第3話 ビールケースを運ぶのだー
文字数 3,198文字
「ビールケース運ぶのだー」
メダカに朽葉コノコがビールケースを運ぶことを促す。
お酒も出す珈琲店。ここは夜、BARになるのだ。
ジャズ奏者がショーをする日もあって、そういうときはいつも満員になるほどお客さんが来店する。
今日は夜に出すビールの補充を夕方の間に行う日だ。
メダカは、ここ、朽葉珈琲店の一人娘、朽葉コノコと、一緒になってビールケースを運ぶ。
「コノコ姉さん、運ぶのラクそうですね。筋肉ありそうもないのに」
ビールケースを二段持ちで運ぶコノコに、メダカは感心する。
「そういうメダカちゃんは筋力も体力もなさすぎだよー」
「うぅ、酷いです、コノコ姉さん……」
業者が外に積み上げたビールケースを保管庫に運び終えると、メダカの身体が汗で発熱した。蒸したみたいに感じる。
肩を上下させて息をする佐原メダカは、
「コーラが飲みたいです」
と言った。
「わかった。買ってくるといいのだ」
朽葉コノコがズボンのポケットから硬貨を取り出す。
「好きなの買うのだ。この店の在庫から取っちゃダメねー。わたしはいつもの抹茶ラテがいいのだ。さぁ、コンビニまで、ごぉ、なのだー!」
メダカのお尻を手で叩いて追い出すようにするコノコ。
「もう、コノコ姉さんたら。それにお金は財布に入れてください」
ぶーたれながら、メダカは朽葉コノコのポケットから出したお金を握って、外に出る。
坂を少し上がったところにあるコンビニまで行く。
見れば見るほど、綺麗な区画。
坂道を歩いていると、汗が冷えて寒くなる。今は二月だから、汗がすぐに熱気を失うのだ。
レンガつくりの建物の、外観をそのままに内装を変えてオープンしたコンビニ。
その中に入ると、雑誌のコーナーで週刊漫画雑誌を立ち読みしている空美野涙子を、メダカは発見した。
「涙子さん!」
「ん? あ、あぁ。まあ、その、なんだ。アレだ。店内で騒ぐのヤメロな?」
ガラが悪そうな、クマのできた細い瞳をメダカに向ける涙子。
空美野涙子は、佐原メダカの、あこがれの存在だ。
「なにを読んでるんですか?」
覗き込もうとすると、持っている雑誌の角で涙子はメダカを叩いた。
「あぅぅ……。痛いですよぉ、涙子さん」
「痛いか? 痛がってよがって、あたしは楽しいぜ。そのままお持ち帰りしたいくらいだよ、佐原メダカさん」
「きゃっ、嬉しい。ぜひお持ち帰りしてくださいよー。それと、メダカ、でいいですってば。フルネームで呼ばないでくださいよぉ。わたしと涙子さんの仲じゃないですか」
大きくため息を吐く涙子。
「今日は、朽葉の奴はどーしてんの」
「コノコ姉さんなら、出勤していますよ」
「ふーん」
「今夜の『BARディアボロ』は演奏会があるので、コノコ姉さんとわたしも大活躍です。ビールケースしか運んでないけど」
「ふーん。御陵初命会長サマが歌う日だったか。はぁ。夕方のうちにサンドイッチでも食いに行くか、朽葉珈琲店に。ま、暇だからよぉ」
「仲、いいんですね、涙子さんと、コノコ姉さんは」
「あぁ?」
「いえ、なんでもないです」
「どーせ朽葉に買い物でも頼まれたんだろ。買ってってやれよ。抹茶ラテでも頼んだんだろ?」
「あ。はい!」
涙子さんとお話できてうれしいわー、などと考えながら缶入りの、抹茶ラテとコーラを買って、メダカはコンビニを出る。
去り際、ガラス越しに、涙子に対してメダカは手を振ったが、それを目つき悪く見た涙子は視線をすぐに立ち読みしている雑誌に目を落とすだけだった。
それでも、メダカは涙子と話せただけで満足だ。
「滾るー! 今日は良い日になりそう!」
拳を握り締めて、メダカは坂を下った。
鼻歌を歌いだしそうな気分で坂道を下る。歩くスピードが次第に速くなる。
前方不注意だった!
