字

 幹部候補生学校での一日の講義と訓練を終えるとユウリの実家への恋しさがまだ心の中に蘇ってくる。ユウリの実家で撮った写真を見ようとスマホを手に取ると、夏樹からメールが届いていた。ユウリから婚約について聞いたようだ。メールだけでは話したいことが書ききれないようで、
(一度電話してきて)
 と書いてある。俊介は次の休みの日に電話をかけた。
「やっと電話がかかって来た~」
 この不満っぽい声に一瞬、故郷(ふるさと)が恋しくなるような感情が湧いた。
「しょうがないだろ。平日は電話する暇がないんだから」
「結婚のこと、良く決断したわね。本当におめでとう」
 以外にも夏樹は素直に祝ってくれた。
「お、おう。ありがとう」
 夏樹は矢継ぎ早に質問をして満足した後に、
「久しぶりに食事でもしたいね」
 そう提案してきた。
「食事か、良いね。二人でか?」
「親友の彼氏と二人っきりで食事をするほど、私は野暮(やぼ)じゃないの」
 相変わらず手厳しい口調の夏樹に、
「そういう意味じゃないよ」
 こうやってふてくされる自分も(なつ)かしい。
「沙友里と徹君も誘って、三対一で会うのよ」
「なんで三対一なんだよ。俺は何も悪いことしてないだろ。普通に四人でいいんじゃないのか?」
「あーわかった、わかった。予定が調整出来たら、また連絡するね」
 そう言って夏樹は電話を切った。
「相変わらずだな」
 俊介はぶつぶつ言いながらスマホを見ていたが、その表情はほころんでいた。
 
