よん

文字数 3,892文字

 雀の鳴き声で目を覚ましたのはいつぶりだろう。寝起きが悪い私は、母親に起こされて目覚めることがほとんどだった。珍しくパッと目覚め、私の部屋がある二階から一階に降り、目を擦りながら冷蔵庫の牛乳をコップに注いだ。
「あら、おはよう。自分で起きて、珍しいのね」
 母親は朝ご飯を作っている最中だった。「まあね」と言いながら椅子に腰掛けた。テレビを見ている最中でトーストと目玉焼きが出てきた。私はそれをペロッと平らげ、すぐに出かける準備をした。
「今日から授業よね。行ってらっしゃい」
 玄関で見送られ、いつもの時間に家を出た。道路に出て道を曲がる途中で、見送る母に手を振るのが日課だ。昨日の天気とは打って変わり、爽やかな秋晴れだ。前日までの残暑は嘘のように、心地良くヒンヤリとした空気が私の体を包む。まるで『今日から秋です』と宣言されているような気分だ。天気の変化もそうだが、今日から本当の新学期が始まるのだ。いつも以上に引き締まる気持ちで足を踏みしめていった。
 
 午前8時20分。クラスに到着すると少しざわざわしていた。一体誰が、何処に左遷されてしまうのか。その話題で持ちきりだった。時計の長身が真下を指すと、チャイムの音が3度鳴った。その音とほぼ同時に、大澤先生が勢いよくドアを開けた。
「委員長、号令」
 いつも練習しているのだろうか。どうしても決め台詞のように聞こえてしまう。
「起立、礼、着席」
 善行は『わかってますよ』と言わんばかりに号令をかけた。
 大澤先生は全員が着席したのを確認すると、「えー」と言った後に早速本題から話し始めた。
「おはよう。昨日も校長先生からあった通り、例の投票が始まります。概要は言わなくても分かっているよな?毎週金曜日の帰りのホームルームの時間で、みんなには投票をしてもらう」
 毎週というワードにクラス中が反応したが、先生は構わずに続けた。
「金曜日の投票の結果を受け、先生たちは職員室で結果を確認します。その時点で最も票が集まった生徒は、その次の週からクラスに姿を現さないという訳です」
 非情とも言える宣告に、クラス中は朝から静まり返った。そして、クラスの反応はお構い無しとばかりに続けた。
「今日この瞬間からみなさんは、みなさんを評価する立場になります。ということは同時に、評価をされる立場でもあるということです。このクラスに不要なのか、そうでないのか」
 少し大澤先生の気持ちはノってきて、この状況を楽しんでいるようにも見えた。計ったようなタイミングでチャイムが鳴り、話を締めにかかった。
「話は以上です。2学期も有意義な生活を送ってください。委員長、号令」
「起立、礼、着席」
 善行がいつもの通り号令をかけた。これから1時間目の授業まで10分の休み時間があるが、大澤先生は準備のためか、素早く教室を出た。
「やってられるかよ!」
 声の主は佑太郎だった。力強く椅子を机の中に入れ、一人で廊下のほうに飛び出していった。
 夏実も春海も「たしかに」と、うんうんと頷きながらクラスに訴えかけるように呟いた。私たちが何を言おうと、校長が発令したルールは施行される。昨日まで仲が良かった仲間でも、明日には裁く可能性がある関係になってしまうのだ。
 一時間目のチャイムが鳴った。席に着いたのはいいものの、10分程度の休み時間では先程のざわめきを鎮めるにはまったく足りていない。数学の遠藤先生が教室に来ても、教室中が鎮まることはなかった。
「おーい、授業始めるよ」
 遠藤先生は内気な性格で、淡々と数式を黒板に書いていく授業のスタイルだ。生徒が寝ていてもふざけていても、あまり注意することもない。しかし、善行の号令で着席した途端、クラスは静寂に包まれた。さすがにあの発表から最初の授業であるため、うるさくする生徒はいないようだ。
「みんな、夏休みの宿題はやってきたか?各々ドリルを前に提出するように」
 先生がみんなに呼びかけると、「せんせーい!」と一人の生徒が立ち上がった。亮一だ。亮一は自分より立場の低い者に嫌がらせをする、所謂いじめっ子だ。佑太郎には屈服しており何も言えないが、大人しい性格の生徒に対してはこうして強気な態度を取っている。
「彼は宿題を持ってきていないらしいです」
 亮一は少しにやついた顔で先生に報告した。
「い、いや、その・・・」指を差された聡は狼狽えながら続けた。
「宿題はちゃんとやりました。でも、やったけど家に忘れてしまったんです」
「そうやってクラスの和を乱すのは良くないと思いませんか?先生」
「僕は、和を乱しているわけじゃない」
 雄弁に語りかけた亮一に対し、聡は微力ながら対抗した。
「じゃあ、今から家に帰って宿題を取ってこいよ。今、おまえが言ったことを証明してみろよ」