坂を上ってくる女性と、メダカはすれ違いざまにぶつかってしまった。
メダカは尻もちをつく。相手も「ふぎゃ」と声を出してしりもちをついた。
「いたたたっ。ごめん」
「いえ、こちらこそすみませんー。って、きゃあああぁぁ」
「え? なに? どうしたの? ぱんつ? 定番のぱんつ見えたってやつ?」
「チョコレートがあああぁぁあ。手作りチョコがああぁぁ」
足元をメダカが見ると、箱から飛び出た、砕けたチョコレート。もとはハート型だったのがうかがえる。
「あ、ぱんつじゃない? んん? バレンタイン……かな? バレンタインにはまだ日数あるけど」
「そうですぅ、バレンタインチョコです! 酷いですよー! 涙子さんに渡すはずの本命チョコがぁッ」
「涙子……さん?」
「そうですよぉ。私立空美野学園の〈王子様〉こと、空美野涙子さんですよー。高等部生徒会副会長でもある……」
「涙子さんとは、知り合いなのかしら?」
「はい」
「その話を、もっと詳しく聞こうかしら?」
空美野学園の制服を着た娘の左肩を、メダカはしっかりと力強く掴んだ。
「ひっ。目が据わってますよー」
「涙子さんの話、だからね」
そう。坂の上のコンビニにいたことを把握していたから、渡すチョコを持って走っていたのだろう。
これは問いたださなくちゃ、とメダカは思った。
コノコに渡すはずの抹茶ラテと自分のコーラの缶が入ったビニール袋が地面に落ちてしまっていたので拾う。
その後、メダカは女生徒を逃さないように、長い前髪の奥から眼光鋭く睨みつけた。そのくせ口元はニヤリとしているため、女生徒は怖くなってその場を保たせるために、自分の名前を言った。
「近江キアラって言います」
「キアラちゃん、ねぇ」
「怖い怖い怖い。垂らした前髪の奥から鋭く睨まないでくださいいいぃぃ」
「誰が怖いだってー?」
「うひぃ」
道のわきの方へ連れていくメダカ。おびえるキアラ。道行く人々が二人を横目で見やる。
視線お構いなしのメダカは、いかにしてキアラから多くの情報を引き出そうか考える。
「キアラちゃん、わたし、あなたのこと、学校で見たことないんだけど、どこに棲息しているのかな」
「き、帰宅部です」
「どこで涙子さんを知ったのかな」
目を充血させなながら問い詰めるメダカ。
あわや押し倒してしまうほどにキアラを追い詰めたメダカの脇腹に、軽く飛び蹴りが入った。
「ごほふぅッ」
息を漏らすメダカ。
自分を蹴った相手を見ると、それは朽葉コノコだった。
「帰りが遅いのだー。それに、なに女子学生をむりやり食べちゃおうとしてるの、メダカちゃん?」
「こ、コノコ姉さん……。いや、これには訳があって。ていうか、食べようなんてしてません!」
「事情ならお店に戻ってするといいよ」
「むぅ」
メダカは不服そうに頬を膨らませる。
「朽葉珈琲店で話の続きはしてね、メダカちゃん。それから、近江キアラちゃん」
「え? この娘のこと、知ってるんですか、コノコさん」
「うん。知ってる。涙子ちゃんの彼女さんだよー」
硬直するメダカ。
「は? 嘘……だろ……ッ?」
「少女マンガみたく、みんながみんなフリーだと思ったら大間違いなのだ」
コノコの声が遠くに聞こえるメダカは、意識を失いそうになっている。
「なんで地球が滅亡でもしそうだ、って顔をしてるのだ、メダカちゃん? 滅亡はするかもしれない危機的状況なのは本当だけど」
なにかサラッと言い流して、コノコはあはは、と無邪気そうに笑った。
キアラは首を傾げ、
「変なひとたち……」
と呟いた。
二月。バレンタインはもうすぐだ。
メダカに朽葉コノコがビールケースを運ぶことを促す。
