第1話
文字数 3,392文字
「有り得ないでしょ! なんで目玉を食べちゃうわけ!?」
俺の口にはドングリ飴のように丸い目玉が転がっている。舌で表面を撫でて、つるつるとした感触を確かめる。
「俺が好きだっていうの知ってて食べたよね?」
対面に座る友人が箸をこちらに突き出しながら、俺のした行為に怒っていた。
箸は下ろそうか。箸で人を指差しちゃいけない。
「目玉って二個しか無いんだよ?分かってんの!? しかも今日は青いやつなのに! 食べてみたかったのに!」
「そんなこと言ったら、心臓も一個しかない。ほら、やるから機嫌直せ?」
「俺が好きなのは目玉だって言ってんの!せっかく取っておいたのに!」
「名前が書いてあるわけでもないしな」
「前もそう。焼き肉でも育ててた目玉食べた!」
「美味しくいただきましたとも」
「しかも前に好きじゃないって言ってなかった?」
「うん、普通」
「ひどい!」
「ごめんって」
「絶対謝ってる気ないし! こっちのニンジンやるからもう一個の目玉は俺にちょうだい」
そう言いながら鍋の中から取るのはいつも指先だ。ニンジンの先みたいに丸くて細い。ニンジンに似ているから、俺達はいつもニンジンって呼んでいた。
「いらん。骨が多い。嫌いだから胃の中に入れたくない」
そう言いながら鍋をつついて取るのはもう一つの目玉。それを俺はパクリと自分の口に入れてしまう。
絶対にお前にやるものか。
「お前!! それは目玉だ!!」
そうだな。
鍋の中には肉ばかりの食材が煮えている。野菜はシンプルに白菜だけ。大きくぶつ切りにしたその肉は、新鮮で取れたて、捌きたての……人間だった。
こうして鍋パが開かれるのももう一年くらい経つのだが、俺もあいつも元々人を食べるのが好きだったわけではない。いや、俺は今でも人を食べるのが好きというわけではない。
始めは友人の衝動的な行為だった。
ある夜、牛丼屋チェーンでのバイトが終わった直後に携帯が鳴った。
「ちょっと、困ってるんだけど、すぐに来てくれない?」
声は掠れていて、どこか震えているのが気にかかった。
この友人とは、あまり仲が良いわけではなかった。大学の飲みサークルの新入生歓迎会、偶然同じ席でちょっとしゃべったからなんとなく連絡先を交換し合ったという薄っぺらい仲だ。
「お前にしか、頼めなくて」
そう言われれば断ることは出来なかった。俺は人が良いのだ。頼られれば、応えたくなってしまう。困っているというのなら、尚更。
バイト終わりのその足で、友人のマンションに行った。大学近くの建てられたばかりの広めの学生賃貸マンションだ。チャイムを押すと程無くして友人が青い顔をして現れる。気になったのは扉の隙間から漏れてくる異様に冷えた空気。それにどこか生々しく、湿ったような臭いがする。どこか懐かしく、子どもの頃を思い出す。
案内されるままにキッチンに行くと、まな板の上に靴下を履いたままの足が乗っていた。
「これなんだけどさ」
人間の……おそらく女性の足だ。骨は細く、運動でもしていたのか少し筋肉のついた、スラッとした足。
「すごくすごく可愛くて好きで美味しそうだから衝動的に殺しちゃったからどうせだし食べようと思ったんだけど、骨とか固いしうまく切れないし、出刃包丁も買ってみたんだけどうまくいかなくて、血とかめっちゃ出て滑るし、ちゃんと調理したいのに俺って非力で不甲斐ないなと思ってさ……」
友人は魚の捌き方が分からないとでもいうように、軽くそんなことを吐露する。
気が狂っているのだと瞬時に理解したのだが、気が狂っている割にどこか理性的だった。だから俺も、目の前の光景に驚きつつも、どこか友人に引きずられて理性を保たせられてしまった。
「生で食えるのは目玉まで。他の肉も適当にフライパンで焼いて食べてみたけどやっぱり人間って雑食だからかあんまり美味くなくて。煮てアクとか抜いた方がいいのは分かってるんだけど、バラし方が分からない。お前って、実家が精肉店だったって言ってたじゃん? 知ってるんじゃないかと思ってさ。呼んでみた」