 ゲームセンターで遊びすぎて本当は宿題に手を付けていないと思ってしまったが、そうとも限らないかと私は勝手に思っていた。
 亮一が少し詰め寄ったところで、遠藤先生が彼を制した。
「分かった分かった。じゃあ、次の授業のときに持ってきてくれればいいから」
「先生、それは甘いですよ。彼は・・・聡はクラスの和を乱しているのですよ?ねえ、みんなもそう思うでしょ」
 亮一がここぞとばかりに畳み掛けてきた。見かねた藍美が席を立ち上がった。
「もういいでしょ。先生もこう言ってるんだから。これ以上は聡君がかわいそうだよ」
「たしかに、かわいそうだよねー」と春海の問いかけに、「うん、かわいそうー」と夏実が答えた。
 亮一は「でも・・・」と言いかけたが、佑太郎が「うるせーな、座れよ」と黙らせた。場の空気を察してか、悔しそうに亮一が着席をした。結局、聡に票を集めようとした亮一の思惑は、藍美によって妨げられたのである。私には正義感の強い藍美の勇敢な行動が格好良く感じられた。その後は、誰も授業を妨げることなく終わった。結局この日は、6時間目まで何も起きずに一日を終えた。帰りのホームルームの時間に、大澤先生が生徒の前で口を開いた。
「今日数学の時間に、亮一が聡を吊るし上げたそうだな」
 口が達者な大澤先生は、何かを唱えるときが来ると少し生き生きとした表情をする気がする。少しだけ間を置き、表情を引き締めて続けた。
「まず、聡が宿題を忘れてしまったことは良くないことだと思う」
 亮一が少し安堵の表情を浮かべた。しかしそれも束の間だった。
「でもな、それをみんなの前で吊るし上げて恥をかかすのは、もっと良くないことだと思うな」
 亮一の顔は固まり、息を飲む表情で聞いていた。
「自分が投票の対象から逃れるために誰か犠牲者を出してやろうって腹だろう。でもな、それは違う。意図的に誰かを貶めるのではなく、自分がこの2年3組という集団の中でどのような立ち位置でいられるか、つまり周りからいかに必要だと思われる人間でいられるのかっていうのが本質なんだ。先生はそう思うな」
 クラス中が大きく頷いたのを見て、先生は少し満足げな表情を見せた。亮一は少しバツが悪くなったのか、背中を小さく丸めていた。
 それから2日後の金曜日、帰りのホームルームはざわついていた。これから、初めての投票が行われる。
「よーし、みんな準備はいいか。いよいよこれから初めての投票を行う。機械の準備はいいか?前も言ったと思うが、この中から不要だと思う生徒の出席番号を入力するように」
 生徒の何人かは後ろの壁にある出席番号表を振り返って確認した。
「えーどうする?」
 夏実が春海に問いかけた途端に「相談するな」と大澤先生に一喝された。そしてみんなの入力が終わった頃に先生が口を開いた。
「よーし、みんな入力が終わった感じだな。じゃあ今日はこれで終わりにします。みんな、後ろから機械を前に回してくれ」
 先生は全ての機械を数えながら箱に入れた。
「よし、じゃあ委員長、号令」
「起立、礼、着席」
 善行がいつものように号令をかけて、一日が終わった。私はカバンを持って、珍しく自分から藍美を誘った。
「藍美、一緒に帰ろう」
 藍美は「うんっ!」と変わらないリアクションで応えた。さっきの投票の結果が不安なのはみんな同じことである。誰かと一緒にいたいと思うのは自然なことだ。
「ねえ柚季、今日もゲーセン行かない?」
「えーまた?頻度多くない?」
 私が聞き返すと、「いいから!」と腕を組んできた。特に予定があるわけではないので、少しでも強く言われるとすぐに気持ちが揺らいでしまう。まあいいかと思い、一緒に校門を出た。この前の出来事で、藍美のことを少し尊敬の念を抱いている自分がいた。少しだけ暗くなり始めたが澄んだ空を見上げながら、歩を進めていった。
 
 10分くらいした後、いつものゲームセンターに着いた。いつものようにプリクラを取り、今日もメダルのコーナーのある3階に登った。
 藍美は回りをキョロキョロ見渡した。恐らく聡を探しているのだろう。あの一件から、少し気になる存在になっているのかもしれない。早帰りでもないし、さすがにいないだろうと思ったその矢先、奥の方から聡が小学生を連れてこちらの方へやってきた。学校が終わったら一目散にこの場所に向かっているのだろう。聡は尋常ではないほどにこの場所に溶け込んでいる。
 私たちは聡にバレないように見守っていたが、やはりいつものように小学生にメダルを分け与えている。暫く聡は私たちのことに気付かず小学生たちと戯れていたが、夕方であったため小学生たちが帰宅した。
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