第1話 黒い犬
文字数 1,983文字
ハアッハアッハアッ
夜のビル街を駆け抜け、その大きな真っ黒い犬は彼女の匂いを探していた。
人の多い通りを避け、裏通りのビルの壁を走る。
ショッピングモールの裏に出ると、ビルの間の闇に隠れて身体を小さくして行く。
中型犬の大きさで通る人に寄り添って歩き、不信感をもたれないように軽快に歩いた。
途中立ち止まり、確認するようにクンクン鼻を立てる。
そうして広場に出ると、彼女を見つけて駆け寄った。
「あっ、来たー!よく探したねー、キャハハハ!やだ、そんなに舐めないでよ」
ハッハッハッハ
息も早く、尻尾をブンブン振って彼女に飛びつく。
ポニーテールにポップな配列のカラフルなブルゾン、ミニスカートにスパッツの彼女は、二十歳くらいに見える。
整った顔に化粧は薄く、ほんのり桜色の紅を引いた口元が明るく笑うとキュートだ。
華やかな繁華街の中にポトリと墨を落としたような暗い小さな公園に降りる階段に座って、彼女に背中の毛を撫でられると、彼女の優しく甘い香りに包まれて、思わずふかふかになってしまう。
「お?可愛いね、お茶とかどう?」
階段の上を通る3人連れの男の1人が、彼女に声をかけてきた。
「えーどうしよっかなー」
上目遣いで、暑そうにブルゾンのファスナーをゆっくり降ろす。
ペロリと唇を舐め、胸元を広げると中はスポーツブラ一枚で、男はドキリとツバを飲んだ。
「おい!行くぞ!」
男の友人が、遠くで男を呼んでいる。
男は軽く手を上げ、返事を返すと女にささやいた。
「ごめん、先約がうるせえんだ。後で会える?」
「いいよぉ〜、別に空いてるしぃ」
「じゃあ、夜も遅いし、30分後にここで」
「オッケー」
犬は、そのやりとりをじっと見ている。
嬉しそうに笑う女に、膝に乗るとじっと目を閉じる。
女は犬を撫でながら、優しく語りかけた。
「ねえ、ポチ。彼を見た?優しそうな彼。
あの人だったらいいのに、私を探すあの人だったらいいのに。
そしたら一緒に死んでしまうのに。
もう……なぜ、待っているのか忘れたわ。
毎日毎日、ずっと待っているの。
毎日毎日、毎日、毎日よ?ああ、いつになったら私は会えるのかしら。
寂しいわ、寂しい、寂しい……」
女の顔が、涙で崩れてドロリと溶けて落ちる。
犬が顔を上げてその顔を舐めると、女はまた美しい顔に戻って笑った。
しばらくすると、先ほどの男が息を切らせて駆けてきた。
肩にバッグを掛けて、仕事帰りのようだ。
「お待たせ!待っただろ?」
「ううん、ぜんぜーん!」
女は嬉しそうに、立ち上がって手を振り返す。
男は近くまで来ると、来いと手を振った。
「行こうぜ、ホテルその辺でいい?」
先を歩き始めた男は、しかし女が動かないことに気がついた。
「おいおいおい、ちょっと待ってくれよ。
わざわざ俺を誘っておいて、そりゃないだろ」
立ち止まって、仕方なく引き返していく。
女はただ笑って、手を差し伸べている。
「行くぞ、手ぇかけさせるなよ」
グイと引くが女はビクともしない。
男が力任せに引いても、手を離そうとしても、離れなかった。
「な、何だよ、何なんだ?」
男の顔が恐怖に引きつると、女は泣き笑いの顔で涙をポロポロ流し始めた。
「ああ、アア、あなた、アナタ、私を迎えに、キタノネ」
抗う男は驚くほどの力で引き寄せられ、そして抱きしめられる。
ぐいぐいと、息も吸えず声も出せないほどの力で。
そして気がつくと、男の身体は女にめり込んでいった。
「な、な、なんだ?いったい!!だれか!うぐぅっ!助けて、助けてくれぇ……」
絞り出すような声を上げながら、周りを見回す。
そこにはただ、1匹の黒い犬が座っていた。
「助け……たすげでぇ……」
思わず犬に手を伸ばし、懇願する。
しかしその犬は目を伏せると、低い声で告げた。
「すまない」
「は?」
その一言を残して、男は女にめり込んで消えてしまった。
「はあ……」
女は満足そうにペロリと舌なめずりしている。
そして、犬を見ると思いだしたように身もだえして、大きく手を広げた。
「ああ!あなた!そこにいたのね?会いたかった!会いたかったわ!