 一ヶ月ほどして、四人は名古屋で会うことにした。徹が実家の両親に沙友里を紹介するため名古屋へ帰るタイミングに合わせ、俊介も名古屋に里帰りした。ちょうど夏樹も仕事で前日から名古屋に来ている。夏樹からは直接店に行くと連絡があり、徹と沙友里は俊介と新幹線の改札口前にある「銀の時計」で待ち合わせた。
 徹が夏樹のリクエストに応えて手羽先(てばさき)が名物の居酒屋を事前に予約しておいたようだ。俊介と徹は高校の頃、その居酒屋の近くにある予備校に通っていたのでよく知っている。新幹線の高架(こうか)下にある店の前で夏樹が大通りを行きかう車や観光バスを右に左に首を振りながら見ている。その姿は、母を待つ子供の様に喫茶店の前で待っていたころと変わらない。俊介はそんな幼っぽい仕草を見て、遠い旅路(たびじ)から帰ってきたような感じがした。
 夏樹は三人に気付き、
「あっ、こっちこっち」
 と跳ねながら手を振っている。
 思わず沙友里が駆け寄った。
「久しぶり。元気にしてた?」
 沙友里も夏樹と会うのは二ヶ月ぶりぐらいだ。少しかがむように夏樹を見つめる眼差しは赤みを()びている。
 店員の威勢(いせい)の良い声に導かれ、四人は店に入り再会を祝して乾杯をした。俊介はいつものウーロン茶だ。
「でもユウリと俊介君が婚約するなんて、ほんと驚いたわ。改めておめでとう」
 夏樹の言葉に合わせ、徹と沙友里も「おめでとう」とグラスを(かさ)ねてくれた。
「ありがとう。短い間に色んな事があったような気がするよ」
「あんたの事だから、突然とんでもないことをたくさん言ったんでしょ」
 夏樹が「俊介君」と呼んでくれたのは最初だけだ。思えば重大な場面で聞いてきた「あんた」という言葉が、いまは心地よく感じる。俊介も色々とユウリを戸惑わせたかもな、とグラスを傾けながら今までの出来事を頭に浮かべた。
「突然実家に会いに行く予定を伝えた時は、さすがにユウリに叱られたよ」
「ユウリさんも怒るんだ。なんて叱られたの?」
 徹が興味深そうに訊くと、
「『私の実家はホテルじゃないの』って」
 俊介は肩をすぼめて笑った。
 徹はユウリの『ホテル』という例えが気に入ったようで、おしぼりを握りしめて大笑いしている。
「まったく。ユウリもよくあんたに合わせてくれてるよ。感謝しなさいよ!」
 夏樹が身を乗り出して言うと、沙友里も「ホントだよ」と言わんばかりに強く相槌(あいづち)を打った。
「あまり一人で突っ走ってしまわないように、気をつけろよ」
 まだ笑いが冷めやらない眼をおしぼりで拭いている徹にも注意され、『なるほど、確かに三対一だな』と思うと、自然と笑みがこぼれてくる。そして、心の中で『ユウリ……』と呟き、ウーロン茶を一口(ふく)んだ。
「そのうちユウリも日本に引っ越してくるんでしょ?」
 夏樹と沙友里はユウリから話を聞いているようだ。
「ああ、勤務地が決まったらな」
「関東だといいね」
 俊介もそれを願うように、頷いた。
 そして夏樹は沙友里に話を振った。
「沙友里はもう徹君の実家に行ったの?」
 沙友里はわずかに眼を泳がせ耳を赤らめて、
「今日のお昼に行ってきた……」
 そう言うと照れるように徹を見た。
「緊張しただろ」
「少し。でもお父さんとお母さんが快く迎え入れてくれたから、嬉しかった」
 沙友里は無事にご両親に挨拶を済ませることが出来たようだ。夏樹は両手で手羽先(てばさき)を持ちかぶりつきながら、白い歯を見せて沙友里に笑顔を向けた。
「夏樹はどうなの?」
 沙友里はそれが気になっている。
「今は振付師の見習いでいっぱい、いっぱいかな。学校も行ってるし」
 今のところ夏樹は恋愛に興味は無いようだ。沙友里は学生の頃から夏樹には自分とは違った恋愛観があると感じていた。しかしそれを深く訊いたことは無かったし、いまも訊くつもりは無く、ただ見守っていようと思った。
「そっか。充実しているんだね。頑張って」
 沙友里も手羽先をかじり、顔がくしゃける程の笑顔を夏樹に送った。やっぱり沙友里には何となく見透(みす)かされているようだ、と夏樹は感じたが、それは嬉しい感情だった。沙友里はいつも味方でいてくれる、そんな安心感から夏樹の笑顔は崩れそうになり、話題を変えた。
「そうそう、私達がダンスの練習をしていた空き店舗、覚えてる?」
 夏樹が手羽先(てばさき)のタレがついた指をおしぼりで(ぬぐ)いながら話し始めると、皆も「もちろん」と言うように頷き、古びた色とりどりの姿鏡が置かれている情景を思い浮かべた。きっと店舗の床面積はそれほど広くは無かったが、四人にとってはダンススタジオぐらいの印象がある。
「あそこね、花咲美容室の二号店になったのよ」
「えっ、そうなのか!」
 驚きを隠しきれない俊介の声に合わせるように、沙友里も夏樹に顔を近づけた。
「やっぱりな。花咲さんもなかなかのやり手だな」
 徹はそうなっても不思議ではないな、とでも思っていたのか、あまり驚きを見せずに感心している。
「隣の託児所(たくじじょ)にくるお母さんたちに人気なんだって。あと小さい子の散髪もしているんだって」
「花咲さんも忙しそうだな。本当にお世話になった」
 俊介は初めて美容室に入った時に、警戒した様子で自分の話を聞いていた花咲の表情を思い浮かべ、微笑んだ。
「二号店の運営は、幼馴染の不動産屋さんにも手伝ってもらっているみたい」
 皆、不動産屋の顔はうる覚えだったが、それぞれが自分の記憶を思い出し、その特徴を言いながら、少しずつ顔をイメージして行った。
 懐かしい話は尽きない。あっという間に時が過ぎてしまう。しかし四人の顔には寂しさは無く、ダンスコンテストで予選を通過した時のような笑みが(あふ)れていた。
 別れ際、夏樹はわずかに真顔(まがお)を見せ、
「ユウリを悲しませないでね」
 そう言って俊介に、自分の想いを(たく)した。
 