実家が精肉店だという話は以前の新歓のときに話していた。
――けれどそれ以前に。
こいつには何かが、欠如している。
どうやら人を殺して困っているとか、死体遺棄に困っているとか、そういう《困った》理由で俺を呼んだわけではないらしい。
食べ方が分からないから、困っている。
つまり、食べるために殺したと。
なんなら殺すという行為さえあまりこいつの中で全うにカウントされていない。その行為の重大さを、わかっていない。
「お前は自分が何をしたのか分かっているのか?」
「殺人?」
「この行為は?」
「死体遺棄?それとも損壊かな」
「両方だ。死体に、何をやっている?」
「申し訳ないとは思ってるよ。けどさ、生きるってそういうことじゃん」
思い出すのは幼い頃のこと。天井から吊るされる牛を解体する親の姿。《動物》がだんだん《食材》になっていく。
「スーパーで買う牛カルビも死体だろ?」
確かに、そうだ。言っていることに間違いはない。
どうして人は、動物としてかけ離れた形になると死体ではなく食物だと見るようになってしまうのだろう。食物として見てしまえば、《死》という概念は些か薄らいでしまう。
「人は《死》を食べて生きてるんだろう? 俺も今日初めてちゃんと理解したんだけどさ。……申し訳ないとは、思ってるよ」
それを分かった上で、俺ならば理解すると思った上で、この友人は俺を選び、ここへ呼んだのか。
俺は色々な気持ちを吐くように、深くため息を吐く。
「出来なくは、無いけども」
前提は、やっぱりいただけないんだけども。犯罪に荷担しろと言っているようなものだ。人を殺してはいけないなんて、小学生でも知ってる。通報しないといけないのに、俺に課せられた選択肢はなぜか『捌く』か『捌かない』かの二択。
狼狽えて、目を逸らす。しかし、逸らした先には別の肉が百均の小さなビニールシートに乗っていた。
俺はそれに、しばし目を留める。
「――ごめん、やるわ」
提案に乗ったのはその人間の顔を見たからだった。
同じく新入生歓迎会で会った女の子。
瞳の綺麗な女の子だった。丁寧に引かれたアイライン向こうに、くりくりとした茶色い瞳が輝く可愛い子。
その目は今はくり貫かれて、瞳があった場所に虚が埋まっている。グレープフルーツ用スプーンで雑にくり貫いたらしく、そばには血に濡れた銀色が光っている。
許せなかった。
苛立ってしまった。
お前は、この子の目を食ったのか。
これ以上ぐちゃぐちゃに食われるのは、我慢がならない。
好きなモノを食われてしまったことに憤りを感じた。俺が拒否すれば、こいつはこの子を適当に切り刻んで一人占めして全て食べてしまうだろう。それは、嫌だった。
だから、俺も一緒に食べることにした。
まな板のそばに光る鈍色の出刃包丁を手に取った。
それから月に一回くらいのペースでこんな鍋パーティーが開かれている。今日もこいつがどこかしらから取ってきた人間を捌いて食べるのだ。
食物への敬意は忘れず、目をつむり、手を合わせて、お辞儀をしながら「いただきます」。
あれから分かったことも多い。人間を煮るのであればカツオ出汁が合うし、味噌煮込みだと尚美味い。
どこの人間の肉とも知れない目玉を口に含みながら思い出す。
俺はあの子の瞳が好きだった。
それを俺が手に取る間もなく、食われてしまったのは許せなかった。こうして友人と同じ鍋をつついてはいるが、いまだに許せてはいない。
許せないので、俺は友人が好きなものを食べ続けることにした。今日もあの子の目玉を食べられなかったことを悲しみながら、別の目玉を咀嚼する。
「明日はどの部位にする? まだ結構残ってるよね」
「しっかり煮込んで、ホルモン鍋でもするか?」
「いいねぇ!」
キッチンには切れ味のいい出刃包丁、目の前には友人。
別に、俺だって、考えたことが無いわけではないんだ。復讐だとかそういうものを。
とはいえこいつを殺したとしても、嫌いなものは胃の中には入れたくないのでしばらくは殺すことは無いのだった。
