第1話

文字数 2,145文字

 わたしは、殺意を抱かれている。

 いつからそれが始まったのかは、定かではない。

 けれども、その殺意はまぎれもなく本物である。

 そして。

 わたしを殺したいほど憎んでいるのは、わたしの髪だ。



 彼らよりこの上もなく憎まれたわたしの一日は今、こんな感じである。

 朝起きる。

 まぶたが開いた瞬間、そこには、わたしの黒い髪の毛先が、黒目を射貫かんと待ち構えている。

 しかしながら、わたしのまぶたをつかさどる神経周りの危機察知能力の高さと、日々の攻撃によって鍛え抜かれたまぶたの皮膚そのものが、彼等の攻撃を成就させない。

 あくびをすれば、開いた唇の間から喉の奥に滑り込み、声帯を潰さんと目論むも、これも慣れた私の手が、黒いヘアゴムと数本のヘアピンを操り、あっさりと彼等をひとつの塊にまとめあげてしまう。

 ねじられ、その動きを完璧に封じられた髪々は、わたしの頭上でとぐろを巻いたまま、ほどかれるときを待つしかないのだ。



 昼食後。

 動きを封じられたならば動けないままで頭蓋を締めつけ、痛みによってこのからだの行動を支配しようとする彼らを尻目に、わたしは悠々とカフェのテラス席に陣取り、一杯のあたたかいコーヒーを楽しむ。

 もともと偏頭痛持ちのわたしにとって、束縛された彼らがそこに付け加えることのできる程度の痛みなど。

 はは、笑止。

 はしたない言い方をゆるしていただけるのであれば、正直、屁でもない。

 それに、わたしには強い味方がついている。

 人間の英知の結晶、そう、「痛み止め」という名の愛らしい丸薬が。

 時折、テラス席を吹き抜ける風が、かたくまとめ上げられた髪をやさしくなぶる。

 そのやさしさにふとほころんだヘアワックスがその力をゆるめ、うっかり数本の後れ毛をわたしの頬に落とす、などというイレギュラーな事態が起きることもある。

 よっしゃ、チャンス到来!!!と盛り上がった髪々らが、その数本にすべての力を込めてわたしの頬を斬りつけようと試みるも、後れ毛など所詮、そよ風にふんわりと舞う程度のか弱い存在でしかなく、ほら、またもやさしく吹きつけてきた風に、なすすべもなくふたたび彼らは宙に舞い上げられ。

 そして、新たなワックスをつけたわたしの手とサブのヘアピンによって、丁寧に丁重に、後れ毛は元いた場所へと縫いつけられる。手元のコーヒーはまだあたたかい。



 夜。

 ゴムとピンの束縛から解放された彼等の前で、最もわたしの体が無防備になる入浴タイムは、髪々の叛乱が始まって以来、毎夜プロのヘアメイクである伴侶が責任を持って、暴れる彼等の相手をすることになっている。

 彼のゴッドハンドによる洗髪テクニックの前では、髪々の怒りもすっかり腰砕けになってしまうのだ。

 愛の力に神の技術が加われば、それは最強の矛と盾になる。なんて。こんな惚気もおそらく髪々の攻撃の手を強める餌にしかならないのだろう。彼らのいっそう強まる苛立ちは、この頭皮を通じて伝わってくるけれど、だからといって惚気を自ら封印するなんて、そんなもったいないことができるものか。とわたしは風呂上がりのあたたかいからだを、彼の胸元で、さらにいっそうくつろがせる。



 そして就寝時。

 背中でしっかりと押さえつけ、動きを封じ込めた黒髪の感触を感じながら、わたしは思う。

 彼等が、夜中のうちに、わたしの首を絞めるなりなんなりすることができないのは、やはり寄生して生きるものの弱さなのか。

 本体を殺してしまえば自分も死ぬよりほかないことを、髪々は熟知している。

 だからこそ、わたしが本当に死んでしまう可能性があることは、決して行わない。
 
 つまり、彼等はある意味鉄壁のボディーガードだ。

 わたしを、死ぬよりも嫌な目に合わせる。それも結局彼等にはできない。

 なぜなら、それでわたしが死んだほうがましだと思い、死ぬことを実行に移せば、それで彼等自身もジエンドとなってしまうからだ。

 しかも、彼等は自分の見た目に矜持でもあるのか、いつでも艶やかな黒髪であることをやめない。

 彼等自身の意地によって、わたしは美しい髪をもつ女子と他人から認識される、という恩恵すら受けている。

 そんな女子であるわたしにとって一番困りそうなことと言えば、彼等が集団で家出する、つまり禿げるということだと思われる。

 しかしながら、朝起きてつるっぱげになっていたところで、別にわたしの人生に支障などはないのだ。

 本来毛根のない部分にまで毛を植えつけられる、偽髪産業の発達したこのご時勢、植毛することに何を迷うことがあろうか。
 
 禿になろうが生きていけるわたしに、だから彼等は永遠に勝てない。

 勝負のある世界に住んでいるにもかかわらず、勝つという経験が一度もできぬ運命を享受する彼らは、究極のマゾ集団なのかもしれない。

 勝負は、基本もちかけたほうが負けるというのが世の常である。

 もちかけられる側はたいてい、もはや勝負のある世界には住んでいないからだ。
 


 え、向こうがわたしに殺意を抱く理由? さあ。


<完結>
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