お酒も出す珈琲店。ここは夜、BARになるのだ。
ジャズ奏者がショーをする日もあって、そういうときはいつも満員になるほどお客さんが来店する。
今日は夜に出すビールの補充を夕方の間に行う日だ。
メダカは、ここ、朽葉珈琲店の一人娘、朽葉コノコと、一緒になってビールケースを運ぶ。
「コノコ姉さん、運ぶのラクそうですね。筋肉ありそうもないのに」
ビールケースを二段持ちで運ぶコノコに、メダカは感心する。
「そういうメダカちゃんは筋力も体力もなさすぎだよー」
「うぅ、酷いです、コノコ姉さん……」
業者が外に積み上げたビールケースを保管庫に運び終えると、メダカの身体が汗で発熱した。蒸したみたいに感じる。
肩を上下させて息をする佐原メダカは、
「コーラが飲みたいです」
と言った。
「わかった。買ってくるといいのだ」
朽葉コノコがズボンのポケットから硬貨を取り出す。
「好きなの買うのだ。この店の在庫から取っちゃダメねー。わたしはいつもの抹茶ラテがいいのだ。さぁ、コンビニまで、ごぉ、なのだー!」
メダカのお尻を手で叩いて追い出すようにするコノコ。
「もう、コノコ姉さんたら。それにお金は財布に入れてください」
ぶーたれながら、メダカは朽葉コノコのポケットから出したお金を握って、外に出る。
坂を少し上がったところにあるコンビニまで行く。
見れば見るほど、綺麗な区画。
坂道を歩いていると、汗が冷えて寒くなる。今は二月だから、汗がすぐに熱気を失うのだ。
レンガつくりの建物の、外観をそのままに内装を変えてオープンしたコンビニ。
その中に入ると、雑誌のコーナーで週刊漫画雑誌を立ち読みしている空美野涙子を、メダカは発見した。
「涙子さん!」
「ん? あ、あぁ。まあ、その、なんだ。アレだ。店内で騒ぐのヤメロな?」
ガラが悪そうな、クマのできた細い瞳をメダカに向ける涙子。
空美野涙子は、佐原メダカの、あこがれの存在だ。
「なにを読んでるんですか?」
覗き込もうとすると、持っている雑誌の角で涙子はメダカを叩いた。
「あぅぅ……。痛いですよぉ、涙子さん」
「痛いか? 痛がってよがって、あたしは楽しいぜ。そのままお持ち帰りしたいくらいだよ、佐原メダカさん」
「きゃっ、嬉しい。ぜひお持ち帰りしてくださいよー。それと、メダカ、でいいですってば。フルネームで呼ばないでくださいよぉ。わたしと涙子さんの仲じゃないですか」
大きくため息を吐く涙子。
「今日は、朽葉の奴はどーしてんの」
「コノコ姉さんなら、出勤していますよ」
「ふーん」
「今夜の『BARディアボロ』は演奏会があるので、コノコ姉さんとわたしも大活躍です。ビールケースしか運んでないけど」
「ふーん。御陵初命会長サマが歌う日だったか。はぁ。夕方のうちにサンドイッチでも食いに行くか、朽葉珈琲店に。ま、暇だからよぉ」
「仲、いいんですね、涙子さんと、コノコ姉さんは」
「あぁ?」
「いえ、なんでもないです」
「どーせ朽葉に買い物でも頼まれたんだろ。買ってってやれよ。抹茶ラテでも頼んだんだろ?」
「あ。はい!」
涙子さんとお話できてうれしいわー、などと考えながら缶入りの、抹茶ラテとコーラを買って、メダカはコンビニを出る。
去り際、ガラス越しに、涙子に対してメダカは手を振ったが、それを目つき悪く見た涙子は視線をすぐに立ち読みしている雑誌に目を落とすだけだった。
それでも、メダカは涙子と話せただけで満足だ。
「滾るー! 今日は良い日になりそう!」
拳を握り締めて、メダカは坂を下った。
鼻歌を歌いだしそうな気分で坂道を下る。歩くスピードが次第に速くなる。
前方不注意だった!