俺の口にはドングリ飴のように丸い目玉が転がっている。舌で表面を撫でて、つるつるとした感触を確かめる。
「俺が好きだっていうの知ってて食べたよね?」
対面に座る友人が箸をこちらに突き出しながら、俺のした行為に怒っていた。
箸は下ろそうか。箸で人を指差しちゃいけない。
「目玉って二個しか無いんだよ?分かってんの!? しかも今日は青いやつなのに! 食べてみたかったのに!」
「そんなこと言ったら、心臓も一個しかない。ほら、やるから機嫌直せ?」
「俺が好きなのは目玉だって言ってんの!せっかく取っておいたのに!」
「名前が書いてあるわけでもないしな」
「前もそう。焼き肉でも育ててた目玉食べた!」
「美味しくいただきましたとも」
「しかも前に好きじゃないって言ってなかった?」
「うん、普通」
「ひどい!」
「ごめんって」
「絶対謝ってる気ないし! こっちのニンジンやるからもう一個の目玉は俺にちょうだい」
そう言いながら鍋の中から取るのはいつも指先だ。ニンジンの先みたいに丸くて細い。ニンジンに似ているから、俺達はいつもニンジンって呼んでいた。
「いらん。骨が多い。嫌いだから胃の中に入れたくない」
そう言いながら鍋をつついて取るのはもう一つの目玉。それを俺はパクリと自分の口に入れてしまう。
絶対にお前にやるものか。
「お前!! それは目玉だ!!」
そうだな。
鍋の中には肉ばかりの食材が煮えている。野菜はシンプルに白菜だけ。大きくぶつ切りにしたその肉は、新鮮で取れたて、捌きたての……人間だった。
こうして鍋パが開かれるのももう一年くらい経つのだが、俺もあいつも元々人を食べるのが好きだったわけではない。いや、俺は今でも人を食べるのが好きというわけではない。
始めは友人の衝動的な行為だった。
ある夜、牛丼屋チェーンでのバイトが終わった直後に携帯が鳴った。
「ちょっと、困ってるんだけど、すぐに来てくれない?」
声は掠れていて、どこか震えているのが気にかかった。
この友人とは、あまり仲が良いわけではなかった。大学の飲みサークルの新入生歓迎会、偶然同じ席でちょっとしゃべったからなんとなく連絡先を交換し合ったという薄っぺらい仲だ。
「お前にしか、頼めなくて」
そう言われれば断ることは出来なかった。俺は人が良いのだ。頼られれば、応えたくなってしまう。困っているというのなら、尚更。
バイト終わりのその足で、友人のマンションに行った。大学近くの建てられたばかりの広めの学生賃貸マンションだ。チャイムを押すと程無くして友人が青い顔をして現れる。気になったのは扉の隙間から漏れてくる異様に冷えた空気。それにどこか生々しく、湿ったような臭いがする。どこか懐かしく、子どもの頃を思い出す。
案内されるままにキッチンに行くと、まな板の上に靴下を履いたままの足が乗っていた。
「これなんだけどさ」
人間の……おそらく女性の足だ。骨は細く、運動でもしていたのか少し筋肉のついた、スラッとした足。
「すごくすごく可愛くて好きで美味しそうだから衝動的に殺しちゃったからどうせだし食べようと思ったんだけど、骨とか固いしうまく切れないし、出刃包丁も買ってみたんだけどうまくいかなくて、血とかめっちゃ出て滑るし、ちゃんと調理したいのに俺って非力で不甲斐ないなと思ってさ……」
友人は魚の捌き方が分からないとでもいうように、軽くそんなことを吐露する。
気が狂っているのだと瞬時に理解したのだが、気が狂っている割にどこか理性的だった。だから俺も、目の前の光景に驚きつつも、どこか友人に引きずられて理性を保たせられてしまった。
「生で食えるのは目玉まで。他の肉も適当にフライパンで焼いて食べてみたけどやっぱり人間って雑食だからかあんまり美味くなくて。煮てアクとか抜いた方がいいのは分かってるんだけど、バラし方が分からない。お前って、実家が精肉店だったって言ってたじゃん? 知ってるんじゃないかと思ってさ。呼んでみた」