 その後ユウリは仕事で何回か来日したが、実際は自由な時間がほとんどなく、日本で俊介と会うことは出来なかった。かわりに俊介がユウリに会いに福岡空港から何回か飛び立った。そのおかげでユウリの父ともすっかり仲良しになり、毎回ウィヨンが好きな煎餅(せんべい)を手土産に持っていくのが恒例(こうれい)だ。五回目にユウリの実家に行った時は、ユウリとの挨拶もそこそこに、ウィヨンに煎餅(せんべい)を渡して盛り上がっていたせいでユウリが機嫌を損ね、一時間ほど部屋に閉じこもってしまった。そしてウィヨンと俊介でユウリのご機嫌を取るはめになるほど仲がいい。

 年が明け、桜が咲く頃、俊介は関東に帰ってきていた。東京に隣接した勤務地の近くには、自動車とバイクを生産している世界的メーカの事業所がある。
 そしてユウリも生活の拠点を日本に移し、婚約していることを発表した。婚約相手を「一般男性」と発表したのと、ココットが解散してから一年が()っていたこともあり、メディアで話題には上がったものの、それほど騒ぎにならずに済んだ。
 俊介は上官に婚約した事と、その相手がユウリであることを報告した。
 上官は最初、驚きを見せたが、
「君が(うわさ)の『一般男性』か」
 と冗談交じりに笑うと、肩に手をのせ婚約を祝福してくれた。俊介は外国人を配偶者(はいぐうしゃ)に持つことに関して、それとなく聞いてみたが、上官は、
「外国の女性と結婚している隊員は他にもいる」
 とだけ言い、それ以上は言わなかった。

 電車の車窓を新緑の葉を()(しげ)らせた桜の樹々が流れていく。つり革につかまっている俊介にはユウリを紹介したい人がいる。俊介は通っていた工業大学の最寄り駅で電車から降りた。俊介の後ろから、帽子を深くかぶりメガネをかけたユウリが、初めての地を踏みしめる様にゆっくりとした足取りで降りてきた。俊介は少し寄り道をして、自分が卒業した大学のキャンパスに入り、校舎や体育館を指さしながら学生の頃の生活を話した。
「俊介はここで勉強していたんだね」
 ユウリはココットとして活動していた頃の俊介を想像しながら、今こうして一緒に歩いている事が不思議に思えた。
 俊介が会いに行こうとしている人は花咲だ。事前に(たず)ねる時間は連絡してある。花咲もその時間帯には予約を入れず、店を空けておいてくれた。ユウリにも花咲美容室の事は何度か話したことがあり、ユウリも一度行ってみたいと思っていた店だ。
 工業大学から延びる道をのんびりと歩いている時、女装のメークをした後、フードを深々とかぶって歩いていた自分と、その横を足早に歩いて行く夏樹と沙友里の面影(おもかげ)が通り抜けていくような気がした。当時の俊介は夏樹と沙友里の顔を見ていないが、はしゃいでいる夏樹とビラを手にした沙友里の表情が鮮明に思い描けた。幻の二人を眼で追うように軽く振り返り『ありがとな』と心で呟いた。
 花咲美容室の店先の植木は増えているようだ。澄み渡る青空を散りばめたようなアジサイも咲いている。
「あそこが女装のメークをしてくれたお店だよ」
「私もこれから通おうかな」
 ユウリは俊介との新しい生活を思い浮かべて微笑んだ。
 約束の時間に、俊介は花咲美容室の扉を開けた。

 いつものように扉の鐘が揺れ、
「素敵な音」
 ガラス越しの優しい日差しが、鐘を見つめるユウリの(ほほ)を照らした。
 
 カランコロン

 今日も幸運の鐘は、低く心地よい音色(ねいろ)(かな)でている……。

                               完
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