私を探して、私を愛して、私だけを見て!」
「君だけを見ているよ。美しい君、私の為に今夜も美しい花を咲かせてくれるかい?」
「ええもちろんよ!私のあなた。
私以外のひとを見ちゃ嫌よ。
あなたの愛が揺らいだら、私悲しくてあなたを呪い殺してしまうわ」
「私には君だけさ。
愛しい君、美味しかったかい?」
「ああ……そうね、あなたより美味しい奴に出会ったことが無いわ。
やっぱりあなたって、食べたいくらい好きだもの」
「……そうだな」
犬が闇の中で影のように広がり、女を背後から包み込む。
そして、身体中を這うように抱きしめた。
「ああ、愛してる。食べられたいほどに」
「私もよ、食べたいほどに愛してる。食べちゃったけど」
ククククク……
どちらからとも無く、含み笑いが聞こえる。
その時、
ドスッ
2人の身体に衝撃が走り、彼女の胸を銛が突き抜けていた。
夜のビル街を駆け抜け、その大きな真っ黒い犬は彼女の匂いを探していた。
人の多い通りを避け、裏通りのビルの壁を走る。
ショッピングモールの裏に出ると、ビルの間の闇に隠れて身体を小さくして行く。
中型犬の大きさで通る人に寄り添って歩き、不信感をもたれないように軽快に歩いた。
途中立ち止まり、確認するようにクンクン鼻を立てる。
そうして広場に出ると、彼女を見つけて駆け寄った。
「あっ、来たー!よく探したねー、キャハハハ!やだ、そんなに舐めないでよ」
ハッハッハッハ
息も早く、尻尾をブンブン振って彼女に飛びつく。
ポニーテールにポップな配列のカラフルなブルゾン、ミニスカートにスパッツの彼女は、二十歳くらいに見える。
整った顔に化粧は薄く、ほんのり桜色の紅を引いた口元が明るく笑うとキュートだ。
華やかな繁華街の中にポトリと墨を落としたような暗い小さな公園に降りる階段に座って、彼女に背中の毛を撫でられると、彼女の優しく甘い香りに包まれて、思わずふかふかになってしまう。
「お?可愛いね、お茶とかどう?」
階段の上を通る3人連れの男の1人が、彼女に声をかけてきた。
「えーどうしよっかなー」
上目遣いで、暑そうにブルゾンのファスナーをゆっくり降ろす。
ペロリと唇を舐め、胸元を広げると中はスポーツブラ一枚で、男はドキリとツバを飲んだ。
「おい!行くぞ!」
男の友人が、遠くで男を呼んでいる。
男は軽く手を上げ、返事を返すと女にささやいた。
「ごめん、先約がうるせえんだ。後で会える?」
「いいよぉ〜、別に空いてるしぃ」
「じゃあ、夜も遅いし、30分後にここで」
「オッケー」
犬は、そのやりとりをじっと見ている。
嬉しそうに笑う女に、膝に乗るとじっと目を閉じる。
女は犬を撫でながら、優しく語りかけた。
「ねえ、ポチ。彼を見た?優しそうな彼。
あの人だったらいいのに、私を探すあの人だったらいいのに。
そしたら一緒に死んでしまうのに。
もう……なぜ、待っているのか忘れたわ。
毎日毎日、ずっと待っているの。
毎日毎日、毎日、毎日よ?ああ、いつになったら私は会えるのかしら。
寂しいわ、寂しい、寂しい……」
女の顔が、涙で崩れてドロリと溶けて落ちる。
犬が顔を上げてその顔を舐めると、女はまた美しい顔に戻って笑った。
しばらくすると、先ほどの男が息を切らせて駆けてきた。
肩にバッグを掛けて、仕事帰りのようだ。
「お待たせ!待っただろ?」
「ううん、ぜんぜーん!」
女は嬉しそうに、立ち上がって手を振り返す。
男は近くまで来ると、来いと手を振った。
「行こうぜ、ホテルその辺でいい?」
先を歩き始めた男は、しかし女が動かないことに気がついた。
「おいおいおい、ちょっと待ってくれよ。
わざわざ俺を誘っておいて、そりゃないだろ」
立ち止まって、仕方なく引き返していく。
女はただ笑って、手を差し伸べている。
「行くぞ、手ぇかけさせるなよ」
グイと引くが女はビクともしない。
男が力任せに引いても、手を離そうとしても、離れなかった。
「な、何だよ、何なんだ?」
男の顔が恐怖に引きつると、女は泣き笑いの顔で涙をポロポロ流し始めた。
「ああ、アア、あなた、アナタ、私を迎えに、キタノネ」
抗う男は驚くほどの力で引き寄せられ、そして抱きしめられる。
ぐいぐいと、息も吸えず声も出せないほどの力で。
そして気がつくと、男の身体は女にめり込んでいった。
「な、な、なんだ?いったい!!だれか!うぐぅっ!助けて、助けてくれぇ……」
絞り出すような声を上げながら、周りを見回す。
そこにはただ、1匹の黒い犬が座っていた。
「助け……たすげでぇ……」
思わず犬に手を伸ばし、懇願する。
しかしその犬は目を伏せると、低い声で告げた。
「すまない」
「は?」
その一言を残して、男は女にめり込んで消えてしまった。
「はあ……」
女は満足そうにペロリと舌なめずりしている。
そして、犬を見ると思いだしたように身もだえして、大きく手を広げた。
「ああ!あなた!そこにいたのね?会いたかった!会いたかったわ!
私を探して、私を愛して、私だけを見て!」
「君だけを見ているよ。美しい君、私の為に今夜も美しい花を咲かせてくれるかい?」
「ええもちろんよ!私のあなた。
私以外のひとを見ちゃ嫌よ。
あなたの愛が揺らいだら、私悲しくてあなたを呪い殺してしまうわ」
「私には君だけさ。
愛しい君、美味しかったかい?」
「ああ……そうね、あなたより美味しい奴に出会ったことが無いわ。
やっぱりあなたって、食べたいくらい好きだもの」
「……そうだな」
犬が闇の中で影のように広がり、女を背後から包み込む。
そして、身体中を這うように抱きしめた。
「ああ、愛してる。食べられたいほどに」
「私もよ、食べたいほどに愛してる。食べちゃったけど」
ククククク……
どちらからとも無く、含み笑いが聞こえる。
その時、
ドスッ
2人の身体に衝撃が走り、彼女の胸を銛が突き抜けていた。