実家が精肉店だという話は以前の新歓のときに話していた。
――けれどそれ以前に。
こいつには何かが、欠如している。
どうやら人を殺して困っているとか、死体遺棄に困っているとか、そういう《困った》理由で俺を呼んだわけではないらしい。
食べ方が分からないから、困っている。
つまり、食べるために殺したと。
なんなら殺すという行為さえあまりこいつの中で全うにカウントされていない。その行為の重大さを、わかっていない。
「お前は自分が何をしたのか分かっているのか?」
「殺人?」
「この行為は?」
「死体遺棄?それとも損壊かな」
「両方だ。死体に、何をやっている?」
「申し訳ないとは思ってるよ。けどさ、生きるってそういうことじゃん」
思い出すのは幼い頃のこと。天井から吊るされる牛を解体する親の姿。《動物》がだんだん《食材》になっていく。
「スーパーで買う牛カルビも死体だろ?」
確かに、そうだ。言っていることに間違いはない。
どうして人は、動物としてかけ離れた形になると死体ではなく食物だと見るようになってしまうのだろう。食物として見てしまえば、《死》という概念は些か薄らいでしまう。
「人は《死》を食べて生きてるんだろう? 俺も今日初めてちゃんと理解したんだけどさ。……申し訳ないとは、思ってるよ」
それを分かった上で、俺ならば理解すると思った上で、この友人は俺を選び、ここへ呼んだのか。
俺は色々な気持ちを吐くように、深くため息を吐く。
「出来なくは、無いけども」
前提は、やっぱりいただけないんだけども。犯罪に荷担しろと言っているようなものだ。人を殺してはいけないなんて、小学生でも知ってる。通報しないといけないのに、俺に課せられた選択肢はなぜか『捌く』か『捌かない』かの二択。
狼狽えて、目を逸らす。しかし、逸らした先には別の肉が百均の小さなビニールシートに乗っていた。
俺はそれに、しばし目を留める。
「――ごめん、やるわ」
提案に乗ったのはその人間の顔を見たからだった。
同じく新入生歓迎会で会った女の子。
瞳の綺麗な女の子だった。丁寧に引かれたアイライン向こうに、くりくりとした茶色い瞳が輝く可愛い子。
その目は今はくり貫かれて、瞳があった場所に虚が埋まっている。グレープフルーツ用スプーンで雑にくり貫いたらしく、そばには血に濡れた銀色が光っている。
許せなかった。
苛立ってしまった。
お前は、この子の目を食ったのか。
これ以上ぐちゃぐちゃに食われるのは、我慢がならない。
好きなモノを食われてしまったことに憤りを感じた。俺が拒否すれば、こいつはこの子を適当に切り刻んで一人占めして全て食べてしまうだろう。それは、嫌だった。
だから、俺も一緒に食べることにした。
まな板のそばに光る鈍色の出刃包丁を手に取った。
それから月に一回くらいのペースでこんな鍋パーティーが開かれている。今日もこいつがどこかしらから取ってきた人間を捌いて食べるのだ。
食物への敬意は忘れず、目をつむり、手を合わせて、お辞儀をしながら「いただきます」。
あれから分かったことも多い。人間を煮るのであればカツオ出汁が合うし、味噌煮込みだと尚美味い。
どこの人間の肉とも知れない目玉を口に含みながら思い出す。
俺はあの子の瞳が好きだった。
それを俺が手に取る間もなく、食われてしまったのは許せなかった。こうして友人と同じ鍋をつついてはいるが、いまだに許せてはいない。
許せないので、俺は友人が好きなものを食べ続けることにした。今日もあの子の目玉を食べられなかったことを悲しみながら、別の目玉を咀嚼する。
「明日はどの部位にする? まだ結構残ってるよね」
「しっかり煮込んで、ホルモン鍋でもするか?」
「いいねぇ!」
キッチンには切れ味のいい出刃包丁、目の前には友人。
別に、俺だって、考えたことが無いわけではないんだ。復讐だとかそういうものを。
とはいえこいつを殺したとしても、嫌いなものは胃の中には入れたくないのでしばらくは殺すことは無いのだった。