坂を上ってくる女性と、メダカはすれ違いざまにぶつかってしまった。
メダカは尻もちをつく。相手も「ふぎゃ」と声を出してしりもちをついた。
「いたたたっ。ごめん」
「いえ、こちらこそすみませんー。って、きゃあああぁぁ」
「え? なに? どうしたの? ぱんつ? 定番のぱんつ見えたってやつ?」
「チョコレートがあああぁぁあ。手作りチョコがああぁぁ」
足元をメダカが見ると、箱から飛び出た、砕けたチョコレート。もとはハート型だったのがうかがえる。
「あ、ぱんつじゃない? んん? バレンタイン……かな? バレンタインにはまだ日数あるけど」
「そうですぅ、バレンタインチョコです! 酷いですよー! 涙子さんに渡すはずの本命チョコがぁッ」
「涙子……さん?」
「そうですよぉ。私立空美野学園の〈王子様〉こと、空美野涙子さんですよー。高等部生徒会副会長でもある……」
「涙子さんとは、知り合いなのかしら?」
「はい」
「その話を、もっと詳しく聞こうかしら?」
空美野学園の制服を着た娘の左肩を、メダカはしっかりと力強く掴んだ。
「ひっ。目が据わってますよー」
「涙子さんの話、だからね」
そう。坂の上のコンビニにいたことを把握していたから、渡すチョコを持って走っていたのだろう。
これは問いたださなくちゃ、とメダカは思った。
コノコに渡すはずの抹茶ラテと自分のコーラの缶が入ったビニール袋が地面に落ちてしまっていたので拾う。
その後、メダカは女生徒を逃さないように、長い前髪の奥から眼光鋭く睨みつけた。そのくせ口元はニヤリとしているため、女生徒は怖くなってその場を保たせるために、自分の名前を言った。
「近江キアラって言います」
「キアラちゃん、ねぇ」
「怖い怖い怖い。垂らした前髪の奥から鋭く睨まないでくださいいいぃぃ」
「誰が怖いだってー?」
「うひぃ」
道のわきの方へ連れていくメダカ。おびえるキアラ。道行く人々が二人を横目で見やる。
視線お構いなしのメダカは、いかにしてキアラから多くの情報を引き出そうか考える。
「キアラちゃん、わたし、あなたのこと、学校で見たことないんだけど、どこに棲息しているのかな」
「き、帰宅部です」
「どこで涙子さんを知ったのかな」
目を充血させなながら問い詰めるメダカ。
あわや押し倒してしまうほどにキアラを追い詰めたメダカの脇腹に、軽く飛び蹴りが入った。
「ごほふぅッ」
息を漏らすメダカ。
自分を蹴った相手を見ると、それは朽葉コノコだった。
「帰りが遅いのだー。それに、なに女子学生をむりやり食べちゃおうとしてるの、メダカちゃん?」
「こ、コノコ姉さん……。いや、これには訳があって。ていうか、食べようなんてしてません!」
「事情ならお店に戻ってするといいよ」
「むぅ」
メダカは不服そうに頬を膨らませる。
「朽葉珈琲店で話の続きはしてね、メダカちゃん。それから、近江キアラちゃん」
「え? この娘のこと、知ってるんですか、コノコさん」
「うん。知ってる。涙子ちゃんの彼女さんだよー」
硬直するメダカ。
「は? 嘘……だろ……ッ?」
「少女マンガみたく、みんながみんなフリーだと思ったら大間違いなのだ」
コノコの声が遠くに聞こえるメダカは、意識を失いそうになっている。
「なんで地球が滅亡でもしそうだ、って顔をしてるのだ、メダカちゃん? 滅亡はするかもしれない危機的状況なのは本当だけど」
なにかサラッと言い流して、コノコはあはは、と無邪気そうに笑った。
キアラは首を傾げ、
「変なひとたち……」
と呟いた。
二月。バレンタインはもうすぐだ。